小石は崖へ ④
『いやあ、わかるなあ! そうなんだよね。駅からちょっと歩いてうわーって汗かいちゃうとその後クーラーに当たってもそのままずーっと暑くって、で、急にくらっと来ちゃうわけ。年ですね、年。あはは。まあね、このラジオも一体何年やってんだってとこですから。ほんとに。ラジオを聴いてくれている私と同年代の皆さんも、それからもちろん若い子もお年寄りの皆さんも、この夏は本当に暑いので、くれぐれも熱中症には気を付けて過ごしてくだっさー、い。――さて! それじゃあここでそんな暑い夏を吹き飛ばす爽やかな一曲をご紹介しましょう。一九九八年リリースの――』
ラジオの周波数をいくら変えても、ほとんど自分たちに関するニュースはやっていない。
見捨てられているんだな、と緒方は氷水を溜めたバケツに足の先を浸しながら考えていた。
「緒方くん。式谷はまだ戻ってこないのか?」
「私に訊かれても。一回外に出ちゃったら連絡してる時間分危なくなるし」
「……それはそうなんだが、わからないのか」
「どうやって」
「……テレパシー」
大学には七不思議が付きもので、当然それは緒方が通うこの大学にも存在する。
大抵それらは、小学生が適当にクラスメイトの気を引きたくて口から出まかせを言っているのと大して変わらないものだ。深夜の池で人面魚に話しかけられただとか、演習林には首吊り死体の群れがいるだとか、このネットで有名な幽霊話のモデルは実はこの大学のことなのだとか、生科学実験棟の近くにある謎の囲われた草むらには未知の生き物が飼育されておりうっかり逃げ出してしまうと世界が終わるだとか、学内博物館はいつ行っても人っ子一人いないので実はあそこは大学が管理していない勝手に建てられた施設で気を抜くと向こうの世界に持っていかれるだとか、法文館に夜中に忘れ物を取りに行ったら真っ赤な服を着た女が一人でぽつんと座っていただとか、夜な夜な工学部の実験棟から洩れ出している紫色の明かりは政府によって隠蔽された非常に科学的なアレでどうせ大学なんて最終的には全部ロボットに変形して合体して怪獣と戦う羽目になるのだとか、そういうことが半笑いで語られている。
当然、誰もそれを信じていない。
が、それに紛れてひとつまみくらい真実がある。
たとえば、この大学には広大な地下施設がある、だとか。
「もうちょっと落ち着いて待ってたら?」
「逆に訊くが、どうやってこの状況で落ち着けるんだ。今まさに地上では式谷が官憲の手にかかり俺たちの隠れ場所を自白させられ機動隊の突入準備がされているのかもしれないんだぞ」
「十五分で?」
「…………」
「龍門寺さんって、アメリカにいたらゾンビ対策に散弾銃とか地下シェルターとか買っちゃうタイプでしょ」
「……シェルターは買うだろうな。あったらこんなに便利なものはない。実用性がある」
謎に包まれているというより、真実が伝承されない空間と呼んだ方が正確に思われた。
緒方が借りている文京区のアパートから徒歩でそれほどの時間もかからないところに大昔から鎮座しているこの大学には、噂されているとおり本当に広大な地下施設がある。
その成り立ちについては様々な憶測がある。戦時に建てられた大学要人のための避難通路だとか、いやいや普通に近隣住民のための防空壕だとか、違うクーデターが発生したときに備えて建設された臨時政府用のシェルターだとか、別にそんなに複雑なことはなくて単に雨の日にも学生たちがスムーズに移動できるように上野よろしく地下通路を整備するつもりだったのだけど途中で飽きたか学長が変わっただかで廃れてしまったのだとか、当時の学生寮の生徒たちが勝手に建設しただとか、常識で考えればわかるだろ地下で暮らすタヌキたちの王国の跡だよとか、いや跡ではない今もそうだこの大学はタヌキに支配されいる全てはディープ・タヌキートの陰謀だとか、そういう怪しい噂がいくつもある。
