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第28話 少女の願い

 静の大きな瞳が、「願いを叶えてくれる迷宮」という誠一の言葉に、初めて強い光を宿した。

 だが、その唇からこぼれた言葉は、誠一の胸を鋭く締め付けるものだった。


「あの……。それなら、殺された私の家族を……お父さんとお母さんを、生き返らせることはできますか?」


 切実な、祈るような問いかけ。

 やはり彼女も自分と同じだったのだ。何者かによって理不尽に日常を奪われ、家族の温もりを奪われた犠牲者。


(……どうりで、死人のような顔をしていたわけだ)


 誠一は、目の前の少女に対して、同情という言葉では足りないほどの強い共感を覚えた。もしできることなら、「できる」と言ってやりたかった。


 だが、二十六年の月日は彼に、迷宮の「限界」も教えていた。


「……すまない、神代さん。俺も、かつて同じことをあの石に尋ねた。殺された俺の家族を生き返らせてくれって。……でも、それは無理だと言われたんだ」


 誠一が静かな、しかし隠し立てのない事実を告げると、静の瞳に灯りかけた光は、潮が引くようにゆっくりと失われていった。


「そう……ですか……。それじゃあ、もう、私に叶えたい願いなんて……。何のために、ここに……」


 力なく項垂れる彼女に、誠一は何とか希望の欠片を渡そうと、言葉を絞り出す。


「俺も、最初はそう思った。それ以外に、願うことなんて何もない、と――でも、あの石に触れた時、自分でも気づいていなかった心の奥底の願いが……引きずり出されるように浮かび上がってきたんだ。――君の中にも、まだ君自身が気づいていない、明日を生きるための願いがあるかもしれない」


 静にとって、誠一は命を救い、傷を治してくれた絶対的な恩人だ。

 そして何より、自分と同じ「家族を失った痛み」を背負う戦士。その彼の言葉には、どんな高名な聖者の説法よりも重みがあった。


「……あの。では、私をそこまで連れて行ってもらえますか?」


 絶望の淵にいた少女が、僅かに顔を上げた。

 こうして誠一は、今しがた抜けてきたばかりの道を、今度は少女を伴って引き返すことになった。



 ***


 洞窟を奥へと進むにつれ、周囲の景色は再び変容していく。

 人工的に削り出された無機質な岩肌は、迷宮の意志が宿ったかのように滑らかな曲面へと変化し、壁面には淡い燐光を放つ鉱石が点在し始めた。


「そうだ。足元は大丈夫かい? 急な傾斜や滑りやすい場所があるから」


 誠一には『暗視』と『踏破』のスキルがある。

 闇は白日のように明るく、どんな悪路も平地のように歩ける超人だ。


 だが、隣を歩く静は、つい先ほどまで死にかけていた普通の女子高生。

 その歩幅は小さく、頼りなげだ。


「はい……。少し滑りますけど、大丈夫です」


 彼女は前を歩く誠一を頼りに、一歩ずつ慎重に進んでいく。

 誠一は、迷宮に入ったばかりの頃の自分を思い出していた。当時は自分もこの闇に怯えながら、一人でこの道を通ったものだ。


(そうか。俺一人ならスキルで十分だが、この子が同行するなら、拠点の備品をもう一度整理しなきゃな)


 暗視スキルを得てからは邪魔だと思って拠点に放置していたランタンや、調理器具、そして予備の防寒着。それらをもう一度取得(交換)し直す必要があるだろう。これからは「二人」での迷宮生活が始まるのだから。


 そんな準備計画を頭の隅で練っているうちに、二人は願いを叶える大石の間へと辿り着いた。



 ***


 静かな空間の中心に、鎮座する巨大な光の大石。


 それは無機物でありながら、どこか雄弁な「知性」を感じさせる威容を誇っていた。岩肌を走る紋様が、心臓の鼓動のようにゆっくりと明滅し、訪れた者の魂を値踏みしているかのようだった。


 静は、その神秘的な輝きに引き寄せられるように、一歩、また一歩と近づいていく。誠一はその細い背中を見つめながら、かつて自分がこの石に触れた時のことを追体験していた。


 少女が、そっと震える指先を石の表面に滑らせた。

 触れた瞬間、空間全体が眩いほどの白銀に染まる。


「……ああ、そうか。……私は、そうしたかったのね」


 静の口から、掠れた独白が漏れた。


 誠一の耳には、石の語りかける『汝の願いを言うがよい』という声は聞こえていない。だが、静の表情を見れば分かった。彼女は今、自分自身の心の深淵と対話しているのだ。


 石がひときわ強く脈動し、轟音と共に地の底が震えた。


 これまで何もなかったはずの奥の壁。

 そこが物理的な法則を無視して左右に割れ、再び、あの終わりのない奈落――地下迷宮へと続く入り口が口を開けた。


 静はしばらくその黒い穴を見つめていた。


 かつてなら恐怖に足をすくませたであろう闇。だが、今の彼女の瞳には、微かな、しかし消えることのない意志の火が灯っていた。


 彼女はゆっくりと振り返り、誠一を見上げた。


「……小山内さん。あの……。ここから先も、一緒に行ってもらえますか?」


 その声は震えていたが、そこには明確な「信頼」と「依頼」が込められていた。

 誠一は、僅かに微笑んだ。


「ああ、もちろんだ。約束したからね」


 迷いはない。


 かつて復讐のために、絶望のために捧げた二十六年。

 だがこれからは、目の前の少女が「願い」に辿り着くための剣になる。それが、この理不尽な世界で生き延びてしまった、自分の新たな生きる意味だと、彼は確信していた。


「行こう。君の願いを、一緒に叶えに」


 誠一は静の隣に並び、再び迷宮の奥底へと歩み出した。

 背負ったリュックの重みは、不思議と以前よりも軽く感じられた。

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