傾国の悪女は、王太子殿下を誑かして、本気で国盗りをするそうです。
――――傾国? 上等じゃない。
侯爵家当主であるお父様が病に倒れ、保養地で養生することになりました。そしてお母様はお父様のお側にいたがり、保養地に行ってしまいました。
侯爵家の系列に、領地の運営を任せることができる人材が少なかったこともあり、一人娘である私に白羽の矢が立ってしまいました。
「――――わかったわ」
婚約者に力を貸して欲しいと伝えると、結婚してからなら運営を手伝うが、それ以前に強要される謂れはない。と言われました。
先ず、『手伝う』という感覚が気に食わないわ……。
なぜなら、我が侯爵家を引き継ぐことを前提に彼と婚約を結んだのだから。
「では、貴方と婚約を解消いたします」
「は? 両家の契約をお前の一存で取りやめるなどできないぞ!」
「現在、当主代行は私です。書類もございます。あとは貴方のお父様と話し合いますわ」
「なぜ私と話し合わないっ!」
はぁ、こんなに頭が悪いとは思わなかったわ。
お父様、親友の息子とはいえ、色眼鏡で見過ぎ。コレ、いろいろと駄目男ですよ?
「貴方は伯爵家のただの子供。称号も何もない、ただの子供なので?」
「…………っ、そうか! そうやって地位だけで俺を下に見ていたんだな! アマンダ、お前みたいな悪女、こっちからお断りだ!」
人手が足りず、ウルバス伯爵家のサロンで婚約者であるイーライ様にご相談に来ましたら、婚約が破棄になったうえに、顔面に紅茶をぶち掛けられてしまいました。
折角きれいに纏め上げた赤い髪はぐしょぐしょ。淡い緑色のドレスは茶色く染まってしまいました。
「あら、まぁ。そこの貴方、伯爵を今すぐこちらに」
「畏まりました」
入り口に控えていたウルバス家の執事に声をかけると、恭しく礼をしました。そして、メイドに指示を出し伯爵を呼びに行かせると、自身は私をイーライ様から守るためサロン内に留まるなど、素早い対応していました。
――――そこそこ若いのに優秀なのよね。彼、欲しいわ。
「女性に暴力を振るうなど…………。大変申し訳ないことをした」
「伯爵、お顔を上げてください」
「婚約の解消も全てそちらの希望通りにして構わない。息子が不適格だったと事実とともに公表しよう。他に何か希望はあるかい?」
これはチャンス。
にこりと微笑んで交渉の時間よ。
細かな理由は伏せ、侯爵家の存続的な事情から円満での解消をしたと公表して構わないと伯爵に伝えました。
この若い執事をくれるなら。
「エンダーをか……」
「お前! いつの間に男を誑し込んでいたんだ! こんなやつを私の代わりにしようというのか」
「あら? 彼は貴方の代わりにはなりようがないわ。彼のほうが優秀過ぎて」
「っ!」
イーライ様が近くにあった花瓶を掴んだ瞬間、エンダーがイーライ様に回し蹴りを食らわせていました。
……回し蹴りを。
「伯爵様、大切なご子息に怪我を負わせてしまいました。私と妻と息子は、本日付けでクビということで構いませんか?」
「え……あ、うん」
全く予期していなかった怒涛の展開ですが、流れには乗っておきましょう。
「あら、では三人とも我が家で今日から雇いますわね」
「え……あ、うん」
このあと、伯爵は暫くの間『え……あ、うん』しか言いませんでした。
侯爵家に戻り、エンダーとその妻と息子を雇ったと執事のトニーに報告をすると、勢いよく頭を抱えられました。
「俺、執事なんですけどぉ⁉ 執事増やすって意味不明なんですけどぉ⁉ しかも婚約破棄ぃ? 意味不明なんですけどぉ⁉」
「うるさいわよ?」
数時間後にエンダーと妻のオリビア、息子のケイを出迎えるまで我が家の執事の落ち込みようは尋常ではありませんでした。
そして、迎えた後は、絶望していました。
「若いって言ったのに、俺より年上ぇぇ! 嫁若ぇぇ!」
「うるさいわよ」
エンダーは四二歳、オリビアは二七歳、ケイは八歳でした。ついでにトニーは三六歳で未婚、彼女もいない。つまりは、ただのヒガミね。
エンダーはトニーのサポートを。トニーが何かもちゃもちゃ言っていましたが無視でいいです。
オリビアは侍女をしていたとのことですが、あまりの手際の良さに昇格をと思いましたが、本人は今のままがいいとのことで、そのまま継続しての侍女を。
ケイは庭師の見習いとのことでしたが、とても聡明な子だったので、どうせならと一般知識を勉強させることにしました。
午前中は勉強、午後は町の子たちと遊んで普通の生活というものを知っておくようにと。
「さて、侯爵領をきっちり運営していくわよ」
「「はいっ」」
初めの一ヶ月ほどは、領地運営に関する書類の確認をしました。お父様がトニーと二人で運営全般を手掛けていたので、そこまで仕事量は多くないのかと思っていました。
「こんなにも働いていたのね……」
「まぁじで! まぁじで、そうなんすよ!」