そして大学に入学したばかりの子どもたちがハシャいでそれを調べ始め、何らかの答えを出す。答えが出るとその年に大学に在籍している学生たちは「へー」となるが、別に普段からそこまで気にするような場所でもないし、何ならなぜ法文館の『トイレ→』の表記に従って歩いていくと普通に外に続く扉を開ける羽目になるのかこれは大学の外の世界など全てトイレに過ぎないという運営当局のあまりにも強すぎる思想の開陳なのかお前らのような学生など所詮は大学という巨大な機関の養分に過ぎず消化が終わればただ代謝に伴い外に弾き出されるだけだというメッセージなのかということの方がよっぽど気になっているので、すぐに忘れる。一ヶ月もすれば真実と噂の区別が付かなくなり、適当なことを言い始め、先輩や教員が適当なことを言えば後輩もまた何となくそれを信じ、再び「本当かよ」と言って自分で調べてみなければ気が済まない学生たちが入学してくるまで怪しい都市伝説のままで大学の底に眠り続ける。
実際、緒方もまた、この場所が単なる学生用の通路だったのか、それとも近隣住民のための防空壕だったのかを思い出せずにいる。
大学のほとんど至るところに入り口はあるのだそうだ。マンホールに見せかけられたそれは、実はその半分程度は地下空間への入り口らしいから。しかしもっともわかりやすいのはやはり総合教養棟から入るルートだろう。必修の語学の講義なんかでもよく使われる場所だから、大抵の学生には馴染み深い。実際、緒方もここに来るまでは葵の後ろについて行ってそのルートから入った。総合教養棟の端の方。別にロープや鎖が渡されているわけでも、立入禁止の看板が立てられているわけでもない。だからかえってそういやなんで一階に下りの階段があるんだろとか、シラバスのどこにも総合教養棟の地下を使う講義が見当たらないなとか、そんなの別に大半の学生が気にしないまま四年を終えて出ていってしまう、そんな場所。階段は次のフロアに着くまでたっぷり四回折り返す。最初の頃の「こんな場所あったんだ」という感想はやがて「ダメなところに入ってしまっているのでは」という不安に変わる。電気は点かない。ゾンビゲームみたいな緊張感が漂ってくる。埃の匂い。辿り着いて、鉄扉を開く。
そうすると、いま緒方が――そして、龍門寺虎一郎が率いる数人の大学生が籠城している空間に辿り着く。
窓のない、それこそ人工の明かりがなければ真っ暗闇に違いない地下空間。
東京の地下鉄の、あの何とも言えない不安感をさらに倍にしたような殺風景。ただでさえ陰気な空間で、さらにそこにたむろしている人間まで陰気とあってはもはやどうしようもない場所。
けれど、こんな場所の他にはもう、自分たちが逃げられる場所はない。
八月二十二日。指名手配されてから五日目。
いまだ警察に捕まることなく、何とか緒方は日々をやり過ごせていた。
壁の凹み――荷物置き場か何かの展示場所になる予定だったのだろうか――に腰掛けたまま足の先を動かせば、からん、とバケツの中で氷水が回る。それでも暑い。地下空間は地上と比べればだいぶ涼しいけれど、それでも人間には我慢の限界というものがある。もうそろそろクーラーを入れたい。シャワーも浴びたい。限界が近い。遠からずここにいるうちの誰かは耐え切れずに自ら警察に捕まりに行くだろう。龍門寺虎一郎が視界の端で冬眠明けの熊みたいにうろうろしている。大人しくしていてくれ、と思う。
ギィ、と遠くで音がした。
このタイミングになると、いつも皆、息をひそめる。この場所に誰がやってきたのか、これから自分たちの行く道がどうなるのか、それを見極めているような時間。そして今のところ、その見極めは常に同じ結果をもたらしている。
「たっだいまー。暑ちーっす、外」
仲間が帰ってきた。
