②距離を取る努力
シルヴィも小学校に上がり、一緒に登校するようになった。
お向かいさんが違う登校班になるというのもおかしな話で、当然と言える。
さて、学校でのシルヴィだが、一年間、幼稚園と小学校に別れていたことがシルヴィの甘え癖を変えたのか、休み時間ごとに遊びに来るということもなくなった。
小学生になってようやく、上級生に対する怯えというか遠慮を覚えたのかもしれないが、僕だけに構おうとするよりは成長しているということにしておこう。
ミクちゃんも同じクラスだと言うから、心配することはあるまい。
一応言っておくと、僕の方も全く問題ない。幼稚園の頃からの友達もいるし、シルヴィが遊びにくることがなくなったので、変にからかわれることもない。
もっとも、来たとして、幼稚園からの知り合いは察したように微笑ましい顔をシルヴィに向けるだけだろうが。
「あ、ケータロ。今日俺んちにみんなで集まるんだけど、ケータロも来る?」
「ん、いや。僕はシルヴィのお迎えがあるから」
そう僕に声をかけたのは、小学校に上がってできた友達の、岡本。僕の同学年の友達の中で、一番仲が良いと言っていい。
幼稚園の頃の友達もいると言ったが、彼らはあまり僕と遊んでいない。喋りはするが、僕にシルヴィがいることを知っているので、遊びに誘う相手として見られていないのだ。
「たまにはサボってもいいんじゃないのか?」
「そうするとシルヴィが泣くんだよ」
「じゃあ今日はいいや。来週、そのシルヴィに話つけて、俺んち来いよ」
「え?」
「じゃあな」
岡本はそれだけ言い残し、ランドセルを背負って教室を走って出ていった。それを追いかけて、他数名の男子が走っていくのを、担任の先生が軽く叱る。
なんとも強引な男だ。だからこそ、基本シルヴィ優先の生活をしている僕ともそれなりの親交を得ているというわけなのだが。
岡本の提案だが、あながち一蹴すべきというわけでもない。
シルヴィももう小学生だ。一人で宿題をしていろというのではなく、ミクちゃんあたりの家にお邪魔することも経験しておいたらいい。
僕の家に来ることは、もはや日課となってしまっているが、女の子同士で友達の家に集まるのも楽しいのだとわかってくれることだろう。
そういうわけで、一週間後の朝。
登校班で並び、隣を歩くシルヴィに話しかける。
「シルヴィ、今日は僕、友達の家に遊びに行くから」
「え? うちに来るの?」
「違うよ。僕にだって、シルヴィ以外の友達もいるんだから」
友達がいないと思われていたとは。それくらいシルヴィのことを優先していたのだから、仕方ないことだが。
「岡本っていう子の家。同じクラスの男の子だよ」
「ふぅん。ボクもついていっていい?」
そうくるとは。残念ながら、僕以外にシルヴィの知っている人はいないし、シルヴィのことを知っている人もそういない。
いくら僕がいると言っても、シルヴィは楽しめる保証はない。それに、向こうも年下の女の子が混ざったら気を遣うかもしれない。
「僕しか誘われてないから、難しいな。それに、他の子もいるし、シルヴィ仲間外れになるかも」
「ケイがいてくれるでしょ?」
「そしたら、僕が岡本の家に行く意味がないでしょ?」
「う」
シルヴィが口をへの字に曲げる。それだけ僕と離れがたく思ってくれるのはありがたいが。
「どうしても行かなきゃだめ?」
シルヴィは上目遣いに甘えてきた。くっ、可愛い。
しかし、一度決めたことだ。意志が固いとはお世辞にも言えない僕だが、ここは少し大袈裟になっても粘ろう。
「もし今日、岡本のお誘いを断ったら、僕に友達がいなくなるかもしれないなぁ」
「ボクがいるよ」
「でもシルヴィは同じクラスじゃないでしょ」
「あぅ」
「クラスに喋る人がいなくなるかもなぁ」
もちろん、冗談である。今までに岡本の誘いを断ったことなど一回や二回ではないし、喋る友達くらいはいる。何もいじめられているわけではないのだ。
「誰ともおしゃべりできないのは、寂しいよね」
しょんぼりといった様子で、シルヴィは僕の外出を認めた。いや、言いなおそう。僕がシルヴィを説得したと。それではまるで僕がシルヴィの許可なしにどこへも行けないみたいだ。
