13
僕らはしばらく黙々と食った。しゃべる雰囲気でなかったのもあるが、食べるのに夢中で、言葉が出てこなかったのも事実だ。出てきた言葉と言えば、勇の「……おかわり」くらいだったから。「あんたのは最初から大盛りにしといたつもりだったんだが。……自分でやれ」飛鳥さんがあきれながら鍋ごと押しつけた。
「さて、肝心の話をまだしてないな」だいたいみなの腹も満ちてきたところで、スプーンを振り回しながら、飛鳥さんが言った。「どんな部活にするかって話」
最初に切り出したのが飛鳥さんというのは、意外だった。表情はいつものニヤニヤに戻っていて、部屋を覗いたことは、本当に気にしてないらしい。それより部活について、上から目線で何かもの申したいことがある様子───どうやら何か思いついているみたいだが、魔王が司会進行役をやります、というのも変な話だ。僕が買って出るのが筋だろう。
「そうだね、僕らの新たな部活の話をしよう」僕が割って入ると、飛鳥さんが、む、と表情を歪めた。また妙なことを言って引っかき回すんじゃないだろうな、と目が言っている。いいから任せておいてよ、と僕は目で応じた。「まず、条件を挙げた方がいいと思うんだよね」
「条件って?」桐原さんが言った。さすがに食べるのがいちばん遅く、カレーは皿にまだだいぶ残っている。
「みんなで新しいことやると言ったって、いきなりアメフト部作ったら、笑われるだけだろ?」
「何でアメフトがダメなんだ」勇が僕に小声で尋ねた。クォーターバックですと言って通じるガタイの勇は、僕がアメフトという単語を口に出したとき、うむ、と大きく頷きかけていた。すかさず和尚がツッコんでくれた。「アメフト何人でやるか知ってるか?」
僕は、思いつく条件を提示してみた。
「従来の部活にないこと。学校の部活として認められうること。五人で事足りること。初期投資が少なくていいこと。そして最も重要なことは───」
僕はちらりと飛鳥さんを見た。飛鳥さんは察してくれたようで、ニヤニヤが深くなった。
「あたしが満足することだな、うん」
いかにも尊大な飛鳥さんのセリフに、三人がはぁっとため息をついた。
「念のため訊くけど」和尚が尋ねた。「飛鳥の満足ってどんなんだ」
「そりゃもう、ことあるごとにあんたらがゼツボー的な顔して、苦しんでのたうちまわるのを見られたらあたしゃ満足」
和尚は頭を抱え、「さくらちゃーん……」桐原さんがあきれ声をあげた。
だが、「わからんでもないぞ」意外にも、勇が同意した。「俺からもひとつ条件を提示したい。趣味で楽しむにしても、はっきり勝ち負けがつく勝負事であってほしいのだ。勝てば嬉しいが、負ければ悔しいし苦しいしのたうち回って、次は勝ちたいと努力や工夫を加える。そういうものでなくては、俺はつまらん」
なるほど。勝利にこだわるという点で、元勇者も魔王も、底に通ずるものがある、か。
「まぁそれなら、方向性は少しついたな」和尚が言った。「一対一の勝負事か。武道系。テニスバドミントン卓球……」
「飛鳥さんには、部室でうだうだしたいってのもあるんだよね?」僕は飛鳥さんに振った。
「そうだよー、汗臭いのはごめんだ」
「じゃあ、インドアだ」和尚が続けた。「将棋とか囲碁とか、その類のアナログで知恵比べなゲーム」
「将棋部も囲碁部もあるわよ?」桐原さんが言った。ちょうどそこでカレーを食べ終えて、ごちそうさまでした、と手を合わせた。
「例を挙げたまでさ。世界を見渡せばいろいろある。チェスなんてどう?」
「チェスは将棋部の中に研究会があるね」放課後にも見ていた、部活紹介の冊子を広げて僕が答えた。「それとは別に部活を認めてもらうのは、難しいんじゃないかな」
「今流行りのカードゲームとかは?」和尚が言った。
「さすがに遊び道具と思われるんじゃないかな。先生を納得させるのは難しいし、それにあれ、本気でやったらいくらお金があっても足りないよ」僕は答えた。
と、
「にっひっひっひ」
飛鳥さんが変な笑い声をあげた。不快な笑みでなく、彼女なりに愉快であるのが伝わってくる。どうやら、彼女の思惑通りの方向に話が進んだことが面白かったらしい。
「そこで、だ。ひとつ提案がある」
飛鳥さんはつと場を立った。立ち上がるときに、ぽんぽんと僕の肩を叩いた。司会進行ご苦労さん、という感じだった。
彼女はまずはカレー皿を片付けてキッチンのシンクに放り込み、それから、リビングの戸棚からトランプを、廊下途中の物置からじゃらじゃら音のする箱を持って来て、投げつけるように僕に渡した。
「これ、何?」箱を受け取ってみると、何やらカラフルな、プラスチックのコインめいたものが大量に入っている。