手には旅行用の大きなスーツケースとリュックサック。ガラガラと平たい床の上を引きながら、式谷葵が戻ってきた。おかえり、大丈夫だった、と口々に皆が声をかける。見てのとーり、と余裕たっぷりに答えて葵はスーツケースを放り出す。適当に開けて、と言うまでもなくすぐにそれは開かれる。スーツケースの中にもリュックの中にも、たっぷりのレトルト食品。みんな食糧だ、と誰かが言う。本当にゾンビ映画みたいになってきている。
「暑かったっす。足入ーれて」
「やだ」
「そこを何とか」
足洗ってきてからにしてよ、と言えばうぃす、と葵は洗い場――に勝手にしてしまった一画――の方に向かう。戻ってくる。チョコ食う?と訊かれるから頷く。バケツの中に葵が足を突っ込んでくる。つめてー、と気持ち良さそうに葵は笑う。緒方は溶けかけのチョコを食べながら、外の世界の日差しを思う。
いつの間にか、目の前に龍門寺虎一郎が立っていた。
「どうだった、式谷。外は」
「相変わらず指名手配はザル。一応マスクして行ったけど、なくても平気なくらいかもね。だーれも見てないし、気にしてないっぽいわ。報道もないし。つーかそれよりあたしがそろそろ怪しいっす。買い込みすぎだし。時間帯変えてっけど店員に怪しまれ出したら危ねーよ。うろうろしてっと捕まるリスクも増えるから遠出もできないしさー。次、龍門寺行ってきて」
「……おう」
「顔が超ビビってんじゃん」
ビビっとらんわ、と龍門寺は言う。
ビビるんだこの人、と緒方は横で思っている。
龍門寺虎一郎は、自分たちの代ではそこそこの有名人だ。環境保護サークル『明日のためにできること』に所属していて、とにかく声がデカいし学食の横でたまに演説だってしている。よくもまあ衆議院選挙投票率が三割を切る時代にそんな元気があるものだと感心していたけれど、龍門寺もまた、葵と同じくこの空間の存在を知る一人だったらしい。
「――しかし、そもそも何なんだ。俺たちが追われている理由は」
そして、同じく指名手配されているらしい。
何食う、の問いかけに「ラーメン」と答えながら、ここに来て何度目になるだろう、そんな疑問を龍門寺は口にする。緒方さんは、と訊かれて「メロンパン」と答えながら、よく飽きないものだな、と緒方は感心している。情報が増えていない以上、どうやったっていつもの答え以外に辿り着けないだろうに。答えのない問題に悩み続けることができるからこそ政治運動みたいなことができるのだろうか。どうぞ、と渡されたそれを、ありがとう、と受け取って、ふんっ、と袋を開けながら、しかしスタート地点くらいは示してあげようと思う。
「わかんないよね。機密情報とか言われても、みんな心当たりないんでしょ?」
「ない。……ないよな?」
ない、ともちろん声は返ってくる。声の主は全員が龍門寺の所属する環境保護サークルのメンバーだ。設立してまだ間もないこともあって、緒方は前に少しだけ顔を出したことがあるベンチャー企業の感じを思い出す。それぞれがプレイヤーとして活力を持つけれど、根本的に友人関係がベースにあるから、それほどこじれる心配がない。
「式谷は」
「ねーっす。あー、焼きそば買ってくりゃよかった」
「買ってくればよかっただろ」
「え、焼きそばは湯切りできるところないからダメじゃない? 上のトイレまで行くの? わざわざ?」
「飲めばいい。サステナブル社会に貢献するんだ」
「龍門寺さんってもしかして環境保護活動のことちょっと馬鹿にしてる?」
「そんなわけあるか。俺は至って真剣だ。いいだろ別に、白湯みたいなものだと思えば。身体が温まるぞ」
この気温で身体温まったら死ぬわ、と葵が非常にもっともなことを言う。いいか、と龍門寺が演説の助走を始める。よくない、と葵が助走の段階で止める。二人は語学と演習のクラスが同じで、元から知り合いだそうだ。
「今は百年後の地球の話より焼きそばの話がしてーわ。うわー、完全に焼きそばの口になっちゃった。もっかいコンビニ行ってこようかな」
