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第11話 境界の先へ

 拠点の冷たい岩床に座り、魔物の肉を平らげた誠一は――

 自身の内側に蓄積された「数値」を確認した。


 死線を潜るたびに、魂に刻まれた技能は着実に、しかし無機質にその練度を上げていた。


 - 剣術:レベル05

 - 遠視:レベル03

 - 斬撃:レベル05

 - 健脚:レベル04


 スキルポイントも、134ポイントまで貯まっている。

 魔物の命を「パン」や「水」といった安価な物資へ劣化交換し続けた副産物――いわば、命を削り取って得た「おつり」の総計だった。


「……とはいえ、使い道がなぁ」


 誠一が習得できるスキルは、最初に提示された四種類のみ。

 新たにポイントを投じて別系統の技を得ようとしても、意識の海からは何の反応も返ってこない。まるで、この迷宮そのものが「お前はこの力だけで戦え」と冷酷に命じているかのようだった。


「新しいスキルは取れないんだよなぁ。迷宮をクリアするなんて大層な目標を掲げたはいいが、この四つを極めるだけで届くものなのか……」


 地道にレベルを上げる以外に道はない。

 現状、ポイントの最も有効な使い道は、20ポイントを消費して呼び出す『鉄の剣』の新品交換だった。


 魔物の肉を裂き、硬い骨を砕くたびに、鋼の刃は目に見えて痛んでいく。

 研ぐための道具もない今の環境では、刃こぼれは致命的だ。誠一の手元にある剣も、すでに数箇所が歪に欠け、血糊による錆が浮き始めていた。


 だが、誠一は新しい剣の召喚を、執拗に先延ばしにしていた。


「でも、まだ、もうちょっと……剣術レベルも上がっているし、この研ぎ澄まされた技能があれば、この剣でもまだ切れるはずだ」


 染み付いた貧乏性が、彼を躊躇させる。


 かつて住宅ローンと家族の生活を支えていた頃の、「まだ使えるものは使い切る」という染み付いた習慣。それは異世界の地獄においても変わらない。彼が小山内誠一であるための、ささやかな証でもあった。



 ***


 今や『劣化交換』は、生存の要となっていた。

 食料やポーションはもちろん、生活に必要な雑多な品々――かばん、替えの肌着、この世界で流通している服や靴。


 すべては魔物と交換することで捻り出してきた。

 最近の収穫は、腰に吊るせる古びた真鍮製のランタンだ。


 明かりを灯せば、闇に潜む敵にこちらの位置を教えることになる。

 だが、そもそもモンスターは人間の体温や気配に異常に敏感だ。光を消したところで、奇襲を完全に防げるわけではない。


「なら、一秒でも早く敵の形を捉えられた方がマシだな」


 ランタンの揺れる光を頼りに、誠一はさらに深い闇へと歩を進める。



 **


 この地下世界には太陽がない。

 時間の概念は崩壊し、ただ「戦い、食い、眠る」という生物としての循環だけが繰り返される。


 たまに風呂に入り、劣化交換で得た石鹸と、タオルを使い身体を洗う。髭剃り用のカミソリもドロップしたが、鏡がないため、手の感覚だけを頼りに顔を整える。


「しかし、なんでお湯が出ないんだろうな。せめて人肌程度の温度があれば……」


 シャワーからは、心臓が止まるほど冷たい水しか出ない。

 気温の低い洞窟内で、無理に水浴びをするのは自殺行為に近い。それでも誠一は、戦闘で火照った身体を冷水で叩き、汚れを落とすことをやめなかった。


 誰に会うわけでもない。

 身なりを整えても、褒めてくれる家族はもういない。


 それでも身体を清潔に保つのは、そうしなければ、自分の中にある「人間としての輪郭」が、迷宮の闇に溶けて消えてしまいそうだったからだ。


「清潔にしていた方が、不測の病も防げるだろうしな。ポーションを常用しているから、そんな心配も杞憂かもしれないが……」


 それでも、そう言っておくことで、自分を納得させる“落としどころ”にしていた。



 ***


 ここに来て、何日が経過しただろう。

 正確な日付は分からない。ただ、自身の筋肉が引き締まり、剣を振るう際の迷いが消え去っていることで、月日の重みを感じていた。


 広大な空間の最果て。

 誠一はついに、第一階層の終着点とも言える巨大な岩壁に到達した。


 そこには、まるで意志を持った巨大なミミズが掘り進めたような、禍々しくも整然とした複数の横穴が開いていた。


(……ここからが、本番か)


 振り返れば、遠く彼方に拠点の明かりが針の先ほどの小ささで瞬いている。


 そこから先は、光が一切届かない真実の虚無だ。

 二週間を超える迷宮生活で、誠一の視覚は暗闇に順応していたが、それでも奥から漂ってくる空気は、これまでの場所とは明らかに異質だった。


 冷気の中に混じる、さらに濃密な死と血の臭い。

 拠点から離れれば離れるほど、魔物は強くなる。この法則に従えば、この穴の先にはこれまで経験したことのない強敵が待ち構えているはずだ。


 誠一は、刃こぼれした鉄の剣を一度抜き、鞘に戻した。

 カチリ、という硬質な音が、自身の決意を固める合図のように響く。


「……行くしかない」


 家族を失った日の凍てつくような記憶を胸に、誠一は一番巨大な穴を選んだ。

 ランタンの灯火を絞り、身をかがめて闇の深淵へと足を踏み入れる。


 その先に何が待ち受けていようとも。

 この一歩の先にしか、彼が求める「真実」は存在しない。

 

 誠一の背中に、かつてないほど鋭く、静かな殺気が宿っていた。

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