表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
11/46

第11話 谷の硬い層

ガレンの鍛冶場を離れてから、私はしばらく岩のことを考えていた。


岩を切った、とはまだ言えない。削った。いや、欠片を剥がした。かなり控えめに言えば、岩に対して失礼にならない程度の傷をつけた。


だが、ゼロではない。


ゼロでないなら工程に組める。


私は折れた剣を土に刺し、盾片を下側の支持板として使い、牙で地面を少し削りながら進んだ。動きはまだ遅い。だが、前よりも力が逃げにくい。剣、牙、盾、縄がばらばらに暴れる感じが少し減っていた。


少し。


本当に少しである。


《石核ログ》

芯構成:仮成立

移動効率:微小改善

注意:長距離移動には不適


長距離移動には不適。


知っている。


そもそも腕一本で長距離移動に適していたら、それはそれで怖い。腕だけで颯爽と移動する魔物。かなり嫌だ。自分のことながら、見た人間の心に傷を残す自信がある。


私は鍛冶場から離れ、道の端を進んだ。


人間の道は素材が多い。釘、木片、縄くず、踏み固められた土。だが同時に危険も多い。人間が来る。荷車が来る。犬が来る可能性もある。犬が何かは曖昧だが、狼に近いものなら嫌だ。


なので、私は道そのものではなく、道の脇を進む。


踏み固められた場所のすぐ外。

湿りすぎず、乾きすぎず、根が少ない場所。


そこで、剣を刺した。


ごり、と手応えが返った。


硬い層。


泥の底にもあった。森の根元にもあった。鍛冶場の近くにもあった。剣歩きで何度も助けられた、あの硬い層である。


私は動きを止めた。


もしかして、これは点ではないのか。


泥の底に偶然あった硬い場所。

森の根元にあった支点。

道の脇にある固い土。

鍛冶場の前の踏み固められた地面。


それぞれ別のものだと思っていた。


だが、剣先に返ってくる感触が似ている。


硬さ。

深さ。

引っかかり方。

削った時の音。


もしかして、下でつながっている。


谷の地面の下に、硬い層が走っている。


《石核ログ》

地層反応:類似

硬質層:連続している可能性

新規項目:地形記録


地形記録。


急に大きな話になった。


今まで私は、自分の体のことで精一杯だった。剣が抜けない。牙が邪魔。盾で飛ぶ。縄で自分を縛る。非常に身近で、非常に情けない問題ばかりである。


だが、地面の下に使える層があるなら話が変わる。


私は移動が遅い。

だが、硬い層の上なら少し速い。

泥の上では沈む。

乾いた土では接合が割れる。

根の近くでは引っかかる。

道の上では人間に見つかる。


なら、使える地面を覚えればいい。


体の改善だけではなく、通る場所を選ぶ。


現場でいうところの、動線計画である。


私は剣を刺し直した。硬い層の深さを確かめる。少し右。浅い。左。深い。前。安定。後ろ。泥が多い。


なるほど。


このあたりの硬い層は、道と平行に走っている。


私は前へ進みながら、剣先で地面を探った。硬い層が続く場所では進み、途切れた場所では止まる。牙で少し削り、剣を刺しやすくする。盾片で沈み込みを防ぐ。


移動というより、測量だった。


腕一本の測量。


職人が見たら何と言うだろうか。


ガレンなら「気味が悪いが筋は悪くねえ」と言いそうである。気味が悪い部分は消せない。素材として受け入れるしかない。


しばらく進むと、硬い層が急に途切れた。


剣が空を切る。


いや、空ではない。柔らかい土だ。刺さりはするが、支点にならない。引くと崩れる。牙で削っても、ぼろぼろと崩れるだけ。


足場として弱い。


私はその場で止まり、少し戻った。硬い層の端を探る。右へ進む。ない。左へ進む。少しある。さらに左。硬い。


層は曲がっていた。


道に沿っているのではなく、谷の形に沿っているのかもしれない。


谷。


私は初めて、その範囲を意識した。


泥の底から出た場所。

森の根元。

木こりがいた斜面。

盗賊が来た道。

狼が出た茂み。

ガレンの鍛冶場。

そして、その下を走る硬い層。


これは、ばらばらの場所ではない。


一つの地形だ。


私はその上を、腕一本で這っている。