「そもそもお湯ないのにどうするつもりなの。たぶん水で戻したの食べても焼きそばの口は満たされないと思うけど」
「あたしにとって焼きそばってソースのことだから……」
「じゃあソース飲んだら? このあいだ買ってきたやつそこにあるし」
「そうしよっかな」
「なんちゅう会話をしとるんだ君らは」
機密ねえ、と葵は少し前の会話を拾い始める。結局ソースは飲まないらしい。焼きそばパンでいいや、と言ってリュックにがさごそ手を入れる。焼きそばパンがあるならいいじゃん、と緒方は思う。
「これさあ、みんな嫌がるかなーと思って言わなかったんだけど」
「何が」
「追われてる理由」
「――心当たりがあるのか!」
「言わなかったんだけど、言っていい?」
「いいに決まってるだろ。早く言ってくれ」
「普通に機密情報の漏洩とか嘘で、大学にいる反体制派みたいなのを適当に理由付けて掃除しようとしてんじゃないの」
あんぐり、と龍門寺の口が開く。
こんなにあんぐりする人いるんだ、と緒方は思う。そして同時に、このタイミングで言うんだ、とも。
「な……なぜそう思う?」
「とのことですが、由加利さん」
「あ、うん。一応時間があるときとか、上手く電波拾えたときに確認しておいたんだけど」
二人でちらちらと話してきたことではあった。
だからもちろん、ある程度の裏付けを持って説明することができる。
「指名手配されてる人は、まあ普通に確認できるでしょ。それから多分すぐ捕まったんだろうなって人も、ある程度はSNSの更新が途切れてるとかで推測できるから。そういう人を並べて、主義主張とか軽く調べてみたんだけど」
「……反体制派なのか」
「思いっ切りそういう感じの人ばっかりでもないんだけどね。連名で政府に意見書を出してる法学部・文学部の教授陣なんかはわかりやすく反体制派だけど、研究費が少なすぎて実験設備が買えないって訴えてる実験系の教授とか、それこそ大学でハラスメント対策に取り組んでる人とか、汚職の話とかを週刊誌に流してるくらいの人まで逮捕されてるみたいだし。ただ、ネットに情報が落ちてる人は大体そういう……何て言ったらいいんだろ。物申しちゃう系?の人たちが多い傾向があるみたい」
「龍門寺のとこもよく大学に喧嘩売ってるしなー。あれやってたじゃん。あの図書館の『基準なき焼却処分反対!』みたいなやつ。ああいうのでじわじわ目ぇ付けられたんじゃん」
うわあそれ言い出したの私だ、と冷たい米に冷たいカレーをかけていた斎藤が言う。カレーの匂いがすごい。しょっぱいものが食べたくなってくる。龍門寺は愕然とした顔で、
「――そんな馬鹿な」
「『そんな馬鹿な』なニュースなんて毎日流れてくんじゃん。これもその一つなんじゃないの」
「いや……しかしその理屈ならお前たちはどうなんだ。式谷の方はともかく、緒方くんなんかは。何か心当たりがあるのか」
「私は研究室でハラスメントされて色々揉めてたからそれかも。葵も多分その巻き込まれ。ごめんね」
「いや、あたしは来る後輩たちのために学生寮の値上げ反対運動をやろうとしてたからそっちかもしれん」
ハラスメント、と繰り返して龍門寺が悲しそうな顔をする。大変だったんだな。いや、今も大変なのか。まあ、と緒方は頷く。この数日の暮らしですっかり現実感がなくなってしまったから何とも受け止め難い言葉だけれど、確かに現在進行形で大変な事態に陥っていると思う。まさか指名手配されて国民番号カードを作るときに適当に撮った証明写真が全国に流される人生になるなんて思いもしなかった。地元の親もびっくり仰天だろうか。繋がりがあると思われるとかえって危ないと思って連絡していないけれど、無事に過ごせているだろうか。全国に先駆けて物々交換で消費税を抜こうとした地元の連帯力と反骨精神を頼むしかない。
何か力になれることがあったら言ってくれ、と龍門寺は拳をぐっと握った。
