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第5話 冤罪

 混乱と喧騒のままに、誠一はこの城で兵士として雇われることになっていた。


 だが、彼にはこの異郷で人生をやり直す気概など、一欠片も残っていなかった。

 元の世界で積み上げたすべてを奪われ、死を求めて空に身を投げたあの日から、彼の時計は止まったままだ。


 彼は、ただ一人で、誰にも知られずひっそりと死のうと考えていた。


 もっとも、「自殺」を完遂するのも容易なことではない。

 飛び降りるにせよ、刃を向けるにせよ、それ相応の覚悟と準備が必要だ。死に場所を定め、周囲の状況を把握し、確実に幕を引くための「手順」を踏まなければならない。


 誠一は、光の失せた昏い瞳で、自らの終焉へと向かうための決意を、静かに固めていた。



 ***


 勇者として歓迎された高校生たちは、城の賓客として厚遇され、翌朝の出発に備えて休息をとることになった。外はすでに夜が深く、窓の外には見知らぬ異世界の星座が冷ややかに輝いている。


 兵士扱いとなった誠一にも、城の隅に質素な石造りの個室が与えられた。

 身の振り方は明日決めるというが、彼に明日を待つ理由はない。


(あの子たちが旅立った後に……すべてを終わらせればいい)


 それが、せめてもの良心だった。

 この世界で希望を持って生きていく若者たちに、死体を見せるような真似はしたくない。


 冷たいベッドに横たわり、意識を闇に沈めようとしたその時、重苦しい扉が控えめにノックされた。


 現れたのは、女子高生の佐伯麻衣だった。


「えっと……こんな時間に、何かご用ですか?」


 誠一が身を起こすと、彼女は返事もせずに部屋へ入り込み、静かに鍵を閉めた。

 そして、誠一の困惑を余所に、着ていた上着を肩から滑り落とし、薄い肌着姿になって歩み寄ってくる。


「心細いんです……おじさん。だから……私を、慰めてほしい」


 潤んだ瞳、震える声。

 その仕草は、あまりにも露骨な誘惑だった。


 だが、誠一の心は動かなかった。

 家族を愛し、家族を失い、人生そのものに絶望した男にとって、目の前の少女は守るべき対象であっても、欲情を向ける相手ではなかった。


「悪いが、とてもそんな気分にはなれないんだ。服を着て、部屋に戻りなさい」


 静かに、しかし断固として誠一は首を振った。

 その瞬間、麻衣の顔から「可憐な少女」の仮面が剥がれ落ちた。彼女は一瞬だけ不満げに口を尖らせたが、すぐに不気味なほど明るい笑みを作って立ち上がった。


「おじさんって意外と真面目なんですね。私みたいな若い子が誘えば、すぐに鼻の下を伸ばすと思ってました――これって振られたってことですよね。別にいいんですよ、本気じゃなかったし。もし襲ってきたら大声を出そうと思ってただけだから。でも、結構傷つくなぁ~」


