妹が聖女に選ばれそうなので全力で阻止することにしました
エステルにとって、妹のシルヴィはまさに対極にある人間だった。
「シルヴィは本当に愛らしいわね」
エステルは母親からそんなこと言われたことはない。「おまえは本当にきつい顔立ちね」と言われたことはあるけれど。
「シルヴィの髪はまるで神の祝福のように美しいな」
エステルは父親に髪色を褒められたことなんて一度もない。「おまえの髪はどんより暗くて陰気だ」と言われたことはあるけれど。
「シルヴィの神聖魔法は素晴らしいわ!」
エステルが神聖魔法を使っても、両親は一度たりとも褒めてくれたことなんてない。「少し神聖魔法が使えるからって見せびらかして、本当に厭らしい子」と言われたことはあるけれど。
「シルヴィ様の笑顔は見ているこっちまで幸せな気分になりますね」
エステルは社交界でそんな言葉を掛けられたことはない。「エステル様っていつも怖い顔をしてらっしゃるわね」と陰口を叩かれたことは何度もあるけれど。
「シルヴィのそばにいると、とても心が癒されるんだ」
婚約者候補であるライナーから、そんな風に愛おしそうな視線を向けられたこともない。「エステル、君とは何を話せばいいのか分からない」と気まずそうな表情を向けられたことはあるけれど。
「次の聖女選定、きっと選ばれるのはシルヴィ様に違いないわ」
誰もがそう期待している。エステルが聖女に選ばれる可能性なんて、きっと微塵も想像なんてしていないに違いない。両親も社交界の貴族たちも婚約者候補のライナーも、あるいはシルヴィ自身さえ。
エステルは愛されない子だった。産まれた時はまだ両親から愛されていたのかもしれないが、妹のシルヴィが産まれてからというもの、両親の愛を感じたことはなかった。
エステルと違って妹のシルヴィは非常に愛らしい子だった。
ブルネットの髪のエステルに対し、シルヴィの髪は輝かんばかりの銀。光が当たるとまるで天使の輪のように輝きを返す様は、神々しくさえあった。
加えて、シルヴィは神聖魔法を使うことができた。
この国では、最も神聖力の強い娘が聖女として選ばれる決まりになっている。聖女は常に一人で、聖女の引退に際し、次代の聖女が選定される仕組みだ。そしてまさに現在、聖女が高齢になり引退するに当たり、次代の聖女選定を控えている。
まるで神の愛を一身に受けたような容姿に加え、強い神聖力も持っているシルヴィ。次の聖女は彼女に違いないと多くの者が思うのも、当然のことだった。
「お姉様、ライナー様がいらっしゃってるわ。お姉様も早くこちらに来て、一緒にお茶にしましょう?」
ライナーの来訪には気づいていたが、エステルは自室から出なかった。だってライナーは決してエステルとのお茶を望んでいるわけではないと知っているから。
いつまでも自室から出てこない姉を無邪気に呼びに来たシルヴィに、エステルは同じように笑顔を返すことはできない。
「ごめんなさい、どうしてもこの本を読んでしまいたいの。シルヴィがお相手をして差し上げてくれる?」
「まったくお姉様ったら。ライナー様はお姉様の婚約者になる方なのに。わかったわ。でもその本を読み終わったら、お姉様もお茶にいらしてね」
「ええ、読み終わったらね」
言葉だけは困ったように、けれどどこか嬉しそうな様子で去っていく妹のなびく銀の髪を見送る。
エステルは知っている。シルヴィがライナーに淡い憧れを抱いていることを。
そして、ライナーがシルヴィを憎からず思っていることを。
ライナーはエステルの婚約者候補だ。候補であってまだ正式な婚約者ではない。
ライナーの生家であるマリアーノ伯爵家は、歴史ある名家の一つだ。経済力もあり、エステルとシルヴィの父であるクライン子爵は、マリアーノ伯爵家と縁続きになることを強く望んでいた。
幸いマリアーノ伯爵家からも色よい返事を受けており、ライナーは将来的にはクライン子爵家の娘二人のうちどちらかと結婚する予定だ。現状では一応長女であるエステルが婚約者候補となっており、このままいけば近いうちに二人の婚約は正式なものになるはずである。
エステルとライナーがまだ正式に婚約を結んでいないのは、ひとえに聖女選定を控えているからだった。
クライン子爵家の二人の娘であるエステルとシルヴィは、二人とも神聖力を持っている。その為、選定が終わるまでは二人とも次代の聖女候補という扱いになる。
誰もエステルが聖女に選ばれる可能性など微塵もないと思っているが、聖女選定が終わるまでは婚約は保留にしておくということで両家は同意をしていた。
