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現実恋愛

初夏の調べ

作者: 猫じゃらし


決まった音楽はありません。

読者さまの感じる、自然の音で想像してみてください。



 

 すでに黄金色となった麦畑のあぜ道。

 ひたすらにまっすぐなその道を、じめじめとした空気を肌に受けながら歩いていた。


 ザリ、ザリ、と雑草混じりの地面を踏みしめる。

 わずかに上がる息が、暑さのために自らの耳に響いた。


 時折、風が吹く。

 ザァァァっと音を立て、吹き抜ける。


 汗ばんだシャツに心地よい。


 あと伺うのはこの先の、気心の知れた一件のみ。

 医療器具の入った鞄を手に持ち直し、早る気持ちを抑えてシャツのボタンをひとつ外した。



「ごめんください」



 あぜ道を抜けても、周りはやっぱり麦畑や田んぼばかり。

 ぽつんと建つ一軒家は、この辺りでは一番の見事な日本家屋。


 洋式が嗜まれつつあるこの時代だが、それは街の中心地、さらには上流階級だけの話。

 本来はこの家の主人もそちらの人間。だけど、こうして田舎に根を下ろすのにはちゃんと訳がある。



「いらっしゃい。若先生、お待ちしてましたよ」


「どうも。遅くなりまして」



 出迎えてくれ女性は自分の母ほどの歳。

 若草色の着物に割烹着姿で、「暑かったでしょう」と綺麗な手ぬぐいを差し出してくれた。

 遠慮なく受け取り、上がり(かまち)に腰掛けて汗を拭った。


 女性は隣に膝をつく。



「本当は昼前には来たかったんですが」


「またお見合いでも?」


「まさか。今日は違いますよ」


「ふふ。若先生は全部お断りしていると聞いていますよ」


「うちの母にですか」



 ころころと笑う女性は手ぬぐいを受け取ると、とぼけて小首を傾げてみせた。

 幼少期から家族ぐるみの付き合い。家は離れてしまったが、今でもこうして交流があるのだ。


 女性は楽しげに「先にお茶でも?」と奥の部屋へ目線を流した。

 僕はそれを丁重に断る。



「いえ、先に診察を。そのあとで話があります」


「あら。なんのお話でしょう」


「縁談の話です。やっと父から独り立ちを許されました」



 まぁ。笑いを収めた女性は、口元に手を添えて目を(しばたた)かせた。



「独り立ちということは、開院なさるの?」


「はい。父とは離れ、僕の院を開きます」


「おめでとうございます。やっとですね、若先生」


「ありがとうございます。皆さんのお力添えあってのことです」


「若先生の実力ですよ。それで……縁談というのは?」


「はい。……伽耶(かや)さんに」



 あらあら。まぁまぁ。

 女性は嬉しそうに微笑んだが、すぐに取り直す。

 ひそめた声は、件の本人(・・)を慮って。



「よろしいの? 若先生なら他に見合う方がいるでしょう。それに、先生(お父様)も」


「父は独り立ちすることで黙らせました。といっても、見透かされていましたが。ちゃんと背中を押してもらえましたよ」


「でも。伽耶は虚弱ですし、目が……」


「だからこそ、僕が側にいれば安心でしょう? おばさん(・・・・)



