第1話 記憶喪失
ということで、私の故郷、札幌が舞台の話。短編です。もっと短くまとめたかったんですが、なかなか難しく。ちなみに、北海道出身の女性が「気が強い」というのは割と本当のことです。もちろんそうじゃない女性もいますが。私の叔母は若い頃、喫煙者でしたし、私の母も昔は相当、気が強かったです。
僕の名前は「菊田裕也」。年齢は24歳。まだ入社2年目の社員。
そして、ある時、会社の飲み会中に昏倒し、軽くだが頭を打った影響で。
記憶が「消えた」。
どうやら、僕は実家である東京都府中市に住んでいるようだ。
そこで、当然ながら家族と対面した。
そう。記憶を失ってしまった僕にとっては、「対面」が正しい。
身長が152センチくらいと低い、目つきの悪い少女が、訝しげな瞳を僕に向けていた。セミロングの髪型をした、少し不機嫌に見える女の子。年齢的にはまだ10代後半から20代前半くらいだろう。
「記憶を失った? 何の冗談?」
彼女は僕を睨みつけて言った。
「君は、誰? 僕の恋人?」
「いや、妹だから」
冷たい視線で、蔑むように言葉を投げつけられていた。
彼女の名前は、菊田凛子。僕の妹で、現在21歳の大学生だという。
一方で、50代くらいの髪の長い女性が、心配そうに僕を見つめていた。彼女は皺と白髪が増えてきており、年齢相応の物が感じられるが、それでもまだ年齢よりも多少、若くは見える。
「年は離れてるようだけど、あなたが僕の恋人?」
「いや、母親だから」
呆れたような視線を送る、その女性は、菊田晃代。僕の母で、現在52歳だという。
そして、僕は辺りを見回した。
何の変哲もない、古い一軒家だったが、そこには本来いるはずの「男」の姿がどこにもなかったからだ。
「じゃあ、父親は?」
その質問に、彼女たちは呆れたのか、深い溜め息をついた。
「忘れたの? とっくに亡くなったわ」
彼女たちから聞かされた情報によると、数年前。肺がんで父は他界したという。
もちろん、記憶を失っている僕は、覚えてもいなかった。
ということで、まずは翌日、会社を休み、母と妹が付き添って、病院に連れていかれた。
「解離性健忘ですね」
医者の診断による結果だ。
健忘、つまり「記憶喪失」には2種類あり、一過性健忘と解離性健忘に分かれるそうだ。
一過性健忘は文字通り、一時的に記憶が飛ぶ病気で、発作中に起こった出来事などを忘れる。ただ、記憶障害の持続時間はせいぜい1~8時間程度。長くても24時間程度という。
対して、解離性健忘は、過度の精神的ストレスやトラウマによって、引き起こされ、その記憶喪失の空白期間は、数分から数十年に及ぶという。
「珍しいですね」
中年の医者が語ったところによると。
「通常、PTSDなどの心的外傷後ストレス障害や、ASDと呼ばれる、急性ストレス障害によって、解離性健忘は起こります。それがただの転倒と打撲で起こるとは」
医者によると、僕の頭の傷は大したことはなく、ただの打撲程度。
なのに、いきなり記憶が消えるのは珍しいという。
「兄は頭を打って記憶を失ったので、もう一度ハンマーかなんかで殴ったら戻りますか?」
妹が恐ろしいことを口走り、医者が苦笑いを浮かべていた。
(おいおい、殺す気か、妹よ)
僕も、妹の本気とも冗談とも取れない一言に苦笑していた。漫画じゃないので、そんなことをしたら、死んでしまう。
「どうすれば治りますか?」
母が心配そうに声を上げた。
「それはまあ、色々と治療方法はありますが」
ということで、一応は医者によって、治療法が説明される。
その治療法には、一般的には催眠療法、あるいは催眠と薬物を併用する方法が使われるというが。
ただ、母はどうもその治療法に納得がいってないようだった。
それ以外に、
「ただ、恐らく彼の場合、一時的な物だと思いますので、信頼できる人と過ごしたり、ストレスのない状況に置いた方がいいかもしれません」
ということらしい。
それを耳にした、妹の凛子の表情が明るくなった。
「お母さん。それなら、ここは紗耶香さんに任せよう」
「そうね」
「えっ。紗耶香? 誰?」
首を傾げる僕に、彼女たちは、鋭く指を突き付けて、突然、こう告げたのだ。
「あんたの彼女よ」
そして、事態は急展開を見せる。
「明日すぐに、札幌に行きなさい」
「えっ? 札幌?」
僕は、急きょ、飛行機に乗ることになりそうだった。