ともかく、心なしか足取りがゆっくりになったシルヴィをフォローしておく必要があるだろう。
「シルヴィも、ミクちゃんとか、他の子の家に遊びに行ったらどう?」
「えー」
「嫌なの?」
「ううん。嫌じゃないけど」
シルヴィは考え込むように俯いて歩く。
「シルヴィ。前見てないと危ないよ。電柱に当たるかも」
「あ、うん」
自然に手を握って、逸れかけたシルヴィの軌道を修正する。
するとシルヴィは、恐る恐る僕の顔を見て、それから安心したように微笑んだ。
「わかった。今日はミクちゃんと遊ぶことにする」
「楽しくても五時までには帰ってくるんだよ」
「わかってるよ」
「それと、僕は道案内しないから、ちゃんとミクちゃんに道を聞いておくんだよ」
「うん」
「それから」
いざシルヴィが一人で遊びに行くとなったら、心配事が一気に口から流れ出る。
向こうのお母さんに失礼のないようにとか、余計なお節介を焼いてさぞウザがられているだろうと思ったのだが、登校中、シルヴィはちょっと嬉しそうに頷いていた。
その理由の真相はわからないが、多分、僕が色々心配することが嬉しかったのだろう。小学生ともなれば、束縛されることにイライラする年頃だと思っていたが、そうでもないのだろうか。
放課後。シルヴィと一緒に帰って、一緒に宿題を終わらせて、一緒に家を出た。ここまでは一緒にしようという取り決めが、帰宅時にあったのだ。
話は逸れるが、前々から思っていた通り、シルヴィは賢い。学年の差はあるにせよ、絶対に僕より先に宿題を終わらせ、僕にちょっかいをかけてくるのだ。
あまつさえ、文章題を見て「前にケイがやってたやつだ」なんていうものだから、末恐ろしい。一年前の、高々文章題をなぜ覚えているのか。
そんな馬鹿げた記憶力を持つシルヴィは、去年一年間、僕の宿題をずっと横で見ていた。解けない問題はおろか、詰まるような問題もない。
とはいえ、所詮小学一年の問題。これで大仰にもてはやすのは親馬鹿だろう。
閑話休題。本題に戻ろう。
僕とシルヴィは一緒に家を出た。それはそういう取り決めで、全くもって構わない。
がしかし、家を出て歩き続けること数分。ずっとシルヴィが僕の隣をついてきている。
「えっと、シルヴィ? 僕についてきてるんじゃないよね?」
「うん。ミクちゃんの家に行くよ」
「ミクちゃんの家もこっちなの?」
「うん。そうだよ」
シルヴィは平然と言う。
これが悪戯である可能性はどうだろうか。実は最初からついてくる気満々だったとか。僕が岡本の家に行ってしまうことに寂しさを覚えて、そういう悪戯を画策した、なんて。
チラチラと、シルヴィの様子を窺う。
変な様子はないが、シルヴィは悪戯をするとき、大抵こういう感じになんともない顔をしている。
「ケイ、前向いてないと危ないよ?」
「ん、あだっ」
シルヴィの態度に気を取られて、電柱にぶつかった。
「あっはは。ケイの間抜けー」
「ぐぅ」
どうしようもない悪口だが、正論でぐうの音も出ない。いや、出ていた。
「もうちょっと早く教えてよ」
「だって、じーっとボクのこと見てくるんだもん。嬉しくて」
両頬に手を当て、シルヴィはいやんいやんと体をくねらせる。冗談めかした振る舞いもできるようになったということだろうか。
「そう言って、面白がってたんでしょ」
「えっへへ。許して?」
「いいよ。僕の自己責任だしね」
最近は、悪戯をしなくなった代わりに、ちょっとしたことで僕をからかうようになってきた。気を引こうとしているというわけではないだろうが、シルヴィが楽しそうならそれでいいと思う。
「ふぅ。ところで、ミクちゃんの家ってどのへん? もしかしたら、帰りに迎えに行けるかも」
「んっと、もうすぐだよ。ミクちゃんが家の前で待っててくれるって」
シルヴィの言う通り、坂道を上りきると、少し遠目にミクちゃんらしき人影が見える。ちょうど、僕の向かう場所と同じ辺りだ。
本当にミクちゃんの家に行くということだったらしい。悪戯でなくてよかったような、ちょっと寂しいような。
「ミクちゃーん!」
「あ、シルちゃーん! って、あれ? ケイさん?」