この状況で、と緒方は思ったけれど、人の良さにタイミングは関係ないのかもしれない。ありがとう、と微笑んだ。
「んでさ、言うこと言っちゃったからこっから先の相談なんだけど」
もきゅ、と焼きそばパンを食べながら、葵は言う。
「多分さあ、待ってても状況が好転することってないわけよ」
「……そうなるか」
うん、と緒方は葵の代わりに頷いた。
これもまた、時間があるときに調べておいたことだ。
「私たちのこれ、全然外では気にされてないから。大学関係者でこういうことに物申すタイプの人たちがみんな逮捕されたり指名手配されたりしてるのもあって、本当に全く救済とか不当逮捕とかそういう流れになってない。皆無」
あとは、とさらに付け足しで、
「漏洩した国家機密が何だったのかって話も『国家機密なんだから話せるわけがない』の一点張りで周辺情報の開示もなし」
「大学の人間が軒並み逮捕されているのに、スキャンダルとしてすら扱われていないのか? 本当に?」
言いながら、龍門寺はしかし足元に置いた小型のラジオに目線が行っている。この暑い夏はやっぱりビールでしょ、というわけでここからはビールに合うおつまみのご紹介、今日はゲストに本番組のスポンサーでもある株式会社――、その前にやっていたのは今週売れてる副業指南本の特集だった。
「全然。元々ネットで反感持たれてる教員の人たちも多かったから、逮捕されても『ざまあみろ』とか『やっぱりな』とか『どんどんやれ』とかそんなのばっかり。大学と関係ない人が『おかしい』って言っても『お前も仲間か』とか『あーあ』とか『通報した』とかコメントが三十件くらいついて、二日もしたら誰も話さなくなっちゃった」
「…………」
龍門寺が沈痛な面持ちで瞼を瞑る。頭痛を堪えるように眉間に指を当てる。いつものインターネットだな、とスポーツドリンクを水で三倍に薄めて飲んでいる田和辺が言った。
「――わかった。で、どうする」
切り替え早、とちょっと緒方は驚いた。こういうのがベンチャー企業みたいなサークルを仕切る人間に求められるフットワークの軽さなのかもしれない。
葵はそれに、
「このまま地下で革命団体を組織してじわじわ国を乗っ取る」
「本気か?」
「本気ではないけど、近いことはする」
うおマジか、と水を入れたカップうどんをずっとぐるぐるかき回している桑島が驚いた。マジ、と葵は答える。口元についたマヨネーズを親指で拭う。
「別にそんなに大事にする必要はないかもしんないけど、何かしら状況はひっくり返さなくちゃどうしようもないっしょ。治安組織に追われっぱなしじゃ国の中で生きてくのは……まあ、できなくもないけどちょいキツいし。島国だから密出国のハードル高いし」
「流石に俺も指名手配されたままで一生を終えるのはゴメンだな。となると、警察を打倒する必要があるわけか」
「どうやって」
「……工学部で研究されている超エネルギー」
「そりゃすげーや。屏風から出して持ってきてくれ」
ちら、と龍門寺がサークルメンバーに助けを求める。
いや助けを求められても、という顔を全員している。
「現実的に指名手配が解除になるまで警察とやり合うのはキツいっしょ。今は全国各地に自警団みたいなのがボロボロ出来てるから、そういうとこと連携して内戦起こすつもりでいくなら別だけど」
「――内戦?」
「って反応になるわな。あたしも別にそんなんやりたくないわけ。由加利は別かもしんないけどさ」
別なのか、と龍門寺が恐れ戦くような目でこっちを見てくる。別に、と緒方は答える。最終的にそれ以外の選択肢がないような状態ならともかく、他にやりようがあるなら他のやり方でいい。
たぶん、葵にはその計画がある。
「どっちでもいいけど。葵はどうしたいの」
「ハリウッド映画で行こーや」
ぎゅむ、と最後の一口を葵は口に詰め込んだ。
