第3話 彼女との思い出
新千歳空港を出ると、彼女は駐車場に案内してくれた。そこで彼女が持っている車に乗ることになった。
恐らく何度も来ているのであろう、北海道の地。
しかし、記憶喪失になっている今の僕には、どこか新鮮な物に見えた。
「さすが北海道。道が広いし、空も高いなあ」
出発してすぐ、車窓に移る景色を眺めて呟く僕に彼女は、
「マジで忘れてるのか。こりゃ、重症だね」
ハンドルを握りながら、深い溜め息を突いていた。
彼女が運転する車は、意外なことに2ドアのスポーツカーで、まともに買うと200万円以上はする。赤いスポーツカーだった。これを買えるということは、それなりに稼いでいるらしい。
まず向かったのは、サッポロファクトリー。
かつて、ビール工場があったエリアで、赤い煉瓦造りの倉庫を改装していたり、それ以外では今ではオシャレなショッピングモールになっている。
そこを一通り歩きながら、彼女は告げた。
「何か思い出さない? 二人でよくここに来たじゃない。あなたは私にプレゼントもくれた」
「ごめん」
しかし、僕にはまったく「響かない」場所だった。
溜め息を突きながら、彼女はその後も時間いっぱい様々な場所に連れて行ってくれた。
有名な観光名所。大通公園、北海道大学、時計台、そして羊ヶ丘展望台。
(まったく思い出せない)
結局、いつの間にか、日が暮れていた。
その日の最後に、すすきの近くのホテルに泊まる予定の僕に対し、札幌市の狸小路商店街のアーケード前で車を停め、別れを告げた僕に対し、彼女は、
「調子に乗って、すすきのでお姉ちゃんがいる店に行かないでよね」
鋭い一言を発していた。
すすきのは、もちろん「風俗街」、「歓楽街」として有名で、東京以北では最大の規模の巨大な歓楽街だ。
だが、僕はさすがに風俗に行く気はなかった。
まずは、思い出さないと話にならない。
ホテルの6階から見る、札幌の夜景は美しく、光に満ちていたが、僕の記憶の中には、ほとんど空白しかなかったのだ。
翌日、同じホテルにもう1泊するため、鍵をフロントに預け、僕は出発する。
その日も、僕の彼女、あの紗耶香が僕を連れ回す予定だった。
ホテルを出ると、すでにその真っ赤なスポーツカーが目の前に止まっていた。
そこから、サングラスをかけた女性が出てきた。
「おはよう」
もの悲しそうに告げる彼女。
「おはよう」
申し訳ない気持ちで返す僕。
その日の「記憶探し」が始まったが。最初に行ったのは意外な場所だった。
札幌市南区の郊外の森の中。
真駒内滝野霊園。
広大な敷地を持つ墓地で、車やバイクがないとまず回れないほどの広さを持つし、東京のような狭い土地では考えられないが、墓1基と隣の墓までの距離がかなり広い。
そこの一角に車を停め、歩いて「菊田家之墓」と書いてある墓の前で、彼女は足を止めた。
「ここは……」
「あなたの父親が眠る場所。これでも思い出さない?」
「うん」
本当は思い出したい。何しろ実の父の墓だ。というより、墓碑を見る限り、父だけでなく、菊田家代々の墓のようだった。と言っても三代前くらいまでだったが。
綺麗に整えられ、しかし訪れる人が少ないのか、枯れ始めた花が寂しそうに映る。そんな中、彼女は途中で買ってきた、花を捧げ、線香に火をつけて、手を合わせた。
「ありがとう」
「別に。そもそもあんたが思い出さないのが悪い」
何故か責められている僕。やはり彼女は「気が強かった」。
次に向かった場所もまた意外なところだった。
観光地ではなく、ただの住宅街。
北海道の住宅は、寒さ対策として、トタン屋根、二重窓、玄関フード、そして屋外には巨大な灯油タンクが置かれてある。
本州のような、瓦屋根の家は圧倒的に少ない。
そんな四角い屋根が建ち並ぶ住宅街の一角。丘の上になっており、遠くに山が見えた。
「あの山を見ても思い出さない?」
「ごめん」
彼女が指差した向こうには、札幌を象徴する山が見えていた。こんもりとした深い緑に覆われた山が、住宅街の先に見える。山の位置が街からかなり近いことに、東京暮らしの人間は驚くだろう。
「藻岩山。冬にはよく二人でスキーにも行った」
「ごめん」
彼女が言うには、藻岩山は札幌市民に馴染みのある山で、冬にはスキー場がオープンし、ナイター設備の黄色いライトが市内から見えるという。
「そう……」
さすがに彼女の表情が曇る。
気が強いところがある彼女だが、それでも落ち込んでいるのは、目に見えてわかった。
僕は何とかしたいと思いつつも、何もできない自分に苛立つ。
夕方、最後に向かったのは、札幌市中心部。これまた意外な場所だった。
ライブハウスだった。