誰が聖女に選ばれるか――それはこの婚約を左右する大事であった。
「お姉様ったら、結局ライナーさまとのお茶にいらっしゃらなかったのよ。ライナー様は気にしないでとおっしゃっていたけれど、お姉様はもう少しライナー様を大事になさった方が良いと思うの」
「まあまあ、シルヴィったら。エステルはライナー様より本の方が大切なのよ、放っておきなさい。その分シルヴィがたくさんライナー様をおもてなしして差し上げたのでしょう? きっとライナー様もその方が嬉しいはずよ。シルヴィがライナー様と仲良くしていると、お母様も嬉しいわ」
「そうだぞ、シルヴィ。シルヴィに接待されて嬉しくない人なんていないに決まってるじゃないか。ライナー殿の隣にはシルヴィのような愛らしい娘がお似合いだ。エステルではそうはいかんからな」
「まあお父様。そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、お姉様だってきっとお似合いだわ。お姉様の落ち着いた色合い、素敵よ」
「そうかそうか、シルヴィは本当に優しい良い子だな」
家族が一堂に会す夕食の時間は、家族の団らんの時間でもある。食卓はいつも和やかな笑い声で満たされ、仲の良い家族にしか見えない。ただしエステルを除いて。
いつだってクライン子爵家の仲の良い家族にエステルは含まれていない。両親と妹の三人と、ただそこにいるだけのエステル。三人と一人の構図だ。
いっそエステルだけが血がつながっていないと言われた方がしっくりくる。しかしそんな事実はない。エステルは正真正銘クライン子爵夫妻の実子であり、シルヴィの実姉だ。
ただエステルよりシルヴィの方が可愛いから、両親の愛はそちらに全て注がれているだけ。その分エステルに割く愛は残っていない。
まるで家族と呼べないような関係なのに、血がつながっているというだけで、その縁は今までもこれからも変わることはない。
夕食の場でエステルが一言も発さなくても、誰も気にしない。両親はそもそもエステルに興味などないし、シルヴィは純粋無垢にエステルは無口なのだと信じているのだ。無邪気なシルヴィは、おそらく両親の姉への態度と自身への態度の違いにすらも頓着していないに違いなかった。
「……もうすぐ聖女選定ね」
クライン子爵夫人であるエステルとシルヴィの母がぽつりと呟く。
「そうだな。きっと、次の聖女に選ばれるのはシルヴィに違いないだろう」
父であるクライン子爵が重々しく頷いた。
「それはまだ分からないけれど……、それが力ある者の務めなのだから、精一杯頑張るわ」
シルヴィは気合を入れるように両手の拳をぐっと握る。
聖女に選ばれることはこの上ない名誉だ。
聖女はたった一人の特別な存在だ。聖女になるということは、それまでの全てが覆ると言っても過言ではない。子爵家の長女だとか次女だとか、そんなことは些末なことになる。世界が大きく変わる。それが聖女に選ばれるということなのだ。
産まれた瞬間から全てを手にしていたシルヴィ。優れた容姿も両親からの愛も、エステルの婚約者になるはずの男からの愛も。何もかも手に入れているシルヴィ。エステルには手に入れることができないものを、ただそこに存在しているだけでシルヴィは手に入れることが出来る。世界はなんて不公平なのだろう。
エステルの神聖力はシルヴィのそれに劣る。しかしそれはかつての話。
神聖力は訓練によって増やすことが出来る。決して簡単なことではないけれど。
エステルが聖女候補の一人となっていることから、エステルに神聖力があることを知っている人はいる。しかしその誰もが、エステルの神聖力はシルヴィには遠く及ばないと思っている。
そもそもエステルは幼い頃に両親から神聖魔法を褒められなかったことから、人前で神聖魔法を使うことはなくなっていた。だから誰も本当のエステルの神聖力を知らない。ましてこの数年、エステルが血反吐を吐くほどに訓練を重ねて神聖力を強めていることなんて、エステルに神聖魔法の訓練をしてくれた師匠以外、誰も知らないのだ。
純粋で無垢な、聖女の器そのもののようなシルヴィ。
エステルから何もかも奪っていくシルヴィ。
もう全て手に入れているのだから、これ以上なんて必要ないはずだ。
だから――聖女の座だけは絶対にシルヴィには渡さない。
聖女選定の儀式は、国にとっての一大事だ。
儀式の会場である大神殿には、聖女候補である娘たちの他に王族や貴族、神殿に使える神官たち、更には聖女選定儀式の一部始終を国民に伝える為の記者までもが集まっている。