もっきゅもっきゅ、と乾いたパンを咀嚼して、甘ったるいアイスココアでそれを流し込んで、一体どんな味の口の中になっているのかさっぱりわからないが「つまり、」なんていつもどおりの堂々とした口調で、
「ハリウッドのアクション映画によくあんじゃん。ある日突然無実の罪を着せられて警察に追われる羽目になった四十代のムキムキスキンヘッド。昔の経験を存分に生かして銃と車で大立ち回り――まあ、銃と車はなくてもいいんだけど」
「自分たちで嫌疑を払うということか」
「そ。んで最後は大学が大爆発するのを背景にみんなで横一列に歩き出してハッピーエンド」
かっけー、と大間が言う。
かっこよくても仕方ないんじゃないだろうか、と緒方は思う。大学が大爆発してなくなったら普通に困るし。
「余計なところは置いておいて、つまり自分たちで調査して『我々が機密の漏洩で逮捕されるのは不当』って訴えるってことでしょ。逮捕されたらどうせ自白の強要とかされて負けるわけだから、まだ身柄が拘束されてないうちに」
「そうそう。あれ、乗り気でいらっしゃらない?」
「いや、いいんだけど。でもそれ、どういう形で達成することを考えてるの」
「そんなん知らん」
知らんって、と緒方は呆れる。
が、呆れたところで自分の中にそれ以上の案があるわけではないから、その場所から案出しをもう一歩、
「葵の見立て通り機密情報の漏洩自体が嘘だったとしたら……その不存在の証明? 今回の逮捕状の請求に至るまでの判断プロセスを示す議事録があれば、それをどこかから回収してくるとか?」
「待て待て待て。そのどこかってどう考えても警察だろう。警察署に突っ込む気か」
口火を切れば、流石にそれぞれ自分の意見を口にし始めた。
警察に突っ込むなんてどう考えても無理だぞこの人数じゃ。わかんないじゃん最近の警察めちゃくちゃ人手不足みたいだしセキュリティだって緩いかもよこのあいだ官庁インターンに行ったときも公的機関の警備ってほんと適当だなって思ったし。ていうか別に突っ込む必要はないだろ本気でハリウッド映画やるつもりかよ忍び込めばいいだろ。どうやって、指名手配された顔ぶら下げて? いやだから外に協力者を作ってどうにかするとかさあ。誰だよ協力者って報道記者か。報道記者がちゃんとそういうことする気があったらそもそもこんな事態になってないでしょあーあ私これ終わったら自分で報道やろうかな。いや待て待てまずはこれを終わらせる方法から考えよう話を戻すぞ。でもその前に、まだ警察にそういう議事録とか文書で残しておく風潮が残ってると思います? 風潮って何、当たり前のことでしょ何か決定したならそのことを公文書に残しておくなんて、ましてこんなに大規模な一斉逮捕なんだから。
「とのことですけど、どう思いますか。警察に詳しい式谷葵さん」
「残ってたらめっちゃラッキーだね。よっぽど几帳面で規則重視で頑固で偏屈で人の話聞かなくて脅しとかにも屈しなくてそれでも奇跡的に職を失ってない正義の人がいればそういうこともありうるかもしんないけど」
「前提多……」
「公文書くらいちゃんと残してくれよ……」
「それなら、式谷はどう考える。警察署に突入するのは反対ということでいいのか?」
「反対っつーか……うーん……」
葵が天井を見ている。
猫がするのとかなり近い動作で、家に泊めているときもたまにこれをやるから怖い。一応緒方は葵と同じところを見る。別に何もいないように思えた。大学のこの他に人気のない忘れ去られた地下空間に、幽霊なんていないと信じられる限りは。
「もっと楽な方から行かん?」
ここ、と葵は言った。
「ここって……」
「大学か?」
「そ。さっき機密漏洩は嘘なんじゃないのって言ったけどさ、事件自体は大学と関わりありそうだって思わん? ターゲットが大学関係者ばっかりなのもそうだけど、その前からずーっとキャンパス封鎖されてんのもあるし」
ふむ、と龍門寺は顎に指を当てて、
