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⑥的外れの誘惑とおさわり

 今日は家庭教師のバイトがある。同じくバイトのシルヴィとは大学で別れ、俺は住宅街を歩いていた。


 なんとも幸運なことに、大学近くの生徒の担当教師として選ばれた。いや、選ばれたというよりは、たまたま配置されたようなものだが。


 過程はどうあれ、今の俺はこの家の家庭教師だ。失礼のないように、身だしなみを整えてからチャイムを鳴らす。


 数十秒経って、玄関の扉が開いた。


「いらっしゃいセンセ。入って入って」

「あれ。お母さんはいないの?」


 迎えてくれたのは、制服姿の教え子だ。いつもは親御さんが最初に迎えてくれて、激励の言葉を頂くのだが、さすがに毎回は飽きたのだろうか。


 とりあえず、玄関を入って、家にお邪魔する。


「うん。今はうちに一人だけ」

「え。いいの? 君の親御さん、監督しないと気が済まないタイプじゃない?」

「よくわかってるねセンセ。でも残念。お母さん、あれで結構忙しいから」


 とはいえ、やることは変わらない。圧をかけてくる人、もといこの場で一番熱心な人がいないだけだ。


 いつも通りにリビングへ向かい、教材入りの鞄を開こうとすると、生徒、八木さんが待ったをかけた。


「センセ。今日はこっち」

「ん? いいけど」


 八木さんが階段を上がっていくので、ついて行く。見上げるようにして思ったが、八木さん、なんだかいつもよりスカートが短いような。


「はいセンセ。ここ入って」

「八木さんの部屋?」

「そ」

「女子中学生って、異性を部屋に入れるのとか嫌がらない?」

「まー、普通はね。センセは特別」


 入学し、着任してから、二ヶ月ほど経つが、未だにこの子の性格が掴めない。ほとんど表情を変えず、飄々としている。話は聞いてくれていると思うが、何を考えているかはわからない。


「お邪魔します」

「どーぞ。じゃ、始めよっか」

「珍しくやる気だね」

「いや勉強じゃなくて。勉強前の雑談を」


 雑談なんて、そんな区切りをつけてするものではないだろう。


「えぇ。やっと僕の熱意が伝わったかと思ったのに」

「はは。悪いねセンセ」


 笑ってはいるが、あまり表情筋が動いていない。勉強の導入の導入に区切りをつけたり、不思議な子だ。


「よいしょっと。あ、悪いけどセンセは床ね」

「構わないよ」


 カーペットに座ると、チェアに座った八木さんを見上げるような形になる。


「今日はうるさい人がいないからさ。ちょっと楽な格好してもいい?」

「いいよ。なら出てようか」

「あーいいからいいから。ちょっとね」


 八木さんは立ち上がると、スカートの腰元をくるっと回して裾を上げた。そして、勢いよくドカッと座り直す。


 膝上十五センチくらいのミニスカートになった制服姿で、八木さんは脚を組む。確かに、あのお母さんがいるところでは、こんな格好はできないだろう。


「なんか暑くない?」

「もう六月だしね。エアコンつけようか」


 リモコンが目に付いたので、操作しようと立ち上がる。一方八木さんは、制服のシャツのボタンを上から二つ外し、三つ目に手をかけていた。


「エアコンつけるから、あんまり開けると冷えるよ」

「大丈夫だって。それとも、外されると困っちゃう?」


 襟元をひらひらさせる。


「困りはしないけど、また風邪引かないでよ?」


 設定温度を少し高めにして、そろそろ勉強を始めようかと鞄に手を伸ばす。


「ね、センセ」

「ん?」

「それよりも、コッチの勉強、教えてくれない?」


 八木さんは、ぺろんとスカートを捲った。中学生にしては、やけに気合いの入った黒のパンツだ。少しだけ、シルヴィにも見習ってもらいたい。


 それはそれとして、俺は教科書を取り出す。今日は数学のつもりだったが、理科の方を開いた。


「じゃあ生物の勉強にしようか」

「ちょっ、待て待て。センセ。誰がそんな入りで授業始めんの」

「生殖細胞について学びたいってことではないの?」

「なわけないっしょ。どういう思考回路してんの。ツッコミ所多すぎて羞恥心とか吹っ飛んだんですけど」


 とりあえず八木さんは捲っていたスカートを戻して、座り直した。


「JCの生パンツ見といて、そのリアクションは何? 自分清純派ですみたいな顔してヤリチンなわけ? 見慣れてんの?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「ならちょっとは意識しなよ。こちとら思春期真っ只中なんですけど。こうも相手にされないとさすがに傷つくっていうか」