聖女の選定は実にシンプルだ。最も強い神聖力を持つ者を聖女として選ぶ為、単純に神聖力の強さを測るのだ。
神殿には神聖力の強さを測る聖具の水晶があり、聖女候補たちは一人ずつそれに触れる。聖具は触れた者の神聖力の強さに応じて光るという仕組みになっている。神聖力が強いほど光も強くなる為、第三者の目にも明確に結果がわかるというわけだ。その性質ゆえか、聖女選定の儀式は一種の見世物のようになっているとも言える。聖女の代替わりの時にしか行われない希少な儀式であるから仕方ないのかもしれないが。
儀式の会場に集まった観客――王族や貴族や記者は、今か今かと神聖力の測定を待っている。正確には、シルヴィが聖女に選ばれるのを待っている。この場にいる者のほとんどは、当然シルヴィが聖女に選ばれると思っているし、それを期待している。
聖女候補が順に聖具の水晶に手を触れていく。その誰も、水晶をぼんやりとほの明るく光らせることしかできていない。そもそも聖女候補である娘たちは、皆自身の神聖力がどの程度であるかは把握している。彼女たちにとっては分かりきった結果で、ぼんやりと発光する水晶を確認して納得したように頷いていた。
今回の聖女候補は全部で二十名。
シルヴィの測定は十九番目。そして、最後の二十番目を飾るのはエステルだ。
これには何か意図的なものを勘ぐってしまうのは致し方ないことだと言えよう。聖女選定は神聖でありながらも、一種の娯楽めいた儀式なのだ。その儀式を盛り上がらせる為にシルヴィの順番は後の方にされている。そして、最後の候補者の測定が終わるまで結果は確定しないという緊張感を演出する為に、最後におまけのようにエステルが配置されているに違いなかった。
水晶がほの明るく光ること十八回。いよいよ次は最有力候補であるシルヴィの番だ。会場の誰もが期待に固唾をのむ。一体どれほどまばゆい光が現れるのだろうか、と。
「シルヴィ・クライン。前へ」
「はい」
神官に呼ばれ、シルヴィはしずしずと水晶の前に歩み出た。
「手を」
そして促されるまま、その白魚のような手を水晶に触れさせる。
瞬間、これまでとは全く異なり、誰もが明るさを感じる光が水晶から発せられた。
儀式会場のあちこちから「おお!」とか「素晴らしい!」とか「やはり聖女はシルヴィ・クライン嬢で決まりだな」とか、まるで歴史的瞬間に立ち会えたような興奮の声が広がる。儀式を見守る王族たちからも感嘆のため息が零れた。
会場全体の期待を裏切らない結果に、シルヴィは泣き出しそうに表情を歪めている。
「次。エステル・クライン。前へ」
儀式が既に終了したかのような空気が漂う中、神官の通る声がエステルを呼ぶ。会場には「ああまだ候補者が残っていたのだったか」と一瞬しらけるような空気が流れた。
会場の全方位からさっさと終わりにしろという視線が向けられるのを感じながら、エステルは水晶の前へ進み出る。不安で足が竦みそうになるが、大丈夫だ。あれなら、勝てる。
「手を」
シルヴィの時と同じように淡々と促す神官の声に、エステルはそっと手を伸ばして水晶に触れた。
果たして、水晶はまごうことなく光を発した。
これまでの十九回を遥かに上回る、まばゆい光が儀式会場を照らす。その光は誰が見ても明らかにシルヴィのそれよりも明るかった。
「なに!?」
「どういうことだ!?」
「まさか……!」
会場の空気は一転、混乱に陥った。それはそうだろう。誰もが次代の聖女に選ばれるのはシルヴィだと思っていたのだから。
「静粛に! エステル・クラインを次代の聖女に任命する!」
しかしそれを一蹴したのは、王族と共に儀式を見守っていた神官長だった。
聖女選定の儀式においては、神官長は王族よりも上の権限を持つ。歴代最年少でその座についた神官長の宣言によって、エステルは間違いなく次代の聖女として選定された。
「どうしてお姉様が……」
混乱の収まらない中、シルヴィが呆然と呟いた。
シルヴィ自身、きっと聖女に選ばれるのは自分だと思っていたはずだ。シルヴィはエステルの神聖力がどの程度のものか知らなかった。幼い頃はシルヴィの神聖力の方が強かったが、誰にも顧みられないまま、エステルは訓練を重ねてきた。
しかしシルヴィは誰からも褒めそやされ、神聖力を強める努力はしなかった。その結果がこれだった。
エステルは驚愕に見開かれるシルヴィの瞳を見つめ返した。
