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骨が鳴る

掲載日:2025/10/30



焚き火の匂いがしない夜だった。


焦げるものすら、もう何も残っていなかった。


母はかすれた声で、鍋をかき混ぜる。


中身はただの水。

鉄の味がする。


その水面を、子が覗き込む。


「お母さん……お腹、すいた」


母の指が一瞬、止まった。


けれどすぐにまた、木の棒で水を回す。


「もうすぐできる」


同じ言葉を三日言い続けていた。


子はその「もうすぐ」が、何なのかもうわからなかった。

 

母が火を絶やさない理由も。


母の瞳は焦点を失い、ただ炎の幻を見ていた。


飢えというのは、痛みではなく、

心が音を立てて削れていく音だと知ったのは、その夜だった。


子は母の背中に縋るように抱きつく。

骨が触れた。


「お母さん……」


母の肩がびくりと跳ね、

そのまま子の手を振り払った。


「やめて。熱いから」


声が震えていた。怒りではなく、怯えの震え。


母は、目の前の空鍋の底を指差して言った。


「見て。ほら、まだ煮えてないの」


そこには、何もなかった。


子はもう泣く気力もなく、

その場に膝をつき、母の足元を見た。


足首が細すぎて、皮が張り付いていた。


「ねえ、お母さん」


「……なに」


「ぼく、夢見たんだ」


「夢?」


「パンの匂いがして……お母さんが笑ってた」


母は何も答えなかった。

ただ、口の中で何かを噛みしめるように唇を動かしていた。

空気を噛む音が、静かに響いた。



焚き火のない夜。

母はそのまま鍋に向かって、スプーンを入れた。

ひとすくい、空気を掬って、口に運ぶ。

その動作を、丁寧に、まるで儀式のように繰り返した。


子は小さく笑った。

「お母さん……ぼくもそれ、食べていい?」


母は、やっとこちらを見た。

瞳の奥には、涙でも怒りでもない、


ただ

[何かを失った]

人間の色があった。




「……うん。半分こ」


スプーンを渡された子は、何も入っていない鍋の底を見つめ、


そして、そっと空気を掬って口に入れた。





ああ、温かい気がする。




それが、最後の錯覚だった。




――――――

翌朝、鍋の中には薄い氷が張り、

母の腕の中で、子は穏やかに眠っていた。

母の目は閉じられたまま、

唇の端には、微かな笑みがあった。


まるで、本当にパンを食べたあとのように。



これホラー?

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― 新着の感想 ―
ジャンルについては分かりませんが、悲劇であっても素晴らしいシーンだと思いました。
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