「ゴルフで使うマーカーという道具だよ。いろいろデザインがあって、父親が集めてるんだ。でも今はゴルフは関係ない。チップ代わりに使えそうだから持ってきただけさ。一〇個ずつ分けて配って」
言う間に飛鳥さんはトランプの方をケースから出し、小気味よくシャッフルを始めた。カードを二つの山に分け、端を同時にはじいて、山同士を噛み合わせていくリフルシャッフル。彼女はこういうのも器用で、うらやましい。
「なるほど、トランプか。しかしそれで部活というのは、通るかな」勇が言った。「遊びと思われないか」
「トランプで何をするの?」僕が尋ねた。
「ポーカーだ。ポーカーなら知的スポーツとして認知されてるし、世界選手権だってある。確率論のテーマとして、欧米じゃ学術的な研究も盛んだ、って言えば教師も納得するさ」
「確率論って、要するにバクチ……」和尚のツッコミを、飛鳥さんは黙れとデコピンで追いやった。「バクチの手管になるからいかんというなら、勝負事は全部アウトだろうよ」
「ポーカーじゃなきゃダメなの?」桐原さんが尋ねた。
「遊びじゃないって言い訳が効きそうなのは、あとブラックジャックかコントラクトブリッジくらいだ。でもブラックジャックはディーラーが必須だし、ブリッジはチーム戦になるのがめんどくせぇ。ポーカーは個人対個人のチップのぶんどり合いだから、話が早い」
「なるほど、そいつは俺好みの勝負事だな。条件にも合ってる───従来の部活にはないし、ふたりいればできるし、必要な道具はトランプと、せいぜいチップだけだ。ひとり頭千円もあれば始められるんじゃないか。面白い、やってみよう」勇が腕組みして頷いた。「俺らが飛鳥の望むゼツボー的な顔をするかどうかは、やってみなけりゃわからんがな。簡単には負けん!」
「そう来なくちゃ」
飛鳥さんはどこか満足げにしながら、全員に二枚ずつカードを配った。
「ともかく、あたしとしちゃあ、だらだら遊んでても文句言われないお膳立てがあればいいんだ。始めるぞ、ポーカーの役はわかるな? 知らなきゃググれ」
「ポーカーって五枚配るんじゃないの?」桐原さんが尋ねた。
「そりゃ、5(ファイブ)カード・ドローっていってね。日本じゃ一般的だけど、世界的にはもう廃れたルールだ。今の主流はテキサスホールデムつって、二枚の手札と五枚の共通札の七枚から五枚を組み合わせて……」
僕らはそれから飛鳥さんにルールを教わって、しばしリビングで、ゴルフのマーカーをチップ代わりに、テキサスホールデムに興じた。最終的には、経験があるらしく駆け引きがうまく、かつ初心者に手加減する気など毛頭ない飛鳥さんが、すべてのチップをかき集める結果に終わった。が、みな楽しめたのは事実で、どの部活にも入る気がない五人が、隠れ蓑的なよりどころとするには最適だろうと、意見は一致した。
「決まり。ポーカー部作って、どっかの空き部屋部室に確保して、放課後はそこでうだうだしようや」
飛鳥さんがぱぁんと手を打ってその場を締め、お開きにした。午後八時を回り、窓の外はもう真っ暗になっていた。
「帰りは普通に出てきゃいいから」
みなが別れを告げ、飛鳥さんの家を出て、蛍光灯に照らされた共用廊下をエレベーターホールに向かって歩き出したときだった。
「友納、ちょっと残れ」
僕だけ飛鳥さんに呼び止められた。
「おっとぉ? 二人っきりで何しようっての?」
「黙れクソ坊主。少し話があるだけだよ」
茶化す和尚を、飛鳥さんはギロリとにらみつけた。吊り目の飛鳥さんが本気で睨むと、かなり怖い顔になるのだが、和尚は悪びれる様子もない。
「まぁ、そういうことにしときましょう」
「うむ、我々は野暮というものだ」
桐原さんと勇が、未練がましくする和尚を引っ張っていく姿も、わざとらしかった。
「さっさと帰れ!」
飛鳥さんが怒号を背中に投げつけても、まるで気にする様子もなく、桐原さんの「怒られちゃった~」とどこか嬉しそうな声とともに、三人はエレベーターホールへ消えていった。
三人が去ってしまってから、飛鳥さんは、共用廊下の柵に身をもたせかけた。僕もそうした。もちろん越えられる高さではないが、越えれば二一階から真っ逆さまの、奈落の手前。これも、地獄の釜の蓋が開いているとか、いうんだろうか。
地獄の釜の縁に、飛鳥さんと並んで立っている。夜になって、部屋着のままの飛鳥さんは、少し肌寒そうにしていた。
こうして真横に立つと、飛鳥さんにごく標準的な女子の身長しかないことを思い知る。僕の肩ほどしかない。一五センチも背の低い魔王。
「あいつらが、友達、かぁ……」
飛鳥さんは大きく息をつき、言葉をコンクリートの床に落とした。
「なんか、やりにくくってしょうがねぇっての……」
