鬱憤
ふぅむ…"レジスタンス"か…。厄介事は絶えないな。
定期連絡の紙束をカウンターに放り投げる。
まぁ、隣の国のお話だ。我が国は善政として名高いのだし、レジスタンスの入り込む余地はあるまいて。
丹念に手入れしている顎髭をいじりながら、帳簿の整理に戻る。
漁船の修理依頼…。
市民ホールの清掃依頼…。
子守りの依頼…。
迷い犬探し…。
畑を荒らす猿の討伐依頼…。
依頼内容、危険度、依頼遂行に必要とする時間…。届いた依頼を事細かに仕訳し、クラス分けした後、仕事を探すガーディアンに紹介する。
いつもと変わらぬ日常。さして危険な依頼が来ることもなく、王都のギルドは今日も平穏な――。
カランカラン。
扉を開く鐘の音。続いて聞こえる不機嫌な足音がずんずんと近づいてきた。
ギルド内で談笑していたガーディアン達が一斉に静まり返る。
出来ることなら顔を上げたくない。
ずっと帳簿の整理をしていたい。
「マスター」
私を呼ぶ声は、いつにも増して不機嫌な物だった。
「こんにちは、カリン様。本日はどのようなご用件で?」
ため息を押し殺して訊ねる。カウンターに肩肘を付いた王女は、予想よりも遥かに不機嫌な顔をしていた。
「…どうした?苦虫を潰したような顔をして」
私としたことが、どうやら表情に出てしまっていたようだ。
「えぇ、少々厄介な連絡が舞い込んだもので…」
あなた様が来られたからです。とは言えず、適当に言い繕う。
「カリン様のお耳にもすでに入っているものとは思いますが」
先程まで読んでいたカウンターの紙束を渡す。もっとも、この件に関しては王女様の方が詳しく知っているだろうが。
「ほぅ…レジスタンスか…初耳だな」
流し読みしたカリンの感想は予想外のものだった。
「王宮にはすでに行っている知らせかと思っておりましたが」
「我は聞いておらんな。父上なら何か知っているかもしれぬが。…それよりも依頼だ。何か適当なものはないか?」
連絡書に興味を失ったカリンが急かす。
「"適当なもの"でございますか…」
帳簿をめくり、依頼の一覧に目を通す。
「急ぎの依頼はあるか?」
カリンの言葉に、"至急!!"と判が押された紙束をめくる。
「え~、"隣町までの商人の護衛"…」
「却下、夜半には帰れるものを頼む」
うむ、本来、王女は護衛されるべき側だろう。もっとも、この王女に限ってはそうではないが。
「"王立図書館の本の整理"…」
「却下、色白貧弱の文官にでもやらせろ。狩猟、退治系が良い。…多少危険でも構わん…いや、大いに危険でも構わん」
カリンの言葉に、今度は"危険!!"と判が押された書類を漁る。
「それでは…"スズメバチの巣の撤去"等は――」
「却下!次!!」
カリンの機嫌がさらに悪化する。早く適当な依頼を紹介せねば…。
「他には…"毒サソリの採取"というのは――」
「却下だ!!ちょっと貸せ!!」
カリンが"危険"の判が押された書類を引ったくる。
「…全く、王都のギルドというのに、シケた依頼しか来んのか…」
カリンはそうぼやくと、苛立たしげに紙束をめくる。
「平和な証でございます。…これもセロ陛下の善政の賜物でございます」
「…つまらん」
国が平和なのにつまらないとは全く理不尽な為政者である。
ふと顔を上げて見ると、先程まで談笑していたガーディアンの面々も、"困ったものだ"と言うように肩をすくめてみせる。
月に何度かこうして依頼で鬱憤を晴らすのが、カリンの楽しみなのだ。
「…おぉ、これなら良さそうじゃないか?よし、これにしよう!!」
カリンは手を止めしばらく考えると、紙を一枚抜き取りこちらに提示する。
その依頼を一通り確認する。
「"狼の退治"…あぁ、デヴォーラーの森の外れですな」
「うむ、近くの村の家畜にも被害が出ているようじゃな。全くけしからん。速やかに退治しよう」
「しかし、狼が出るのは夜半過ぎ。速やかに依頼を達成なさっても、帰りは朝方になるかと思いますが」
一国の王女が朝帰りなど、前代未聞である。
「なに、構わん構わん」
ひらひらと手を振りながら満足そうに笑うカリンに、先ほど『夜半に帰る事の出来る依頼を』と仰ったのはあなたではないですか!と心の中でツッコミを入れる。
「かしこまりました。こちらにサインをお願いします。…人数はお一人で?」
ここで私が食い下がっても、強情な王女の事、引き留めるのは無理だ。
「一人だ…では行ってくる」
ギルドから王女が出て行ったのを確認して、溜まっていた息を吐き出す。
「お疲れさん」
一人の男性ガーディアンが苦笑しながら近付いてきた。
「全く…次期国王の雄々しき事だ」
「それよりも…」
顔を寄せて小声で話す。
「あの化け物の事は話さなくて良かったのかい?」
あの化け物、とはデヴォーラーの"銀狼"の事だ。最近姿を表した美しい銀狼で、大きさは馬ほどもある。
もっとも、その銀狼は森の奥地を住み処としているため、今回の依頼に直接には関係ない。人や家畜を襲っている狼の群れとは別の群れだ。
「銀狼がそう簡単に姿を現すとは思えんしな」
事実、毎日数多くの旅商人達が森を通っているが、目撃されたのはたった四回だ。
加えて、銀狼を捕らえよう、もしくは狩ろうと、何人ものガーディアンが森に入ったが、未だにその姿を見たものはいない。
「それに、"化け物"なら今しがた出ていった所だ」
ギルドの玄関に目配せする。
人を襲う狼の群れにたった一人で挑む。普通の人間ならただの自殺だが、彼女なら…。
「ハハハ!!違いない!!取り合えずは街の毛皮商人を集めとく必要があるな」
明日の昼頃には狼の毛皮が大量に入ってくるだろう。
「哀れな狼の群れに…」
ガーディアンの一人が、デヴォーラーの森の方角に向き直り、静かに黙祷する。
「あぁ、哀れな狼の群れに」
私も倣って黙祷した。
翌日、街で取り扱われる毛皮の値段が暴落したのだった。