小石に躓く ①
「あ、チャンネル消えた」
午後二時の多目的室で、本当に普通の声色で千賀上がそう言った。
最初、薊原はそれを大したことではないと思っていた。カチカチとパソコンを動かしながら、花野と式谷が大浜の爺さんの家から貰ってきたという資料のデータを見ていたから。青い空に不自然なほど真っ白な入道雲。三十五度を超えたら鳴かないとかいう噂があったセミはなぜかミンミン鳴いていて、千賀上の姿は視界の外で、だからてっきりテレビの話なんだと思った。うっかり誰かがリモコンに触って電源を消してしまったとか、そのくらいの話なんだと思っていた。
何か言い方が変だな、と思った。
「えぇっ、嘘!?」
誰かの叫ぶような声が聞こえて、やっぱり変だよな、と気が付いた。
机を手で押すようにして椅子を引く。くたびれたカーペットがキャスターを邪魔する。その日は花野も式谷も倉持もいない日で、だから千賀上は下級生に囲まれたりしていた。その囲んでいた数人が血相を変えている。三上の姿もあるから、話に混ざっても問題ないだろうと思って、
「どした」
「えっ、嘘、ほんとに消えてる!」
チャンネル。
消えた。
その二つのフレーズだけで何となく想像はできるが、一応訊ねてみる。すっかりジャージも着慣れて地べたに座る千賀上が、こっちを見上げて端末を小さく振る。
「動画のチャンネル消えちゃった」
そして、思ったとおりのことを言う。
内容にしてはずっとケロッとした顔をしていて、周りの下級生たち――つまり、千賀上の動画のファンたちの方がずっと悲壮な感じだった。だから薊原は思った。実は大したことではないのかもしれない。屈み込む。端末を取り出して、他の下級生みたいに千賀上の動画チャンネルを表示する。前からたまに見ていたけれど、最近ようやくチャンネル登録をした。
この間見たときは、登録者数二十万人とかそのくらいだったと思ったけれど。
今は確かに、自分の数少ない登録チャンネル一覧の中に全く見当たらない。
「マジじゃん。どうすんの」
「どうしようもない。スリーアウトだから永久BAN」
は、と声が出た。
そのときガラリと多目的室の扉が開いた。視線を向ける。周りの下級生も千賀上も同じ動作をしたのだと思う。ぺらぺらのハンカチで手を拭く角見が、う、と後退りをした。
「何」
「角見こういうの詳しいでしょ、ちょっと見てよ!」
一人に手招きされれば、何々、と角見が寄ってくる。千賀上がもう一度言う。チャンネル消えちゃった。
「え、マジすか」
「マジ」
「『電気芝居』ってもうツーアウト食らってましたよね。平和罪と不適切行為と……?」
「AI乗っ取りのやつ。他の人も結構やられてたんだけど、気を付けようないよね、これ」
ああ、と角見が眉を顰める。傍から聞いていても全然わからない。果たして自分がわかったところでどうにかなるような問題でもない気もしたが、薊原は一応、
「何だよ、その平和罪とか何とかって」
訊けば、角見が懇切丁寧に説明してくれた。
千賀上が使っている動画プラットフォームには、『スリーアウト制』と呼ばれるものがあるらしい。規約違反が三つ重なると永久アカBAN。アカウントBAN。チャンネルが運営から削除されて、二度と戻らなくなる。
すでに千賀上はツーアウトを食らっていたのだそうだ。
まず一つ目は『不適切行為』。これはそのまんまの意味で、動画中に不適切な行為があると規約違反になる。千賀上の動画は全部非実写のイラストでしっかり動画冒頭でフィクションである旨を記載しているけれど、動画の概要欄に「この動画には犯罪等の行為が含まれますが、決してそれらを推奨するものではありません」という旨の一文がなかったがためにアウト判定を食らったらしい。ちなみに引っかかった描写は主人公がヒロインを追って『立入禁止』の看板の向こうに走っていくところ。なんだそりゃ、と薊原は思う。
