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花束の代わりに ④


「少なくとも私は元気じゃないですけど。進路もまだ決めてないんで」

 その一言で話を進路相談に持ち込んだ花野の機転を、内心ちょっとすげえなと思いつつ、薊原は病院内の売店のあたりで彷徨っている。そういうことなら、と宇垣が目配せをしてくるから、「そんなら下居るわ。終わったら連絡くれ」とだけ言って病室を後にしてきたのだ。

 あの異常な照りで何もかもが真っ白に見える野外に出て花野の戻りを待つなんて、冗談じゃない。

 だから病院内に留まって、どこか落ち着ける場所を探している。連絡くれ、とは言ったものの端末の電源は切りっぱなしにしていることに気が付いたから、あまりわかりにくいところにはいられない。まあ売店か、と思うから売店に行って、大してでかい売り場でもないから五分もいないうちに見るものがなくなって、仕方ないから興味のないマンガの最新刊だけ買ってエントランスで時間を潰そうか――そんなことを思っていたら。

 見えた。

 週刊誌の煽り文。


『神に見捨てられた男』

『二々ヶ浜の若き市長に危険な対抗馬! 暗躍する政権与党 命運を握るのは「あの水」を売るご当地カルト か?』


「あれ、薊原じゃん」

「ん、」

 よっす、と腰を叩かれた。

 かなり高めの音が鳴る。加減を知らねえ奴だな誰だ、と振り向くと、当然知ってる顔だった。

 倉持紬。

「何してんのオマエ」

「そっちが何してんの――ってアレか。ガッキーのお見舞い?」

 晶は、と言って倉持が周りを見回す。当然いない。ちょっと取り込み中、と言えば、大してそこを掘り下げるつもりもないのだろう、ふーん、とだけ言って納得した。

「で、オマエは何だよ」

「ばーちゃんの入院グッズ届けにきた。ママンがまた働き出して時間なくなっちゃってさー」

「……へえ」

 まあそういうこともあるか、と薊原も飲み込むほかない。あまり他人の家庭の事情に踏み入ろうとは思わない。踏み入られて良い気がするか、という問題もある。式谷とか花野とか、そのへんの奴らならともかく、特に自分みたいな奴には。

「え、で。今は薊原は何? 晶待ちとか?」

「そう」

「んじゃあたしも一緒に帰ろっかな。ガッキーどう? 元気してた?」

 落ち込んでた、と言うと、なはは、と倉持は笑う。目に浮かびますわあの真面目クンの落ち込みぶりは。時間潰しの相手もできたことだし、と薊原はその週刊誌から顔を背ける。しばらく売店にいたから何も買わないのも悪いと思って、とりあえずペットボトルを見る。オマエなんか飲む、と訊ねると、ほんとだ、と倉持が言う。何が、と訊ねればさらに笑って答えた。

「前に教室で『薊原とかいう成金お坊ちゃんいけ好かんわ』って話してたんだけどさ」

「……別にいーけど、わざわざ言うなよ。本人だぞオレ」

「ちゃうちゃう。こっからが良い話。真面目委員長が『そんなことないよ』って言い出したわけ」

 真面目委員長、で四人くらい顔が思い浮かぶ。花野、洪、桐峯。後はまあ果たしてあいつは本当に真面目なのかという疑問が残らないでもないが、外形的にはまあそう言えなくもないかというラインで式谷。一番言いそうなのは式谷、次点で洪。

「でも『いけ好かんわ』ってのはあたしの感想じゃん? だからそんなわけねーだろって頭ひっぱたいてやろうかと思ったんだけど」

「暴力的すぎだろ」

「IR出禁に言われたかねーわ。ただ、あたしは過去の経験から学んで日々成長してるわけよ。こいつが良い子ちゃん面してこっちを止めにかかってきたときは大体ちゃんと止まっておかないと後で『うわなんでこんなことしたんだろ……』って後悔する羽目になるって」

