後編
どうぞよろしくお願いいたします。
あっという間に討伐訓練の日がやってきた。
グループ分けを知った時は、今回ばかりは何とか訓練に参加しなくていい方法はないか、色々と後ろ向きに考えてしまったけど…。
何だかだんだんといじけている自分に疲れてきてしまった。
だって、私は何も悪くない。
ザックに酷い言葉を云ってしまったのは後悔してるけど、元を正せば人を傷つけることにしかならない「罰ゲーム」(ようやく云えた!)のせいなんだもの。
堂々としていよう。
そして……できれば忘れよう。
学院からザルツの森に移動し、グループに分かれてまずは自己紹介をする。
私は思ったよりもちゃんと挨拶ができてホッとした。
ザックも何事もなくちゃんと挨拶している。
もちろんだけど、私の方を見たりもしない。
あれ…でも、少し痩せたみたい?
「ロジャー・キャンベルです」
そう名乗った彼は、私を一瞬見て眦を下げた。
名前を初めて知ったけど、ザックといつも一緒にいるグループの一人だった。
「それでは、我々は森の西側に移動しますよ」
私たちのグループを引率している、騎士科のショルトー先生が声をかける。
今回のグループは全部で4つ、森の東西南北に分かれて討伐訓練を行うことになっていた。
魔獣の討伐は、基本騎士科の学生が前に出て戦い、魔法科の学生はその後方から魔法で攻撃する。
騎士科の学生の中には魔法を使える者もいて、彼らは剣に魔力を込めるか剣を振いつつ魔法を発動することもある。
そう、ザックのように。
討伐を始める前にショルトー先生から説明を受けた。
それによると、私たち西のグループは北へ向けて、北のグループは西へ向けて討伐し、両方のグループが合流したところで討伐終了となるらしい。
同じように東のグループは南へ、南のグループは東へ向けて討伐していくということだった。
説明のあと、散開して討伐が始まった。
「来るぞ!」
ショルトー先生のあげる声に身が引き締まり、少し間隔を空けて待ち構えるエイダと頷き合った。
攻撃魔法は得意な方ではないけれど、それでも風で切り裂く「ウインド・クリーヴァ」は躊躇なく発動できる。
飛び出してきた兎型の魔獣たちは額に角があり、可愛らしい見た目に反してかなり攻撃的だ。
それに素早い。
体が小さくて動きの速い魔獣は、下位のものでもなかなかに厄介だ。
前を行く騎士科の学生の剣から逃れたもの、横から飛び出してきたものをウインド・クリーヴァで仕留めていく。
目の端で、火炎が上がっているのが時折見えるのはザックかもしれない。
魔獣を仕留めつつ、早さよりも正確さが重視される討伐訓練は、ゆっくりと北を目指して進んでいく。
昼の休憩を挟んで北上していくと、いつの間にか側に来ていたショルトー先生が呟いた。
「そろそろ合流するはずだが…。それにしても……」
私がエイダを見ると、彼女も先生の声が聞こえたらしく視線を返してきた。
この中の何人が気づいているだろう…。
魔獣の数が少なすぎる。
討伐の始めに出た兎型の魔獣の他には、ムササビ型のもの、ラクーン型のものと小型で動きの素早いものばかり。
その小型の魔獣を捕食すると思われる、猪型や熊型などの中位の魔獣にはまだ遭遇していない。
そう云えば、鳥型の魔獣も見かけない。
なぜこんな偏りがあるのか…。
何だか嫌な予感がする———
すると、前方で声があがった。
「ショルトー先生!」
その響きがどこか逼迫しているようで、ショルトー先生の後に続いて駆け出した。
緊迫感漂う中、学生たちが集まって見下ろしている先———
「これって…」
思わず声が漏れた。
視線の先には大きな鳥の巣があった。
巣の中には、濃い青色の卵が二つ。
卵があるってことは、ひょっとして———
「クワーーーッ」
後ろから不気味な鳴き声がした。
振り返ると、大きな鷲のような魔獣が上空から猛然とこちらに向かってくる。
近づいてくるにつれて、その魔獣が尋常な大きさでないことが判るものの、学生の輪の一番外にいた私に向かってくるように見えて足が竦んでしまった。
あの大きな嘴で攻撃されたら———
あまりのスピードにもう間に合わないと、両手で頭を抱え、防御の姿勢をとって目を瞑ったその時。
「バーニング・ブロー!」
覚悟した衝撃はやって来ない。
目を開くと、広い背中が見えた。
放たれた火炎魔法を魔獣が躱し、上空に逃れる。
