Anywhere ③
恐竜が滅びた理由を教えてくれたのは、やっぱり絽奈だった。
恐竜図鑑を買ったあの日。ふんすふんすと鼻息を荒くして、大きな図鑑を胸に抱いて、さあ、と彼女は言った。
恐竜のことなら何でも訊いて!
全部ばっちり答えちゃうから!
何かを買った日の絽奈は、すごく可愛い。
図鑑を買った日も、液晶タブレットを買った日も、腹筋ローラーを買った日も、運動するゲームを買った日も、ギターを買った日も、かき氷機を買った日も、一人用のピザ焼き機を買った日も、全部。そういうちょっとした――だけど自分にはできないような少し高い買い物のたった一つが、何もかもを変えてしまうと本気で信じているみたいで、見ていると幸せな気持ちになる。
でも、実はその頃、自分はそんなに恐竜には興味がなくて。
訊いてって言われてもな、とかろうじてひねり出した質問が、それだった。
恐竜って、なんで絶滅したの?
任せて、と胸を張って絽奈は調べものを請け負ってくれた。
そして曰く、こういうことだった。
はっきりとはわかっていないけれど、有力とされる説はある。隕石の衝突。すごい大きな隕石が降ってきてみんなぶっ飛んじゃったってこと? 違う違う。
隕石が降ってきて、その衝撃で地表から塵や砂が舞い上がって、太陽からの日差しを遮った。そうしたらものすごい勢いで気温が下がっちゃって、その勢いでみんな死んじゃった。
いいなあ、とは正直思わなかった。
気温が下がったくらいでそんなに簡単に死ぬんだろうか。訊いてみると、やっぱり単に寒くなって死んだだけじゃないらしい。寒くなって、それで植物とかが育たなくなって、植物を食べる動物がいなくなって、そういう連鎖が続いて食べ物がなくなっていって死に至ったらしい。食べられないのは嫌だな、と思う。
だから、降ってくるならもっともっと大きな隕石がいい。
地球と同じくらい――何なら、地球よりでっかくたっていい。そういうのが宇宙から降ってきて、地球を丸ごと押し潰してしまえばいい。できれば寝ているときがいい。地球人類が全員寝てる時間なんかないから全員とは言わないけれど、少なくとも自分は寝ていたい。あーあ、寝たら明日が来ちゃうのか。そう思いながら渋々横たわったベッドの上で、眠りに就いたままどこかに消えてしまいたい。綺麗さっぱり、何の悲しみも残さず消え去ってしまえばいい。
大切なものはもう全部ここにあって、後は全部、ボロボロに失っていくだけなんだから。
大きな隕石が落ちてきて、ここで全部終わりにしてくれればいい。
もちろん、そんなの滅多に口にしないけれど。
だって、自分の隣にいる人が悲しい顔をしていたら不安になるし。
悲しいことなんて何もないって。
誰かが笑ってないと、怖いから。
□
海が金色に染まっていく。
長いようで短かった日々が、もうすぐ終わる。
結局あれから、ずっと猫は傍にいた。何も言わなかった。ただぼうっと、自分が帰る先だろう海が風に波立つのを眺めていた。その隣にいた式谷も同じ。ずっと、ぼんやりと、もしかしたら最後になるかもしれない海を見つめていた。
二々ヶ浜の海とは、全然違う。
ずっと昔に過ぎ去って、なくなってしまった、夢みたいに綺麗な海。
次の電車はあと十五分で来る。きっとそれに乗ってくる。
そう思ったから、ベンチから立ち上がった。
ん、と短く声を出して背伸びをした。何のクッションもない場所にずっと座っていたから腰が痛い。背中を反って伸ばす。服に付いた砂を軽く手で払う。
さて。
どっちに行けばいいかはわからないけれど、もう行こう。
「――どこへ行く」
猫が。
こっちを見上げていた。それにしても、と思う。随分この猫はかっちりした話し方をする。テレビだけを見ていてもこうはならないんじゃないかと思う。バラエティ番組とかニュース番組に、こんなぶっきらぼうで硬い喋り方をする人は出てこないから。アクション映画でも観ていたんだろうか。昔、姉と一緒によく土曜の昼間に観ていたことを思い出す。ハリウッドなんかでやるような映画。四十代のムキムキスキンヘッドが、警察に追われながら銃と車で大暴れ。今の自分は警察に追われているのに銃も車もなくて、四十代でもなければムキムキでもスキンヘッドでもない。ああいう映画の主人公みたいに、ぶっきらぼうでハードボイルドな喋り方もしない。
「さあ?」
自分で問題を解決する力もないから。
行先なんか訊ねられても、そんなの自分じゃわからない。
「来ないのか、お前の仲間は」