 負け惜しみのような言葉を並べ立て、彼女は乱れた服を整えることもせず、部屋から出ていった。


「……あの子は、一体何がしたかったんだろうか?」


 残された誠一は、暗い天井を見つめながら深い溜息をつき、再び眠りの中へと逃げ込んだ。



 ***


 翌朝。

 誠一を叩き起こしたのは、激しい扉の衝撃音と、金属が擦れ合う無機質な音だった。


「な、なんだ……!? 何事だ!」


 訳も分からぬまま、屈強な兵士たちに組み伏せられ、腕を捻り上げられる。

 誠一は引きずられるようにして、昨日と同じ広間へと連行された。


 そこには、顔を覆って泣き崩れる麻衣の姿があった。

 玉座に座る王ヴァルデリオ三世の瞳には炎のような怒りが宿り、男子高校生二人は、誠一が視界に入るなり汚物を見るような軽蔑を剥き出しにした。


「えっと、何の騒ぎですか、これは――?」


 困惑する誠一に、山田陽翔が怒声と共に掴みかかってきた。


「この人でなしが! よくも麻衣に……この性加害者っ!」

「彼女はお前の身の上を心配して、声をかけに行ったんだぞ。恩を仇で返すとは、この恥知らずが!」


 勉の冷徹な断罪が、誠一の鼓膜を突き刺す。


「異世界人の中にも、このような不埒ものが混じっておったとはな。救世主の面汚しめ」


 王の蔑みの言葉に、誠一は眩暈を覚えた。心当たりなど何一つない。


「あの、ですから、一体何を……」

「とぼけるでない! 貴殿がこの少女を無理やり部屋に連れ込み、手籠めにしようとした事実は明白だ」


「……は?」


 絶句する誠一の前に、近衛騎士団長が進み出る。


「彼女が証言した時間に――巡回中の衛兵がお前の部屋から、乱れた服装で泣きながら飛び出してくる彼女を目撃している。これ以上の証拠が必要か? 幸い彼女は、抵抗して自力で逃げ出せたようだが……貴様の罪は万死に値する」


「待ってくれ、違う! 俺は彼女を襲ってなどいない! 彼女が勝手に部屋に――」


 必死の訴えは、怒号にかき消された。

 誰も誠一の言葉を信じようとはしない。


「連れて行け! このような屑を、我が王宮に置いておくわけにはいかん!」


 王の一喝。

 誠一は異世界に転移した翌日、希望の光を浴びる若者たちとは対照的に、陽の当たらない城の最深部――地下牢へと放り込まれた。



 ***


 地下牢は、想像を絶する不気味な空間だった。


 湿った岩肌からは嫌な臭いのする水が滴り、縦に長く続く牢獄の先は、底知れぬ暗闇へと繋がっている。


「俺は、何もしていない! 誤解なんだ! ここから出してくれ!」


 誠一は鉄格子を掴み、去りゆく衛兵に叫んだ。

 だが、返ってきたのは、嘲笑を含んだ冷たい鼻息だけだった。


「無駄だ。そこに入れられた罪人に、明日の太陽を拝む権利はない」


 衛兵は去り際に、呪いの言葉を吐き捨てるように続けた。


「この地下牢の奥には“試練の洞窟”が繋がっている。最奥にある光る石に願いを告げれば、どんな望みも叶うと言われている。どうしても出たいというのであれば、試練の洞窟に挑むがいい。出ることができるだろう。……まあ、そこに巣食う魔物に、生きたまま食われなければの話だが」


 どうやらこの牢は、天然の迷宮を利用して作られた、生きて帰れぬ「処刑場」でもあったのだ。



 ***


 静寂が戻った地下牢に、軽やかな足音が響いた。


 現れたのは、麻衣だった。

 鉄格子の向こう側で、彼女は「可哀想な被害者」の顔をかなぐり捨て、退屈そうに髪を弄りながら言った。


「ごめんねー、おじさん」

「君は……なぜ、こんなことを……? 俺が、君に何をしたというんだ」


 誠一の声は、怒りよりも困惑で震えていた。

 麻衣は、くすくすと子供のように笑った。


「だって、“襲われて酷い目に遭った女の子”の方が、男の子たちからもっと優しくしてもらえるじゃないですか。私、ヒーラーだから攻撃手段がないし、魔物と戦うなんて絶対無理。だったら、守ってもらいやすくなるように“か弱くて守ってあげなきゃいけない子”っていう印象を、今のうちに植え付けておいた方が便利でしょ?」


 彼女は、まるで今日のランチのメニューを語るような気軽さで、誠一の人生を破滅させた理由を述べた。


「……保身のために、俺を利用したのか」

「おじさんだって、若い女の子の役に立てて、嬉しいでしょ? 最後に私みたいなかわいい子に言い寄られたんだし、良かったじゃん」


 それだけ言い残すと、彼女は鼻歌混じりに暗闇の階段を上っていった。


 誠一の胸の奥で、一瞬だけ、激しい炎のような怒りが燃え上がった。

 だが、それも長くは続かなかった。

 あまりにも理不尽で、あまりにも醜い悪意を前にして、彼の心は急速に冷え切っていった。


 もう、怒りさえも湧いてこない。


 目の前に広がる地下牢の暗闇。

 そして、自分の内側に広がる果てしない虚無。


 誠一は、湿った冷たい地面に背を預け、誰に届くこともない溜息を吐いた。


 それは言葉にできないほど静かで、しかし、何物にも染まらないほどに重い、漆黒の絶望だった。

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