ザックだ。
ザックが私の前に盾のように立ち塞がっていた。
「カルヴァートン、ミントン、戻れ!お前たちの手に負える相手じゃない!」
ショルトー先生が叫んだ。
後ろを振り返ると、全員が巣の後ろへと移動し、ショルトー先生たちは学生たちの前に防護壁を展開している。
「メル、動けるか?」
振り返らないまま、ザックが声をかけてきた。
ショルトー先生が張っている防護壁までは少し距離があり、情けないことに膝が笑っていて足に力が入らない。
「ごめん…」
ザックに庇われたまま謝ることしかできずにいると、ザックがチラリと後ろに目線を送ってきた。
すぐに前に向き直り、剣を構え直す。
「大丈夫、俺が絶対守るから」
すると、一つの人影がザックの隣に並んだ。
ロジャー・キャンベルと名乗った、ザックの友だちだった。
「ロジャー…お前」
視線を正面から外さないまま、ザックが呟く。
無言のまま剣を構える彼を横目で見て、ザックが私たちに聞こえるくらいの声で云った。
「メル、援護してくれ。ロジャー、行くぞ!」
「オーケー」
「わかった」
体勢を立て直した魔獣は、一直線に私たちに向かってきた。
「ウインド・クリーヴァ!」
放った魔法は躱されたが、それは計算済み。
大きな口を開けた魔獣の嘴にガキンッとロジャー様が剣を噛ませ、ザックが魔獣の足元を払う。
堅い嘴に押されながらロジャー様が耐えている隙に、ザックが横に逸れて魔獣の後ろに回った。
ひらりとザックが魔獣に跨ったのと、ロジャー様の剣が折れたのはほぼ同時だった。
間髪を入れず、ザックが魔獣の背に剣を突き立てる。
「ギャアーーーーッ!」
断末魔のような叫びをあげたのに魔獣はそれでも倒れず、ザックを乗せたまま上空へと逃れていく。
飛び降りる暇のなかったザックは、そのまま魔獣の首にしがみついた。
「嘘っ…」
魔獣はザックを乗せて、あれよあれよという間に空高く上昇した。
と、次の瞬間———
魔獣が燃え上がった。
燃えながら急速に落ちてくる魔獣から離れて、ザックも落ちてくる。
あんな高さから落ちたらザックは———
「嫌っ、ザック!」
私は落ちてくるザックを見つめて走り出した。
まだ提出していない課題だけど、今ここで使わないと絶対に後悔する。
風を読んで、自分を信じて———!
「エアロフロート!」
ザックに向かって放った魔法は彼に届いたようだ。
ザックの落下スピードが急激に落ちた。
けれど高い木々に遮られて、ザックがどこに落ちたのか判らない。
ザック、嫌だ、ザック!!
ザックが消えた辺りを目指して走っていくと、別の学生の一団が何かを取り囲むようにしていた。
息を弾ませながら近づいていく。
「あ!」
声を上げた学生を見ると、ザックの友だちの一人だった。
彼が人垣を退けて私を通してくれる。
取り囲まれた中心に、ザックが横たわっていた。
「ザック!」
ザック、まさか———
彼に駆け寄り、目を閉じて横たわっている彼の胸に耳を当てる。
良かった!
動いてる。
「この木の上から、ザックが落ちてきたんだ」
おずおずといった口調で、背中から声がかかった。
振り返ると、ザックの友だちがすぐ側の高い木を指差している。
木は所々枝が折れていて、折れたところが剥き出しになっていた。
「メル…?」
声に振り向くと、ザックが目を開けている。
「ザック! ザック!!」
半身を起こしたザックに縋り付いた。
思わずぎゅうっと抱きしめてしまった私の背中に、ザックが腕を回す。
「…泣くなよ」
「泣いてなんか…あれ?」
耳元で囁かれ、パッと離れて気がついた。
頬に手をやると濡れていて、泣いているのだと初めて自覚する。
ザックが、私の頬に手を添えて涙を拭った。
びっくりするほど甘い仕草に驚いて、首の辺りからじわじわと熱を感じる。
そうよ、命が無事だったことで安心してたけど、怪我でもしてたら———
「い、痛いところは?怪我は?怪我はしてない?」
ザックは自分の体を見渡して、ふっと笑った。
「まあ、ちょっと手と腕に火傷を負ったけど大したことない」
「火傷!ちょっと見せ———」
「メル!」
様子を見ようとしたザックの手に、そのまま両手を握り込まれた。
「メル、好きだ。本心だからな。罰ゲームなんかじゃない。信じてくれ」
私の顔を覗き込んでザックが云った。
翠の瞳は真剣そのもの。