 晴れて、一人前の医師になりましたから。そう付け加えて。

 女性は納得して、頷いた。



清志郎(きよしろう)さん。娘のこと、よろしくお願いしますね」


「振られないといいのですが」



 僕がそう言うと、女性はまたころころと笑った。




 ❇︎❇︎❇︎




「身体の調子はどう? 伽耶」



 畳の和室。

 縁側の板戸は開け放たれ、風が吹けばそよそよと部屋に涼しさが入り込む。

 見える庭にはツツジの花が鮮やかに色づいていた。


 布団の上で上半身を起こした彼女は目を閉じたまま、うっすらと笑んだ。

 陽に当たることの少ない彼女はとても肌が白く寒々しく見える。

 そばに置いてあった薄羽織を肩にかけてやると、「ありがとう」と言った。



「最近は調子がいいの。朝晩は冷える日があるけれど、特に悪さをしないみたい」


「そう、良かった。胸の音も問題ないよ」



 発作が起きるとゼィゼィ、ヒューヒューと音を鳴らす。季節の変わり目に多い。

 初夏に入った今から秋にかけては寒暖差もひどくなく、発作は少ないだろう。


 聴診器を鞄にしまい、傍に置いた。



「調子がいいのだから、梅雨が来る前にまた、お散歩をしたいわ」



 閉じた目のままで彼女は庭に目を向ける。

 期待を込めたその横顔に、僕は小さく笑いを漏らした。


 これは、連れて行け、ということ。



「ご要望のままに。僕も伽耶に話があるんだ。行こうか」



 驚かせないようにそっと手を取り、僕は彼女を立ち上がらせた。

 道すがら、くすくすと彼女の母親であるおばさんの視線を受けながら。


 外へと、手を引いた。



「風が気持ちいいね」



 あぜ道よりも(なら)された、歩きやすい道。

 彼女が足を取られないように、ゆっくりと前を歩いた。


 横から吹きつける風に目を細め、振り返ると、彼女は頰にかかる髪を手で押さえていた。


 歩みが止まる。



「何か、聞こえたかい?」



 目を閉じたまま、彼女は風の吹きつける方向へ体を向けた。

 はためく髪が僕の肩をかすり、彼女との近さを表す。



「麦の穂がぶつかり合って、風の音になってるわ」



 風が吹く。

 遠くからだんだん近く、ザァァァっと音が駆け抜けていく。

 波打つ黄金色の麦畑は太陽の光を反射し、さらに黄金を増して輝いた。

 音が、遠ざかっていく。



「ツバメが飛んでいるのね。カエルの鳴き声も、たまに聞こえる」



 ちゅぴちゅぴ、ちゅぴちゅぴ。

 麦畑の上を低く飛び交うツバメ達は弧を描き、僕らを越えていく。

 ちゅいっ。

 最後にそう鳴いて、遠く遠くを目指していく。



「初夏の麦畑。黄金色に輝いて、その中に青紫やピンクの花も咲いているの。つがいのツバメがさえずり合いながら飛び交って、高くなった空を目指していく」



 彼女は僕を振り向き、はにかんだ。



「私の音で感じる風景はそんな感じ。清志郎さんの目に映るものと、違う?」


「同じだよ。だけど、きっと伽耶のほうが綺麗に映してる」



 見慣れた麦畑。

 風の音が麦の穂のせいだなんて、考えたこともない。

 合間に顔を出す色とりどりの花や、カエルの鳴き声。

 弧を描いて飛ぶツバメのさえずり。


 音として風景に捉えるには、僕には当たり前すぎて。


 儚くも逞しく存在感を放つ、全ての命たち。

 彼女の中で輝き、美しく芽吹く。

 それを美しいと愛でる、彼女だからこそ。


 僕は。



「あなたが好きなんです」



「えっ」と、たじろぐ彼女の手を逃さないように捕まえて、僕は続ける。

 ずっとずっと聞きたかったこと。我慢して、ようやく聞くことができるようになった今。



「あなたの心に、僕はどう映っていますか?」



 ふんわりと。

 彼女に、ツツジ色が花開く。






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― 新着の感想 ―
[良い点] やっぱイイっすね。 今の季節に読見直すと また 好い [気になる点] 最近そこかしこで話題の企画 仙道企画その1  主催者様のオリジナル音源インスピレーション 真っ先に この話を 思…
[良い点] わたしは特に映画とかで思うのが、お話を作るときのきっかけとして、『セリフを魅せるため』というのがあると思うのですが、まさにこのお話はその『セリフを魅せる』にピッタリの、クライマックスへの持…
[一言] なんてステキなお話でしょう。 これこそ、キュンとするお話と言うのですw 決まった音楽はない、とのことですが、豊かな『音』を感じます。 読み終わって、外で風に吹かれてみたくなりました。 ただの…
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