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勇者のいない世界で  作者: DA☆
第一部・「彼女の役割」
12/71

12

 僕らはついに魔王城……じゃなかった、飛鳥さんの家に上がり込んだ。


 内装は特に豪華というわけではなく、普通のマンションや公団住宅とかと大差なかった。天井が低く、狭苦しい感じがするのも同じだ。


 玄関を入ると、まっすぐ先に廊下が通じていて、左右に個室があった。左は扉が閉まっていたが、右手の扉は開いていて、その扉と廊下にまたがるように掃除機が置き去りになっていた。


 扉の中がちらりと覗けた。ツインベッドがあるから、両親の寝室だろう。花柄模様の布団が少し派手だ。飛鳥さんの母親はここで着替えていたらしく、ウォークインクローゼットとみえる引き戸が開けっ放しで、ベッドの上にも服が脱ぎ散らかされていた。壁には品のいい風景画がかかっており、隅にはPCや本棚も並んでいる。どこに芳香剤があるのか、部屋全体からかすかなラベンダーの香りがした。


 「ったく!」飛鳥さんは毒づいて、掃除機を持ち上げると、すぐにぴしゃりとその扉を閉めた。


 廊下を奥へ進むと、また左右に扉があった。左の扉は換気窓がついているからサニタリースペースとみえる。飛鳥さんは右手の扉を開けて掃除機を放り込んだ。そこは物置らしい。


 それから僕らは、その奥、十畳以上ある広いリビングに通された。食卓と対面式のシステムキッチンまで通じている、いわゆるLDK。この部屋全体で、居住域の南面すべてを占めているようだ。とすれば、全部で2LDKか。思ったよりも、つつましい。


 そりゃマンションなんだから、各戸のグレードはピンキリだろうが、この建物を外から見たときや、ロビーを見たときに感じたものと比べると、魔王城の最終到達点がこれでいいんだろうかと、むしろ不安すら覚えた。


 窓の外にベランダがあり、やはり二一階の高さの風景が見えたが、別のオフィスビルが並んで見えるせいか、あまり高さを感じなかった。ビルとビルの隙間から、南高のグラウンドがかすかに見える。


 リビングのローテーブルを囲むように僕らは座った。壁際に大型のテレビと、クラシックのCDが並んだローチェスト、その上にやたらスピーカーがごついオーディオコンポ。さらにその上の空間に作り付けの棚があって、トロフィーや盾がいくつか自慢げに置いてあった。飛鳥さくらの名義かと思ったら、ドライバーを振り上げるゴルファーの装飾がついている。


 「そこらへんは親の趣味だ。触るなよ」


 飛鳥さんが、五人分のグラスと麦茶の入ったポットをローテーブルに持ってきた。


 「とりあえずそれすすってろ。着替えだけしてくる」


 そう言って飛鳥さんは、制服のリボンをほどきながら、僕らが通った廊下の方へ引っ込んでいった。部屋の位置取りを考えると、玄関を入ってすぐ左の、閉じていた扉の向こうが、彼女に与えられた個室なのだろう。



 着替えという単語に、よろしくない想像を───する間もなく、一分せずして彼女は戻ってきた。女子の着替えってこんなに速いもの?! と少し驚いて見てみれば、薄青い無地のトレーナーと、デニム……に見える色のジャージの下をはいただけの姿だった。


 甲斐甲斐しくグラスに麦茶を注いでいた桐原さんの手が、ぴたり、と止まる。


 「それはないっ! それはないよ、さくらちゃん」


 飛鳥さんの背をぐいぐいと押して、廊下に戻そうとする。


 「なんでさ?!」


 「そういうのは男子に見せちゃダメ。ダメよぉ」


 「なんでこいつらの前で飾らなきゃいけないんだっ」飛鳥さんが桐原さんを振り払った。「あたしんちなんだからあたしの好きにさせろ!」


 「だって、だってこれはないよねぇ、みんな?」


 男子としての回答を振られ、僕と和尚は顔を見合わせて、返事に窮した。……と、もう飲み干した麦茶のグラスを握りしめ、勇が飛鳥さんをじぃっと見据えて、「飛鳥」そして言った。「腹が減った。何か食うものは出て来んのか」


 桐原さんがこうべを垂れた。飛鳥さんは、な? と肩をすくめて、キッチンに入った。


 「それなんだけどさぁ、あんたら、メシ食ってく?」


 「メシ?」


 「これ消費しろって言われちゃったからさ」冷蔵庫から、まだ黄色い値引札がついたままの二分の一サイズの白菜を取り出して、調理台に置いた。「おつとめで百円は確かに安いが、三人家族で買ってくる代物じゃねぇよ」


