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一章 狂気の所業


 そもそもだが身分と言うのは壁だ。

 色子扱いされる彼は孤児としては珍しく名前もちだ。一応だが孤児仲間の中では、拾われた場所で呼ばれる事が多い。

 だがこういう名前のある孤児は、孤児の中ではヒエラルキーが下と言える。

 悲しい事に孤児も芸歴などと同じように、長さが重要視されたりするのだが、他の孤児とは違いある程度教育を受け、そして年の割には大柄であったことが幸いして、孤児の中でも上位のヒエラルキーにいた。


 一応だが貴族の庶子ではあったので、両親から捨てられるまではちょっとした教育を受けいていたのだ。

 孤児としては珍しく読み書き算盤と言った感じに、最低限の知識は持っていたのである。

 この特殊技能を周りの人間に教える事によって、彼がいた孤児の集まりの中では慕われていたと言ってもいいだろう。


 しかしながら、そうなるまでには少しの時間が掛かり、そして今となっては会う事すら難しくなってしまった。


 公爵に連れられて、汚れを洗い流すとその日のうちから座学が始まり、理解できないとなると容赦のない暴力にさらされる事となったのである。

 現代社会なら大問題になりそうな暴行を受けるが、それでも必死に努力している彼の姿を見た指導役の竜騎士達も流石に死なれるのは嫌だからと多少の手助けをしようとする。

 だが公爵もおかしければ、彼も十二分におかしいので、甘えさせないでください、訓練を元に戻してくださいと土下座する。


 むしろ教えている方が精神を病みそうな状況に追い込まれていくのである。

 貴族だ平民だと言うが、そもそも普通の価値観を持った人間は簡単に人を殺せない。そんな人間にある意味では精神耐久訓練をさせている状況だが、公爵がそれに気づくのは妻が哀願するまで理解すらできなかった内容だ。

 

 実際最初に潰れたのは彼ではなく指導側だった。

 これ以上は出来ませんと、次々に辞退していく竜騎士達に公爵も戸惑うが、止めとなるのが彼の訓練風景を見ていた公爵夫人も顔を真っ青にさせて夫に辞めさせてくださいと言ってくる状況がふた月ほどで起きた。


 実際彼は腕の骨格が若干変わるほどの暴行を受け、さらに指が曲がらなくなり、体を引きずるように歩ているのだ。むしろ死ななかったのは竜騎士達の配慮だろうが、それでも障害が残る様な暴力を何度も与えれば、人の心は病むものだ。

 その彼の姿を見た時に公爵も流石に正気に戻るが、時すでに遅しである。

 ただ一人だけそんな状況でも次は何をすればいいのかと聞きに来るのが彼であった。方の法の狂気が収まったところで、もう一つの狂気は消えていない。


 だがなにせただ走らせるだけでも、既に足を引いているのだ。

 さらには間接に何が問題が起きたのか、腕もまともに回らない。

 良くもここまで徹底して人間を壊せるものだと思うが、要望と対応が一致した結果でしかないと言えば、誰か納得してくれるのだろうか。


 当事者以外は納得できる訳もないが、正気に戻った公爵はまずいと思う。

 ここまで公爵にとって都合のいい人材はいないのだ。ただの拷問を受けて、早く訓練をなどと言う心の壊れていない人間が、世界に何人もいる訳がないのである。

 しかし、正気に戻ってこれなのだから、彼も随分と人間としては破綻している。


 法術による治療が終わるころには、少年はまた拷問を受けに戻ってくる。

 そして三か月後には同じような治療を受けて、意気揚々と拷問を受けに行く。


 もう彼以外の人間の心が病むまでのチキンレースと化していたが、公爵も彼以外の人間には配慮できる人だったので、やり方を変える事になるまでに約一年の時間が流れていた。

 だがその頃には周りの人間も本当に狂気に染まっていたのが誰かを理解し始めていたのだ。

 竜騎士を目指すのは普通であれば十の頃から知識と体を作っていく。だが少年は十三と言う年でこの世界に入ってきた。体格などは孤児の中では優れていたが、竜騎士になるために用意された器たちと比べれば絶望的な差がある。


 竜騎士とは竜に乗る人間ではなく、竜と伍する人間である。


 その為の下準備には竜の調教と同程度の時間が掛かる。三年と言う差は絶望的だが、彼はそれを座学によって自覚し、このままでは足りないと考えた。

 誰もが心を壊すような拷問と感じても、彼一人だけは足りないと言う焦燥感の方が強かったのだ。


 法術が折れた骨どころか、疲労や眠気と言ったものも無くすことを理解した彼は、最初に睡眠を削った。

 倒れて法術の治療をした方が、時間的に効率がいいと判断したからだ。一日のほぼ全てを訓練に使い、誰よりも公爵が望む方向に行動をし続けた。

 教育していた者たちは口々に、公爵以外にもう一人いたと言う。そしてその子供が、ある意味では公爵よりも正気の沙汰ではない事に気付くのは、彼が珍しく公爵にお願いしたことで発覚する。