「生徒だしね」

「その一言で片付けられたらおしまいだよ畜生め。ハッ、もしかしてソッチ系?」

「いやいや。僕はノーマルだよ」


 なんだかやたらと饒舌になった八木さん。何かおかしいと思っていたが、どうやら誘惑していたつもりだったらしい。


「センセ、おかしいよ。JCよ? 普通ここまでされたら手出すって」

「出したらまずいでしょ」

「んな正論言われても。結構ワガママボディだと思ってたんだけど、井の中の蛙だったってわけ? 誰が蛙じゃい」

「いや言ってないし」


 確かに、中学生にしては豊満な体つきだと思う。正直、シルヴィよりも年上だと言われたら、制服姿でなければ信じるかもしれない。


「てかセンセ。この対応、アタシじゃなきゃ泣いてるよ?」

「そう言われたって。仕事の関係だし、彼女だっているし」

「は? センセ彼女いんの?」

「うん、まあ」

「なーんだ。最初からそう言ってよ」


 八木さんはいそいそと、制服を元のように戻す。


「結局何がしたかったの?」

「センセ。アタシ、センセのことが」

「好きってわけじゃないよね」

「いや、まあ、そうなんだけどさ。彼女持ちはいたいけなJCに告白もさせてくんないわけ?」

「告白って言うには気持ちが篭ってなさすぎるよ」


 何を考えているかはわからないが、少なくとも恋する乙女のような言動はこれまで一切なかった。


「まー、なんていうか。思春期のノリで?」

「よく知らない家庭教師に身を預けるくらいなら、そんなノリ捨てたほうがいいと思うよ」

「でもさぁ。友達が彼氏とヤったって言うから、どんなもんかねと思って」

「ノリが軽すぎるよ」


 というか、友達にそんな話をするものだろうか。このあけすけな感じ、類は友を呼ぶということなのだろう。


「一時の興味で失うには重いと思うよ」

「経験者は語るってやつ?」

「いや、それは」

「え、マジ? センセ、まだ童貞? 彼女いるのに?」


 何を言うでもなく勘づかれたので、渋々頷く。


「最近付き合ったとか?」

「いや、高校のときから」

「それでまだヤってないの?」

「まあ、うん」

「彼女がヤらせてくんないの? それともセンセがひよってる?」

「両方かなぁ」


 遠い目をしながら言う。というか、とても中学生の生徒にする話ではない。


「あー、うん。なんかごめんね? 変なことして。センセも大変だね」

「同情しないで。虚しくなる」

「まあでも、センセのおかげでなんか安心した」

「逆に僕には刺さってるけどね」


 生徒の悩み解決も家庭教師の仕事のうちということで、この傷跡には目を瞑ろう。


「センセ、元気出しなよ。アタシも、センセが彼女とヤれるように手伝うから」

「ありがとう。ならまず成績を上げて、そっちに集中できるようにしてくれない?」

「うへぇ」


 中学生に手伝われる大学生の恋愛関係。なんだか納得いかない気分だ。






 仕事を終えて、家まで帰ってきた。終了時間はシルヴィの方が早いはずなので、先に帰っているだろう。


「ただいまー」


 返事が来ない。玄関の電気も消えたままだし、まだ帰っていないのだろうか。それか、買い物にでも出かけているか。


「シルヴィ? いないの?」


 続けてリビングも電気が消えている。つけてみても、金色はいない。ただ台所を見ると、夕飯の支度が途中で止まっていた。


 シルヴィがここまで中途半端にしたまま出ていくとは思えない。それに、寝室の扉がやけにピッタリと閉じているし、耳を澄ませばなんだかゴソゴソと聞こえてくる。


「とりあえず着替えよっかなー」


 白々しく、わざわざ口に出すと、寝室のゴソゴソがさらにあからさまになった。かくれんぼが下手っぴだ。


 いつ出てくるかと、そのまま待っていると、ほどなくして、勢いよく寝室の引き戸が開いた。


「わーっ! びっくりした?」

「わー、びっくりしたー」

「あれ? なんか棒読み? でもいいや。見て見てー」


 サプライズ演出が不発だったことに首を傾げながらも、本命はそっちではなかったらしい。


 シルヴィがその場でくるりと一回転すると、足首辺りまであるスカートがフワッと持ち上がる。レースのついたエプロンドレスに、フリフリのヘッドドレス。いつもお店で着ているメイド服だ。


「じゃじゃーん。ほんとに借りてきたよ。可愛い?」

「めちゃくちゃ可愛いよ」

「えへへ。今日はケイだけに御奉仕しちゃうからね」


 自宅にメイドさんがいる光景は、なかなかに新鮮だ。しかもシルヴィのコスプレだというのだから、可愛すぎて動悸がする。


「ケイだけ特別に、おさわり、おっけーだよ?」


 可愛すぎることを言いながら、メイド服姿のシルヴィが両腕を広げる。俺は吸い寄せられるように、彼女を抱き締めた。


 自宅でメイドさんと抱き合っているというのは、かなり非日常だ。シルヴィ目当てにカフェを訪れる野郎共には悪いが、俺だけに許された特権である。


 きっとお高いのだろう。メイド服はとても肌触りがよく、シルヴィの元々の柔らかさと相まって、総合抱き心地は最高だ。加えて、ぎゅっとすると、紅茶のいい香りが漂ってくる。


