第2話 更科紗耶香という女
「おおー。晴れてるなあ」
6月の北海道は、快晴だった。
僕は、急きょ、翌朝には飛行機に乗って、というか半ば強引に乗らされて、東京の羽田空港から北海道に飛行機で向かった。
実は僕の解離性健忘は、自分の名前以外の、主に「エピソード記憶」が消え去っていて、つまり過去の「思い出」が消えているような状態らしい。
逆に、不思議なことに仕事の手順などは覚えている。なので、別に仕事を休まなくても支障はないが、妹と母は心配したのか、強引に休むように指示。
僕は、札幌に「飛ばされた」に等しい。
ちなみに、北海道には「梅雨」がない。
そのため、6月は晴れていることが多く、しかも本州のような「蒸し暑さ」もない。実に快適な気温20度台前半程度の気候だった。
何故だか、そういう基本的な知識も僕の頭には残っていたのだ。
そして、新千歳空港を降りて、到着ロビーに着くと。
いきなり僕を見つけて、つかつかと歩み寄り、僕を思いきり睨みつけてきた女性がいた。
身長160センチくらい。ショートボブの髪型に、少しウェーブがかかった茶色い髪。スタイルは良く、胸の大きさは割と普通。ただ、二重瞼に、切れ長の目を持ち、肌は白い美人ではあった。
その彼女が、
「裕也!」
いきなり僕の名前を呼んだ。というより怒っているように見える。
目の前に現れた美女を前に僕は戸惑いながらも、
「あの、誰?」
と発すると、彼女は予想外の態度を見せた。
見る見るうちに、表情が変わり、その感情は「怒」の色を見せ始めた。そして、
「バカ!」
いきなり叫びながら、僕の頬を平手で引っぱたいたのだ。
「痛ってえ! 何すんだ?」
「何で忘れるの! あんた、バカだけどこんなのひどいよ!」
今度は、僕の胸にすがりつくように、抱き着いてきて、そのまま涙を流し始めた。
いきなり怒ったり、かと思えば泣き出したり、感情表現が豊かな女性だと思い、同時に、
(本当に彼女なのか)
記憶はなくても、僕はすぐにわかった。
彼女が、「紗耶香」だろう。そして、僕は幸せなことに彼女から「愛されて」いたのだ。
他の観光客や地元民の奇異の視線に晒されながら、僕たちはしばらくその到着ロビー前で抱き合っていたが、実際には泣き続けている彼女を、僕が支えているに等しい状態だった。
「落ち着いた?」
「うん、まあ」
結局、ひとしきり泣いた後、空港内にある喫茶店で、彼女と僕は向かい合った。
彼女の名前は、更科紗耶香。僕と同い年の24歳。札幌市内で働くOL。というのは表向きで、実は裏で、ライブ活動をしている、知る人ぞ知る札幌のシンガーソングライターだという。
こんな美人とどう知り合って、何で付き合うことになったのか、それすら忘れているのが、僕は悔しかったが、彼女は、コーヒーを飲みながら、感慨深げに呟いた。
「凛子ちゃんから聞いていたけど、本当に記憶喪失なんだね」
「だからそう言ったじゃないか」
「はあ。しょうがない。私が思い出させてあげる」
「どうするつもりだ?」
そもそも、母や妹が何故、僕をこの「札幌」に遣わしたのか、理由がわからなかった。
とりあえず、その「気が強そうな」彼女はいたずらっ子っぽい笑顔を浮かべてこう告げた。
「片っ端から思い出の場所を回る」
「ええー」
「ええー、じゃない。いつまでこっちにいるの?」
「一応、明後日まで」
会社の有給休暇を使って、札幌に滞在できる時間は、今日を入れて、3日間。時間は限られていた。
「じゃあ、早速行くよ」
「もう?」
時刻は午後12時過ぎ。
僕を連れ回し、記憶を取り戻すべく、彼女の旅が始まった。