小石に躓く ③
『今日午前八時ごろ、二々ヶ浜市のIR街で中学校教員の男性が銃で撃たれ、怪我を負う事件がありました。男性は意識はあるものの重傷で、現在は病院に搬送され治療中とのことです。二々ヶ浜市では今年に入ってからこれを含めすでに四十七件の発砲事件が発生しており、近隣住民の間では不安が広がっています。……さて、日本のスポーツ選手が海外で大活躍! またも快挙、海外の現地メディアで大絶賛の様子を――』
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自転車で病院に着く頃には、ありえないほどの汗をかいていた。
駐輪場にはすでに見覚えのあるようなないような、いかにも中学生が乗っていそうな安っぽいフレームの自転車が並んでいる。はああ、と花野は大きく疲労の息を吐く。ものすごく熱い。体内温度が六十度くらいあるんじゃないかと思う。何とかギリギリの庇の下に自転車を突っ込んで、ストッパー、タイヤ鍵。前籠から引き抜く布バッグ。
見上げるのは、滅多に来ないようなIR街近郊の市立病院だ。老朽化とか医師不足とか予算不足とかそういうのが祟って、そう遠くないうちに閉鎖するらしい。式谷の母親はここに勤めていたはずだけれど、本当に閉鎖が決まったらどうするのだろうか。できれば近場のあの内科の小っちゃいところに再就職してほしい。なんとなく知っている人がいる病院は行きやすくなるから。
でも、とりあえず。
宇垣が救急車で運び込まれるまで、この病院があってよかった。
日陰を渡って自動ドア。流石に病院はまだ学校よりは涼しい。「あ、」と言って腰を浮かしたのがいる。待合ロビー。迷惑にならないように端っこの方に固まろうという精神は評価に値するが、いかんせん人数が人数だけにそれでも邪魔だろ、という感じの一団がいる。
「花野ちゃん」
「手術まだやってんの?」
岩崎が駆け寄ってくる。不安そうな顔。泣いてはいないから大丈夫だろう、と勝手な理屈をつけていると、
「終わったみたい。やっぱりとりあえず死ななそうだって。でも面会謝絶」
命に別状はないとかもっと言い方あるだろ、と思ったけれど、そっか、ととりあえず頷いてそれを受け入れる。余計なことを考えられるのは余裕の証だ。それから視線を奥へ。そんなに何人も押しかけても邪魔だし意味ないだろ、という言葉を無視して爆速で病院に駆け付けた荒くれ者たち。特にその中の数人。ポケットに手を突っ込んだままそわそわしている鈴木とか、うなだれた子の背中を擦って「大丈夫だ」なんて語り掛けている薊原とか、その子の肩を抱いている式谷とか。
うなだれているのの顔には、見覚えがある。
下川だ。
「……で、なんだって。どういう状況?」
訊けば、距離を取りつつ小さな声で岩崎が教えてくれる。
「なんかね、下川たち薬飲まされた後もずっとアルコールとか飲まされてたんだって。無理やり」
「なんで」
「薊原先輩が言うには、『なんか揉めた』んじゃないかって。あんまこのへん聞き出せてないんだけど、やっぱりこのへんも縄張りとかあって色々やってるみたい。それで下川たちも自分で知らない間になんか変なことに巻き込まれてたのかもって」
ああ、と花野は嫌な気持ちでそれを聞く。そうやってそのへんに放置しておけば酒と薬のやりすぎで事故死した死体の出来上がりというわけだ。下手に山の中に捨てたりしてたまたま熱心な地域警察――今やそんなのが一人でもいるのかわからないが――に捜査されるくらいなら、IRに転がしておいた方が遥かに犯人にとっては安全だろう。
「で、そこになんで宇垣が絡むの」
「下川だけ薬が……なんか、薊原先輩が言うには『カラフル』?って物によって全然効き目が違うらしくて、一人だけあんま効かなかったみたい。で、殺されるって思ったからお店の外に無理やり出て助けを呼んだら、生徒がいそうなところ周ってる宇垣先生がちょうど近くにいて、『何やってるんだ』って割り込んで……」
「ズドンか。犯人は?」
「そのまま逃げたって」