 「……」


 四人そろって、いっせいに飛鳥さんを凝視した。いっぺんに見つめられて、さすがに戸惑う様子を見せる飛鳥さん。


 「な、なにさ?」


 「メシって……飛鳥さん、料理できるの?」僕は尋ねた。


 「できるよ?」飛鳥さんが目をぱちくりさせた。


 「いや……飛鳥さんの性格で、料理上手というのはちょっと意外かな、と」


 「俺が、食うものと言ったのは、菓子とかそういう類の話で……」勇が歯切れ悪く言った。「……ちゃんと、食えるものが出てくるのか?」


 「紫色で有毒ガスが発生すんじゃねぇの?」和尚が混ぜっ返した。「コンロが爆発するかキッチンが爆発するかそれともオレが爆発するのか」


 「失敬な! あんたらあたしを何だと思ってんだッ!」飛鳥さんが流しの下から包丁を取り出し、くるくると宙に舞わせながら言った。「親がしょっちゅういないからね、料理だけじゃなくて家事一切なんでもやるよ、できなきゃどうにもならん」


 「それなら服もちゃんと着替えようよ。中身の女子力すごくても、外見ちゃんとしなきゃ───あ、エプロン!」桐原さんがここでぱぁっと顔を明るくした。「さくらちゃん、料理するんならエプロンつけるよね?」


 「いや、つけないときの方が多いけど……」


 「つけるよね?」桐原さんが飛鳥さんに迫り、そのメガネ顔をずずいと近づけた。「つけましょう、つけなさい」



 キッチンにエプロン姿が二つ並ぶと、なるほどちょっとサマになっていて、男子的には嬉しい光景になる。魔王とヴァルキリーが仲良く並んでお料理というのもありえない光景だな、と思っているのは、僕だけだ───一時間前には、世界の命運を賭けて殺し合いをしていたというのに。


 「さて」桐原さんが言った。「白菜以外は何があるの、さくらちゃん?」


 「そうだなぁ」飛鳥さんは再度冷蔵庫を開けた。「使っちゃってよさそうなのは……豚こま。ほうれん草。……あぁ、舞茸があるな」


 「どうする? 炒める? コンソメで煮込む?」


 「よし」飛鳥さんは具材を前に腰に手を当てて、ふん、と鼻を鳴らした。「カレーにしよう」


 「えぇっ!?」驚愕の声があがった。常識的に考えて、カレー、と出てくる具材ではなかったからだ。普通はジャガイモ、ニンジン、タマネギだろう。肉だって、牛か豚か鶏かは別として、塊がごろっと入ってるのがカレーじゃないのか。


 「桐原! おまえが頼りだ! オレは爆発したくねぇ!」和尚が桐原さんの手を握って涙ながらにわめいた。


 「……どうせそういう反応するだろうと思ったから、カレーにするって言ってンじゃねぇか!」その喉元に、包丁を一瞬突きつけてギロリにらんだ後、飛鳥さんは、白菜をすかぁんと四分の一に割った。「市販のルーで味つければ、だいたい誰でも食えるもんになんだよ! まずいカレーを作る方が難しいんだ!」


 「でも、白菜でカレーなんて聞いたことないよ?」僕が尋ねた。


 「野菜スープができる具材なら、それにカレールー入れればなんでもカレーになるよ。水加減の調整だけ気を遣うけど」


 桐原さんが、なるほど、と頷いた。


 「白菜だったらポトフ風はアリよね。それにカレー粉入れる感じ? カレー鍋みたいな?」


 「そうそう、ダシやコンソメちょっと入れてさ」


 「ヒリヒリ辛くするんじゃなくて、野菜や肉のうまみの方向ね」


 「そう。でもポトフはベーコンやソーセージだろ、塩味がきつくなるから、カレーにするなら普通の肉を使う。豚こまで十分」


 言いながら、飛鳥さんはもう白菜をざくざく切って、芯と葉の部分を分けてざるに放り込んでいる。見惚れるほど手際が良かった。


 「はるこん、米研いでくれる?」


 「わかった。……ほうれん草はどうするの?」


 「ざっと茹でて。レンジでチンでいい」


 ここに至って、飛鳥さんの料理の腕に疑念を差し挟む余地はなくなった。


 「すげぇ……なんかまともな料理が出てきそうだ。うれしーなぁ、女子の手料理!」和尚が感嘆した。


 「料理ができるとわかってりゃ、もう少し豪華な献立を頼むんだったな」勇が勝手なことを言った。


 僕も、率直に驚いていた。あの慣れた手つきは、ずっとやってなきゃできないことだ。異世界の魔王だのに、現実世界では、本当に普通の女子高生、普通の家庭の一人娘で在り続けているのだ。


