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雨の夜 ③


 こいつ大人しげな雰囲気してるけど実はとんでもねえ問題児なんじゃねえか。

 ということを、一通りの話を聞いた薊原は、千賀上絽奈に対して思っている。

「え、で、それで? どうしたんすかその後」

「いや、別にどうもこうもしないっていうか……。逆に私が訊きたいんだけど。どうなったの? あの後」

「うちの学年ではもう触っちゃいけない話題みたいになったよね。後輩に伝わってたかは……あれ、二々小の子たちみんなもう部屋戻っちゃったのか。そういえば大翔と倉持さんは?」

「『仮眠』って言ってたからそのうちこっちに来るんじゃん。どうせ浅沼とか他のもついてくるだろうし、そのとき訊いてみたら」

「え、これ朝までやるの?」

 何でも転校して来てからすぐに、「この校舎のこの雰囲気は面白い」と思って片っ端から怪談話を捏造しまくっていたらしい。

 一年生から六年生までの教室の向こう側にさらにもう一部屋あるけれどあれは夕方の四時四十四分四十四秒に扉を開けると黒い影がずらっと揃っていて地獄についての授業をしているとか、理科室にある骨格標本は実は八十年前に校庭から見つかった本物の人骨を使っているのだけどそのとき普通より骨が四十本多く見つかったから理科準備室に隠してあるとか、多目的室にある二十年もののオンボロコンピュータの中には当時の遠足の写真が入っているがどの教師に訊いてもそこに映っている生徒の顔のどれ一つとして覚えがないだとか、このあいだ体育館の鍵を開けたらちょうどバスケットゴールの下でボールがバウンドしていたとか夜中の図書室に行くと真っ白で背表紙のない本が棚に差さっていてそこにはこれからその人が一生で経験することになる全部のことが書いてあるとか多目的室の真ん中で目を瞑ったまま十回まわって目を開けたら別世界に飛んでいてこの間から全然知らない歴史を授業で教えられているとか図工室にある石膏像は夜な夜な俺の身体を返してくれと呻き声を上げていて家庭科室の冷蔵庫にはご家庭で出た死体の肉が調理実習のために保管されていて職員室にある第二屋上の鍵は屋上に出てから空中に差し込んで回すと空がガチャッと開いて巨人と目が合って、

 凄まじい奴だな、と思う。

 良い意味でも、悪い意味でも。

 今はそのとんでもない奴は「昔の話なんかされて恥ずかしくて堪りません」みたいな雰囲気で式谷の背中に隠れ切っている。

 絶対そんなタマじゃねえだろ、と薊原は思う。

「百不思議っつーか、一人百物語だな、それ」

「え、この話まだ続くの……」

「作家先生が不服を訴えています」

「抑え込んどけ」

「でも、実際ちょっと意外……あ、ごめんなさい。続けない方がいいんですよね」

 さりげなく三上がこっちに加勢してくる。

 本人には実際そのつもりはないのだろうが、そのつもりがないだけに千賀上も強くは言えなかったのだろう。「……いいけど」と返ってくる。ごめんなさい、と三上は言ってから、しかし意外に図太く、

「千賀上先輩が作る動画って、結構こう……ラブコメっていうか。そういう明るいのが多いじゃないですか。だから怖い話とか作ってたの意外だなって」

「いや、三上。その分析は甘い」

 角見が言った。

「千賀上先輩の作る動画はソフトなファンタジーを混ぜたシリアスものも多いぞ」

「あ、結構見てくれてる……」

「ただそっちは再生数が全然伸びないから影が薄いだけで」

「潰してやるお前……!」

 いきり立った千賀上を、どうどう、と式谷が抑え込んでいる。お前な、と洪が角見の脇腹を肘で突く。いやすいません、そういうつもりでは……と角見がバツが悪そうに釈明する。こいつは昔から一言余計な奴だな、と薊原は思う。加えて、ふーん、とも。

 みんな見てんだな。

「まあ、でも、」

 式谷に落ち着かされた千賀上は、真冬にコーヒーを飲むときみたいな声色で、

「言われるのは、自分でもわかるよ。普段作ってるのはプラットフォーム……その、公開する場所のトレンドとか、何が伸びそうかとか考えてやってるけど、ホラーはそういうの関係なく作ってないし」