二つ目は『平和罪』。こっちは『不適切行為』と比べるともう少し複雑な経緯があるらしい。まず、今はネット上で平和について肯定的な文脈で語ると「お花畑」「危機感が足りない」「非国民」「思想工作員」等の言葉で一気に叩かれる。そしてさっきの『不適切行為』の枠で「プロパガンダ・テロ行為の助長・国家秩序の安定に悪影響を及ぼす」等の名目で運営サイトに通報される。流石にこれは通らない。が、通らなかったら通らなかったでコメント欄に一発アウトレベルの差別発言や性表現、さらにはフィッシングサイトへのリンク等が怒涛のように貼られ、そのため「プラットフォームの信頼と安定を損なう動画である」と規約違反の判定が下されて動画が削除される。千賀上はこのルールの存在も知っていたけれど、新作動画が伸びたタイミングで『平和罪』以前に作った動画が掘り起こされ、「やっぱり平和が一番」の台詞一言でツーアウト目を食らったらしい。なんだそりゃ、ともう一度薊原は思う。
で、三つ目。
「なりすまし?」
「これかなり前からあるんですよね。著作権の判定変なんですよ、このサイト」
ディープフェイクの流行とともに生み出された手法なのだそうだ。
特定のチャンネルの動画をAIで学習する。学習データを使ってそれっぽく似せた動画を大量に作って、非公開でアップロードしておく。向こうのチャンネルが新しくアップロードした動画の中に似たシーンがあったらAIでそれを検知して、該当するシーンについての著作権違反の申し立てをする。
「で、上手くいくとそのチャンネルがまだ受け取ってない分の収益を横取りできるんです。音楽系が特にヤバいっすよね。ワンフレーズ被ってるだけでアウト判定出ることありますし」
「なんだそりゃ。通んねえだろそんなの」
「と、思うじゃないですか」
「スリーアウト目をそれで食らうと通っちゃうんだよね。永久BANだと問答無用で異議申し立ての権利がなくなるから」
他の人も食らってるの見たけど、スリーアウト目の人は全員泣き寝入り、と千賀上が言う。大して苦痛でもなさそうに。
「いや……だって、そんなんおかしいだろ。動画サイトって再生数とか広告で食ってんだろ? なんで再生数回すやつを外に追い出して、んな奴ら囲い込んでんだよ」
「AIで作風コピーする人たちの方がたくさん動画出すからじゃない? どう考えてもそっちの方が時間も手間もかからなくて生産量多いから、全体で見たらそっちの方が再生数増える……のかな。ごめん、あんまり真面目に集計したことないからイメージだけど」
「私たち見ませんよ、そんなの!」
ありがとう、と千賀上は言う。
でもいいよ、とも。
「面白いんだったら気にしないで好きに見たらいいよ。虚偽報告はともかく、そういう動画を作ること自体は別に法律に違反してるわけでも何でもないらしいし。別にどうでもいいでしょ。誰がどうやって作ってるかとかそんなの、観てる方には関係ないもん」
「……い、」
「あ、でも千賀上先輩。前に俺、あれ見ましたよ。声優の人が合成音声で歌わされた動画を元に本チャンネル消されたのを、運営に訴えてアカウント復旧したって話」
「スリーアウトで?」
いやすんませんそこまでは覚えてないっす、と角見が言う。それ誰、と他の下級生が訊いて、角見が淀みなく声優の名前を答える。何人かが端末を取り出して打ち込み始め、もう何人かはそれを覗き込んでいる。
千賀上だけが、妙に落ち着いている。
だから薊原は不思議に思って、
「なんか余裕だな、千賀上」
「うん。だってツーアウト目の時点でいつか永BAN食らうんだろうなっていうのはわかってたし」
あっけらかんとして言う。
「仕方ないよ。別に、一から十まで自分の力でみんなに届けてますってわけじゃないんだし。そのうちダメになるんだろうなってことはわかってたから諦めもつくし、まあ、そんなに」
「……どうするとか決めてんのか、これから」
「ダメ元で運営に問い合わせして、連絡用のSNSで報告しておいて……戻らなかったら、次は個人製作でまたゲームでも作ろうかな。何か一つこれって決めて掘り下げるのより、やること多い方が好きだから」
ああ、と薊原は頷く。
それ、式谷が前にちょっとだけプログラミング手伝ったって自慢してたぞ。え、と驚く。ちょっと嬉しそうな顔。先輩これ見てくださいチャンネルの戻し方書いてありますよ、と後輩に腕を引かれて髪が揺れる。
そんな千賀上の落ち着いた様子とは裏腹に、薊原は。
少しだけ、嫌な予感がしていた。




