第47話 魔王勢力と人類
王都を包んでいた喧騒は、不気味なほどの静寂へと変貌を遂げていた。
戦いは終わった。
だがその爪痕は深く、街の至る所から立ち昇る黒煙が、鼻を突く肉の焼ける臭いと血の鉄錆びた臭気を大気に重く沈み込ませている。
街外れに設営された軍用テント。
その周囲には、一般兵士の立ち入りを厳しく禁じるための厳戒態勢が敷かれていた。理由は、内部に運び込まれる特殊な「資材」にある。
荷台に乗せられ、次々と運び込まれるのは、物言わぬ魔物たちの死骸だ。
オーク、ゴブリン、そして巨大なオーガ。本来であれば、腐敗による疫病を防ぐため、膨大な油を投じて焼却処分されるべき不浄の塊である。
しかし、そのテント内では、世界の常識を根底から覆す光景が繰り広げられていた。
「――交換」
誠一が死骸の山に掌を触れ、静かに呟く。
フォンッ……!
淡い電子音のような響きと共に、血にまみれた醜悪な肉塊が光の粒子へと霧散する。光が収まった跡に残されたのは、透き通った青い液体が満ちた小瓶の山と、完璧に加工された食肉、そしてなめし終わった上質な革素材であった。
「……何度目にしても、正気を疑いたくなる光景ですわ」
同席していたマリーヌが、呆然と吐息を漏らした。
彼女の目の前で、数百体はあろうかという魔物の残骸が、わずか数十分で「国家の至宝」とも呼べる最高級ポーションの山へと置換されたのだから。
「これで一通り完了です。変換できなかった個体については、予定通り外での焼却をお願いします」
誠一は額の汗を拭い、作業の終了を告げた。
出来上がった物資はすぐさま木箱に詰められ、テントの外へと運び出されていく。
表向きは「王家備蓄の緊急放出」という名目だ。
この奇跡が異世界人のスキルによるものだと露見すれば、列強諸国を巻き込む戦争の火種になりかねない。
ここは慎重に、情報を闇に葬る必要があった。
***
過酷な作業を終え、テント内の簡易テーブルで束の間の休息をとる。
カップから立ち昇るハーブティーの香りが、鼻腔にこびりついた死臭を一時的に忘れさせてくれた。
誠一、静、そしてマリーヌ。
三人は椅子に深く腰掛け、重い沈黙を破って対話を始めた。
「……魔族について、でしたね」
マリーヌがカップをソーサーに置き、カチャリと冷ややかな音を立てた。
その表情は、先ほどの驚愕から一転し、為政者としての峻烈なものに変わっている。
「ええ。彼らの会話から察するに、魔族たちは何者かからマリーヌ様の暗殺を命じられていました。魔物の群れを王都に誘導したのも、彼らの仕業で間違いないでしょう」
誠一の指摘に、マリーヌは深く頷く。
だが、誠一にはどうしても解せない疑念があった。
「しかし……彼らほどの力量があれば、わざわざ魔物をけしかける必要はなかったはずです。あの三人であれば、単独で城壁を粉砕し、強行突破して住民を皆殺しにすることも容易だったはずだ」
誠一は、屋根の上で対峙した魔族たちの実力を思い返す。
彼らは確かに強かった。誠一がいたからこそ食い止められたが、もし不在であれば、王都は一夜にして陥落していただろう。
「それに、彼らを統べる元凶――『煉獄王』ドレイル=マルバス。それほどの存在なら、配下など使わずとも目的を遂げることができるはずです。なぜ、自ら動かないのでしょうか?」
静が横から言葉を添える。
彼女もまた、この世界の理不尽な構造に疑問を抱いていた。
煉獄王という絶大なる個が、なぜチェスの駒を動かすような工作に甘んじているのか。
マリーヌはしばしの沈黙の後、揺らめくランプの炎をじっと見つめて語り出した。
「……煉獄王が直接動かない理由。それは『力の反作用』を危惧しているからです」
「反作用、ですか?」