うん、今なら信じられるよ。
「うん、信じる。私も———」
その先は云えなかった。
周りから凄い歓声が上がったから。
そうだった、大勢の学生に囲まれていたのだった……。
気がついた私は、みるみる顔が熱くなって真っ赤になっているのが判った。
「見るなっ、減る!」
そう云って、ザックは私を自分の胸に抱き込んで隠してくれたけど、女子たちの「きゃーっ」という悲鳴と、男子たちの囃し立てる声はますます大きくなっただけだから逆効果なのじゃないかしら……。
「あのゼル・コンドルを倒したのは君ですか、カルヴァートン君?」
声が静まったところで、影が差した方から声がした。
ザックと一緒に見上げると、北のグループを引率しているヘルデン先生だった。
先生が私たちと目を合わせたあと、顎をしゃくった先に目をやると———
離れたところに黒くなった塊があった。
きっとさっき燃えながら落ちた、ゼル・コンドルと呼ばれた魔獣だろう。
「無茶をしましたね。一歩間違えば、死んでいましたよ。」
ヘルデン先生は溜息交じりに云う。
この学年に、あの巨大な魔獣を焼き尽くすほどの火炎使いは多くない。
ザックが答えなくても、状況から彼だと断じたのだろう。
「時に…」
先生は私に目を向けた。
「カルヴァートン君の落下を緩和したのは君ですか?ミントン君」
「あ…はい」
「後ほどゆっくり、その話を聞かせてくださいね」
ヘルデン先生は私ににっこり微笑んだ。
風魔法研究教室の責任者であるヘルデン先生は、私の研究課題を知っているはずなのに。
先生の笑顔が怖い…。
「おーい!」
「あ、ここだ、ここだ」
後ろを振り返ると、私たちのグループのみんなと、引率してるショルトー先生が近づいてきていた。
小走りに走ってくるのは、ザックの友だちのロジャー様だ。
そのあと連絡を受けた救護班が到着し、念のためザックは彼らに運ばれて行った。
ゼル・コンドルの卵も回収され、生態の研究に使われるそうだ。
今回の私たちの討伐訓練は、こうしてようやく終わったのだった。
◆◆◆
討伐訓練の翌日、ロジャー様とザックと私は学院長室に呼ばれた。
ザックに怪我はなく、手に負った火傷もポーションを飲んで回復したそうだ。
引率していたショルトー先生とヘルデン先生も同席して、学院長先生に経緯を説明した。
通常はザルツの森には、ゼル・コンドルのような上位の魔獣はいない。
ゼル・コンドルは巨大な体躯を持ち、鋭い嘴と鉤爪で他の魔獣の堅い皮膚も難なく切り裂く魔獣であることはすでに学習していたけど、本物を見たのは初めてだった。
ゼル・コンドルは肉を主食とするため、ザルツの森の西側には動きの素早い小型の魔獣だけがまだ残っていたのだろう、ということだ。
ついでに、現役の学生がゼル・コンドルを倒したのは、学院始まって以来のことだそうだ。
「全く無茶をする。火炎や毒、石化のブレスの特性がなくて幸いしたな。だが…」
ショルトー先生は、ロジャー様とザックとを交互に見て溜息を吐いた。
「認めたくはないが、よくやった。私は防護壁を張るので精一杯だったからな」
そう云ったあと、ショルトー先生がヘルデン先生に頷いて見せた。
「ミントン君。君の研究課題は?」
ヘルデン先生が私の名前を呼んだ。
先生を見ると頷かれたので、私は今研究してる自分の課題を話した。
「浮力を付加する魔法を強化することと風を読むことによって、人を浮かせられないかを研究しています」
「人を浮かせる…?」
ショルトー先生が声をあげた。
今でも軽いものなら浮かしたり飛ばしたりはできるけれど、人のように重いものはそうはいかない。
研究を続けて、いずれは人が飛べるようになることが私の目標だ。
ショルトー先生に頷いてから、私は続けた。
「落下する人を浮かせられるかは、試したことがありませんでした。でも昨日は緊急事態でしたから…やってみるしかないと思いました」
恐る恐る、でも思ったことを正直に話すと、ヘルデン先生が頷いた。
「良い判断でしたね」
短い言葉だったけれど、頻繁に学生を褒める方ではないヘルデン先生の言葉に嬉しさが込み上げる。
「キャンベル君、カルヴァートン君、ミントン君」
それまで、静かにやり取りを聞いていた学院長先生が静かに口を開いた。
「君たちの勇敢さは、尊敬に値する」
学院長先生の、眼鏡の奥の目が細められた。