「来るよ。……って言い切っちゃうとアレだけど。ウミちゃんは賢いし、電車の乗り方もわかるだろうし、切符代も出してくれる人がいるから。トラブルがなければ、多分次の電車で来るんじゃないかな」
怪訝な顔で、猫はこっちを見上げている。
そうだ、と思い出した。
あのとき訊ねられたのに、こっちの都合ばかりで結局、自分の言葉では答えていなかったこと。
「追われてるんだ」
何と言えば伝わるだろう。
絽奈みたいには上手く喋れない。時間もあまりない。どうせ伝わらないのかもな、なんて最初から諦めながら、口を開く。
「警察ってわかる?」
「暴力装置」
「ぼ……」
本当に、どこで日本語を学んできたんだろう。
そんな言い方、少なくとも学校では聞いたことがない。暴力を扱う装置と言われたら、まあ確かに、今自分が対峙しているものの特徴をそのまま捉えている気もするけれど。
一応、善良な警察の――今は残っているのかどうかも定かではない人々の名誉のためにも、
「悪い人を取り締まったりする組織のこと。こう、危ない人がいたら捕まえたりする。そういう人たちが集まるグループのことね」
「だから暴力装置だろう。集団における治安維持を名目として、暴力行使の法的正当性を独占的に保有する組織のことだ」
オッケー、と式谷は両手を挙げた。
君の方が日本語と警察については詳しい。これ以上そのことについて自分から言えることは何もない。
「警察から追われているのか」
「そう。悪いことは……たまにするけど、そういうのとは関係なく」
「お前は、国家に対立する組織の一員なのか」
そんなに大したものじゃない。
むしろそのくらい大したものだったら、こんなところでぐずぐず時間を潰して戸惑ったりなんかしていないはずだ。自分の今の状況を変える決定的な一手――世界の秘密とか、そんなのに手をかけて、重要な手掛かりを持って高速道路をスポーツカーで爆走したり、国の重要機関に入り込んですごい技術でコンピュータにハッキングを仕掛けたり、巨大なロボットに乗って戦ったり超能力で政府が保有する超怪獣と対決してみたり、銃を持って黒幕とビルの屋上で対峙してみたり……そういうことをしているはず。だけどもちろんそんなことはできていないし、これからもできない。対立する、なんてかっこいい言葉は使えない。海と、その水面で揺れる小さな葉っぱなんかじゃ、全然釣り合いが取れていない。
「だったらよかったんだけど」
短く言って、その質問はそれでおしまい。
離れる理由。
「そういう状態で友達――君の言うところの『僕の仲間』と会うのは危ないから。厄介なことにならないうちに、この場所から離れる。それだけ」
別に、納得してもらう必要なんてないのだけど。
つい反応を見てしまうのは多分、この期に及んでいつもの生活で身に付いた癖なんだと思う。
猫は少しだけ視線を落とした。こっちの膝のあたりを見ている。けれど多分、その見ている場所には意味はないんだと思う。目を開けながら、何も見ていない。考えている。
何を?
何でもいい、と思った。
どうせ大抵の人と自分の間には、もう何の関係もないんだから。
「じゃあ、」
元気で、と踵を返そうとする。
その前に、足を止める。
ふと、思い付いたことがあったから。
「――あのさ。一つだけお願いしていいかな」
「……なんだ」
もしかしたら、と思う。あんまりなさそうだけれど。でも、ありえなくはないかもなと思ったから。何だかんだ言って優しいし面倒見もいいから、そういう風になる可能性だってあるはずだって、そう思っているから。
「もしかしたら君の友達と一緒にもう一人、付き添いで僕の友達が来るかもしれないんだけど」
一応お願い、と。
「気が小さい子だから、あんまり怖がらせないであげて」
言ってから思う。
これだけじゃ「君は普通にしてると怖く見えるから」なんて意味まで含んでしまいそうだったから。後付けで言葉を増やす。ああいや、別に変な意味じゃなくて。その子、知らない人のことも――っていうか、知らないものを全体的に怖がってるところがあるから。ちょっとビビりっていうか……ビビりって言ってもわかんないか。怖がりがちっていうか、臆病っていうか、だから全然、次の電車でウミちゃんだけが来る可能性もあるんだけど、もしかしたら一緒に来るかもしれないからそのときは、
よろしく、と口にしてから。
お願いばかりじゃバランスが悪いな、と思って。
「それだけ。……じゃあ、その、」
お幸せに。
結婚式の挨拶じゃないんだから、なんて思いながら、今度こそ踵を返した。
行く方は、来る電車とすれ違わないように、線路のずっと奥の方。
レールを外れて、誰も知らない場所へ行く。