 普通の女子高生たる現実世界の自分と、魔王として悪行をはたらく異世界の自分、その間を行き来する日常。そのバランスを取るには、あのニヤニヤも、エキセントリックで、人を遠ざける行動ばかりするのも、必要なことなのかもしれない。



 とはいえ。


 「あの性格で、勉強できて運動できて家事もできるのは……ちょーっと完璧超人過ぎないかなぁ……」思わず、口に出してしまっていた。


 「まったくだ」勇が頷いた。


 「なんか、弱みが一つ二つないと、かわいげがないよな」和尚も、頷いた。


 「誰にかわいげが要るって? あんたらはまたつまらん話してんな」飛鳥さんが豚こまにコショウを振りながら言った。「あたしに弱点なんかねぇよ」自信たっぷりだった。弱点を欲する元勇者どもに怖じる様子もない。


 「嫌いな食べ物とか、ないの?」探りを入れてみた。


 「特にない」


 「怖い話は?」


 「全然平気。スプラッタ大好き」


 「雷」


 「ここタワーマンションだから、夕立のとき外にじゃんじゃか落ちるのが見えるよ。なんかカッコイイ」


 「暗闇」


 「むしろフェイバリット」


 隣にいる桐原さんがいちいちびくんびくんと体を震わせている。今言ったの全部、桐原さんは苦手なのか。


 「いいかげんあきらめろ。あたしの弱点探って、どうしようっての?」


 「飛鳥みたいなのはどこかピンポイントで弱点があって、そこをいじるとすっげぇカワイくなると相場が決まっているんだ」和尚が言った。


 「アホか!」


 飛鳥さんはそう言い放って、豚こまを油を引いたフライパンに放り込んだ。ひととおり火を通すのだそうだ。じゅぅっといい音がして肉の焼ける匂いが漂い始める。


 そういえば、魔晶鏡には弱点は映し出されなかったのだ。飛鳥さんの弱点など、考えるだけ無駄なのかもしれない。……アルガレイムで、魔晶鏡に「料理が苦手」とか「怖い話が弱点」とか出てきてたら、それはそれでイヤだが。


 と、飛鳥さんが戸棚を開けていわく。


 「ありゃ。カレーつってんのに肝心のカレールーがねぇや。買い置きがあると思ってたんだけど」


 飛鳥さんはエプロンを外してくるくると丸め、着替え直後のもっさい姿に戻った。


 「下のスーパーで買ってくるわ。ちょっと待ってて。はるこん、それ炒まったら、そっちの湯を張った鍋に全部入れて煮といて。肉の灰汁取りも頼む」


 「それはいいけど、その格好で外に出るの?!」


 「いちいち気にすんなって、もう」桐原さんのあきれ声を意にも介さず、財布を持って飛鳥さんはさっさと出て行ってしまった───最後にこう一言残して。


 「あんたら、家ん中あんまりうろちょろすんじゃねぇぞ!」



 ―――鍋がコトコト音を立てる中、残された僕ら。


 和尚がぽろりと言った。


 「飛鳥の弱点の話だけどさぁ、逆パターンじゃね?」


 「逆?」勇が首をかしげた。


 「何かに弱いんじゃなくて、何か似合わないものに強い」


 「なるほど。たとえば?」


 「料理ができるんだから……、スイーツに超詳しくて、将来の夢はパティシエール。それもショコラティエール、とか」


 網杓子で灰汁をすくいながら、桐原さんがキッチンから答えた。「バレンタイン誰にも送ったことがないって言ってたよ。父親にも送らないから嘆かれてるって」


 「じゃあ、外見はアレでも、ランジェリーにはこだわる一点豪華主義」


 「パンツの柄が、イチゴとかクマさんとかか」そのセリフが勇から出てくるとは思わなかった。「確かめるのは困難極まるな。さすがに殺される」


 「いちおうさくらちゃんの名誉のために言っておくけど」桐原さんが、若干顔を赤らめながら、これもフォローしてくれた。「体育の着替えで見たけど、別に普通だよ。すごく地味」


 うーむ、と和尚が腕を組んだ。やがてぴんと来たらしく、指を鳴らした。


 「趣味がぬいぐるみ作り、てのはどうだ」


 「それは知らないなぁ。隠れてこっそりやってたら、わかんないかも」


 「フェルト人形、っていうぬいぐるみっぽいのを友達が作ってるところ、見たことがあるんだよね」和尚には人形を作る友達がいるのか。男か女かどういう関係か、……今は置いておこう。「あれさ、針でぶすぶすぶっ刺すんだよ。ちょっと怖くてさ。飛鳥があの面構えでやってたらすっげぇ似合いそう」