「ごめんなさいシルヴィ。だけど聖女の座だけはどうしてもあなたに渡すわけにいかなかったの」
「どうして……」
「聖女に選ばれた者は、家を離れて神殿に入ることになる。家に属する者ではなく神殿に属する者として、家との縁は断絶されるわ。もしもあなたが聖女に選ばれたら、あなたはクライン家とは縁のない存在になってしまう。……そうしたらお父様もお母様も、ライナー様も悲しむわ。
だけど私が聖女になれば、誰も悲しまなくて済む。あなたはこれからもシルヴィ・クラインとしてお父様とお母様の娘のままでいられる。お父様とお母様は大切なあなたを手放さなくて済む。そして、ライナー様はあなたの婚約者になって、いずれあなたたちは結婚することができるわ」
「お姉様……!」
「知っているわ。あなたがライナー様に恋をしていること。そして、ライナー様があなたを好いていることも。それに、お父様もお母様も、本当はあなたにライナー様に結婚して欲しいと思っていたのよ。あなたが筆頭聖女候補だったから明言してはいなかったけれど。だから、これでいいの。私が聖女になることが、唯一みんなが幸せになれる方法なのよ」
そう。聖女に選ばれた者は生家との縁を切り、ただの聖女として生きていくことになる。当然生家で築いた縁も消えてなくなる。もしシルヴィが聖女に選ばれたら、シルヴィはただのシルヴィとして両親との縁も切らなくてはならない。クライン子爵家とマリアーノ伯爵家の縁談に何一つ関与することもできなくなり、ライナーと結ばれることは未来永劫なくなるのだ。
それらを覆す唯一の手段は、エステルが聖女に選ばれることだ。
エステルが聖女になれば、エステルはクライン子爵家の長女の立場ではなくなる。つまりライナーの結婚相手候補ではなくなるのだ。その代わりにその立場はシルヴィに挿げ替えられる。元々思い合う二人なのだ。問題はないだろう。
両親もまた、何よりも愛してやまないシルヴィとの縁を失わなくて済む。これからも――いや、これからは堂々と『一人娘』としてシルヴィを愛し続けることができるのだ。
両親もライナーも、シルヴィ以外の誰かが聖女に選ばれることを望んでいた。その証拠に、エステルの神聖力の強さを示す光が会場に輝いた時、会場内で儀式の行く末を見守っていた両親とライナーの三人は予想外の出来事に戸惑う表情を見せはしたものの、すぐに歓喜の表情を浮かべたのをエステルは見逃さなかった。三人は間違いなく、大切なシルヴィを失わずに済むことを喜んでいた。
「あなたを聖女にしない為に――私が聖女に選ばれる為に、死に物狂いで神聖力を高めたの。他の物は全部あなたにあげるわ。だから聖女の座だけは、どうか私にちょうだい?」
「……お姉様! ごめんなさい……ありがとう……! 私きっと幸せになるわ!」
シルヴィが感極まったように涙を浮かべ、エステルに抱きついた。
これでいい。これこそがエステルの望む展開だった。
「シルヴィ!」
観衆の中から、エステルの両親だったクライン子爵夫妻が足早にやって来る。二人の目にもまた涙が浮かんでいた。その後ろからはエステルの婚約者候補だったライナーが高揚した表情でついてきていた。
「お父様お母様! ライナー様も!」
軽やかな足取りで、銀の髪をなびかせてシルヴィが身をひるがえす。
エステルはそれを見送ることなく背を向けた。
「エステル様、どうぞこちらへ」
タイミングを見計らったようにやってきた神官に促され、エステルは歩き出す。
背後からは喜びのにじむ元家族だった者たちの声が聞こえていたが、決して振り返らなかった。
聖女に選ばれた者は、その日から神殿預かりの身となる。エステルも生家には戻ることなく、神殿に用意された聖女用の部屋に案内された。今日からエステルは聖女エステルとして神殿で暮らすのだ。
通されたのはシンプルながらも上質で、居心地の良さそうな部屋だった。
「本当にこれで良かったのか?」
「神官長様」
部屋を見分しながら一息つくエステルを訪ねてきたのは、歴代最年少の神官長その人だ。
「君の元家族たちはきっとすぐに君のことなど忘れて、今ある幸せをさも当たり前のように享受して生きていくだろう。君の血のにじむほどの努力は顧みられることなどない。本当に、それで良いのか?」
「ええ、良いんです。だってこれであの人たちとの縁を断ち切ることができるんですもの。あの人たちの利益の為の結婚をさせられるのもあの人たちと縁が残って縛られ続けるのもまっぴらでしたから」