「人手を増やしましょ」
私のその言葉に、トニーが小躍りを始めました。本気で嬉しそうね。
三ヶ月が経ち、本格的に運営を始めました。
実務内政官として、トニーとエンダー。
エンダーがあまりにも優秀でトニーが嫉妬の嵐でキーキーうるさいですが、無視です。
エンダーが法務関係から雑用まで何でもござれだったのでトニーの上にしようとしましたが、エンダーにトニーを立てて欲しいと言われました。
「そっ、そんな施しっ――――」
「侯爵家の執事はあくまでもトニーです」
「ぐふぅ、男前ぇぇ」
とまあ、とにかくトニーがうるさいです。
武官たちに関しては、組織図的には特に変更なく、訓練内容だけを見直すようにしました。
今までは脳筋な団長に任せっきりでしたので、頭脳派の副団長と話し合い、体を鍛える訓練の他に、隊の組み方や戦争になった場合の勉強も増やしました。
自力での兵糧の確保なども必須かと思いましたので、農作業も教えるようにしましょう。
諜報や情報収集する部門でしたが、我が家には存在しないとのことでした。
「今まではどうしてたのよ」
「旦那様が、出向いて」
まさかのお父様――侯爵自身が領地巡回どころか、相談役や情報収集もしていたとのことでした。
「だから体を壊すのよっ!」
ダンダンと執務机を叩いていると、ケイがおずおずと執務室に入ってきました。
「お嬢様、お伝えしたいことが――――」
どうやら領地内で私の悪い噂が広まっているようです。
特に王都からやってくる商人たちが口を揃えて言っているのが『領主に毒を盛ったらしい』『男を囲っているのがバレて婚約破棄された』『王都にいられなくなって領地運営の真似事をしている』の三種類だそうです。
明らかに作為的なものを感じますね。
しかも情報源がバレバレです。
「あんのクソガキィ」
「トニー、そういう場合は、『いくつになっても、童心を持ち続けられる、精神的に未熟な青年』と言いましょう」
……エンダーってえげつないわね。怒らせないようにしましょう。
「ケイ、ありがとう」
「お嬢様」
「なぁに?」
「ちょーほー員、いないんですよね? ぼく、なりたいです」
「「……」」
意味はわかっているのかと確認すると、勢いよく頭を縦に振られました。
ケイは午後の自由時間を、領地内の子どもたちと情報交換する時間にしていたそうです。子どもたちの情報力というのは侮れないもので、大人が真剣に話している側で素知らぬ顔で遊んでいるふりをして、しっかりと見聞きしているのだそうです。
「…………庭師はいいの?」
「選択肢のひとつではありましたが、ぼくは、ちょーほー員の方が向いてるので」
――――向いてる?
エンダーがガックリと肩を落としたので、何事かと思いましたら、ボソリと妻オリビアの名前を呟きました。
「聞いていたわ。全く仕方のない子ね」
「あ、かぁさん」
どこから現れたのか。気付いたときには、オリビアが執務机の前に立っていました。
そしてエンダーと共に頭を下げると、衝撃の告白をされました。
「王家所属の……」
王家所属の、諜報部。二人とも。
そしてケイは、この瞬間に諜報員になることが決定。
今までの行動や能力を思い出すと、いろいろと納得が出来ました。
「バカ王太子の差金ね?」
「…………まぁ、そうなりますかね?」
「あんのクソ王太子殿下、まだ諦めてなかったんかーい! ってお嬢様ぁ⁉ 何を頬染めてやがんですか!」
私がまだまだずーっと幼い頃、両親に連れられて王城のお茶会に参加したときに出逢った少年。
青みがかった黒い髪と、キラキラと輝く碧色の瞳。私より少し背が高くて、柔らかく微笑みかけてくれた人。
何度かお逢いする内に、お互いに淡い恋心を抱くようになりました。
幾度となく王城や我が家のタウンハウスでデートを重ね、このまま――――と思っていましたが、我が侯爵家を継ぐ者がいないという問題に直面しました。
そこで白羽の矢が立ったのが、元婚約者のあれ。
私は殿下への恋心に蓋をし、鍵を掛け、我が家を守ると決めたのですが――――。
「殿下は今でも……?」
「それはお嬢様ご自身でお確かめ下さい」
エンダーににこりと微笑まれ、ちょっと悔しくなりました。
ウルバス伯爵家に優秀な間諜を送り込んでいて、今は我が家に協力させている。それだけで、聞かずとも彼の思惑は透けて見えるわけで。
「まだ、諦めてないのね……」
――――まだ、想ってくれているのね。
半年かけて領地内外から優秀な人材を集め教育し、私たちが細かな手出しをせずとも運営していけるシステムを作り上げました。
社交シーズン半ばになり、やっと王都のタウンハウスに向かうことが出来ました。
「さて、ここからは社交をメインにやっていくわよ」
「ですが、例の噂が……」
どこかのバカ息子が流したであろう噂が、更に酷くなっているとのことでした。
「あぁ、あれね」
領内で戦争に視点を置いた軍事訓練をしている。
