第42話 互角の攻防
誠一と、突如現れた侵入者――魔族の男は、互いに切っ先を向け合ったまま、凍りついたように静止していた。
男の姿は、まさしく異形であった。
燃え盛るような赤髪に、凝固した血液を思わせる赤黒い肌。
上半身は剥き出しだが、その筋肉は鋼鉄のワイヤーを束ねたように引き締まり、不気味な紫色の血管が地図のように浮き上がっている。
元は人間だったというが、爬虫類のように縦に裂けた瞳孔に、もはや人としての理は微塵も残っていなかった。
「せっかくだからよ、名前くらい聞いておいてやるよ。殺した後、冥土への土産に覚えておいてやるからな」
男は逆手に持ったダガーを指先で弄びながら、嗜虐的な笑みを浮かべた。
誠一は一分の隙もない構えを維持し、静かに応じる。
「俺の名は誠一だ。あんたの名は?」
「俺か? 名前なんざ疾うに捨てちまったが……人間だった頃はゴルドって呼ばれてたな」
ゴルドは過去を懐かしむように、だが吐き捨てるような口調で語り出した。
「あの頃は最悪だったぜ。しがないチンピラでよ、弱い奴から小銭を巻き上げちゃあ、上役に貢ぐだけの惨めな毎日だ。……だが、魔族に生まれ変わって世界は一変した」
ゴルドの全身から、どす黒い闘気が陽炎のように立ち昇る。
「信じられるか? ある日突然、内側からとんでもねえ力が湧いてきたんだ。俺を顎で使ってた偉そうな連中を、片っ端から引き裂いて、食ってやった! あの時の喉越しの良さ、溢れ出る全能感……ありゃあ、最高だったぜ」
恍惚とした表情を浮かべるゴルド。
彼は力に溺れ、暴力と殺戮を至上の快楽とする怪物に成り果てていた。
「あんたもどうだ? 魔族にならないか。その素質なら、俺なんかよりずっと強くなれる。虫けらみたいな人間どもを好きなだけ蹂躙できるんだぞ? 楽しいぜぇ、世界が変わるぞ」
それは、底知れぬ悪意を孕んだ悪魔の誘惑。
だが、誠一の瞳に揺らぎが生じることはなかった。
「あいにくだが、俺は修行で得た力を、困っている誰かを助けるために使うと決めている。……魔族になるつもりはない」
「……ケッ、つまんねえ野郎だな」
ゴルドは退屈そうに鼻を鳴らし、再びダガーを低く構え直した。
「まあいいさ。俺は強え奴と殺し合いができるなら、それだけで――」
「魔族に堕ちたクズめ! 死をもって償え!」
会話の隙を突き、マリーヌを護衛していた近衛騎士の一人が弾かれたように飛び出した。王国騎士団でも屈指の実力者による、渾身の突き。
狙いは一点、ゴルドの心臓。
だが、ゴルドは避けなかった。
避ける必要すらないと、嘲笑っていた。
ガキィンッ!!
肉を刺す音ではない。
分厚い鉄板をハンマーで叩きつけたような、硬質な音がホールに響き渡った。
「な、……馬鹿なっ!?」
近衛騎士の手首が痺れ、愛剣が無様に弾かれる。
魔族へと変貌を遂げたゴルドの皮膚は、すでに伝説の金属オリハルコンにも匹敵する強度を得ていたのだ。
「いい太刀筋だが、軽いんだよ」
「ぐっ、……ぁあああああああ!?」
ゴルドの太い指が、騎士の顔面を鷲掴みにした。
メリメリ、と骨が軋む不快な音が響く。万力のような握力が、騎士の兜ごと頭蓋骨を粉砕せんと食い込んでいく。
「潰れろ」
殺す。
その明確な意志が指先に込められた、その刹那――。
ドォンッ!!
空気を爆発させるような踏み込み音と共に、誠一の姿が掻き消えた。
スキル《瞬足》。
「――ッ!?」
ゴルドが反射的に騎士を突き放し、大きく仰け反る。
直後、彼が先ほどまで腕を置いていた空間を、『白兎牙』の白刃が疾風のごとく駆け抜けた。
「おっと、危ねえ……。危うく腕を切り落とされるところだったぜ」
ゴルドが頬を引きつらせながら、数メートル後方へ着地した。
その腕には、うっすらと赤い線が走っている。鋼鉄の皮膚を持つ彼に対し、誠一の一撃は明確に「切断」の威力を届かせていた。
「今の一撃を躱すか……」
誠一もまた、微かに目を見開いた。
迷宮の主ですら反応できなかった己の速度に、この男はついてきたのだ。
***
「ハハッ! やるなぁ――お前、マジでつえーよ!」
「……っ!」
合図などない。
二人の姿が同時にブレ、衝突した。
キンッ!
ガガガガッ、キィン!!
刹那の間に、数十の火花が玉座の間に散る。
誠一の神速の剣戟と、ゴルドの変幻自在なダガー捌き。
あまりの速さに、周囲にはもはや剣の軌跡すら見えない。ただ、轟く衝撃波と金属音だけが、そこで凄絶な死闘が行われていることを証明していた。
「速すぎる……」
マリーヌ姫も、近衛騎士たちも、身動き一つ取れなかった。
助太刀など不可能だ。
不用意に近づけば、その戦闘の余波だけで細切れにされる。
次元が違いすぎた。
(強い。だが――)
激しい攻防の渦中で、誠一は冷静に敵を見切っていた。
ゴルドは確かに速く、硬い。
だが、その動きは本能に任せた荒削りなものだ。
対して誠一には、長い年月を共にしてきた「剣術」、そして「剣聖」というスキルに裏打ちされた盤石の「理」がある。
徐々に、誠一の剣がゴルドの領域を侵食し始める。
「チッ!」
ゴルドが焦りを覚え、バックステップで大きく距離を取った。
その僅かな隙を、誠一は見逃さない。
(スキルポイント使用。アイテム取得――《鉄の剣》)
虚空から取り出した一振りの剣に、誠一は自身の闘気を濁流のように注ぎ込んだ。刀身が青白く発光し、大気を震わせる唸りを上げる。
「――《闘気剣》!」
誠一の手を離れた剣が、尾を引く流星となってゴルドへ殺到した。
「ぐっ、がはっ……!?」
反応が遅れたゴルドの腹部に、光り輝く剣が深々と突き刺さる。
自慢の硬度を誇る皮膚も、凝縮された闘気の貫通力には耐えられなかった。
動きが止まる。
その一瞬があれば、彼には十分だった。
誠一はすでに、音もなく懐へと潜り込んでいる。
「終わりだ」
『白兎牙』が煌めく。
一閃、二閃、三閃――。
《斬撃》の三連撃。
ズシュッ、ズパンッ!!
首、胴、そして右足。
人体における急所と機動の要が、同時に両断された。
「あ……?」
ゴルドの視界が回転する。
宙を舞った己の首が、床に転がる自らの胴体を見下ろした。
何が起きたのかを理解する間もなく、魔族の男の意識は、永遠の闇へと落ちていった。
ドサリ。
物言わぬ肉塊が崩れ落ち、玉座の間に重く深い静寂が戻った。