 たぶん式谷なんだろうな、と思う。

 それで、と続きを促せば、

「しかし納得いかんもんは納得いかんもんだから、あたしは訊いたわけ。『根拠は?』って」

 そうしたら、と言いながら倉持は飲み物の棚を開ける。迷いなく手に取ったのは英字の書かれた缶の飲み物。


「『優しいし、一緒にいると楽しいよ』って。

 ――つーわけで、学習成功祝いに奢ってくれや。いけ好く……いけ好く? お坊ちゃん」


 何の遠慮もない、別に好きでもなさそうな、お前それ値段見て決めただろ、と思わず言ってしまいたくなるようなエナジードリンク。

 手に取る。氷みたいに冷たい。成分表を眺める癖があるから、言ってやりたくなる。お前こんなので元気出るとか身体に良いとか思ったら大間違いだぞ。こういうのに頼ってるとそのうち身体ぶっ壊すんだからな。無意味にカフェインとか過剰な糖分とかそんなん摂って何かを誤魔化そうとすんなよそんなの全然、

 全然、

 ジュース奢ってくれるし良い奴だよとか、そのくらいの、そのまんまの、軽いものが来ると思っていたから。

 準備が、出来てなくて。

「薊原?」

 呼び掛けられる。何でもない、と示すためにその缶を持った手を軽く挙げて踵を返す。

 セルフレジでよかった、と思う。

 誰と向かい合うこともなく、これを買うことができるから。

 エナジードリンクのバーコードを通す。次は自分の分のスポーツドリンク。そういえば、と思う。スポーツドリンクも飲みすぎるとダメだったんだよな。薄めて売ってくれりゃいいのに。こんなのに千円札なんか使っているとどんどん小銭で財布が重くなる。こういうところが現金派は不便なんだよな。だけど全面キャッシュレスに移行できるほどいざってときの社会を信頼できもしない。そんなことを思いながら小銭入れを覗く。漁る。あいつもちゃんと財布は持って行ったんだろうか。どのくらい入れておいたんだろうか。結局原付なんか買わないであのオンボロのチャリを直しただけで終わりにしたみたいだし、あの金まだ余ってるよな。大丈夫だよな。案外あいつすげー肝太いから、旅行か何かだと思ってそのへんぶらついて楽しんでるのかもな。全部終わったら「怖かったー」なんて笑って、なのに手には何かを持っていて「あ、これお土産」なんてのんきに言うもんだから何なんだよコイツってどいつもこいつも呆れ返ってそれで、

 それで。

 そういう日を夢見ていたから、多分あいつは、あのとき来てくれて。

 自分のどこに、あいつから「優しい」なんて言ってもらえるような余地があるんだろう。

 お金を入れてください、とセルフレジが余計なことを言ってくる。金がなくちゃいけない。物を貰うなら金が要る。金を出さずに貰えるものなんて精々が優しさくらいのもので、それだってときどき、金と同じ形で現れる。わかってる。世の中はそういう風に出来ているし、幸いにも今、自分の手元にはそれがある。自分で稼いだわけでもない端金を機械に突っ込んで、何事もなかったように振り向いて、倉持に渡すことができる。何でもないように。ほれ、なんて言って顔にでも押し付けてやって、おいこら、なんて言われて笑うことができる。でもそうするためにはもう少しだけ、何もなかったように振る舞うためにはあとほんの少しだけ、時間が必要で、

 レジの奥から、婆さんが出てきた。

 バックルームの方から出てくるところを見ていなかったら、絶対患者だと判断してしまうようなよぼついた婆さんだ。昔はどうだったのか知らないが今は子どもみたいに小さくて、歩くのだっていかにも億劫そうで、レジ横のドアを開けるのだってひどく大儀そうで、一体どうやってコンビニの店員なんてやることが多くて難しい仕事を日々こなしているのかわからなくて、

「だいじょうぶ」

 背中を叩く手つきだけが、何十年も前から覚えているみたいに優しくて。


「だいじょうぶだよぉ。こわいことなんか、なぁんもないんだから」


 そうじゃない、と思う。

 怖いことなんか、いくらあったってよくて。

 どうすれば自分がそれを肩代わりしてやれるのか、それを教えて欲しかった。



 海が見える。

 ここで死ねたら最高だろうな、と式谷湊は思っている。


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