もしもあのままみんなの期待通りにシルヴィが聖女に選ばれていたら、エステルはクライン家の利益の為にライナーと結婚しなければならなかった。あの親と縁が残っている限り、たとえ結婚してもエステルはクライン家に縛られ続けることになる。そんな人生は想像するだけで地獄だ。
だからエステルは捨てることにしたのだ。決してエステルを愛さない両親も、純真無垢を盾にエステルの状況を慮ることのない妹も、婚約者になるはずの相手ではなくその妹に恋をする婚約者候補の男も。
その為に血反吐を吐くほどの努力をして神聖力を強めた。無理な訓練をして体調を崩したことも一度や二度ではなかった。けれど元家族だったあの人たちがそれに気づいたことは一度たりともなかった。
「それに、あの場にいた記者が私たちの会話に耳をそばだてていました。きっと民衆受けの良い美談として練り上げて記事にしてくれるでしょう。あの人たちが忘れたとしても、民衆の間では新聖女は家族の幸せの為に身を削ったと広まるに違いありません」
聖女選定儀式の全容を伝える為に取材していた記者は、新聖女の人柄を知る為にエステルとシルヴィの会話に聞き耳を立てていた。献身的な聖女像は民衆の心をつかむだろう。民衆にとっての理想の聖女として。
「神官長、あなたが神聖魔法の訓練をしてくれたおかげで、私は望みを叶えることができました。あなたがいなかったら、きっと私はあの人たちから逃げることはできなかった。感謝してもしきれません。あなた方神殿の者にとっては、純真無垢なシルヴィの方が聖女としては望ましかったかもしれませんが」
「そんなことはないよ、エステル。ただ純真無垢なだけのお綺麗な聖女なんて私たちは求めていない。愛されることしか知らない聖女なんて、綺麗ごとで無邪気に人を傷つけるだけだ。聖女は孤児院の運営にも関わることになる。当然、孤児院には親から捨てられた子もたくさんいる。そんな子たちの前で『親に愛されない子なんているはずありません』などと無邪気に言ってごらん? それがどれほど親に愛されなかった子たちの心を傷つけるか、君なら想像できるはずだ」
確かに、産まれた瞬間から愛されることしか知らない純真無垢なシルヴィは、愛されず傷ついた子どもたちの前でも平然と綺麗ごとを言うに違いない。ただ可愛く思えないという理由だけで愛されない子が存在することなど、想像すらできないのだろうから。
「君は愛されなかった者の傷を知っている。そしてそのうえで、自らの望みを叶える為に努力することを知っている。君の努力は、間違いなく君自身の強さの現れだ」
「ありがとうございます。……私はあなたに会えて幸運でした、師匠」
両親には愛されなかったけれど、エステルは幸運だったと思う。
数年前、先代聖女の年齢を考慮するとエステルが結婚する前に次代の聖女の選定が行われる可能性に気づいた時、エステルはこの計画を思いついた。聖女になればクライン家とは一切の縁を切ることができる。彼らをいっぺんに切り捨てることができるのだ。
しかしその為にはエステルの神聖力は足りなかった。その頃はまだシルヴィの神聖力の方が強かったのだ。
だからエステルは自らの神聖力を強める為に、師匠となる人材を探した。家族に知られないようにこっそり――もっとも家族はエステルの行動に興味など抱いていなかったから堂々としていても気づかれなかっただろうが――何度も神殿に通って、強い神聖力を持つ者を探したのだ。
そうして出会ったのが、当時歴代最年少で神官長に就任したばかりの彼だった。どうしても聖女になりたい理由を伝え、神聖魔法の訓練をして欲しいと懇願し、エステルは神官長の密かな弟子となることに成功した。
神聖力を強める為の神聖魔法の訓練は、本当につらいものだった。神聖力は訓練で強くすることができるとはいえ、生易しいものではない。自分の神聖力の限界ぎりぎりの訓練を何度も重ね、無理やり限界値を引き上げていくのだ。加減を間違えて意識を失ったことも何度もある。
それでもエステルの望む人生を歩むには、絶対に諦めるわけにはいかなかった。エステルの心のひとかけらさえ、これ以上誰にも奪わせない為に。
「聖女エステル。改めて神殿を代表して君を歓迎する。全てのしがらみを捨て、これからの人生を聖女として生きてほしい」
「承りました。この身が及ぶ限り、務めを果たしましょう」
その後、記者の書いた記事によって新聖女エステルの献身的な人柄は人々に広く知られた。
聖女エステルは傷ついた者の心にも積極的に寄り添い、『慈悲の聖女』として民衆たちから深く深く愛されたという。