「愚痴ってどうすんの? 魔王様」
「まー、そうなんだけどね。もう、起きちまったことなんだし」
飛鳥さんは、一度大きく伸びをして、ぶるっと身震いすると、また柵に身をもたせかけて、今度は腕を組んだ。
「少なくとも、あいつらにアルガレイムの記憶はない。世界のしくみが狂ったわけじゃなさそうだ。それは安心した。でもだったら、なんでこんなことになったのか、なおさらわからないんだ。……どう思うよ? アルガレイムで見てて、何か気づいたこととか、ないか?」
「僕にだってわからないよ、あんなのたぶん初めてだったんだし……ただ、さ」
「ただ、……何?」
「友達ができて、いやなの? わりと楽しそうにやってたように見えたけど」
飛鳥さんは、困った顔をした。あんたはいつも、やりにくい方向に切り込んでくるなぁと、表情が言っている。
「……魔王やってると、友達とつるむとか、あんまり考えらんないからなぁ……つーか、ぶっ殺した相手が友達になるとか、ありえんでしょ」
「罪悪感? 目の前に死に顔がちらちら浮かぶ、とか……」
「それはない。殺すのはあたしのお仕事」飛鳥さんは言下に言った。「逆だよ、あいつらに入り込んだ魂から見れば、あたしは憎い仇なわけじゃん? 記憶がないとはいえ、どうして友達づきあいなんてしたくなるかねぇ。そこが不思議で、いつか寝首かかれるんじゃないかって、そっちが気になる」
「そんなふうに考えなきゃいいんじゃないの? 友達であるより先に、みんな魔王の手下だと思いなよ。そうしなきゃいけないんだって、自分で言ってたじゃないか」
「まぁ、そうだけど」
「四天王を倒したやつばらを、おまえらできるなっつって、新たな四天王に籠絡したのさ。面従腹背で、魔王の命を狙ってる手下ってのは確かにいそうだけど、でもそういうのって、たいてい下克上には失敗するよね」
「なるほど?」飛鳥さんの顔に、唇の端をねじ曲げたいつもの笑みが戻ってきた。
「それに、さ───」
僕は、まっすぐ前を見た。視界には、飛鳥さんの家がある。狭いポーチ。玄関。向かって左の磨りガラスの窓が、彼女の何もない部屋。
「飛鳥さんはさ、殺した人間の魂が入り込むことで、現実世界が良くなると思えばこそ、魔王をやってるんだよね。ことに、勇者の魂はこの世を大きく変える力を持っている。……その魂が身近にいてくれるっていうなら、飛鳥さんはこれから、さらなる素晴らしい世界の変化を、目の当たりにするんだよ」
「そっか。……確かに、そういうしくみだって理解していても、実際に変化を体感したことって、今まであんまりなかったな。……そっか。これが世界の変化か。良いか悪いかはまだよくわかんないけど、こうやって世界は変わるのか」
「きっと、良い変化だよ。これからもっと良くなっていく」
飛鳥さんは小さく頷いて、彼女なりに納得したようだった。
と、「ちょっと待ってろ」と言って、彼女はいったん家の中に入っていった。すぐに、缶コーヒーを二本持って、戻ってきた。暖かくも冷えてもいない、室温のままだった。
「やる」一本を僕の胸元に投げ込んだ。「開けな」
言われるままに、僕はプルタブを引いた。
「たぶんさ、あんたもそういう、世界の変化の一部なんだろうね。あんたの役割が何なのか、何で魔王のあたしと関わっていられるのか、ホントよくわかんないんだけどさ───その気があるんなら、あいつらだけじゃなくって、あんたも手下にしてやる。魔王の参謀だ。どうだい? 受けるなら、こいつで固めの杯といこう」
飛鳥さんはニヤニヤ笑いを満足げに浮かべながら、缶の上部をつまむように、ひょいと持ち上げた。
「拝命します、閣下」
僕も同じように缶を持ってみた。
「ん。……変わりゆく世界に、乾杯」
マンション二一階の共用廊下の蛍光灯の下、僕らは顔を見合わせて、軽くスチール缶の底を打ち合わせた。こん、と柔らかい音が、眼下で駆け抜けていく新幹線の音に重なった。
室温のままのコーヒーに口をつけながら、飛鳥さんをふと見た。
彼女はまるで、冬に暖を取るときのように、コーヒー缶をぎゅっと両手で握りしめていた。───それから、顔をそらしてふっと白髪をかき上げた。
表情を隠すためのそぶりだと気づいた。その向こう側で、いつものニヤニヤを消して、彼女は、そっと微笑んでいた。本当にかすかで、他の人に当てはめれば笑ったうちに入らないようなものだったけれど、心からの幸福感に満たされた飛鳥さんの笑顔を、僕は初めて見たのだった。
これにて第一部終了です。
第二部以降はまだ書けておりませんので、投稿は当面先になります。
書け次第ぼちぼちと投じていきますが、なにぶん遅筆ですので気長にお待ちください。




