第50話 世界を救う旅への旅立ち
静は、この異世界に選ばれた「転移者」である。
それも、どん底から這い上がった誠一とは対照的に、膨大なスキルポイントと強力な適性を付与された、いわゆる「当たり」の個体だった。
彼女は今、新たに取得したスキル《乗馬》を駆使し、荒野を疾走している。
生まれて初めて跨ったはずの軍馬の背は、不思議なほど身体に馴染んだ。手綱を握る指先の微かな震えさえも、彼女は猛る獣を己の手足のように制御するための信号へと変えていく。
「静殿、我らが道を切り拓く! 決して止まるなッ!」
姫騎士マリーヌの凛烈な号令が戦場に響き渡った。
彼女と五名の近衛騎士が、静を中央に護る《楔の陣形》を組み、土煙を上げて荒野を爆走する。
行く手を阻む魔物の群れが黒い波となって押し寄せるが、騎士たちは一分の隙もなくそれらを排除していく。
一匹現れれば二人が左右から突き、残りの三人は歩を緩めず静を先へと進ませる。蹄の音、金属の擦れる音、魔物の断末魔が混ざり合い、戦場の狂騒が極限まで高まっていく。
すべては、誠一を一刻も早く救うため。
はるか前方では、煉獄王との激闘が繰り広げられていた。
超高速の攻防は、もはや肉眼では火花と影の衝突にしか見えない。だが、誠一が防戦一方であることは一目瞭然だった。
断続的に響く、鋼を叩き折るような重低音。
かろうじて死地を凌いではいるが、彼の限界はすぐそこまで迫っている。
「……っ、間に合って……!」
静は奥歯を強く噛みしめ、さらなる深淵へと意識を沈めた。
彼女が選んだのは、かつてこの国の王が恐れ、地下深くに封印した禁忌の力。
誠一を、そしてこの世界を救うため、彼女は自らその暗黒へ手を伸ばした。
【禁忌魔法:無窮幽雷】
これは、これまで取得してきた「自動発動型」の受動的なスキルとは根源から異なる。彼女自身の明確な意思で法則を捻じ曲げ、制御しなければならない真の「魔法」だ。
深淵の力をその身に宿し、自らを依代(媒介)として放つ。
意識が塗り潰されるほどの強大な力と接触する代償として、その射程は1キロメートルを優に超える。
戦場の中心は、まさに紅蓮の地獄だった。
煉獄王が撒き散らす焦熱の波と、誠一の剣気が引き起こす衝撃波が、肌を裂く嵐となって静たちを襲う。
静は揺れる馬上でゆっくりと目を閉じ、スキルを発動。
詠唱を開始した。
重層的な声が、彼女の唇から溢れ出す。
**
「――始まりの深淵よ、星々の揺り籠。我が声に応え、その姿をここに……」
静の身体に、虚無の神の力が宿った。
瞬間、周囲の気温が劇的に氷点下まで叩き落とされる。
「偉大なる汝と共に、我が敵を穿つ大いなるこの力で、すべての悪夢を焼き払え。……我、操るは暗黒の雷雨」
すべてを無に帰す漆黒のオーラが静から奔流となって溢れ出し、傍らにいたマリーヌたちは、その絶対的な神威に魂を掴まれたように息を呑んだ。
誠一と死闘を演じていた煉獄王も、その異質な「滅び」の気配を察知した。
魔獣は生存本能に突き動かされ攻撃に転じる。
極大の魔力を喉元に結集させ、遠方の静を塵にするべく、その顎を開いた。
だが、誠一がそれを許すはずもなかった。
「お前の相手は……俺だろうが……ッ!」
誠一は《瞬間転位》を発動し、煉獄王の鼻先――
文字通り死の至近距離に出現した。
全身の筋肉が軋み、千切れる音を無視し、渾身の力を込めて《白兎牙》を振るう。その一閃が、魔獣の顔面を深く、肉を焼き割りながら切り裂いた。
「ぐぎゃあっぁぁあああ!!!」
急所を抉られ、発動寸前だった煉獄王の魔法が霧散する。
そのわずか一秒に満たない「隙」が、勝敗を分かつ決定打となった。
静の身体から放たれた魔力は天へと突き抜ける柱となり、夕暮れの空を漆黒へと塗り潰していく。
直後、雲を割って無数の「黒い稲妻」が、煉獄王の巨躯を目掛けて降り注いだ。
世界を震わせる轟音。
漆黒の光が視界を埋め尽くし、すべての色彩を奪い去る。
幾条もの黒雷は、煉獄王の身体を細胞から分子レベルで削り取っていった。
山のような質量は瞬く間に崩壊し、数秒後には、ただ黒焦げた歪な肉塊だけがそこに横たわっていた。
乾いた風が吹くと、かつて王と呼ばれた魔獣の残滓は、灰となって虚空へ消えた。
***
戦いは終わり、王国の危機は去った。
未曾有の災害で負った傷は深く、街には崩壊の跡が痛々しく残っている。
だが、新しく王位を継承したマリーヌの手によって、民は再び立ち上がり、国は力強く復興へと歩み出した。
誠一と静の活躍は、無用の混乱を避けるため、国家機密として伏せられた。
だが、誠一の戦いを遠巻きに目撃した者たちの口から、風の噂は静かに広がっていく。「地下牢の剣聖が姫騎士の下へ馳せ参じ、国を救ったのだ」と。
誠一と静は、マリーヌからの切実な仕官の誘いを、穏やかな微笑みと共に辞退した。共に旅立つことを選んだ彼らには、「魔王復活の阻止」という次なる目的がある。
**
煉獄王の亡骸は、誠一の《劣化交換》によって一個の装身具へと姿を変えていた。
【煉獄の腕輪】
攻撃魔法を使えない誠一だったが、この腕輪に自身の魔力を流し込むことで、刀身に地獄の業火を纏わせた「魔法剣」を扱えるようになったのだ。
「おお、燃えてる……。かっこいいな、これ。ちょっとしたファンタジーの主人公みたいじゃないか?」
夕闇の中で刀を振り、無邪気に喜ぶ誠一の姿に、静はふっと肩の力を抜いて苦笑する。中年のおっさんといえど、男にはいつまでも子供心が宿るものらしい。
「……良かったですね小山内さん。でもあんまり振り回してると、自分の服まで燃えてしまいますよ」
二人は旅装を整え、王都の巨大な正門の前に立った。
街の中は瓦礫を運ぶ人々の活気に満ち、その表情には恐怖に代わって希望の灯火が戻っている。
マリーヌから贈られた二頭の軍馬に跨り、特別な身分証を門番に見せて外へと踏み出す。門の先には、雨上がりのような鮮やかな緑と、どこまでも続く黄金の街道が広がっていた。
二人は世界の危機を救うため、そして、自分たちの未来を掴み取るため。
一度も振り返ることなく、迷いのない足取りでその道を進み出した。
‐END‐