逃げたならまず捕まらないだろうな、と花野は思う。IR街での発砲事件は捕まる犯人よりも捕まらない犯人の方が多いから、「捕まっているのは警察が冤罪を着せようとした無実の人間だけで、本当に撃ったのは全員放置されてるんじゃないか」と噂されているくらいだ。下手すると犯人が警察の可能性すらある。このあいだ警察官の服装をした人間がコンビニ強盗に入る映像が流出して珍しくテレビで取り沙汰されていたし。「報道は事実無根」の一言で二々ヶ浜警察は突っ撥ねてそのまま追加の情報は何も流れなかったけれど。
なるほどね、と頷いて、
「秋村と和島は?」
「胃洗浄して、まだ起きてないって」
次の質問、と考えて、咄嗟には浮かばない。
大体こんなところだろうかと思うから、再び下川に目を移した。
耳が赤いのは薬か酒の影響かもしれない。下川もちゃんと胃洗浄をしたんだろうか。それとも「う~……!」と唸り声を上げて式谷の肩に顔を埋めながら泣いているせいなのか。そりゃそうなる、と花野は思う。友達と一緒に殺されかけた挙句に助けにきた教師が目の前で撃たれるところまで見たら、普通はショックだ。
それにしてもこれは今、何の時間なんだろう。
そう思ったから、今度はそっちに近付いていく。
「式谷。このあとどうすんの」
訊けば、子どもを寝かしつけるように下川の肩を叩きながら、式谷が顔を上げる。若干顔色が悪い気がする。学校の方で色々これからの割り振りをしてから来た自分よりも早く出たとはいえ、休む間もなくあの炎天下を立ち漕ぎで一直線だろう。そりゃあ疲れもする。水分は取ったのだろうか。そういえば自分も取ってない。何か飲みたい。
「今、教頭が佐々山先生経由で連絡受けて研修先から帰ってきてくれるみたい。そしたら帰りの足が確保できるから、秋村くんと和島くんが目を覚ましたら下川くんと一緒に学校に送ってもらおうと思って。だからそれ待ち」
「それ学校に連絡……したか。佐々山経由してるし」
「あ、一応洪くんに連絡しておいてもらっていい? 佐々山先生も電話対応とか詰まっちゃって動けなくなるかもしれないし」
了解、と花野は応える。ありがとね、と式谷は言うけれど、個人的には泣いてる後輩の世話よりもこういう仕切りの方が気が楽だ。端末、チャットアプリ。しゅぱぱぱぱ、と文字を打っていって、一度見直してから送信。既読のマークが一瞬でついた。ほとんど間を置かずに『わかりました』『受け入れの準備しておきます』の返信。頼もしい。
やったこととやっていないことを、頭の中に並べて数えてみる。
後は、と。
「入院手続きとかどうなんの? 私やる?」
「いや、流石に教頭来てからじゃないとダメかも。あ、着替え持ってきてくれた?」
「一応。これでいいのかわかんないけど」
身体をちょっと傾けて、担いでいた布バッグを式谷に見せる。とりあえず着替えだけはそれっぽいのを小松と相田に見つけ出してもらった。たぶんどっかにあるだろうと睨んでいたけれど、あってよかった。
無駄にならなくてよかった。
「必要最低限だけど、後は経過次第でいいでしょ。いつ目が覚めるとかもよくわかんないし。歯ブラシとかそういうのは必要になったらで」
「うん。ありがとね。花野さんはすぐ学校戻る?」
どうしようかな、と悩んだ。
別にここにいてもやることはない気がする。下川のフォローもこれだけ人数がいれば問題ないだろうし、入院やら何やらの手続きも教頭が来れば何とかなるだろう。その前後の繋ぎみたいな部分も式谷ができないわけがないし、ここにいてもそんなに意味はない。
だけど、
「いや、暑い。熱中症になるからちょっと冷ましてから行く」
「あ、そうだね。そうした方がいいよ。ちょっと顔赤いもん」
「うそ」
「ほんと。みんなもしばらく宇垣先生に面会とかできそうにないし、タイミングが合えば花野さんと一緒に……って、花野さん一人で来たの? 危ないよ」
「国道沿いだし流石に大丈夫でしょ」
ていうかお前が言うな、単独行動多いくせに。
冷房の下に移動して、風に当たる。熱を持った額を冷ましながら、病院によくあるあの静かな時間が流れていく。何にせよ、と花野は思った。薬と酒で殺されかけて、そのうえ銃で撃たれて大事件。それでもとりあえず誰も死んではいないし、こうして多少気持ちを落ち着ける時間まである。
ここに来るまでの間に想像していたたくさんの『最悪』よりは、まだずっと取り返しが付く。
呼吸が穏やかになっていく。脈拍が安定していく。目を瞑る。今日からのことを考える。
これ以上、何も起こらなければいい。