兵糧の準備もしている。
様々な家から人材を引き抜いている。
使用人と恋仲になり妊娠し、婚約破棄された。
連れている小姓は実は息子。
「私、十二歳でケイを生んだらしいわよ?」
「それはまた凄く、頭の悪い噂ですね。イーライ様らしい」
「あら、まだ彼と決まったわけではないのよ?」
トニーはとにかくイーライ様が気に食わないようです。
私としてはもう切り捨てた人なのでどうでもいいのですが、小さな羽虫は地味に煩いので打ち落としたい気持ちもあります。
タウンハウスに届いている招待状を確認し、彼に接触をはかりました。
「あら、ご機嫌ようカイザー王太子殿下」
「……久しいな」
殿下が私の後ろにいるエンダーとオリビアを見て、一瞬顔をしかめました。
してやったりですわ。
「この二人、とても優秀ですの」
「……そうか。今は侯爵代理として領地運営に力を注いでいると聞き及んでいる。優秀な人材が揃って良かったな」
「ええ――――」
殿下の耳元に唇を寄せて、囁きます。
「諜報活動も得意ですのよ。裏から手を回してズルい人ね」
「――――っ!」
殿下のお顔を真っ赤に染めることが出来ました。
してやったりな気分です。
「アマンダ…………新しい婚約者はもう決まったのか」
殿下が急に真顔になり、ぽつりとそう呟かれました。
「まだそういったことは考えていませんわ。殿下こそ、そろそろ婚約者を決めねばならないのでは?」
「…………解ってて聞くのか?」
「ええ、解ってて聞きます」
「私が愛した唯一は、絶対に手に入らないからな。一生独り身だ」
――――っ⁉
いつもなら誰に聞かれようと『そのうち適当なタイミングで』と、のらりくらりと躱すくせに。
「……そうですか。ではご機嫌よう」
顔が熱くて。
殿下の前を立ち去ろうとしましたら、サッと手を掴まれてしまいました。
「……私は、想い続けているぞ」
「っ! …………は、ぃ」
この日は社交もそこそこに足早にタウンハウスに戻りました。
こそこそと裏で動いていたカイザー殿下を戸惑わせるつもりが、完全に心を乱されてしまい少し悔しいです。
そして、更に悔しいことに、あのバカ息子イーライがあの場にはいなかったはずなのに、どこかで聞きつけたのか、『世紀の悪女アマンダは王太子を誘惑している』『傾国の悪女』なんて噂を流し始めました。
――――傾国? 上等じゃない。
夜会に参加するたびに噂がどんどんと酷くなります。
私の管轄下にある領地と違い、様々な思惑が渦巻く王都ではこういった噂は独り歩きしやすいです。
「やぁ、傾国の悪女さん」
「あら、美女に目が眩んだ、色狂いの王太子さん」
「色狂いは出てないだろ……」
「さっき聞きました」
「…………チッ」
どうやら『色狂い』はお気に召さないようです。
「私はアマンダ一筋だからな」
「っ、もう。そうやって誂わないでくださいませ」
「本気なんだがな?」
「っ!」
熱のこもった視線を向けられ、心臓がドクリと跳ねてしまいます。
こういった会話では、どうやってもカイザー殿下に軍配が上がってしまいます。
「ところで。凄い目でこっちを見ている不敬罪のバカ息子がいるが?」
「最近、チラチラと現れるようになりまして」
「素早く消すか、じわじわと消すか、悩ましいところだな」
「まぁ、怖い。どちらにしても消されるのですね」
クスクスと笑いながら、カイザー殿下にある提案をしました。
「噂を、事実にしてみませんか?」
「…………どの?」
「傾国の悪女は、王太子と結婚して、国盗りを狙っているそうで――――っ⁉」
言い終わる前に、全身が締めつけられていました。王太子殿下の抱擁によって。
「楽しそうな顔をして。国盗りとは恐ろしい」
「ふふっ。その割に殿下も楽しそうですわね」
「愛しい女が、手に入るのだからな。だが領地はいいのか?」
現実的ではなかったのですが、一つの方法を思いついたのです。
女侯爵。
様々な条件がありますが、お父様が病に倒れている今、一時的に私が爵位を持ち、次代に引き継がせることは法律上可能ではあります。
それは当国の法律上、王太子妃になっても可能だとエンダーが教えてくれました。
そこだけは、なんとなくカイザー殿下の手の上のような気もしますが、まぁいいです。
「私が細かな手出ししなくとも運営していけるシステムは作り終えましたので」
「ならば、その手腕と知識、しかと国にも活かしてくれるんだな?」
なぜか勝ち誇ったようにカイザー殿下が笑われます。
「私は厳しいですわよ? それに黒い噂も沢山出るかも?」
「覚悟の上だ、愛しい人」
「では、国盗りしてみますわ。……渋々ですよ? 渋々」
―― fin ――
いつもの方も、初めましての方も、お久しぶりですの方も!
閲覧ありがとうございます。
いいね、ブクマ、評価、感想等とても励みになっております。
また何かの作品でお会いできれば幸いです。
笛路