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花束の代わりに ①


 二々ヶ浜には、やたらと立派な駅がある。

 これからの経済拠点に、と市が肝入りで改装した、名付けてそのまま二々ヶ浜駅。清潔で、巨大で、そしてほとんどの観光客が空港や東京のターミナル駅からのシャトルバスで訪れるせいで、万年閑散としている。

 大々的に押し出された素晴らしい駅ビルもいつの間にか名前が変わって、地元の人間ですらどこがどういうつもりで運営しているのか全然わかっていない。改装当初はあれだけいた駅員たちもどこかに転勤してしまって、今や大してやる気のない再雇用職員が、地元の高齢者が切符を買う手伝いをするばかり。日が暮れ始めれば薬物売買の怪しい業者が周辺で客引きを始め、家のない若者がそこを寝床にしてはトラブルを起こし、そういうのを嫌った行政は何としても市民を公共の場から排除すべくできる限り芸術的に「お前らここから出て行け」というメッセージを発信しようと予算を費やして過ごしにくさを追求し、市議会では日々「空前絶後の無駄遣い」「税金を何だと思っているのか」「こうしたことの一つ一つが市政の無計画ぶりを顕著に表わしている」と反対派から大評判。これに対して市長は「こっちの計画は完璧なのに鉄道会社の頭が固いものだから」と強硬な姿勢で対抗しており――と、どこにでもある、そんな駅。

 二々ヶ浜高校がなくなってからは、若者が訪れることなんて本当に珍しい限りで。

 なのにその日は一人だけ、燦々と照りつける夏の日差しに紛れて、電車を待つ中学生の姿がある。

 全く落ち着かない様子で、辺りをきょろきょろ見回して。

 パンパンに膨らんだ膝の上のリュックサックに、奇妙なことに時折、何かを話しかけている。



 がん、と机を蹴り付けるものすごい音がしたから、びっくりして緒方はパソコンから顔を上げた。

「うわごめん。全然無意識、今の」

 が、蹴り付けた本人が一番びっくりした顔をしている。端末片手に部屋の奥の壁に背を預けていた葵は、足当たっちったゴメン、と軽く謝る。龍門寺が一言だけ答える。

 びっくりさせるなよ。

 ブラインドの外は、すっかり朝の明るさだった。

 これも良いタイミングかもしれない。緒方は椅子を引く。肩を回す。ぱちぱちと開いていたファイルをそのままにして、ゴム手袋を嵌めた指を眉間に当てて目を瞑る。昨日からぶっ続けだった。あるのかないのかすらわからないデータを探す作業。経済学棟の方で首尾良く鍵を入手して、理学部棟の方に回ってきて、もうどれくらいの時間が経って、どのくらいの徒労が積み上がっただろう。今のところ自分たちをここから連れ出してくれるだけの決定的な何かは、ここのパソコンから見つかっていない。

 一番最後に盛り上がったのは、適当な職員がよれよれの赤いファイルの表紙の裏に、黄色い付箋でIDとパスワードのメモを張り付けているのを見つけたとき。

 あれだってもう何時間前のことなのかわからなくて、それなのにいつまでも警察も大学関係者もこの場所の見回りにも来ないものだから辞め時を失って、食事もろくに取らないままで、かえってこの場所に幽閉されている。

 立ち上がる口実ができるなら、だから多分、何でもよかったのだと思う。

「何。どうしたの」

 パソコンをスリープに入れることすらせずに、そのまま立ち上がる。壁際まで行って、小さな声で話しかける。そんなに目立ちはしないと思う。パソコンのデータを漁っている組の方は四六時中カチカチカタカタ音を立てているし、紙ファイルの捜索をしている組の方は延々にバサバサバサバサページが破れんばかりの勢いで書類を捲り続けている。

 雀だって、建物の近くで朝の縄張り争いをしている。

 いやさ、と葵もそれと同じくらいの小さな声で、こっちに端末の画面を見せてきた。

 メッセージアプリのチャット画面。

 家族、とグループ名が振られている。

「何かあったの?」

「ここさ、既読が三つついてるじゃん」

 うん、と頷く。最後のメッセージは葵からだった。「電車乗った」という三月頃の一文。葵の言ったとおり既読は三つ付いていて、確か、と思い出す。葵の家族構成。

「弟いるんだっけ」

 うん、と葵は頷く。だけど問題はそっちじゃなくて、と、

「母親がさ、既読付けない癖あるんだよね。いるじゃん。通知だけ見て、見たら通知消してアプリの方に既読付けない人。あれ」

 ああ、と今度は緒方も頷く。いる。アプリを起動してチャット画面まで開くと既読のマークが付くけれど、通知だけでそのチェックを済ませてしまうといつまで経っても既読のマークが付かなくて、読んだのか読まなかったのかわからない。そういう人はいる。

「葵もじゃん」

「その節は……」

 受け継がれているな、と思うけれど、そのこと自体を問題にしたわけでもなさそうだから、

「それで?」

「……まあ、この画面もだから、昨日までは既読が二しか付いてなかったわけよ」

 それが今日は三、と葵は言う。

 何となく、言わんとすることがわかって、

「お母さんが急にアプリを開いたってこと?」

「まあ、だから何だって話なんすけど。ただ、自分だったら何かあったときの無言の連絡手段に使うよなって思って」

「何か……」

 メッセージを直接送って危険だの逃げろだの捕まりそうだの、そんなのをやっていたら後からその履歴を何に使われるかわかったものじゃない。が、メッセージアプリを開いたくらいのことならまだ言い逃れができる。それならこっちに、何かがあったことだけは伝えることができる。