《石核ログ》

地形記録:開始

仮称:谷周辺

記録点:泥底/森根元/人間道脇/鍛冶場前

硬質層:部分連続


谷周辺。


名前が広い。


急に世界が大きくなった気がした。


今までの私にとって、世界は手の届く範囲だった。剣が刺さる場所。牙が届く場所。縄で引ける場所。それが、地面の下の硬い層によってつながる。


見えない道がある。


これは大きい。


ただし、問題もある。


私は地図を持てない。


紙がない。筆がない。手はあるが、手が本体。描く場所もない。そもそも視覚器官がない。地図を書いても読めるのか怪しい。


地図化、初手から詰んでいる。


《石核ログ》

記録方式:石核内記録

外部表示:不可

精度:低


石核内記録。


なるほど。


私が覚えるのか。


地図を持つのではなく、地形を体で覚える。剣を刺した感触。牙で削った音。盾片の沈み方。縄が届く根の位置。そういうものを、石核に残す。


かなり原始的だ。


だが、今の私には合っている。


私は硬い層の端に、牙で傷をつけた。浅い溝。自分用の目印である。視覚では見えないが、次に剣で探れば分かる。溝があれば、ここが一度調べた場所だと分かる。


測量杭の代わり。


牙で作る地図。


なんとも野生である。


おちゃめに言えば、私専用の地面メモだ。


いや、言い方を変えても泥臭い。


私は何か所かに傷をつけた。硬い層が続く場所には縦の傷。途切れる場所には横の傷。危険な柔らかい土には、牙で小さく二本線を入れる。


意味を決めておく。


決めなければ、ただの傷だ。

決めれば、記号になる。

記号になれば、地図になる。


《石核ログ》

地形記号:登録

縦傷:通行可能

横傷:層切れ

二本傷:沈下注意


沈下注意。


かなり現場感が出てきた。


ゴーレムとしてこれでいいのかは分からない。だが、少なくとも私は生き延びやすくなる。見た目の格好よさより、生存である。


私はさらに進んだ。


硬い層は、森の奥へ向かって細くなっていた。そこでは根が多く、剣が刺しにくい。根は支点になるが、同時に邪魔にもなる。縄をかけるには便利。移動には不便。


つまり、用途が違う。


同じ場所でも、移動用、隠蔽用、戦闘用、素材保管用で評価が変わる。


泥地は移動に悪いが、湿気がある。接合部の維持には良い。

根の陰は移動に悪いが、隠れやすい。縄の固定点にもなる。

道脇は素材が多いが、人間に見つかる。

硬い層は移動に良いが、露出している場所は目立つ。


場所にも性能がある。


私はその事実に少し興奮した。


体だけではない。


地面も使える。


体の足りなさを、場所で補える。


これはかなり大きい。


《石核ログ》

新規理解:地形にも性能がある

評価項目:移動/隠蔽/固定点/湿度/素材量/人間遭遇率


人間遭遇率。


嫌な項目が増えた。


だが必要だ。人間は弱そうで強い。道具を持つ。価値を付けて奪いに来る。鍛冶師のように危険で有用な個体もいる。人間の出現率は、地形評価に必須である。


私は道脇の硬い層を辿っているうちに、古い車輪の跡を見つけた。


溝がある。

深い。

雨で水が流れた跡もある。

その下に、硬い層が露出している。


ここは使える。


車輪が何度も通り、柔らかい土が削れ、硬い層が出たのだろう。人間の道具が、偶然私の移動路を作っている。


人間、やはり侮れない。


勝手に危険を運ぶが、勝手に便利な地形も作る。


迷惑と有用が同居している。


ガレンに似ている。


私は車輪跡の端に縦傷をつけた。通行可能。だが、同時に人間道に近い。目印をもう一つつける。小さな横線を斜めに入れる。これは人間注意にしよう。


《石核ログ》

新規記号:斜線

意味:人間遭遇注意


地図らしくなってきた。


少し楽しい。


いや、遊びではない。生存作業である。だが、記号を決めて、地面に傷をつけて、自分だけの通路を作るのは少し楽しい。腕一本の娯楽としてはかなり上等だ。


その時、硬い層の先で、がくんと腕が落ちた。


穴だった。


落ち葉に隠れた浅い窪み。硬い層が途中で割れて、その下に空洞のような柔らかい場所がある。私は剣を刺す前に進みすぎて、腕の先をそこへ落とした。


盾片が縁に当たる。牙が土に刺さる。剣が斜めに引っかかる。


