第弐話 木を見ず、森を見よ
【第弐話】
足利の権力、室町幕府により、振り分けられていた日本の土地は、それぞれが1つの国として、民から資源を奪い、力を蓄え、国取り合戦が続いていた。そんな争いに、民たちが苦しんでいても、朝廷をはじめとした貴族たちも気にせず、現を抜かしている頃、ひとりの赤子が生まれた。
その男の子の名前は、吉法師と名づけられた。
この物語は、世が確実な不平等と人間の心を捨てさせるほどの混乱の中、ただ、正義という志を持って、悪を倒し、理という剣を持って、人間のまやかしを切り裂いた、ひとりの男の人生を描いたものである。”その男、魔王”と呼ばれた。
吉法師が2歳になると、その足でスタスタと城内を走り回っていた。母である土田御前は、言うことをまったく聞こうとはせぬ、吉法師をまるで厄介者をみるかのような視線で、無理やりにでも、走るのを止めようしていた。
「これ!吉!城内を走り回るでない!犬猫でもあるまいに、落ち着いて、振舞うのじゃ!」
と、走り回る吉法師を手で捕まえようとするが、吉法師は上手にその手をすり抜け、叱り付ける土田御前に向かって、馬鹿にするような顔で、笑った。
「きちーーー!!」
吉法師は、鬼ごっこをするように、土田御前に捕まらないため、後ろを向きながらヒョイヒョイと逃げ回っていたが、前方にあったものにぶつかってしまった。
ドン!
吉法師は、よろけながら後ろに尻もちをつきそうになると、寸でのところで、その前方にあったものの大きな手が、吉法師の体を優しく受け止め、小さな体が上へ上へと上っていった。
吉法師がやっと自分を持ち上げているそれが人であると分かり、その顔を恐る恐る見上げると、その大きな人は、平手政秀であった。政秀は、吉法師の目と己の目との距離を5寸ほどにまで、近づけ、吉法師の浮ついた心を落ち着かせると、ゆっくりと床におろし、吉法師を後ろに、右に左に向かせながら優しい声で言った。
「よいですか、若。鬼は、後ろだけだと思ってはいけません。前にもいるかもしれませんし、右も左もいるかもしれません。退散するときは、周囲をちゃんとみないといけませんよ。」
その言葉を鬼のような形相で、吉を追いかけましていた土田御前が、聞くと政秀に言った。
「わしが、鬼じゃと!?鬼じゃというたか!」
政秀は、笑いながら答えた。
「親の心、子知らず。そして、鬼の目にも見残しで、ございます。どれだけ、精密な計画をたてる人間でも、手抜かりがある。今の世は、戦国、どんな時でも心の隙が、その命を奪い去るかもしれません。そして、どれだけ捻密に振舞ったとしても人間には限界がありまする。走り回ることで、それを考えれるのも一興でございますよ。ですから、礼儀は礼儀、弁えを知らぬものは、愚かになりまする。」
政秀は、ゆっくりと鼻から落ち着いた様子で息を吸うと、突然大きな声を出した。
「渇!!」
吉をはじめ、その部屋にいた人、全員がビクっと肩を持ち上げた。そして、政秀は吉のお尻を軽く叩くと、また吉法師が走り出したが、その走りはさきほどとは違い、こどもながらに、礼儀正しかった。
「若は、まだ足を得たばかりでございます。自分がどこまでゆけるのか、確かめたいと思うのも致し方ありません。空の鳥のように、羽がもし人間にも使えるようになったら、どれだけ自由に飛べるのか、確かめたくもなります。若にご立派な足を与えたもうたは、天の神でもあり、土田御前様でもあります。あのように、走れることに、感謝してもよいのではないでしょうか。」
「フン!」
そういい残し、土田御前は、着物を翻すように、方向を変え、その場を歩きさった。政秀は、それを見ると、苦笑いをしながら、頭に手をやって、女性の難しさを再度、確認するのであった。