 へー、と言うのは新貝。

「なんか理由あるんすか? そういうポリシーっつーか、切っ掛けってーか」

「……まあ、ある」

「……あれ、触れちゃダメ系すか」

 ダメではないけど、と千賀上が言う。

 あ、と洪が声を出す。

「怖い系だ。やめましょう、この話。寄ってくるから」

「ちょっと洪、怖いこと」

 言わないでよ、と誰かが言う。


 がたん、と多目的室の扉が揺れた。


 ひぅ、と隣で桐峯が声を上げた。意外とビビリかこいつ、と薊原は思うけれど、人のことは言えない。自分も普通にビビっている。ホラー映画なんか馬鹿みたいなC級以下のやつしか観ないからそこまで耐性がない。うおお、と奥見も意外に声を出しているし、何なら声を上げられた分こいつらはそこまでビビりではないのかもしれない。桐峯のさらに隣にいる女子の数人なんか、呼吸が止まっているんじゃないかというくらい静かだ。

 こういうとき、強いのは二人いて、

「誰?」

 普通に座ったまま、むしろそっちの方がこえーよという声色で訊ねかける花野と、

「大翔かな」

 全然そういう雰囲気を無視して、普通に端末のライトを点けて立ち上がる式谷。

 見づら、とあまりにも普通に声を出すから、それでようやく薊原もちょっと正気を取り戻した。手元の懐中電灯を点けて足元を照らしてやる。式谷がちょっとこっちを向いて「さんきゅー」と言う。それを聞いてから、オレも一緒に行ってやった方がいいか、と思って薊原は腰を上げる。

 それを待たずに、式谷は扉を開けてしまう。

 がらり。

「――あれ」

 誰もいなかった。

 ちょっと遅れて薊原は式谷の横につく。懐中電灯を振り回して入口から、奥の受験参考書の置いてある憩いのスペースみたいなやつを照らし上げる。何の姿もない。右も左も照らしてやる。

 何もいない。

「気のせいかな」

「いやいやいやいや」

 うるさいのは新貝だった。

「絶対違うっしょ。いましたよ今。明らかになんか扉にぶち当たった感じしましたもん」

 なあ、と隣にいるらしい一年だか二年だかの男子たちに声をかける。懐中電灯の明かりを使ったせいで、かえって夜目が利かなくなった。

 いましたよ、と桐峯まで言う。

「ぜ、絶対いましたよね。花野先輩」

「いや知らん。私の家の雨戸も夜中急にバンバン鳴ったりするし、それじゃん」

「それ憑りつかれてんすよ先輩!」

「憑りつかれてねえよ」

 新貝の叫びを花野はばっさり切り捨てる。怪奇現象だな、と角見が言う。洪が変なこと言うからじゃん、と山田が背中を叩く。俺のせい?と洪が応える。

「幽霊かどうかはともかくとして、」

 こんな場面でも、式谷は全然変わらない。

 のんきな声を出して、そういえば、というように、

「全然停電直んないね。ちょっと職員室見てこようか」

「えぇ~……どういう度胸なのこの人……」

「新貝くんも一緒に行く?」

「えぇ~…………」

「俺、一緒に行っていいですか」

 洪が立ち上がる。

「ブレーカーまわりのこと、実はよくわかってなくて。ついでにちょっと教えてもらいたいです」

「嘘ちょっと待って、洪先輩も行っちゃうんすか」

「大丈夫だって。花野先輩がいるんだから。……いますよね?」

「ぞろぞろ集団で行ってもしょうがないでしょ。式谷、頼んでいい?」

 いいよ、と式谷は安請け合いをする。洪がこっちに来る。流石に、と薊原は思う。

 多目的室の扉が閉まる。

 あれ、と式谷が言った。

「薊原も来てくれるの?」

「……いやお前、あの流れで『オレは行かねー!』とか言い出したら――」

「言い出したら?」

「ビビリみてーだろ」

「えっ、薊原先輩ビビってんですか」

 んだとコラ、と薊原は洪の脇腹に懐中電灯を捻じ込んでやる。うわはは、とはしゃいで洪が逃げ出す。危ないよ、と式谷が言う。

「足元見えにくいから、気を付けて。怪我しないようにね」

「あ、はい!」

「……あいよ」

 ほらよ、と薊原は洪の足元ばかりを照らしてやる。特別棟から西棟へ。職員室は一階だから、手すりを一応掴まえながら、静かに階段を下っていく。

 雨の音がする。

 窓には、IRから洩れ出すサイケデリックでぼやけた明かり。



 ちょうど、ほんの入れ替わりくらいのタイミングだった。

 がたん、と再び多目的室の扉が揺れたのは。

 びくん、と再び緊張が走る。絽奈も別に、それは例外ではない。二回目だからかえって緊張は強くなっていたと思う。ひゅっ、と他の生徒たちが息を呑む音すら耳に届くくらいだった。

