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第33話 戦うという決断

 氷の冷気が支配する地下六階層の片隅。


 二人は揺らめく焚き火を囲み、自らの過去をさらけ出し合った。オレンジ色の炎がパチパチとはぜるたびに、石壁に映る二人の影が歪に伸び縮みする。


 誠一は静の話を、肺の奥が重くなるような沈黙と共に受け止めていた。


 彼女が『禁忌』とされる魔法を取得できる理由。


 それは彼女自身が先天的に邪悪だからではない。

 あまりに深い悪意に晒され、理不尽に日常を奪われたことで、彼女の魂が「この世界の理」から逸脱するほどの強い負のエネルギーを溜め込んでしまったのだ。


 同じく冤罪によって世界を呪った経験を持つ誠一には、それが痛いほど理解できた。


「……だから。私の願いは……『復讐』なんです」


 これまであえて踏み込まなかった、彼女の願いの本質。

 静は、絞り出すような声で自分からそれを打ち明けた。誠一は、彼女の心の奥底に沈殿していた濁りを見つめるように、穏やかな声で問いかける。


「復讐、というと……具体的にどうしたいのか、イメージはあるかな?」


「……自分でも、分からないんです。ただ、あの光る石に触れた瞬間、私の中にあった『あいつに同じ苦しみを、報いを受けさせたい』という想いだけが、制御できないほど膨れ上がって。……この世界に来てから、復讐なんて一度も考えたことなかったはずなのに。私の心の底には、そんな真っ黒な願いが……ずっと、隠れていたみたいです」


 静の声には、激しい怒りよりも、自分自身の内側にあった暗部への悲しみと戸惑いが滲んでいた。


(それ自体は、不自然なことじゃない。家族を殺されたんだ、憎まない方がどうかしている。だが……)


 誠一の胸に、拭いきれない懸念が過った。


 静の願いが「報い」という抽象的な形であること。

 そして、第十階層という途方もない深淵。


(個人一人に報いを受けさせるために、それほど巨大なエネルギーが必要なのか? あるいは、その報いの「規模」が、俺たちの想像を絶するものなのか……)


 だが、今ここで彼女を否定することはできない。

 誠一は彼女の隣に並び、再び共に歩むことを静かに決意した。



 ***


 地下六階層の攻略は、困難を極めた。


 地図を埋め、ついにボス部屋の巨大な扉を発見した二人は、重いリュックを背負い直して最終局面へと向かった。


 道中のフロストリザードは誠一の剣で難なく討伐できたが、ボス部屋に踏み入った瞬間、これまでにない濃密な死の気配が誠一を襲った。



 ***


 戦闘開始から、すでに一時間が経過していた。


 六階層の最深部を揺るがす死闘。

 だが、戦況は誠一にとって極めて不利な「膠着」に陥っていた。


 優位に立っているのは、この部屋の主――

 フロストリザード・ロード。


 その巨躯から絶え間なく吐き出される極低温のブレスは、空間の概念を書き換えるように部屋を凍てつかせていく。


 壁も天井も分厚い氷に覆われ、石造りの床は鏡のような氷原と化した。

 誠一は『踏破』スキルを駆使してなお、予測不能なスリップに神経を削られる。


 吸い込む空気は、肺胞を直接刃で切り裂くような鋭い痛みを伴った。

 剣を振るたびに、冷気で硬直した関節がギチギチと悲鳴を上げる。筋肉は鉛のように重くなり、意識の端々から感覚が消えていく。


「くっ……。身体の感覚が……!」


 誠一には『体力増強』のスキルがある。

 高レベルに育ったその恩恵は、彼のHPを巨獣並みに引き上げ、本来なら一分と持たずに凍死する環境下で、彼を戦わせ続けていた。


 だが、「耐えられること」は「勝利できること」と同義ではない。

 

 極限の寒さは確実に誠一の反応速度を奪っていた。

 渾身の力で振り下ろした白兎牙が、氷の鱗に弾かれる。その隙を突いた尾の一撃が、誠一の脇腹を容赦なく叩きつけた。


「がはっ……!」


 凍った床に誠一が膝をつく。

 滴り落ちる血は、地面に触れた瞬間に赤黒い氷片となって砕け散った。


 フロストリザードの蒼い瞳が、獲物の最期を見定めるように冷酷に輝く。

 誠一は震える手で剣を構え直すが、すでに指先の感覚はなく、ただ意志の力だけで柄を握っていた。


(このままでは……。『剣聖』となってなお、こいつには届かないのか……!)


 焦燥が、冷気よりも深く誠一の心を侵食し始める。

 守らなければならない少女が、すぐ後ろで見ているというのに。


 部屋の外で待機していた静は、絶望的な光景に呼吸を忘れていた。


 誠一の肩が上下するたびに吐き出される、痛々しいほどに白い息。

 自分を助けてくれた、あの温かく強い背中が、今にも氷の山に埋もれて消えてしまいそうだった。


 その光景が、かつて燃え盛る自宅で、炎に巻かれて消えていった家族の記憶と残酷にリンクする。


(嫌だ。……もう、誰かがいなくなるのを、黙って見ているのは……!)


 静の目から、熱い涙が溢れた。

 それは頬を伝うそばから凍りつき、小さな粒となって足元に転がる。


 彼女は、自分の無力さを呪うのをやめた。

 呪う代わりに、覚悟を決めた。



 ***


 静はゆっくりと、ボスの君臨する極寒の大広間へと足を踏み入れた。


 彼女はこの半年間、誠一に負担をかけまいと必死でポイントを使い、多くの補助スキルを取得してきた。

 足音を消す『静歩』、悪路を行く『踏破』、気配を断つ『隠蔽』、そしてダメージを無効化する『障壁』。


 彼女には、この極寒の戦場に立つ資格はすでに備わっていたのだ。


 だが、それだけでは足りない。

 彼を救うには、敵を滅ぼす「力」が必要だった。


 静は震える指先で、自身のステータス画面を呼び出した。

 そこには、召喚以来一度も触れることのなかった、どす黒い輝きを放つスキル項目が並んでいる。


(禁忌……。これを使えば、私はもう、普通の人には戻れないかもしれない。……あの子と同じ、人殺しの怪物になるのかもしれない。……でも)


 崩れ落ちそうな誠一の背中を見つめ、静の迷いは消えた。

 たとえ魂が汚れようとも、自分を救ってくれたこの人を死なせるわけにはいかない。


「……お願いします。……私に、小山内さんを助ける力を!」


 静は、システムからの警告音を無視し、最も深い闇に沈むそのスキルを選択し、ポイントを注ぎ込んだ。


 ――取得:【漆黒天穹しっこくてんきゅう


 その瞬間、静の周囲から色が消えた。

 氷の白でも、炎の赤でもない。すべてを呑み込み、光さえも届かない絶対的な「無」の闇。それをほんの少し引き出すすべを彼女は身に付けた。


「小山内さん……。もう、大丈夫です」


 その声は、震えていなかった。

 迷宮の冷気さえも凍りつかせるような、深淵からの響き。


 『禁忌』を纏った少女が、誠一を守るために、神をも恐れぬ一歩を踏み出した。

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