シルヴィもミクちゃんの姿を見つけ、声を上げると、家の前でぼーっとしていたミクちゃんもこっちに気が付いた。シルヴィだけでなく、無論僕にも。
「シルちゃん、またケイさんに送ってもらったの?」
「違うよ。ケイはなんかついてきたの」
「えー。ついてきてもらったんじゃなくて?」
「シルヴィ。僕は岡本の家に行くって」
言いながら、何とはなしにミクちゃんの家の隣の家の表札を見ると、それには岡本の文字があった。
「あれ、岡本って、お隣さんだ」
「変な偶然もあるもんだね」
シルヴィもそれに気づいて、びっくりしていた。いっそ好都合ということで、五時に迎えに来ることを約束し、僕らは隣同士の家にお邪魔していった。
五時の鐘が鳴る。実際は鐘などではなく、お馴染みの音楽とアナウンスなのだが。
ミクちゃんの家、西川家のチャイムを鳴らし、シルヴィに出てきてもらって、帰路につく。
「どうだった? 楽しかった?」
「うん! いっぱいおしゃべりした!」
ニコニコしながらシルヴィは、繋いだ手をぶらぶらさせる。
手を繋いだのは、ほぼ無意識だった。シルヴィもそれで慣れてしまっているが、そのうち嫌がられる時が来るのだろうか。
「どんなことを喋ったの?」
「んーとね、ケイのこととか」
「僕のこと以外では?」
「えー? 他は、みんなの話を聞いてたかなぁ」
特に何の感慨もなく言うシルヴィ。僕の話以外に話題がないことには多少なりとも危機感を覚えてほしいものだ。
かと言って、僕もシルヴィのこと以外で雑談をしろと言われたら、困ってしまうのだが。
「あ、ケイの友達とミクちゃん、家お隣なのに喋ったことないんだって」
「そんなものじゃないかな」
「そうなの? ボクとケイって変?」
「別に変ではないと思うよ」
「そっか」
家が近いというだけでここまで仲良くなるのは確かに滅多にないかもしれないが、親密になることが変なんていうことはあり得ないだろう。
「あとはね、おままごともしたよ。ミクちゃんがすごくやりたがってたから」
「へぇ。どうだった?」
「あんまり面白くなかった。だってボク、パパ役だったんだよ? ケイのお嫁さんになりたいって言ってるのに」
「え?」
「あ! いや、なんでもない!」
ぼそりと言った文句を聞き返すと、シルヴィは慌てて繋いでいない手を体の前でぶんぶん振った。
ちなみに、僕は聞こえていなかったわけではない。あからさますぎる言葉に驚いただけだ。
シルヴィは幼稚園の頃からよく態度で愛情を表してくれるが、お嫁さんや結婚なんて単語を出すことは、小学校に上がってからめっきり減ってしまった。
そろそろ思春期ということで、いつ罵詈雑言に晒されるかと戦々恐々としていたり、していなかったりするのだが、もう少しくらい猶予はあるらしい。
「それより、ケイはどうだった? 楽しかった?」
「ん、うん。楽しかったよ」
「何して遊んだの? おしゃべり?」
「ううん。テレビゲームだよ」
シルヴィとばかり遊んでいるから忘れがちだが、男子が遊ぶときはおしゃべりばかりじゃない。ゲームか、スポーツか。そんなものである。
「ふぅん。ボクとおしゃべりするのと、どっちが楽しい?」
「え」
なんというか、圧を感じる。やけに真剣な目で見ているし。
ここで選択を誤れば、シルヴィの好感度は著しく下がるだろう。しかし、安直にシルヴィを選ぶと、もうボクだけでいいよね、みたいなことになりかねない。
「え、えーと。ゲームは楽しかったからなぁ」
「ケイ?」
思わず唾を飲んで噎せるくらいの迫力で名前を呼ばれた。フォローしないと、包丁でも取り出しそうだ。
「シルヴィとあのゲームしたら、もっと楽しいかもなぁ」
「そう?」
「うん。シルヴィとなら、もっと楽しめそうだなぁ」
「そっか」
シルヴィの機嫌はひとまず直ったらしい。
この回答なら、シルヴィが一番であることを強調しつつも、僕がまた岡本の家に行く理由が手に入る。そうしたら、僕一人の話しかできない、みたいな状況はいくらかマシになるだろう。
「じゃ、パパに頼んでみるね」
そして、僕は自分の見通しの甘さに頭を抱えることになるのだった。