 けれどすぐに、

「なー、これ停電……何この空気」

 どしたん、という声が小松だとわかったから、みんな力が抜けた。

「なんだ……びっくりさせないでよせんぱーい」

「いや何。事件?」

「小松、浅沼とかは?」

「あー。一応起こしたんだけど、眠そうだったから置いてきちった。起きられたら合流してくるんじゃね。あと浅沼はアレだけどそっちとは別に――」

「何してんの」

 後ろから現れたのは、今度は瀬尾だった。

 ぴっぴ、と水を切るように手指を揺らして、

「廊下さみーよ。中入ろーぜ」

「おう。……つか、お前ほんとにあの馬鹿暗いトイレでしてきたの」

「いっつもオレ便所入るとき夜中は電気点けねーし。明るすぎっと目ェおかしくなって二度寝できなくなんじゃん」

「瀬尾ちゃん先輩、こっちにどうぞ!」

 あん、と瀬尾は怪訝そうな声。頼もしいの来たぜ、と新貝が三上の腕を肘で突く。そういうのが、もう絽奈の目にはだいぶハッキリ映り始めている。目がほとんど暗闇に慣れ切った。

 どっこいしょ、とやたら億劫そうに瀬尾は呼ばれた場所に座りに行く。んで、と小松はこっちに来て、

「停電?」

「っぽい。結構前からで、今ちょうど式谷が職員室見に行った」

 はーん、と小松が近くに腰を下ろす。それにしても、と絽奈は思う。毛布もなしに寒くないのだろうか。確かに昔、冬でも半ズボンで過ごしていたような記憶もあるけれど。瀬尾が新貝の毛布を「よこせ」「ああん」と強奪しているのが視界の端に入る。不良だ、と絽奈は思う。薊原、瀬尾、鈴木。不良三連星。夏の不良の大三角。湊が言うところでは全員IRの方を出禁になって学校に出戻ってきたので不良度で言うと実は向こうの子たちより上だったり、逆に早い段階でこっちに戻ってきてるし最近は大きな問題も起こしてないからそんなでもなかったりと、多様な見方があるらしい。

 何にせよ、ノックの音が今度はちゃんと理屈の通るものだったから、ちょっとだけ部屋の空気が緩んだ。

「さっき、幽霊が来たんですよ」

 だからだと思う。

 ちょっと面白がるような口調で角見が言った。

「ゆうれ……」

 小松がこっちを見ている。気遣いだとわかるから、あえて自分から、

「さっき、小学校に七不思議があったかどうかって話になって――」

 それで二々小の百不思議の話とかもしてたら急に扉がトントンって鳴って湊が開けたら誰もいなかった。そんな話。

 風だろ、と瀬尾は言った。

 へええ、と小松は言った。目が言っていた。この話大丈夫? だから絽奈は頷く。大丈夫。別に気にしてない。

 じゃあ、と言うように小松は、

「おもしれーなそれ」

「っすよね。小松先輩はこういうの好きだろうなと思ってました」

 へええ、と思うのは今度は絽奈の番だった。

 てっきりそういうのにはもう興味がないんだろうと思っていた。自分に気を遣って出さないようにしてくれていたのだろうか。別にいいのに。

「ねー、もうやめよーよ」

 そして、山田が角見をどつく。

 いって、と大袈裟なくらいに角見は頭を落とす。痛そ、と絽奈が思っていると続けて山田が、

「洪も言ってたじゃん。寄ってくるとかって」

「いいだろ別に、ちょっとくらい」

「デリカシー無っ」

「何? 寄ってくるって」

 瀬尾が言う。なんか、と近くにいた誰かが答える。

「よく言いませんか。幽霊の話とかしてると、本物が寄ってきちゃ――」

 ピシャーン、と信じられないくらい大きな雷の音が外で響いた。

 絽奈はびっくりして目を丸くする。あまりにも驚いたから、かえって身体が全然動かなかった。

「近くに落ちたかな」

 隣で晶が、冷静そのものの声で言う。が、その程度のことではもうこの雰囲気は覆せない。緊張した空気。早く湊が帰ってくればいいなと思うけれど、そんなにすぐには帰ってこないんじゃないかという予感もなぜかある。

「――寄せてみない?」

 誰かが言った。

「一人ずつ怖い話でもしてさ。本当に寄ってくるか、試してみようよ……」

 暗闇で、目はだいぶ慣れている。

 けれどそれを誰が言ったのかが、絽奈にはわからない。


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