「全く考慮に値しない考えとも思わんな。つまり、機密漏洩に関しては嘘……とも限らんか。大学を中心とした何らかの事件自体はそもそもあって、それに俺たちは巻き込まれていると。そういう考えなわけだな」
何かって、と食べ終えた菓子パンの包みを丁寧に折りたたんで蝶結びにしていた水原が言う。もちろん、そんなの誰にもわかりはしない。葵は首を竦めて、
「何にしろ、地下にいるだけじゃ情報がなさすぎ。警察署にいきなり突撃すんのも現実的じゃない。となるとまずは手近なところからこっちの勢力圏を広げていくしかない。異論のある方はご意見をどうぞ」
二秒待って、誰も手を挙げない。
だから緒方は、話を進めることにした。
「最初に当たりたいのは……ああ、理学部の実験棟?」
「かね。あの日一番最初に封鎖してたのってあそこだし。あんな夜中になったら大してお化け屋敷と変わんないよーなとこに何があんのか、見当つかないけど」
「それじゃあちょっと広めに見てみようか。私、経済学部の方の建物なら休みの日も入れるキーカード持ってるよ」
「マジ? それ大丈夫? 足付かない?」
「付かない。あそこのキーロックって全然性能弱くて誰が開けたかの管理記録も簡単に消せるから。中入って学内のアドミニPCさえ確保できればこっちで履歴削除できる。心配ならデータ入ってるところ物理的に壊しちゃえばいいし」
「わお。理学部もその調子で開けてもらえると助かっちゃうね」
「あそこ教務課も入ってるから、上手くいけばそこから経由して他のところへのアクセスもできるようになるかも。最初はそっちから行こっか。あそこ、監視カメラも全部形だけのハリボテだから気にしなくていいし」
「待て待て待て。速度についていけん。いきなりクライム映画のテンションにならないでくれ」
「何言ってんだ。もうだいぶ前からあたしらの人生クライム映画になってんぞ」
それはそうなんだが、と龍門寺は言う。
それはそうなんだが、で今の発言が流されてしまうような事態に巻き込まれていることに、やっぱり緒方はあまり現実感がない。だからあまり躊躇もない。ある意味では、いつもと同じかもしれない。高校でソフトボール部の活動をしたり、家に帰って眠るまでずっと机で受験勉強していたのと同じ感覚。
目の前にある課題を、コツコツ片付けていくだけ。
「しかし、その前に問題があるぞ。いくらこの地下拠点が見つかっていないとはいえ、封鎖中の大学構内で自由に動き回るのは――」
「いやそのへんはだいじょぶ。買い出しのときに外回ってみてわかったけど、マージで誰もいないから。『封鎖します!』って言ったら誰も入ってくるわけないって思ってるっぽいわ」
「――なわけないだろ!」
「上行ってトイレ使ってるときもそんな感じだったじゃん。他も全部そうだっつー話。つーか一斉逮捕もそうだけど、ガバナンスがガバガバになってんのに現場レベルの挙動だけはいつまでもしっかりしてるはずみたいなのも都合良い幻想っしょ。警察どころか警備員もいないから」
見てきてみ、と葵が言う。
そこまで言うなら、と龍門寺は乗り気になっている。他のメンバーも同様だった。やるしかないか、と呟く。それ以外にないしな、とも。やるべきことが見つかったなら、さっきまでのあのただ待つだけの時間よりはずっと良い。それにいつまでここも見つからずに済むかわからない。大学構内を調べることで事態の把握に努めようとするならば、封鎖が解けるまでには調査を終えなければならないわけで、そういう意味でも時間はない。
「よし、そうと決まれば短期決戦! いざやるぜ。由加利さん、あたしと一緒に第一陣よろしく」
「うん」
緒方もまた、他のメンバーと同じようにようやく活力を取り戻しつつあって。
葵に頷きながら、しかし心のどこかで、少しだけ引っかかっていることもある。
目の前にある課題を、コツコツ片付けていくだけ。
その結果、今の自分はこんなところにいるのではなかっただろうか?