 何か。

 何なのかは、わからないけれど。

「大丈夫なの」

「わかんね。誰が捕まったとか捕まらなかったとかそんなんも全然わかんないし。そういう由加利の方は?」

「……地元の友達が、SNSの画像の端っこの方にちょっとだけ連絡くれてた。おもちゃ――『to y』の横に『大丈夫』って。そういうの好きな子だったから、多分間違いないと思う」

 スパイみたいな友達いんね、と葵が言う。

 自分の友達の中で一番スパイみたいなのはお前だ、と言ってやろうかと緒方は思う。家族間で暗号みたいなやり取りをしている人間は他に知らない。

 が、やっぱり本題はそこではなくて、

「あんまり時間ないよね。どっちにしろ」

「まーね。灯台下暗しもいつまで続くもんだか――」

「お、」

 龍門寺が、ぽつりと声を上げた。

 パソコンの方だ。一斉に視線が集まる。視線が集まったことに気付いて龍門寺がちょっと顔を上げる。ああいや、と首を横に振りながら、

「大したことじゃないぞ。ただ、パスワード付きのテキストファイルを見つけただけで」

 確かに大したことじゃない。

 けれど、それが大したことに思えるくらいにはみんな進捗に飢えていた。

「誰のパソコン、それ。ノート?」

 まずは葵が一番最初に龍門寺の席の近くに動いた。いや、と言いながら龍門寺はノートパソコンの天板を少し畳む。大学の備品ならついているはずの記名テープがそこにない。あれ、と言いながら持ち上げる。よく見ると、と緒方は気が付いた。

「それ、LANケーブル繋がってなくない?」

「何。……本当だ」

「学内の無線使ってんの?」

「まだこれで外のインターネットにアクセスして……学内無線だな。勝手に接続されてる」

 それさ、と斎藤が言った。この職員用の部屋の入口、キャビネットの上に視線を落として、

「席次表見ると空席。虎一郎、どっから持ってきたそれ」

「初めからここにあったぞ」

「ログインパスワードは?」

 なかった、と龍門寺は言う。

 普通、と緒方は思う。学内コンピュータは全てログインパスワードを要求してくる。そして今時の市販のパソコンは、普通に流れに沿ってやっているとその設定を求めてくるものがほとんどのはずだと思う。実家の父親が使っていたノートパソコンすら、そういう設定になっていた。パスワード自体は『1111』で何の意味もないけれど、とりあえず設定されるだけはされている。

「誰かがわざと設定を外して、誰でも起動できるようにした?」

 何の根拠もない思い付き。

 けれど、「それだ」なんて簡単にそれを追認してしまうのが同じ部屋の中にいたから、みんなその気になってしまった。

 ぱちん、と景気良く指を鳴らして葵が言う。

「つーことはどっかしらに文書ファイルのパスワードも入ってんじゃねーの。見せるつもりで置いたなら。龍門寺、探せ探せ」

「探せったってな……」

 ここまで来ると、もう全員で一つのパソコンを覗き込むような有様だった。

 これだそれだあれだどれだ、画面は一つしかないのにあっちからこっちから指示が飛ぶ。聖徳太子じゃないんだぞ俺は、なんて言いながら龍門寺は高性能なラジコンみたいにその指示を的確にこなしていく。緒方は何も言わない。船頭多くして船山に上るではないが、いちいちこんなときに口を横から挟んだって仕方ない。けれど誰も指摘しないことの中で気付いたことがあったから、同じく腕を組んだままで事態の経過を眺めていた葵に、小さく伝える。

「共用フォルダのアクセス権ないね。やっぱり個人用のがどこからか持ち込まれてるみたい」

「……ああ」

 よく見てんね、と葵は言った後、

「龍門寺、それユーザ名は?」

「ん?」

「ユーザ名。大体今のやつってそういうの付いてるっしょ」

 ああ、と今度は龍門寺が頷く。ファイル管理を開いて、そこからカチカチと適当にマウスをクリックして、

「これか?」

 意味のなさそうな数字とアルファベットの羅列だった。

 ランダム生成したか、キーボードを適当にぐしゃっと押したか、どっちかわからない程度のもの。それじゃん、と葵が言う。その「それじゃん」には、「それがユーザ名じゃないの」以上の意味が含まれている。

 それがパスワードなんじゃないの。

 普通、そんなことがあるわけないのだけれど。

 ええと、と少しだけ龍門寺が手間取る。ドラッグしてその文字列をコピーしようとして失敗している。右クリック、と緒方は伝える。お婆ちゃんのコンピュータ教室じゃあるまいし、と急に視点が遠くなって、自分たちのやっていることが全て馬鹿馬鹿しく思えてくる。冤罪をかけられて警察に追われて、封鎖された大学に逃げ込んで、ソーシャルハッキングという名の家探しを繰り返して勝手に学内のパソコンにアクセスしまくって、これからの自分たちの未来とかそんな大事なもの全部を賭けているときに出てくるアドバイスが「右クリック」?

 悪い冗談みたいだ、と思いながら。

 それでもアドバイス通りに、龍門寺はそれを操作する。コピーした文字列を文書ファイルのパスワード入力欄に貼り付ける。

 エンター。

 そうしたら、今度こそ本当に、悪い冗談が始まった。


『!!!告発文!!!

 この文書が心正しく、世の不正を糺さんとする志の持ち主の手に渡ることを望む』


 赤字、大文字、ゴシック体。


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