止まった。


完全には落ちなかった。


だが、動けない。


《石核ログ》

沈下穴:検知

可動性:低下

原因:事前確認不足


事前確認不足。


分かっている。


楽しくなって、調子に乗った。


これである。


調子に乗ると地面に落ちる。なかなか教育的な地形だ。腹立たしい。いや、腹はない。だが立つものは立つ。


私は剣を抜こうとした。抜けない。角度が悪い。牙も土に刺さっている。盾片は縁に引っかかっている。縄は根に届かない。


詰みかけ。


落ち着け。


地形を使うと決めたばかりだ。


穴に落ちたなら、穴も使う。


まず、牙を少し引っ込める。泥を削りすぎると崩れる。次に盾片を縁に押し当てる。盾としてではなく、支持板として使う。剣を一度深く押し込み、硬い層の下側に当てる。


引くのではない。


押して、浮かせる。


剣を支点に腕を少し上げ、盾片を縁に滑らせる。牙で縁を削って溝を作る。そこに盾片をかける。縄は届かない。使わない。


少しずつ、腕が上がる。


かなり遅い。


だが、上がる。


《石核ログ》

沈下穴からの復帰:進行

盾片支持:有効

新規理解:穴の縁も固定点になる


穴の縁も固定点。


なるほど。


落ちると危険だが、縁は使える。


つまり、穴は罠にも支点にもなる。


本当に場所には性能がある。


私はどうにか穴から抜け出した。外層の泥が少し剥がれ、牙の固定が緩んだ。損傷は小さい。だが、心の方はやや削れた。油断して落ちるのはかなり恥ずかしい。


誰も見ていない。


よかった。


見ていたら、ただの地面に負けた石腕である。


私は沈下穴の縁に、二本傷を強く刻んだ。


沈下注意。


さらに、穴の反対側に短い縦傷を入れる。


固定点利用可能。


記号が増える。


地図が少し詳しくなる。


失敗が、地図になる。


この感覚は悪くなかった。


私は硬い層をさらに辿った。すると、森の根元から泥地へ抜ける細い帯があることに気づいた。そこは土の下が硬く、表面は湿っている。泥接合にもよく、剣歩きもしやすい。


理想に近い。


私はその場所に長めの縦傷を入れた。


主要通路。


そう決めた。


《石核ログ》

移動路候補:登録

仮称:硬層道

用途:移動/接合維持/退避

評価:高


硬層道。


悪くない。


少なくとも牙付き石腕よりずっといい。ログ、地形名の方が得意なのかもしれない。身体名ももう少し頑張ってほしい。


私は硬層道を何度か往復した。


泥地から森の根元へ。

森の根元から道脇へ。

道脇から鍛冶場の手前へ。

危険なら根の陰へ逃げる。

湿りたいなら泥地へ戻る。

素材が欲しいなら道脇へ行く。


頭の中に、いや、石核の中に、線ができる。


私はまだ腕一本だ。


だが、使える場所が増えた。


それは、体が少し大きくなったような感覚だった。


自分の体ではない。


だが、自分が使える範囲。


これも、広い意味では体なのかもしれない。


その考えが浮かんだ瞬間、石核ログが静かに動いた。


《石核ログ》

外部支援構造:記録開始

対象:硬層道/根陰/泥地/道脇

分類:外部器官候補


外部器官。


急に大げさになった。


だが、意味は分かる。


剣は足場になった。牙は工具になった。盾は支持板になった。縄は支点になった。なら、地形もまた、私の機能を補うものになる。


根は隠れ場。

泥は接合剤。

硬い層は道。

人間道は素材場。

穴は罠にも支点にもなる。


私は、谷を少しだけ使い始めている。


腕一本では足りない。


だから、場所を使う。


これはたぶん、次の段階だ。


《第11話リザルト》


発見:谷の硬い層

新規機能:地形記録

新規記号:通行可能/層切れ/沈下注意/人間遭遇注意

登録:硬層道

新規理解:地形にも性能がある

外部器官候補:泥地/根陰/道脇/沈下穴

未解決:地図精度/記号の維持/人間に見られない移動路


谷の下に、道があった。


私のための道ではない。


でも、使えるなら私の道である。


所有権は知らない。


地面に聞いてほしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