 「似合うとか。そんなこと言うもんじゃないの」桐原さんがたしなめた。「でも、確かにまだ、趣味とかはちゃんと教わってないから……。人形作りくらいなら、やっててほしいかも。うん、えっとね、あたしのイメージだと、人形は人形でも、ぬいぐるみじゃなくて職人芸の木彫。木彫りの熊!」


 「もっと素直に考えろおまえら」勇が言った。「あいつだぞ。人形を作るなら、悪魔の銅像か呪いの藁人形に決まってるだろうが」


 あははははは、と、なんだか笑い事にならないような話で笑い合い、それからふとみな押し黙った。


 ……自分が、いま何をすべきかを考えた。ちらりと、廊下へ続く扉を見る。───僕は立ち上がった。「ちょっとトイレ」


 「待て秋緒。何を考えてるかわかるぞ」勇に足をひっつかまれた。「俺も行く」


 「おれもー!」和尚が手を挙げた。


 「連れション?!」桐原さんが驚いて、……それから僕らが何をしようとしてるか察して、慌ててIHヒーターのスイッチを切る。「ちょ、ちょっと待って! ダメだよ、人の部屋勝手に覗くなんて!」


 「でも、桐原さんも興味あるでしょ?」僕は彼女を巻き込むことにした。「共犯共犯」


 「……そ、それはそうだけど……」


 そう言う間にも、そろってどやどやと廊下に出て、玄関のそばの、閉ざされた部屋の前に立った。ゴクリとつばを飲み込み、把手に手をかけた。鍵は、ついていない。


 「み、見るだけだよ! 人形が本当にあるか、ちらっと見るだけだからね! 中に入るのは禁止!」ブレーキをかけながらも、桐原さんがいちばん顔を紅潮させていた。


 僕らは、ゆっくりと、細ぉく扉を開けて、飛鳥さんの私室を覗き込んだ。


 ……そして僕らは深く黙り込んだ。本当に、「見るだけ」で十分だった。


 四・五畳ほどのフローリング、北側に磨りガラスの窓、無地の壁紙に囲まれた洋室。そこには、僕らが期待していた、お菓子の本もフェルトの刺し針も木彫りの熊も、悪魔崇拝グッズの類もありはしなかった。あるのは、クリーニング屋でもらえる黒いプラスチックのハンガーに掛けられた制服、必修品として配られた教科書参考書が並んだ学習机、どこにでもある格安ベニヤ貼りの洋服ダンス、簡素なベージュのカーペットとカーテン、縞模様の掛け布団のかかったパイプベッドに、無地のカバーが掛けられた枕───。


 それは、「何もない」のとほとんど同義だった。飾り気や女性らしさどころか、音も匂いも、個性を示すもの一切合切が欠けていた。まるでビジネスホテルの一室か、さもなくば───監獄とでも言いたくなるような。


 学習机の引き出しを、あるいは洋服ダンスを開けば、何か出てくるのかもしれない。でも、この部屋に他に収納は見当たらない。生活必需品だけで、机もタンスも溢れそうだ。現代の高校生のあるべき個性が、これだけなのか。彼女には、何色かわからないけど、トビキリの色があるはずじゃなかったのか。


 僕らはしばらく、その場で呆然としていた。


 ───やがて玄関の扉が開いた。カレールーを買って、飛鳥さんが戻ってきたのだ。


 「だからうろちょろするなと言ったんだ」廊下に座り込んでいる僕らを見て、すべて状況を察したようだった。「覗いたりしなけりゃ、もしかしたらあたしはカワイイ女かもしれないと、今も妄想を働かせられていたろうにさ───ま、そういうことだよ。あたしには弱点がないって意味、わかったろ」



 後はルーを割って入れるだけになっていたから、カレーはすぐに完成した。むしろ、米が炊けるのを待たねばならなかった。


 「……普通にうまい」みなが漏らした感想に、


 「普通に、は余計だ」飛鳥さんは、ふん、と鼻を鳴らした。


 だしと醤油としょうがを加えて和風に仕立てた豚肉と白菜のカレーは、本当においしかった。辛さやコクはないが、白菜の甘さと歯触りが意外にカレー味と合っていて、メシが進むタイプの味だった。


 僕らはここで、「これならいつでも嫁に行けるな」とか茶化さなくてはいけないのだろうけど、さっきの部屋を見た僕らには、どうしても口に出て来なかった。


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