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第45話 平常心

「オラァッ!!」


 大気が爆ぜるような轟音と共に、丸太のごとき剛腕が振り下ろされた。


 大柄な女魔族が繰り出した一撃は、誠一が立っていた屋根瓦を容易く粉砕し、太いはりごと家屋を陥没させる。  


 舞い上がる土煙と木片。

 だが、その凄まじい破壊の渦中を、誠一はまるで風に舞う木の葉のように、重力を無視した挙動で回避していた。


「チッ、すばしっこいねぇ!」


 忌々しげに舌打ちをしたのは、もう一人の魔族――

 小柄な槍使いの少女だ。  


 彼女は相棒の破壊的な猛攻が作り出した僅かな隙間を縫い、針の穴を通すような鋭い突きを絶え間なく繰り出してくる。


 死角からの超高速連撃。  

 呼吸さえ許さぬ、一撃必殺のコンビネーション。


 だが、そのすべてが空を切った。


 誠一は瓦礫が散乱し、鋭く傾斜した屋根の上を、平地を散策するかのように滑らかに移動していた。


 スキル《踏破とうは》。  


 迷宮のあらゆる悪路を走破してくれたスキル――この不安定な高所戦において、その効果は絶大だった。足元の瓦が崩れようと、地面がどれほど傾こうと、誠一の体幹は微塵も揺るがない。


「どれだけ威力があろうと、当たらなければ意味はない」


 誠一は『白兎牙はくとが』の切っ先を僅かにずらし、女魔族の剛腕を最小限の動きで受け流す。  


 行き場を失った力が流れ、前のめりになる巨体。

 その無防備な隙に、一筋の白刃が閃いた。


 ザシュッ!


「グウッ!?」


 鮮血が青空を汚した。鋼鉄並みの硬度を誇るはずの魔族の腕が、肘から先を容易く切り飛ばされ、宙を舞った。


 しかし――。


「ハハッ! やるじゃねぇか!」


 大柄な魔族は、己の腕が失われたことよりも、目の前の獲物が放つ強者としての輝きに歓喜していた。断面からドクドクと溢れ出る血を撒き散らしながら、恍惚とした歪な表情を浮かべる。


「あははっ! いいね、最高だよ、おじさん!」


 小柄な少女もまた、相棒の重傷を気にするどころか、嗜虐的な笑みをいっそう深めた。彼女は真っ赤な舌を伸ばし、槍の穂先に付着した返り血を淫らに舐めとる。


「この国のお姫様を殺して食べるのを楽しみにしてたけど……お前の方が、骨の髄まで美味しそうだわ」


 獲物を甚振いたぶり、喰らうことを想像する捕食者の瞳。その邪悪なプレッシャーは、並の熟練冒険者であれば恐怖で膝を折るほどに苛烈だった。


 だが、誠一の心拍数は、平常時と変わらぬ一定のリズムを刻み続けていた。


(……浅いな)


 誠一は凍てつくような冷徹な瞳で二人を見据える。


 この世界に召喚されて以来――。  

 彼は終わりのない迷宮で、孤独と死の恐怖に幾度となく抗い続けてきた。凡人であった彼にとって、モンスターとは常に圧倒的な絶望の化身であり続けた。


 一瞬の油断が死を招く極限状態こそが、彼の日常だった。  

 彼女たちの放つ殺気も、狂気も、人の限界を超越した身体能力も、今の彼を怯ませるには至らない。


 日々の『瞑想』と『精神統一』によって練り上げられた彼の精神は、まさに明鏡止水。いかなる殺意をも克明に映し出し、静かに飲み込む、広大な湖のごとき静寂を保っていた。



 ***


「らちが明かないねぇ……ッ!」


 業を煮やした大柄な魔族が、残った片腕で強引に殴り掛かってきた。

 誠一は冷静に『白兎牙』を構え、迎撃の態勢に入る。


 軌道は見えている。  

 先ほどと同じように腕を斬り飛ばし、致命の隙を作る――。


 ガシィッ!


「……っ!」


 肉を断つ確かな手応えと共に、予期せぬ異変が起きた。  

 魔族が自らの筋肉を強引に収縮させ、深々と食い込んだ誠一の刀を、骨ごと挟み込んで固定したのだ。


「捕まえたよ」


 ニタリ、と至近距離で怪物が笑った。  


 肉を切らせて骨を断つ、捨て身の拘束。

 引き抜こうとするが、『白兎牙』が抜けない。


「いまだ! 死ねぇっ!!」


 その絶好の機を逃さず、死角から少女が飛来した。  

 紅い閃光となった長槍が、武器を奪われ無防備となった誠一の喉笛を、吸い込まれるように狙う。


 回避不能、絶殺のタイミング。


 しかし、誠一の判断に一分の迷いもなかった。


(――刀を、捨てる)


 彼は躊躇なく愛刀から手を離した。

 同時に、思考よりも速くスキルが起動する。


「《瞬間転位しゅんかんてんい》」


 フッ、と誠一の残像が掻き消えた。  

 槍は空虚な空間を突き刺し、勢い余って相棒である大柄な魔族の肩を深く掠める。


「え……?」


 少女が驚愕に目を見開いた。

 その背後には、すでに死神が立っている。


 誠一の右手は、腰に差したもう一振りの秘蔵刀――

 『黒牛角こくぎゅうかく』の柄を捉えていた。  


 漆黒の鞘から、溢れ出した闘気が眩い燐光を漏らす。


「《抜刀術ばっとうじゅつ》」


 キンッ!


 黒き一閃。  

 音速を超越した抜刀が、少女の首筋を静かに通り抜けた。


「あ……」


 少女の視界がゆっくりと、平行にずれ落ちていく。  

 自分の首から下が崩れ落ちる光景を、他人事のように見届けながら、彼女の意識は唐突に断絶した。


「テメェッ……!!」


 相棒を瞬殺された大柄な魔族が、『白兎牙』を体に突き立てたまま絶叫し、咆哮する。  


 だが、誠一の動作はすでに次へと移行していた。


(スキルポイント使用。アイテム取得――《鉄の剣》)


 左手に現れた剣に、体内からありったけの闘気を流し込む。  

 青白い光を帯びた剣は、もはや単なる鉄塊ではない。


 すべてを貫く破壊の光槍だ。


「終わりだ」


 至近距離からの、渾身の投擲。


 ズドォォォォン!!


 大砲を零距離で撃ち込んだような衝撃音が鳴り響く。  

 《闘気剣》は魔族の分厚い胸板を紙のように貫通し、背後の心臓ごと中身を跡形もなく消し飛ばした。


「が、は……っ」


 魔族の巨体が大きく揺らぎ、そしてどうと轟音を立てて倒れ伏した。  

 傾いた屋根の上に、二つの物言わぬ骸が並ぶ。


 誠一は静かに呼気を吐くと、死体から『白兎牙』を引き抜き、血糊を払って静かに鞘に納めた。


 勝利の余韻に浸る暇はない。


 人であることを捨て、邪悪な魔へと堕ちてしまった彼女たちへの憐れみを、一瞬で心の奥底へ封じ込め――


 誠一は次の戦場へと視線を向けた。


「行くか」


 王都のあちこちから、今なお不吉な黒煙が上がっている。


 北西の城壁付近。  

 グラビトロールによって抉られた穴から、魔物どもが未だに流れ込み、激しい防衛戦が続いている。


 彼は再び屋根を蹴った。

 一条の風となり、混迷の戦場へ向かって駆け出した。

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