第40話 討ち死に
「どなたかは存ぜぬが、今の助太刀……心より感謝する!」
城門の守備隊を束ねる部隊長と思しき男が、肺を焼くような荒い息を吐きながら誠一へと駆け寄った。
彼の銀の鎧はあちこちがひしゃげ、返り血と煤で無惨に赤黒く染まっている。
その眼窩は深く落ち込み、極限の疲労を物語っていたが、指揮官としての意志の光だけは辛うじて繋ぎ止められていた。
「しかるべき報奨は必ず……。冒険者殿とお見受けするが、厚かましくも更なる頼みがある。城の上層階へ向かい、侵入した魔物どもを討伐してはくれまいか。ここが破られた際、かなりの数が上へと抜けてしまったのだ」
誠一は瞬時に現状を整理する。
城下の惨状も看過できないが、今は指揮系統の心臓部である王城の陥落を阻止するのが先決だ。
ここで中枢が潰れれば、この国そのものが瓦解する。
(まずは要人の安全を確保し、組織的な反撃の基盤を作る。救助活動はそれからだ)
方針を固めた誠一は、部隊長の目を真っ直ぐに見据えて力強く頷いた。
「承知しました。……では、ええと」
承諾の言葉を口にしながら、誠一は傍らの静へと視線を流した。
一瞬、胸をよぎったのは、彼女の「立場」への懸念だ。
静は、禁忌の魔法の使い手として、この国の地下牢に幽閉されていた身。十カ月という月日が流れたとはいえ、看守たちが彼女の顔を覚えている可能性は否定できない。
部隊長もまた、誠一の視線を追って静へと目を向けた。
「そちらの御婦人は……貴殿の連れですかな?」
値踏みするような視線。
だが、そこに「罪人を疑う」ような色は微塵もなかった。
誠一は内心で、安堵と共に奇妙な感慨を覚えた。
(……そうか。あの時の神代さんは、全身に包帯を巻かれ、死に瀕した抜け殻のような姿だったからな)
今の静は、ポーションでの怪我の回復と、迷宮での過酷な日々を経て、その肌には瑞々しい血色が戻っている。
衣服も、誠一が《劣化交換》で手に入れた、この世界の冒険者服だ。
かつての「包帯塗れの罪人」と、今の静が同一人物であると結びつける者は、この混乱の中には誰一人としていなかった。
「彼女は俺の信頼する仲間です。同行の許可を」
「うむ、無論だ。貴殿のような達人の連れならば、戦力としてこれ以上なく心強い」
部隊長は二つ返事で承諾した。
王都の防壁が食い破られ、城内にまで魔物が溢れているこの非常事態だ。素性調査などという贅沢な手間をかけている余裕など、今の彼らにはないのだろう。
「案内役を付けよう。――おい、貴様! 彼らを姫様の元へお連れしろ!」
***
「あ、案内します! こちらへ!」
指名されたのは、まだ頬に幼さが残る年若い兵士だった。
彼は、先ほどの誠一の鮮やかな戦いぶり――
オーガを一撃で屠った神業を間近で目撃していた。その瞳には恐怖ではなく、伝説の英雄を仰ぎ見るような純粋な憧憬が宿っていた。
誠一と静は、若い兵士の背を追って、血の匂いが漂う城の回廊を駆け上がった。
ガシャーン!!
