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第32話 逆恨みの刃

 氷の冷気が立ち込める第六階層の拠点。


 パチパチとはぜる焚き火の音だけが響く中、静は視線を落としたまま、ぽつりぽつりと自らの「終わり」の物語を話し始めた。


 その記憶の糸を辿る指先は、時折、思い出される恐怖に小さく震えていた。


 始まりは、どこにでもある幼馴染との日常だった。

 家の近所に住んでいた同い年の少女、日置佳乃ひおき かの


 小学校低学年の頃、二人はお互いの家を行き来する程度には仲が良かった。

 放課後の公園での鬼ごっこ、夏休みの眩しいプール、互いの家で夢中になった漫画やゲーム。その頃の記憶の中にある日置は、間違いなく「友人」と呼べる存在だったはずなのだ。


 だが、成長と共に、その関係に形容しがたい歪みが混じり始める。



 ***


 中学生になる頃から、日置は静に対して執拗にある男子生徒の「悪口」をこぼすようになった。


「アイツ、テストの点数低すぎて引くよね。バカじゃないの?」

「さっきもキモい目で見られた。本当に生理的に無理」


 日置は会うたびに、その男子を蔑み、嘲笑った。

 静は、なぜ彼女がそこまで彼に執着して悪口を言うのか理解できなかったが、否定して機嫌を損ねるのも面倒で、「へぇー、そうなんだ」と適当な相槌を打つしかなかった。


 それが、彼女なりの「友人としての付き合い」だった。


 異変が決定的なものとなったのは、中学三年生の冬。

 高校進学を控え、それぞれの道が分かれようとしていた時期。日置が「キモい」と蔑んでいたあの男子から、静は突然の告白を受けた。


 静にとって彼はただのクラスメイトの一人でしかなく、当然、その想いに応えることはなかった。彼女はその場で丁寧に断り、それでこの一件は終わったものと信じていた。


 だが、それは静の知らないところで、どす黒い怨念へと変質していた。



 ***


 どこから漏れたのか、日置は「静が告白されたこと」を知った。

 彼女は激昂し、周囲に信じがたい嘘を触れ回り始めた。


「私はずっと、あの人のことが好きだって静に相談してたのに。あの子、私を励ますふりをして、裏で彼を誑かしてたんだよ。最低じゃない?」


 人づてにその話を聞いた静は、眩暈を覚えた。


 恋愛相談など一度も受けていない。

 聞かされていたのは、耳を覆いたくなるような罵詈雑言ばかり。しかし、日置の中で真実はすり替えられ、静は「親友を裏切った稀代の悪女」に仕立て上げられていた。


 日置は決して静の目の前には現れなかった。

 ただ、女子グループの影で、巧妙に脚色した「悲劇」を語り続けた。


 静は次第にクラスから浮き、かつての友人たちは去っていった。

 直接的な嫌がらせはなかったが、背中に刺さる冷たい視線が、彼女の精神をじわじわと削っていく。


(高校になれば、もう彼女とは会わなくて済む。あと少しの辛抱だ)


 そう自分に言い聞かせ、静は耐え続けた。だが、日置の狂気は高校が分かれた程度で収まるものではなかった。



 ***


 高校二年生の、ある真夜中だった。


 猛烈な喉の渇きと、異様な熱気で目を覚ました。

 寝室のドアを開けた瞬間、視界を埋め尽くしたのは、轟々と音を立てて燃え盛る紅蓮の炎だった。


「お父さん! お母さん!」


 狂ったように叫んだが、返ってくるのは火の粉がはぜる不気味な音と、崩落する家鳴りだけ。廊下の向こう、両親の部屋はすでに火の壁に遮られ、近づくことすら叶わなかった。


 死の影が迫る中、静は駆けつけた消防隊員によって窓から救い出された。

 だが、奇跡的に命を繋ぎ止めた彼女を待っていたのは、地獄よりも過酷な現実だった。


 全身を焼く激痛。

 治療のために無惨に切り落とされた髪。


 そして何より――

 「生存者は、君一人だけだ」という非情な宣告。


 病院のベッドの上で、包帯に巻かれた静は廃人のようになった。

 家族を失い、家を失い、自分の容姿さえも失った。生きている意味などどこにもない。ただ闇の中で、死が自分を迎えに来るのを待つだけの毎日だった。



 ***


 そんなある日。


 面会謝絶が続く病室の静寂を破り、その影は現れた。

 気配で目を覚ますと、ベッドの脇に一人の少女が座っていた。


 日置だった。


 彼女は、かつて見せたことのないほど明るく、それでいて底知れぬ憎悪を孕んだ笑みを浮かべていた。


「あんたさぁ、どれだけ私が○○君のこと好きだったか知ってる? あんたがあの人を振ったって聞いた時、私の心にどれだけ穴が開いたか分かる?」


 日置の声は、まるで恋物語を語るように穏やかだった。


「信じてた親友に裏切られた私の気持ち、あんたには一生分かんないよね。……だからさ、あんたの家に火をつけてあげたの。家族もろとも、全部燃えてしまえばいいと思って」


 静の全身から血の気が引いた。

 両親を殺したのは、目の前にいる、かつての友。

 

「でもあんた、運良く生き残っちゃうんだもん。……仕方ないから、私がトドメを刺してあげる」


 日置はカバンから、一振りの包丁を取り出した。

 蛍光灯の青白い光を反射する刃が、逆手に握られ、高く振り上げられる。


 叫ぼうとしても、声が出ない。

 逃げようとしても、火傷の残る身体は金縛りにあったように動かない。


 冷たい鉄の閃光が、自分の命を刈り取りにくる――

 その、絶望の刹那。


 目の前が、真っ白な光に塗り潰された。



 ***


「……気づいたら、私はもう、あの病室にはいませんでした」


 静は語り終え、膝の上で組んだ手を震わせた。


「召喚された先で、私は泣き崩れました。殺される恐怖から逃げられた安心感と……家族を殺したあの子が、まだあっちの世界で普通に暮らしているという、やりきれない怒りで……」


 誠一は、奥歯を噛み締め、拳を血が滲むほど強く握りしめた。


 あまりにも理不尽だ。


 自分の家族を奪ったのも強盗という「他人」だったが、静の場合は「歪んだ愛憎を抱いた知人」だ。


 どちらにせよ、そこに正義など微塵もありはしない。


「……君が、そんな地獄を。……許せないな、それは」


 誠一の低い声が、迷宮の空気をピリリと震わせた。

 静は驚いたように顔を上げた。誠一の瞳には、かつてないほどの怒りと、それ以上に深い、静への共鳴の涙が浮かんでいたからだ。


「神代さん。……君がここに呼ばれたのは、きっと神様の気まぐれじゃない。そんな状況から、君を救い出すための必然だったんだと、俺は信じたい」


 誠一は焚き火の薪をくべ直した。


 静が地下牢に放り込まれた理由――

 それは、あまりに強大で純粋な「憎悪」と「被害」の因果が、彼女の中に『禁忌』と呼ばれるほどの強力な力を芽生えさせてしまったせいだろう。


「話してくれて、ありがとう。……もう、その重荷を一人で背負うことはないよ」


 静は、誠一の言葉を噛みしめるように、大きく頷いた。

 焚き火の光が、彼女の瞳から溢れた大粒の涙を、宝石のように輝かせていた。

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ツンギレ系メンヘラ女が幼馴染かぁ……
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