第23話 第二階層
迷宮の第二階層。
新たな拠点に腰を据えた誠一は、本格的な探索へと乗り出した。
まずは拠点を起点として、広大な大広間の側面を舐めるように進む。
『遠視』と『暗視』のスキルを重ねがけした彼の視界は、暗闇を拒絶し、数キロ先まで白日の下に晒している。
地面に等間隔で口を開ける巨大な竪穴。
その構造は一階層と酷似していた。
(……天然の洞窟じゃない。ここは明らかに、何者かの手によって『人を鍛えるため』に設計されている)
二十六年の月日が、誠一に迷宮の意志を感じ取らせていた。
構造に大きな変化がないのなら、この先に中ボスがおり、その奥にさらなる深淵へと続く道があるはずだ。
誠一は『静歩』を使い、幽霊のように足音を消して移動する。
だが、この階層の住人――
ストーンモールたちの、鋭敏な感知能力までは完全には欺けない。
――グオォォンッ!!
岩の巨塊が、猛烈な勢いで地面を削りながら突進してきた。
誠一は迷いなく、腰の『白兎牙』の柄に手をかける。
抜刀。
同時に『空波斬』を発動。
――ガコォォッ!!
放たれた衝撃波がストーンモールの分厚い岩の外郭を、まるで薄い殻を剥くように粉砕した。
剥き出しになった本体――柔らかい肉の塊が露わになる。
魔物は激痛に咆哮し、鋭い爪を振りかざして死に物狂いの反撃を試みた。
だが、誠一の時間はすでに加速している。
彼は一歩も引かず、上段から『白兎牙』を振り下ろした。
スキル『剣閃強化』。
視認不能な速度にまで加速された刃が、空気を焼き切りながら魔物を断つ。
――ザシュッ!!
手応えすら感じさせない、純粋な「切断」。
ストーンモールは、自分の身体がいつ分かたれたのかも理解できぬまま、静かに崩れ落ちた。
「……一階層の魔物よりは手応えがあるが、この程度か」
――圧勝。
しかし、戦闘の余波は静寂を破る。
岩の群れが、一斉に誠一の方を向いた。十数体ものストーンモールが、地鳴りを立てて四方から誠一を包囲し、退路を断つ。
「さて……まずは力押しで、どの程度いけるか試してみるか」
誠一は、二十六年かけて蓄積し続けた天文学的なスキルポイント(SP)に意識を向けた。
念じるのは、敵の数を上回る『鉄の剣』の取得。
空中に、次々と冷たい鉄の剣が実体化する。
その数、17本。
彼は空中に浮かぶ剣を、一つ、また一つと神速で掴み取る。
掴む瞬間に気力を流し込み『闘気剣』を作る。ただの鉄塊を「聖剣」にも等しい破壊兵器へと変質させ、順次投擲していく。
――シュッ、シュッ、シュッ!!
17本の剣を投げ終えるまで、わずか三秒。
闘気を帯びた剣は、ストーンモールの堅牢な外郭を豆腐のように貫通し、巨体を縫い止めるように地面へと突き刺さった。
静寂が戻る。
誠一を中心に、17の岩塊が無言で沈黙していた。
放置された死体は、やがて粒子となって迷宮に吸収されていく。
「帰りにまだ残っていたら、食料にでも変えるとしようか」
誠一は『白兎牙』に付着した僅かな塵を払い、そのまま竪穴の奥へと消えた。
***
書きかけの地図を更新しながら、誠一は洞窟の深部へと足を進める。
壁面を覆う湿った苔。
足元で砕ける岩片。
空気は次第に冷え込み、鉄錆に似た血の匂いが混じり始めていた。
辿り着いた奥の部屋。
そこには、通常種を一回り上回る体躯を持つ、中ボスクラスのストーンモールが鎮座していた。
その外郭は漆黒に染まり、結晶のように鋭い角がいくつも突き出している。
赤く爛々と輝く瞳が、誠一の侵入を冷酷に捉えた。
「やはりな、配置まで一階層と瓜二つだ」
誠一は、無造作に歩み寄る。
『静歩』で足音はないが、隠れるつもりもない。
ただ、散歩でもするかのように、無防備な姿で敵の懐へと入っていく。
黒きストーンモールは、誠一の底知れぬ気配に逡巡し、その巨体を僅かに震わせた。
その迷いこそが致命的だった。
敵が動きを固めるその刹那。
誠一の身体が、一瞬だけ「ブレた」ように見えた。
スキル『無拍子』。
動作の予兆、筋肉の収縮、重心の移動。
そのすべてを消去するこの技により、魔物は誠一が攻撃を開始したことさえ察知できなかった。
さらに、防御を紙のように扱う『鎧通し』と、一撃で命の糸を断つ『弱点看破』が、自動的に最適解の軌道を導き出す。
――抜刀。
音すら置き去りにした一閃が、黒い外郭を、その下にある急所を、正確無比に切り裂いた。
魔物は、断末魔を上げる時間すら与えられなかった。
巨体が地面に沈む地響きだけが、部屋の静寂に波紋を広げる。
「……ふぅ。これで、剣聖レベル2か。末恐ろしいな」
誠一は、沈黙した骸に手をかざし、『劣化交換』を執行した。
漆黒の体躯が淡い光に溶け、後に残されたのは一本の透明な液体――『ハイポーション』だった。
この二十六年、誠一はこの回復薬を数千本と飲み続けてきた。
その過程で、彼はこの薬の「真実」に気づいていた。
これは単なる傷を癒やす薬ではない。
『劣化交換』によって魔力の質を抽出されたこの雫は、細胞の老化を食い止め、磨り減った寿命を無理やり引き戻す「時間」の薬なのだ。
四十代で召喚されたあの日のままの姿。筋肉の張りも、視力の鋭さも、二十六年前より研ぎ澄まされているという皮肉。
外の世界では、自分はすでに「過去の人」にすらなっていないかもしれない。
召喚された転移者たちがどうなったのか、王国がどうなったのか。誠一には知る由もない。
だが、彼は今もこうして、変わらぬ姿で迷宮の奥を目指している。
「……これのおかげで、まだ挑戦できる」
誠一は冷たい液体を一気に飲み干した。
喉を通る清涼感が、身体の芯に熱を与え、蓄積した疲労を霧散させる。
澄み渡る意識。
軽くなる身体。
彼は『白兎牙』を鞘に納め、まだ見ぬ三階層への、そしてその先の「答え」への歩みを再開した。
淡い光苔に照らされた彼の背中は、もはや人間という種を越え、迷宮そのものと同化した武の化身のようにも見えた。