「法術官の在中をお願いできませんか」


 この言葉に大笑いしたのは公爵だけだった。

 もはやブラックジョークとすら思われない。独特と言うしかないこの二人の関係だが、決して悪いものではなく、むしろ良い関係であったと言えるだろう。訓練以外では彼とまともに会話をするのは公爵しかおらず、この二人だけが夢を語り合える関係であったのだ。


 少年は公爵に奉竜祭に出たいと言った。

 公爵は誰にも負けない竜騎士が欲しいと言った。


 その会話ばかりで気付けば、訓練に変わっている始末であるが、少年はそう言う意味では優秀であった。吸収力と言うか、執念が異常と言ってもさして変わらない。

 公爵はその彼の言葉の意味を正式に理解して、その発想はなかったと喜んだのだ。


 何せこの理由は、彼が寝ずに訓練できるからと言うただそれだけの理由だ。

 加えて治療がさっさと出来るから訓練の時間が当てやすくなる。

 彼らは二つの言葉しかなく、それ以上は無かったのだ。公爵は統治者としてどうだとか色々あるが、彼は優秀な人間で、竜騎士を育てる為にかかる資金や資材などの為に、領地経営なども無難を通り越して発展の域にまで

引き上げた人物である。


 後々の世の話であるが、公爵が頑張り過ぎた結果だが公都と王都の経済事情が逆転する問題が起きる程であったところからも、その手腕がどんなものか分かるだろう。

 しかし失墜しているはずの公爵家を発展させ、後には偉大な統治者として歴史に名をのこす事になるが、目的のための手段の為に努力した結果ですでに目的を成し遂げたのがこの人物である。


 実際には権威と言う意味では巻き返しているのだが、それでもアバラ公爵家は武門の出であり、竜騎士の名門である。公爵がそれに固執するのは仕方のない事ではあるが、自分達の祖が作った名を捨てられるほど、彼は貴族を止めたわけでもなかったのだ。


 公爵は彼の要望に応える。だからこそ少年はアバラの色子と言われるようになるのだ。

 孤児の要望を聞き届け実行する。そんな事を何度も繰り返す事になるのだから、そりゃ周りも勘違いすると言う物だろう。

 そして二人して視点がだ定まり過ぎて、定点での観測は出来ても周りを見る事を一切しなかった。


 ある意味では最高の理解者と指導者であるが、それはあくまで彼らの視点でしかないのもまた事実だ。

 ありとあらゆるものを一顧だにしなかった。結果としてどこぞの孤児に熱を上げた色狂いの公爵が、その所為壁で孤児を痛めつけていると言うこと以上にはならないのだ。


 その醜聞自体は二人の関係を見れば、そんな事はないと言うのは理解できるだろう。

 だがこの時代の公爵の市井での評価は、決していいものではなかったのは間違いない。


 しかし真の被害者はそう言った醜聞よりも、公爵によって呼ばれた在中の法術官であった。

 睡眠時間を減らすと言えば彼の狂気が先に立つかもしれないが、巻き込まれる方はまともではいられない。何せ昼夜問わずにお願いしますの彼の声だ。

 何より回復されるからと言って、睡眠を削る方法を他の誰もが取っていないのには相応の理由ある。


 出来る事とこなせる事は本質的には違う。人間の本能の部分を誤魔化す術が、弊害がない訳がないのだ。

 幻覚と言った症状はないが、根本的に生命の原則から外れる行為だ。ただひたすらの疲労感、通常の人間が感じるであろう倦怠感などと比べてはいけない。

 睡眠が脳のリセットとするのなら、それをしないのなら脳の方が壊れて来る。


 だが素晴らしきかな回復魔法、そのデメリットすらも回復してくれるのだ。

 しかし心が持たない。本能を台無しにするような行為に何の反動がない訳がない。


 最も精神の摩耗に耐えきれる人間がいるのなら、この方法はもっと残酷に使われているのである。

 残念ながら発狂する人間の方が多かったのは間違いない。

 それをただの善良な人間が行うのだ。例えるのならミルグラムの服従実験の様なものである。


 あの実験の真に恐ろしい所は、人がどこまでも指示次第で残酷に出来る事ではなく、普通の感性のままに実行出来る事だ。行う側の心が本質的に壊れてしまう代物であるのだ。

 法術官は宗教的倫理観を持ち合わせながら、公爵と言う権威に逆らえず十代前半の子供に拷問を強いているのだ。


 彼は回復魔法における弊害を当然知っている。むしろそういった弊害を知らずに、回復魔法を習得することは許されていない。いつか自分が癒している少年が発狂するほどに精神を衰弱させる可能性を知っている。

