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第22話 白兎牙

 誠一は、静寂の戻った大部屋で、討ち果たした迷宮一階層のボスを見下ろしていた。


 二十六年の執念が結実したその亡骸に歩み寄り、彼は静かに右手をかざして固有スキルを発動する。


「……劣化交換」


 淡く力強い光が、ボスの巨体を包み込んだ。

 一階層の全生命の頂点に立つ存在の肉と骨が、因果を逆行させるように解け、純度の高い魔力へと凝縮されていく。


 やがて、眩い輝きが収まったあとに残されていたのは、一振りの刀だった。


 刀の名前は――『白兎牙はくとが』。

 その名の通り、白兎の鋭い牙を思わせる白銀の刃を持ち、内に秘めた純粋な殺意を鞘の内に閉じ込めた業物。


 誠一は吸い寄せられるようにその柄を握り、ゆっくりと引き抜いた。


 美しい曲線を描く刃は、ボス部屋を僅かに照らす光苔を鏡のように反射し、冷徹な輝きを放っている。手入れの行き届いた日本刀特有の「重み」が、掌を通じて誠一の魂に直接語りかけてくるようだった。


 誠一のスキルリストには、習得以来、一度も「本領」を発揮できていないものがあった。


 それが『抜刀術』だ。

 これまでの直剣では、その構造上、鞘走りの加速を最大限に活かすことができなかった。


 だが、この刀があれば話は別だ。


 誠一は無意識に腰を落とし、手に入れたばかりの『白兎牙』を帯代わりのベルトに差した。


 そして、一閃。


 ――シュン。


 空気を切り裂く鋭い風切り音が、広大な部屋に響き渡った。

 これまで誠一が放ってきたどの斬撃よりも、初速が、そして「キレ」がある。刃が空間を断ったあと、一拍遅れて空気が破裂するような余韻が残った。


(……すごいな。迷宮の主を引き換えただけはある。刀を扱うのは初めてのはずだが、不思議としっくりくる。日本人としての本能だろうか)


 この刀を手に入れたことで、死蔵されていた『抜刀術』が『剣聖』の技と完全に融和した。誠一という戦士の「型」は、この瞬間、一つの完成を見たと確信できた。


 ボス部屋の奥、かつては閉ざされていた壁には、今や地下へと続く長い階段が口を開けている。


「さて、行くか。二階層……」


 誠一は入り口に置いていた荷物満載のリュックを背負い直すと、迷いなくその深淵へと足を踏み入れた。



 ***


 階段を降り切った先には、広大な空間が広がっていた。


 天井は遥か高く、見上げれば壁面には鉱石のような結晶が点在している。

 それらが微かな発光を放ち、淡い青や緑の光が岩肌に反射して、水底を歩いているかのような幻想的な陰影を生み出していた。


「雰囲気は一階層に近いが……空気の密度が違うな。重い」


 肌を撫でる冷気に混じる、魔力の濃度。

 そして何より一階層と決定的に違うのは、そこに潜む「捕食者」たちの性質だった。


 一階層の覇者が、速度と数で圧倒する『シャドーラビット』だったのに対し、二階層の支配者は、岩のような外殻を背負ったモグラ型の魔物――『ストーンモール』だった。


「なるほど。今度は防御力に特化したタイプか……」


 誠一は、岩陰に擬態して獲物を待つ一体を、遠くからじっと観察した。

 その体表はまるで高品質な鉱石が結晶化したかのように硬質で、並の剣士が切りつければ、火花を散らして刃が折れるのがオチだろう。


 もし、二十六年前の誠一がここへ迷い込んでいたなら、最初の敵で詰んでいたに違いない。力任せの斬撃では、傷一つつけることすら叶わない相手だ。


 だが、今の誠一は違う。


 彼はすでに『剣聖:レベル2』へと至っている。

 一階層の主という巨大な経験値を得てもなお、たった1レベルしか上がらなかったという事実は、このスキルの深淵がいかに深いかを物語っていた。


(レベル2でこれだけの全能感があるなら、レベルを上げていった先には、一体どんな景色が見えるんだろうな……)

 

 自身の持つ可能性に、喜びよりも畏怖に近い感情を抱きながら、誠一は周囲の「視覚情報」を精査した。


 岩壁の微かな隙間、天井の不自然な影、地面の僅かな亀裂。

 彼の持つ補助スキルの網は、擬態するストーンモールの魔力反応を冷酷なまでに暴き出していく。



 ***


 誠一は広場を慎重に横断しながら、敵の気配を読み取った。


 この階層の主役であるストーンモール。

 堂々と地上を闊歩する者もいれば、死んだフリをして岩に化ける者、あるいは地下数メートルに潜み、振動で獲物を感知しようとする者。


 だが、誠一には通用しない。

 長年の戦闘で研ぎ澄まされた勘に加え、彼には『魔力視』という異能がある。

 

 魔力視――。

 生物の根源たる魔力の流れを、熱源探知のように可視化する力。


 このスキル越しに見れば、岩に化けていようが土の下に潜っていようが、魔物の生命反応は闇夜の灯火のように鮮明だった。


 不意に、誠一の視線が一箇所の窪みに止まった。

 階段のすぐ近く、不自然に整えられた岩の壁と、その横に穿たれた小さな穴。


 一階層と同様に、迷宮が「探索者」を招き入れるかのように用意した居住拠点だった。


「……まずは、拠点を構えるとしようか」

 

 誠一は慣れた手つきで拠点の中へ入り、担ぎ続けていた重いリュックをドサリと下ろした。


 石造りのテーブルに道具を並べ、新しい「我が家」の構造を確認する。

 壁に彫り込まれた棚、冷たいが清潔な簡易ベッド、そして煤一つない焚火台。


「よし、とりあえず一階層の時と同じレイアウトにするか」

 

 調味料、使い古した調理器具、そして『劣化交換』で溜め込んだ保存食。

 最低限必要な物資だけを効率よく配置し、それ以外の「余剰資産」は丁寧に棚へと収めていく。


 一度にすべてを抱え込む必要はない。

 必要になったときに、この安全圏へ戻ってくればいいのだ。


 最後に、彼は一階層から使い続けている、手垢のついた紙とペンを手に取った。

 

「一階層の常識が、そのまま通用するとは限らない。まずは地道に、地図埋めからだな」

 

 この二階層の探索には、また数年、あるいはそれ以上の月日を費やすことになるかもしれない。


 だが、誠一の心に焦りはなかった。

 誠一は静かに部屋を出て、未知の闇へと一歩を踏み出す。

 

 その腰に差した『白兎牙』が、新たな主の歩調に合わせて、凛とした音を立てて揺れていた。

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