第43話 姫、出撃
「ゆくぞ。我に続け、皆の者!」
重厚な城門が火花を散らして開かれると同時に、凛とした号令が戦場に轟いた。
白馬に跨り、真紅のマントを鮮やかになびかせる姫騎士マリーヌ。
彼女に続く近衛騎士団が鳴らす猛烈な蹄の音が、石畳を激しく叩き、絶望に沈む王都へと勇壮に響き渡る。
しかし、門の先に広がる光景は、筆舌に尽くしがたいほど凄惨なものだった。
王都、北西方面。
かつては難攻不落を誇った外壁が無残に崩落し、その裂け目から黒い濁流のごとく魔物の群れが雪崩れ込んでいる。
天を衝く黒煙と、鼻を突く肉の焼ける異臭。
瓦礫の下からは、押し潰された人々の細い救助の声が漏れ、路地裏では逃げ遅れた民が魔物の爪にかかり、鮮血を散らしている。
「ひるむな! 民を、我が国を救うのだ!」
マリーヌは悲痛な情景に奥歯を噛み締めながらも、希望の象徴たる剣を高く掲げ、先陣を切って突撃した。
**
だが、そのマリーヌたちよりも遥か前方――。
一人の男が、目にも留まらぬ速さの「風」となって戦場を駆けていた。
(神代さんはマリーヌ様の傍だ。あそこなら、騎士団の守りも厚い)
誠一は背後の静の安全を確信すると、意識を完全に「殲滅」へと切り替えた。
彼の役割は、姫騎士マリーヌが民に希望を振りまくための舞台を整える「露払い」だ。
「――《空波斬》」
全力疾走のまま放たれた不可視の斬撃が、路地を埋め尽くしていたゴブリンの群れを文字通りなぎ払う。
魔物たちは悲鳴を上げる暇すらない。
上下を無慈悲に両断され、路地を死体の山で埋め尽くして絶命した。
誠一の狙いはただ一点、魔物の侵入源である北西の城壁崩落地点だ。
この戦乱を鎮めるには、蛇口を閉める――
元凶を断つのが最速かつ最善。
「キシャアアア!」
建物の屋根から、翼を持つ魔物が誠一の首筋を狙って飛びかかる。
だが、誠一は視線すら向けない。
「邪魔だ」
すれ違いざまの一閃。
次の瞬間には、魔物は両翼を根元から断たれ、石畳に叩きつけられて物言わぬ肉塊へと変わる。
誠一の進行方向に立ち塞がる敵は、例外なく瞬殺されていった。
たとえ大型の魔物であろうと、結果は同じだ。
スキル《弱点看破》で赤く輝く急所を射抜き、《瞬足》で懐を奪い、一撃で核を粉砕する。
彼の通過した軌跡には、不気味なほどの静寂と魔物の骸だけが積み上がっていった。
***
誠一が「掃除」を終えたばかりの道を、マリーヌ率いる騎士団が進む。
「風の精霊たちよ、わたくしに力を! 邪悪なる不浄を切り裂き給え――《ウィンドカッター》!」
マリーヌの鋭い詠唱とともに、翠色の刃が渦を巻いて放たれた。
路地から飛び出してきたオークの群れが風に切り刻まれ、鮮烈な血飛沫を上げて地に伏す。
「……見ろ、姫様だ!」 「マリーヌ様だ! 姫様が助けに来てくださったぞ!」
絶望の淵にいた住民たちが、次々と涙ながらに歓声を上げる。
生き残った兵士や、家族を守るためにボロボロになりながら戦っていた父親たちが、その勇姿に「希望」を見出し、震える足で再び立ち上がる。
(いいぞ。そのまま進んでくれ)
遥か前方でその歓声を聞き届け、誠一は小さく口角を上げた。
マリーヌたちの進軍がこれほどスムーズなのは、誠一が主力級の脅威を事前に排除しているからだ。
だが、それでいい。
今、この傷ついた国に必要なのは、圧倒的な「個」の武力ではない。皆の心を繋ぎ、立ち上がらせる「象徴」なのだから。
誠一はさらに地を蹴る速度を上げた。
前方の広場から、激しい金属音と怒号が響いてくる。
「くそっ、硬ぇ! 刃が通らねぇぞ!」 「下がれ! まともに食らえば即死だぞ!」
数人の冒険者パーティが、一体の巨大なオーガと対峙していた。
身長三メートルを超える筋肉の巨塔。
振るわれる丸太のごとき棍棒が、石畳を容易く粉砕する。冒険者たちの必死の剣撃は、オーガの鋼のような皮膚に火花を散らすだけで、刃こぼれを起こすのが関の山だった。
「グオオオオオオオッ!」
オーガが勝利を確信した咆哮を上げ、身動きの取れなくなった戦士へ棍棒を振り下ろす。
死の影が戦士を覆った、その刹那。
――ヒュンッ。
ただ一筋、鋭い風が抜けた。
直後、オーガの巨体が、ずらりと横にスライドした。
「え……?」
ドサァッ……!
大量の血と内臓をぶちまけながら、オーガの上半身が地面に滑り落ちる。
冒険者たちは、目を見開いたまま石像のように固まった。彼らの視線の先には、血振るい一つで刀を鞘に納める、黒髪の中年男性の背中があった。
「あ、あんた……一体……?」
自分たちが束になっても傷一つ負わせられなかった怪物を、たった一振りで。
呆然とする彼らに、誠一は振り返ることなく淡々と告げた。
「姫騎士マリーヌ様の露払いを務めている者です。……姫様が軍を率いて、すぐそこまで来ています。じきにこの街に平和が戻る。あと一踏ん張りです」
それだけ言い残し、誠一は再び風となって消えた。
後には、絶望の火を希望に書き換えられた冒険者たちの顔と、無残に両断されたオーガの骸だけが残された。
**
北西地区へ近づくにつれ、空気の質が劇的に変わった。
重い。
物理的な圧力が、肌にピリピリと突き刺さるような感覚。
ズズゥゥン……! バキバキバキッ!
巨大な質量が家屋を押し潰す轟音。
誠一の視界に、破壊された城壁の瓦礫を蹂躙する、三つの巨影が飛び込んできた。
岩石を思わせる灰色の皮膚。
不自然に長い腕。
そして、周囲の空間を物理的に歪ませるほどの強烈な重力波を放つ怪物。
「やっぱり、あいつらか」
試練の迷宮第七階層の住人、重力使いの巨人『グラビトロール』。
それが三体。
城壁を粉砕した元凶たちが、建物を積み木のように叩き壊し、破壊の範囲を広げている。崩落の轟音と暴力的な風圧が、誠一の頬を激しく叩いた。




