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第48話 みんなのために出来る事

 ズズゥン……ズズゥン……。


 大地そのものが恐怖に身悶えしているかのような、重苦しく不規則な地響き。

 テント内の空気は不吉に震え、テーブルに置かれたティーカップの表面には、絶え間なく同心円状の波紋が広がっていた。


 巨大な質量が刻一刻と接近してくる。

 その戦慄すべき振動に呼応し、誠一は即座に席を蹴った。  


 椅子の脚が地面を擦る鋭い音が、張り詰めた静寂を真っ二つに切り裂く。


「俺が何とかしてみます。姫様と神代さんは、ここにいてください」


 背後からの制止の声に耳を貸すことも、返事を待つこともなく、誠一はテントを飛び出した。  


 外に出た瞬間、肌をじりじりと焼くような熱風が頬を叩く。状況を正確に把握するため、彼は瓦礫の山と化した城壁の天端へと、一気に駆け上がった。


 視界の果て――。  

 夕闇が降りかかる地平の下、世界を赤黒く染め上げながら、燃え盛る体毛をなびかせた超巨大魔獣が、こちらへ向かって歩を進めていた。


 鬱蒼と茂っていた森を枯れ木のように踏み砕き、ただ歩くという行為だけで大地を焦土へと変えていく。  


 圧倒的な質量と、陽炎のごとく立ち昇る膨大な魔力。  


 その場で見張りに就いていた兵士たちは、絶望に顔を強張らせ、ただ石像のように立ち尽くしていた。


 武器を握る手は血の気が引いて白く変色し、膝は笑い、呼吸の仕方さえ忘れている。あまりに規格外の脅威を前に、逃げ出すという本能的な選択肢すら奪われているようだった。


(あいつの狙いは、俺か……)


 誠一は直感した。  

 肌に突き刺さる殺気のベクトルが、あまりにも正確に、執拗に自分を指している。


 魔王陣営は「覚醒者」という不確定要素を何よりも恐れている。  


 先ほどマリーヌから聞いたばかりの「理」が脳裏をかすめる。

 これほど強力な魔獣が、リスクを冒してまで人間社会へ不用意に近づくはずがないのだ。


(あいつが煉獄王ドレイル=マルバス。俺が眷属を葬ったことで、明確な『脅威の芽』が生まれたと見なして、自ら潰しに来たか……)


 誠一自身は魔族でも覚醒者でもない。

 だが、魔族を屠る力を持つ存在であることに相違はなかった。怪物は、その芽が育ち切る前に、根こそぎ焼き払うつもりなのだ。


 誠一は意を決し、熱風が吹き荒れる壁の縁に立つ。


(俺を殺せば、あいつはそれで引き上げるかもしれない。少なくとも、街への被害は最小限に抑えられるはずだ)


 狙いが自分ならば、囮となって戦地を遠ざける。  


 それが今、みんなのために出来る最善のことだと彼は考えた。


 恐怖がないわけではない。


 心臓は壊れた時計のように早鐘を打っている。  

 だが、彼は迷うことなく、壁の上から虚空へと身を投げた。


 ヒュオオオオッ!


 風切り音と共に地面が猛スピードで迫る。  


 だが、着地の刹那、スキル《落下耐性》が発動。

 体にかかる殺人的な衝撃をスポンジのように吸収し、無力化した。


 ――ダンッ、と。  

 軽い音を立てて荒野に降り立つと、迷うことなく地を蹴った。


 目指すは、森を薙ぎ払いながら迫る絶望、煉獄王ドレイル=マルバス。  

 圧倒的な「死」の具現に向けて。


 決して勝つことの叶わぬ戦場へと、彼は一筋の閃光となって駆けていった。



 ***


 誠一が飛び出した後、テントに残されたマリーヌと静も、焦燥に駆られるように動き出した。崩落し、大きく穴の空いた外壁へと向かう。


「姫様、危険です! 城内へ避難を!」


 近衛騎士が悲鳴のように叫ぶが、誰もがその進言が無意味であることを悟っていた。


 破壊された外壁の向こう――。  

 はるか遠くに、煉獄王の威容があった。


 視界を埋め尽くさんばかりの巨躯。

 森を焼き、大地を砕きながら進撃するその姿は、生物というより「移動する火山」そのものだ。  


 あれが王都に到達すれば、対抗する手段などこの世には存在しない。城に籠もったところで、石壁ごと溶解し、生きたまま焼き殺されるのが関の山だ。


(『覚醒者』が現れるのを待つしかないのか。だが、それは――あまりにも残酷な奇跡を願うに等しい……)


 マリーヌは喉の渇きを覚えながら、険しい表情で周囲の騎士を問いただす。


「誠一殿は……誠一殿はどこへ向かった!?」


「それが……」


 答える騎士団長の声は、畏怖と諦観に震えていた。


「壁の上からあの魔獣を確認するなり、真っ向から煉獄王の下へと走っていかれました。……あの御方ならば、あるいは……」


(無理だ……)


 騎士団長の言葉を聞いたその場の全員が、内心でそう断じていた。


 誠一が魔族を打倒した稀代の実力者であることは疑いようがない。


 しかし、相手が悪すぎた。  

 遠目に眺めるだけで肌が粟立ち、精神が削られるようなプレッシャー。「煉獄王」は、それほどまでに絶望的な存在だった。


 あれは、人が触れていい領域のモノではない。


 圧倒的な恐怖が場を支配し、重苦しい沈黙が降りる中。  


 ――クイクイ、と。  

 マリーヌの袖を引く者がいた。


「マリーヌ様。……お話ししなければならないことがあります」


 神代静だった。  


 その顔は蒼白に染まり、指先は小刻みに震えている。

 だが、その瞳には、恐怖をねじ伏せるほどの烈火のごとき光が宿っていた。


 あの魔獣に対抗する手段は、ある。  


 静は「混沌の神」から力を借りた魔法を行使できる。

 これまでは、ごく僅かな力しか借りてこなかったが――未だ取得していない、さらに強力な「禁忌の魔法」を解禁すれば、勝機はあるかもしれない。


 静はマリーヌを連れてテントへと戻ると、そこで「転移者」としての真の正体を明かした。


 この国に召喚され、地下牢に不当に閉じ込められていた事実を。

 そして自分が、本来なら世界から忌み嫌われる「混沌魔法」の使い手であることを。


 静にとって、この告白は自らの命を賭すに等しい行為だった。

 異端としてその場で処刑される可能性すら孕んでいたからだ。


 だが、死地へ向かった誠一を救うためなら、もはや手段など選んでいられなかった。


「私の魔法なら、小山内さんを援護できます。……ですが」


 静は拳を痛いほど固く握りしめる。  

 彼女の魔法は強力無比だが、射程が致命的に短い。


 発動には煉獄王の近距離――

 あの灼熱の射程内へと踏み込まねばならない。


 それは、数多の魔物が跋扈する「城壁の外」へ出ることを意味する。


 静は身を守るため「複数のスキル」を取得している。

 だが、それは身の安全の「絶対の保証」ではない。


 彼女が単独で外に出れば、道中で魔物に襲撃され、誠一の下に辿り着くことすら叶わない可能性が高い。到達する確率を上げるためには――


 マリーヌ姫の理解と、騎士団による決死の護衛が不可欠だった。

 理解を得られなければ、ここで終わり。  


 それでも静は、この国の騎士たちへ、真っ向から協力を懇願した。

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