 当然の事だが彼は必死に嫌がるが、彼を真に追い詰めるのは公爵でもなく、壊れるかもしれない少年だ。


「先生お願いします」


 初日、そう言って靭帯が切れ、骨は三か所折れ、指は中途半端に二つ繋がっている状態だった。


「先生お願いします」


 二日目、彼がそう言ってきたとき外傷はなかったが、徹夜十八日目に到達していた。


「先生お願いします」


 三日目、歩く事が出来ず腹には槍が刺さったままで、凌遅刑でもされたように体が十八か所ほど肉を削ぎ落されて骨が見えている。


「先生お願いします」


 その言葉を聞くたびに少年は、破滅的が傷を負っている。

 もはや死んでいないだけの状況だ。来るたびに、少年は致命傷あるいは重症、完全に意識を失って運搬される事も何度あっただろうか。

 一体公爵は何を作ろうとしているのだと言う恐怖すら感じてしまう。


 寝る事もせず、まるでそういう概念であるとでも言うように、彼はお願いしますとやってくる。

 寝ている時であろうとノックの音が響けば悲鳴を上げる様に立ち上がり、お願いしますの声が響くのだ。


 明るい時の彼は座学や、鍛錬と言ったものに時間を費やしているが、夜間は基礎訓練を中心に行っている。だが八時間以上走りっぱなしとか、手の皮がずる向けても素振り、と言った具合に無茶しかしないので、夜間でもノックの音は当然響く。

 だからだろう法術官の扉の前は彼の血痕が残って、まるで陰惨な殺人現場である。


 そんな彼の状況に耐えかねて、法術官が訓練を止めさせようとするのは、当然の帰結であった。


「そろそろ、まともに鍛える方向にならないのかい」

「ご迷惑をお掛けしているのは理解しておりますが、まともでは足りないのです」


 素振りをしている折に話しかけてきた法術官に驚くが、その状態を止める事もなく公爵以外には珍しくちゃんと口を開く。

 彼自身も流石に常軌を逸した行為をしている認識はあったのだ。

 それに驚く法術官だが、彼はそれでも足りないと言い切る。


「ただの竜騎士程度では、孤児の私は竜騎士にはなれません。ただの竜騎士程度で、そうなれる生まれではありません」


 竜騎士における最大の問題の一つだろう。

 なにせ公爵家ですら、竜騎士の名門と言われる程度には、地位と言う物の高さが異常なのである。そしてこればかりは、公爵のコネだけでどうなるものでもないのである。

 本質的に選ばれた立場が必要であり、騎士階級程度では足りないのだ。


「ならば誰にも、文句を言わせない化け物の様になるしかないのです。そうでなければ私は竜に乗る立場になる事はないでしょう」


 その無理を押し通るには、二つの方法がある。

 どこぞの貴族の養子になるという正攻法であるが、生憎と公爵はそういう事は一切考えていない。彼の目的は最強の竜騎士を作る事であり、ただの竜騎士を作る事ではない。


 そのような甘えを公爵は認めない。


 そして彼の目を見ればわかる。泥のように淀んだ目だ。吐き気がする程何にも見えていない目なのだ。

 視力を持っていると言うのに、盲目な人間よりも何も見えてやしない目だ。


「先生の言葉は、私の体を心配してくれてのものだと思いますが、要りません。必要ではありません。そこに私たちが必要な事なにもありません」


 目的しか見えていない瞳は、周りの視線など本当の意味で見えてなどいない。

 彼はそうなると決めて、彼等はそうにしかならないと決意したのだ。


「私は竜騎士になる事を自分で手に取らなくてはならないのですから」


 まとも手段では届かない。あらゆる反発が彼をこれから襲うのは間違いない。

 それを黙らせるために、彼は全ての騎士の上に立つ、竜に関わるすべてに勝り、そこに隔絶とした差をつけなくてはならない。


 それが竜騎士になるために彼が選んだ手段である。


「それでも君の体がもたない。たとえ外傷はなくとも、後遺症はなくとも、人としての機能を否定するなら、何か弊害を起こすのは間違いない」

「それは仕方ないですね。困った事に私は人ではなくて、竜騎士になりたいのです」


 体が動き、機能として困らないのなら、彼は寿命を削っていようともなにも困るところはないのだ。

 そもそもこんな事をしているのだ。自身がまともなままでいられるとは思ってもいない。


「その為なら妥協もなく、今正しいと思う道を進みましょう。それが家名もない孤児が選び取った唯一の生き方なのです」


 ですから、今まで通りお願いしますと彼は頭を下げた。

 だが理解などされる訳がない。いつか根を上げると誰もが思うなか、彼はそれをやり通すだけの何かを持っている。

 だからだ法術官は彼の決意に対して、恐ろしさを最初に感じるのだ。


 邪魔をするなと言外に行っているのだ。

 ふと視線を動かした先に、鍛錬で使っている真剣に冷たさを感じる。


 そう感じるのも当然の話ではある。

 伝道官がこれ以上彼を止める様な事があれば、その刃は彼の首を切り落としていただろう。

 

 すでに睡眠を削る事によって起きる弊害は、確実に彼の心を蝕んでいる。

 だがそれを知る人間は残念ながら、これから先も死者以外には存在しない。

 彼のその淀みを必死になって修正しようとした優しい人々だけがそうなっていくのだ。


 しかしそんな彼の所業も残念ながら、誰からも知られる事は無いだろう。

 なにせここまで言っておきながら、彼を本当の意味で止めようとした人なんて、これから先ついぞ現れる事はない。


 彼を本当に心配して必死に止めてくれる人なんて、誰もこの世界にはいやしないのだ。

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