「だが、命がけの戦闘にはまだ早い。今回のことは学院側の調査不足として、それぞれの家には学院から正式に謝罪と感謝を伝えよう」
◆◆◆
先生方を残し、学院長室から私たちが退室すると、そこにはザックの友だちが待っていた。
ザルツの森の、北を討伐していたグループの一人だ。
「……」
無言のまま歩き出したザックに合わせて全員がついて行く。
たどり着いた先は彼らの溜まり場の、校舎と図書館の間の中庭だった。
「ごめん!」
「すまない!」
「悪かった!」
着いたとたん、私以外のみんなが顔を見合わせ、一斉に頭を下げた。
「え…何…」
「罰ゲームだったけど、本当は罰ゲームじゃなかったんだ」
呆気に取られた私に、ザックが口を開いた。
「どういうこと?」
「俺がずっとメルのことを好きだってみんな知ってて、たまたまカードに負けた時に『罰ゲーム』として俺の背中を押してくれたんだ」
「ずっと、君のこと『好きだ』『可愛い』って云うくせに、なかなか告白しないからなー」
「っるさい!幼なじみとしてもいられなかったらどうしよう、って悩むだろ、フツー」
ザックがロジャー様を睨んだ。
それ、判る。
私もずっとそうだったから。
「君に『迷惑だ』って云われて、コイツ、すげー落ち込んでたんだよ」
「そうそう、普段はあんなに大食いなのに、マジで食べなくなるんだもんな」
「おい、お前たち、何云って———」
「だって、本当のことだろう?」
ロジャー様が、ザックににっこり笑いかけた。
ザックがプイッと横を向く。
そうか、じゃあ痩せた気がしたのは気のせいじゃなかったんだ……。
ザックの耳が赤くなってることに気がついて、背も伸びて逞しくなっているのに、何だかザックが可愛い。
「でも、落ち着くところに落ち着いたようで、本当に良かった」
「だな。…という訳で、俺たちは退散するからあとはよろしく」
北のグループにいた彼がそう云うと、ロジャー様と笑顔で視線を交わし、二人は手を振って去って行った。
「ザック、『迷惑だ』なんて云ってごめんね。本心じゃないから」
彼らが二人きりにしてくれたので、まずは謝らなくちゃ、と私は口を開いた。
「あれは本当にショックだったけど、それだけのことをした自覚はある。俺こそごめん。俺が意気地がないばっかりに、メルを傷つけてしまった」
そう云いつつ近づいてきたザックが、不意に私の前で跪いた。
私の手を取って、自分の額に触れさせる。
「メルを愛してる、子どもの時からずっと。この命ある限り、俺にお前を守らせてくれ」
騎士様の誓いのようにザックが云った。
嬉しい気持ちと、ザックへの思いで胸がいっぱいになる。
とっくに顔は赤くなっているに違いない。
「はい、私もザックのことを愛してます。でも…」
不安げにザックが顔をあげた。
「私にもザックを守らせてね」
「メル!」
一瞬で立ち上がったザックが、力いっぱい私を抱きしめて息が苦しくなった。
ザックの胸を叩くと少し力が緩み、代わりにザックの顔が降りてくる。
今度こそ私は目を閉じて、ザックの口付けを受け止めた。
何度も啄むようにキスを繰り返され、厚い舌が侵入してキスが深いものになる。
息も絶え絶えになった私に、ザックが微笑った。
「メル、鼻で息を吸うんだ」
「もうっ。こんなところではダメよ!」
恥ずかしくなった私は、顔を逸らして逃れようとしてみたものの、ザックの腕はしっかり私を掴まえて離さない。
「じゃあ、別のところならいいんだな?」
「それは…」
馬車の中のことを想い出して、また顔が熱くなった。
ザックがクスリと笑い、蕩けたような笑みを向けてきた。
「メル、昨日父上には伝えたから、すぐに婚約は整うはずだ」
「えっ、もう?」
「嫌なのか?」
剣呑な視線が降りてきて、ザックの眉根が寄った。
「そんな訳ないでしょう。ただ早くてびっくりしただけ」
「そうか…」
「うん、嬉しい!」
ザックに笑顔を向けると、微笑んだ彼の眦が少し下がった。
「俺もだ。待ちきれないな」
ザックはもう一度、ぎゅっと私を抱きしめた。
「罰ゲーム」と云う言葉に翻弄されたけど、「罰ゲーム」がなかったら今でも私はザックに片思い中だったかもしれない…。
「好き」と云う気持ちを込めてザックに思い切り微笑むと、今まで見たこともないほど蕩けた笑顔が返ってきた。
了
お読みくださり、どうも有難うございました。