階上へ進むにつれ、装飾品が砕け散る不吉な音が頻繁に響くようになる。
吹き抜けの窓が次々と破壊され、そこから冷たい夜風と共に、翼を持つ魔物たちが執拗に侵入してきているのだ。
「キシャアアアアッ!」
石造りのガーゴイルの群れが、天井付近を不気味に滑空し、鋭い爪を立てて急降下してくる。
「伏せて!」
誠一は鋭く叫ぶと同時に、腰の『白兎牙』の柄を掴んだ。
スキル《抜刀術》、そして物理的な障壁を貫通する《鎧通し》――。
一閃。
放たれた真空の斬撃が、狭い廊下を縦断するように疾走する。
迎撃の暇さえ与えられず、ガーゴイルたちは空中で上下に両断され、ただの無機質な石塊となって床に転がった。
「す、凄い……一撃で……」
案内役の兵士が、自身の目を疑うように息を呑む。
誠一は刀身の血振るいもそこそこに納刀し、静かに先を促した。
四階への踊り場に差し掛かった時、それまでとは次元の違う激しい剣戟の音と、男たちの断末魔に似た怒号が耳を打った。
「押し返せ! ここを抜かれたら、姫様の御前まで一本道だぞ!」
「くそっ、このデカブツ……剣が通りやがらねぇ!」
階段の上から、重装甲の魔物が雪崩のように押し寄せ、防衛線を死守しようとする兵士たちを無慈悲に圧殺しようとしていた。
「神代さんは、ここで待機を――」
「はい!」
誠一は短く告げると、手すりを蹴って空中に躍り出た。
滞空する一瞬の間に、彼は眼下の戦場を完全に掌握する。
「《空波斬》!」
まずは遠距離攻撃で、雑魚の掃討。
不可視の衝撃波が先頭の小型魔物たちを両断し、密集していた敵陣の連携を強制的に分断する。
着地と同時に、誠一の姿が掻き消えた。
「――《瞬足》」
爆ぜるような風圧だけを残し、誠一の肉体は敵陣へと瞬時に潜り込む。
兵士と交戦中だった魔物の背後に音もなく現れると、再び白刃が閃いた。
神速の居合いが、魔物たちの首を、物理法則を嘲笑うような角度で次々と刎ね飛ばしていく。
「ゴガァッ!?」
反応する暇もなく、崩れ落ちる亡骸の山。
だが、その奥にはさらに厄介な強敵が控えていた。全身を岩石で編み上げたゴーレムと、かつての英雄の残留思念を宿したリビングアーマーの重装歩兵。
「岩だろうが鋼だろうが同じことだ」
誠一はゴーレムに対し、正眼から真っ直ぐに切っ先を突き出した。
「《鎧通し》」
物理的な硬度を無効化し、衝撃を対象の内部へと直接浸透させる。
核を粉砕された岩の巨人は、支えを失った砂の城のように、音を立てて崩壊した。
次は、呪われた鋼鉄の騎士。
「《斬鉄》」
キィィィィン!!
鼓膜を劈くような金属音。
分厚い大盾ごと、リビングアーマーが斜めに両断された。その切断面は鏡面のように滑らかに磨き上げられ、摩擦熱で赤熱したように発光している。
誠一がこの場に介入してから、一分にも満たない。
階段を埋め尽くしていた死の軍勢は、文字通り「壊滅」していた。
静寂が戻り、ただ誠一の静かな呼吸の音だけが響く。
呆然と立ち尽くす兵士たちは、自分たちを救った「黒髪の中年男性」を、畏怖の眼差しで見つめることしかできなかった。
「……な、何者だ? 貴殿は……」
返り血で顔を汚した小隊長が、震える声で問いかけた。
誠一が答えるより早く、後ろから息を切らせて追いついてきた案内役の若い兵士が、まるで自分の手柄であるかのように誇らしげに叫んだ。
「この方は、さすらいの剣士様です! この国の窮状を見かねて、加勢してくださっています!」
(……つい先ほどまで、この城の真下にいた『地下牢の囚人』なのだがな)
誠一は心の中で皮肉な苦笑を漏らしたが、それを表に出すことはなかった。
今の彼らが必要としているのは「真実」ではなく、すがりつくための「希望」なのだから。
「誠一……と申します」
「セイイチ殿か。聞いたこともない名だ。もしや、異世界人か? 」
小隊長は独り言のように呟いたが、すぐに首を振って己の思考を打ち切った。
今は正体を詮索している時ではない。
「誠一殿。どうか、我が国の姫様……王女殿下の下へ向かっていただけませんか。貴殿ほどの武威があれば、我らも……前を向ける。どうか、ご助力を」
縋り付くような、必死の懇願。
誠一は深く頷き、ふと心に浮かんだ違和感を口にした。
「構いません。ですが……「王女殿下の下に」ですか、国王陛下は今どちらに?」
一国の最高権力者であり、精神的支柱であるはずの王の不在。
その問いを投げかけた瞬間、小隊長の顔が耐え難い苦痛に歪んだ。彼は数秒の重苦しい沈黙の後、絞り出すように真実を告げた。
「王は……。我が主は、すでに崩御なされた」
「……なっ」
「押し寄せる魔物の大群を食い止めるべく、自ら前線に出られ……討ち死になされたのだ。今は、姫様が全軍の指揮を執っておられる」
冷たい風が、廊下を通り抜けていった。
王が死んだ。
それは、この国の状況が「危機的」という段階を超え、「滅亡」の縁にあることを意味していた。
誠一は背筋を正し、事態の深刻さを改めて認識する。
これは、ただの魔物退治ではない。
崩壊寸前の国家を支える、負けられない戦いなのだと。




