魔王さまは奮闘中―はじまり―
世界は人、魔族、妖精がそれぞれ国を興し、治めていた。
そんな中、それは残酷な事実。
人が戦う力を求めて、下級魔物を操る術を見つけた結果。
一つの村が滅んだ。
滅んだ村の中心に黒いローブを頭から被った一人の男が立っていた。
そこから見渡すと、かつてのどかな田舎風景が、廃墟と化し、黒い塊が点在する中、人の形をしていたものが、無惨にもバラバラで転がり、血肉が言葉では現せないほどの異臭を放つ。
軽く風が渦を巻き、被っていたローブが流されると肩まで届くくらいのゆるやかな金髪が現れた。
美しく冷たい印象を与える彫刻のような面立ちに、澄んだ青空を嵌め込んだような色を持つ目が、今は静かな怒りを宿していた。
「そこにいるのだろ。なんと愚かなことをしたのだ。ここに住んでいた者たちはそなたたちと同じ人族ではなかったのか?」
確かに複数の魔導士たちの気配はあっても姿を見せる様子はない。
なぜなら、男から発する強大な魔力に当てられ、金縛りにあったように動くことができないでいたからだ。
「知能のない魔物を使うとは許しがたい。世界樹の約定により、他種族間での国としての戦争は禁忌だが、私個人がそなたたちを滅することはできるのだよ」
複数の気配から、さらなる緊張と恐怖が伝わってきた。
ふと、男は右側前方へ視線を走らせ、ある一点で目を細める。
なにかを探るように遠くを見つめて、詠唱もなく、左手を軽く頭上まで掲げ、振り下ろしながら低く静かな声で告げる。
「そなたたちの主に伝えよ。二度目はないと」
男が左手を振り下ろした瞬間、複数の気配が消えた。
それと入れ代わるように、男の足元に跪く者があらわれた。
「魔王さま」
魔王と呼ばれた男は、何も答えずに、瞬間移動をする。
そこは素朴な雰囲気を持つ家の中で、魔王は小さな気配を見つけた。
柔らかそうな銀色の髪が揺れ、色白な可愛らしい顔立ち、林檎のような赤い唇は少し開いて、不安を浮かべた菫色の瞳は魔王の青い瞳と見つめ合う。
そして、魔王は穏やかな声音で問う。
「人の子か。強い魔力を持っているようだな。私とともに来るか? 服と食事と住む場所を提供しよう。今なら礼儀作法と将来、馬鹿にならぬための勉強もついてくるぞ」
「魔王さま。幼子相手に、何言ってるんですか」
同じく瞬間移動してきた男が言うと、魔王は声がしたほうを一瞥し、真面目な様子で返す。
「パラトゴロ。私は今、大人の責務として、目の前の幼児に交渉の術の初歩を教えているところだ」
「どう見ても、二足歩行もおぼつかないような。それに、まだ会話もまともに成立しないんじゃ・・・・・・」
「浅慮だな。見た目で判断するとは嘆かわしい。だから、その方はいつも女で失敗をするのだ」
「じゃあ、深慮な魔王さま。あなたは、あの幼子がいくつに見えるんですか」
パラトゴロと呼ばれた短い黒髪に精悍な表情で榛色の瞳をした男は非難めいた口調で問い掛ける。
魔王は肩膝をつき、幼子に視線を合わせて、厳かに言う。
「私とともに来るのだ、人の子よ。選ぶのだ、私を」
「ちょっと、人の話を無視ですか」
「・・・・・・。人の子よ。選ぶのだ、私を」
幼子へ魔王は両手を差し延べながら、再び問い掛ける。
首を傾げながら、幼子が声を発した。
「あーい? あぁ、うぅ」
「そうか。私を選ぶのだな」
にこやかな笑みを浮かべ、魔王は幼子を抱き上げ、立ち上がる。
隣に立つパラトゴロはうろんそうな眼差しを向けて言った。
「何言ってるかわかるんですか?」
「わからぬ。だが、感じるのだ。まぁ、凡人のおまえには無理だな」
「・・・・・・」
返す言葉も見つからない様子のパラトゴロを華麗に無視し、魔王は幼子と目線を合わせ、その頼りなくも温かいぬくもりを抱き込み、口を開く。
「我が、アーイディオン・ギ・サタナスは誓う。そなたに名を与え、その身を愛しみ、守ると誓おう。この身が朽ち果てるまで、ミオソティス・タラッタ・モイラ」
魔王はミオソティスと名付けた幼子の額、唇、そして心臓の位置する胸へ口づけた。
きゃっきゃっとくすぐったそうに幼子が体を動かす。
「まっ、魔王さま。その名は、それに今のは」
驚いたようにパラトゴロは聞く。
「何か問題でもあるか。この名は前の魔王太后と同じだ。この名は、これから先のそなたを守る盾となり、剣となろう」
幼子は嬉しそうに、魔王を見上げ、その額に口づけ、唇と軽く触れた。
魔王の行動をなぞるように。
幼子なため、意識してやっているか怪しいが。
そして魔王は自ら服の胸元をはだけさせ、心臓の箇所へ幼子の唇を導き、口づけさせた。
「いい子だ、ミオソティス。そなたの成長が楽しみだ」
ぷっくりと焼きたてのパンのように柔らかくおいしそうな、ミオソティスの左頬に自らの右頬を擦り寄せて、満足げに言うと、床に転がる父母の成れの果てを見せないように幼子を脱いだ黒いローブで包み、抱き直すと、その場から去った。