「はい。異世界から来た貴方方には奇妙に聞こえるかもしれませんが……この世界には確固たる『理』が存在します。巨大な負の力が動けば、世界はその均衡を保つために、強制的に対抗しうる正の力を生み出そうとするのです」
マリーヌは古の神話を紐解くように、一音一音を噛み締めて続けた。
「あの魔族たちは、煉獄王の邪気に当てられ、唐突に強大な力を得ました。……それと同じことが、人間側にも起こり得る。煉獄王が絶大な力を振るえば振るうほど、世界はその重圧に呼応し、人類の中から彼を射落とす『英雄』を覚醒させる確率を高めてしまう」
「なるほど……。巨大な悪意の現れが、巨大な正義を呼び寄せる呼び水になる、と」
「ええ。この国の初代国王も、魔王の軍勢に故郷を焼かれた絶望の中で、人知を超えた力に目覚めた『覚醒者』であったと記されています。奴らはその『不確定要素』の発生を、何よりも忌み嫌っているのです」
(だから、奴らは慎重に動いていたのか)
誠一は腑に落ちた。
圧倒的な戦力差がありながら、魔族が人類を即座に根絶やしにしようとしない理由。それは慈悲などではない。追い詰めすぎれば、窮鼠が獅子へと変貌しかねないという、生存本能に根ざした恐怖なのだ。
「王都には多くの民がいます。無差別な大虐殺を行えば、その悲劇の種火から、第二、第三の英雄が生まれるかもしれない。だから奴らは魔物というクッションを使い、じわじわと国力を削ぎながら、リスクを最小限に抑えて王族という『首』だけを狙ったのでしょう」
***
会話が途絶え、テント内に重苦しい沈寂が戻った――
その時だった。
ズゥゥゥゥゥン……。
足元から、地鳴りのような微かな振動が伝わってきた。
テーブルに置かれたティーカップの中身が、同心円状の鋭い波紋を描く。
「地震か……?」
誠一が眉をひそめる。
だが、揺れは収まるどころか、巨大な生物の鼓動のように規則正しく、そして一打ごとにその震動を増していく。
ズゥン……ズゥン……ズゥン……!
「こ、この揺れは……まさか」
マリーヌの顔から血の気が失せ、蒼白に染まっていく。
これは天災ではない。
何かが、山そのものに匹敵する巨大な質量を持った「何か」が、こちらへ向かって歩を進めている音だ。
「外へ!」
誠一は弾かれたように立ち上がり、テントを飛び出した。
崩れかけた城壁の天端へと駆け上がり、音の発生源である北の地平――深い森の方角を凝視する。
そして、彼は息を呑んだ。
「なんだ、あれは……」
夕闇が迫りくる空が、不自然なほどに赤く焼けただれていた。
夕映えではない。
地平の果て、鬱蒼と茂っていたはずの広大な原生林が、まるで巨大な彫刻刀で削り取られたように消失しているのだ。
木々が燃えているのではない。
一瞬にして炭化し、灰へと還されている。
その破壊の中心に、「それ」はいた。
山脈を思わせる、あまりにも理不尽な巨躯。
全身からマグマのような紅蓮の炎を噴き上げ、一歩踏み出すたびに大地を焦土へと変える、歩く終末。
『グオオオオオオオオオオオオッ!!』
咆哮が衝撃波となって押し寄せ、王都の大気を激しく震わせた。
その威圧感に、居合わせた兵士たちは恐怖のあまり次々と膝を突き、武器を落としていく。
「煉獄王……ドレイル=マルバス……!」
マリーヌが戦慄に声を震わせた。
配下の魔族が討たれたことで、奴は悟ったのだ。
この王都に、自分を脅かす可能性を持つ「芽」――すなわち誠一という存在が産声を上げたことを。
慎重さはかなぐり捨てられた。
本格的な脅威へと育つ前に、国ごと焼き尽くして灰にする。
その赤く燃え盛る瞳は、純粋な殺意を宿して、王都を真っ直ぐに見下ろしていた。
災害が、歩いてくる。
人類の生存期間を、強引に終わらせるために。