「えへへ。ケイってば、すごい気に入ってる」

「最高だよ。ほんとに」

「もぉ。シワつけないでよ?」


 言葉の割に、声音は嬉しそうだ。にやけているのが声でわかる。


「可愛いよシルヴィ」

「わかったよぉ。ちょっと離して」


 十分くらいそのままでいると、駄々っ子をあやすように背中をぽんぽんされて、渋々離す。


「あんまりぎゅってしてたら、ケイの匂いが付いちゃうでしょ」

「だめなの?」

「そりゃボクは嬉しいけど、お店の制服としては紅茶の匂いが染み付いててほしいもん」

「そっかぁ」


 肩を落とす。本当に貴重な時間だったわけだ。


「もー。あからさまにガッカリしないでよ。もうちょっとだけこのままでいてあげるから。おさわりも、ちょっとだけならいいよ?」

「本当?」

「あは。そんなに気に入ったの?」


 抱きつくのはやめて、両手を恋人繋ぎにした。ちっちゃいシルヴィの手をふにふにしながら、可愛いシルヴィを至近距離で堪能する。


「ね、服はダメだけど、もうちょっとだけ、おさわりしてもいいよ?」


 服に触れずにこれ以上というのは、つまり。


 シルヴィがそっと瞼を閉じる。


 キスなんて何回もしているのに、格好が違うだけで、それもお互いに仕事着というだけで、ドキドキしすぎて体が固まってしまう。


「キス、しないの?」


 シルヴィが片目を開けて、俺の顔をちらっと覗く。


 あまりの可愛さに意識が飛びそうになるのを必死で抑える。ここでキスをしないのは非常にもったいない。


「ん」


 そっと唇を触れ合わせる。それも数秒だけ。


「ぁ、終わり?」

「これ以上は、僕が持たないから」

「汚したくなっちゃう?」


 からかったつもりで、シルヴィがニヤニヤ笑うが、俺は真面目くさった顔で頷いた。


「そ、そっ、か。じゃあ、やめとこう」


 するとシルヴィはかぁっと顔を赤くして、おずおずと身を引く。寝室に入ると、ピシャリと戸を閉めた。


「着替えるから、ちょっと待ってて」

「覗いてもいい?」

「ダメ。じゃ、ないけど。ソッチの御奉仕は、この格好ではできないからね?」


 ならやめておこう。汚さないようにシてもらっても、多分匂いがついてしまう。それはさすがにまずい。


 今日は我慢しよう。そもそも、仕事着に欲情すること自体良くないことだ。


 しばらくして、普段着に普通のエプロンをしたシルヴィが出てきた。


「お待たせ。ちゃちゃっとご飯作っちゃうから、ケイも着替えておいでよ」






 その宣言の十数分後には、食卓には色とりどりのおかずに味噌汁と白米が並んでいた。見事な手際で、どれも美味しそうだ。


「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」


 ずずっと味噌汁をすする。相変わらず身に染みる美味しさだ。


「今日も美味しいよ。ありがとう」

「どういたしまして。ね、家庭教師はどう?」

「どうって?」

「どんな生徒さんなの?」


 そう聞かれて思い起こされるのは、今日の奇行だ。これをそのまま伝えたら、シルヴィはどんな反応をするだろう。


「八木さんっていう女の子なんだけど」

「え、女の子なの?」

「言ってなかったっけ? この辺の中学生なんだけど」

「ふーん」


 じとっとした目で、シルヴィが俺を睨む。


「な、なに?」

「まさか若い子に浮気とかしてないよね」

「こんな可愛い彼女がいて、他に色目を使う余裕なんてないよ」

「ケイがそうでも、向こうがその気になっちゃうんじゃない? ケイってやたらモテるし」

「あー」


 曖昧な返事をしながら、やはり今日のことを思い返す。八木さんには色恋の対象として見られてはいないだろうけれども、一応誘惑されたわけだし。


「ま、まさか、ほんとに中学生に言い寄られてるの? ボクというものがありながら?」

「言い寄られたというかなんと言うか」

「ケイ。発言には気をつけてね。事と次第によっては、ボクはケイを監禁しないといけなくなるから」

「物騒なこと言わないでよ。ちゃんと一から話すって」


 シルヴィがお世話してくれるとしたら、軟禁くらいなら許容できると思うが、そういう話ではない。


 俺は八木さんのキャラと、今日の言動、それに対する俺の対応を包み隠さず話した。


「えぇ。いくらボクという彼女がいるからって、返しが酷すぎない?」

「いやいや。シルヴィはどっちの味方なのさ」

「そりゃ、結果的にはケイの味方だけど、もし八木さんがガチ恋だったらどうするの」

「んー、そう変わらないんじゃないかな。僕にはシルヴィがいるし、無理だというのはわかってもらわないと」

「ひえぇ。人の心がないよ」

「そんなに?」


 一世一代の告白という雰囲気なら、俺も真面目に応対しただろうが、単に体を狙われたのだから、手酷くあしらっても問題ないだろう。


「ケイがボクのこと大好きでよかったよ。そんな返しされたら立ち直れないもん」

「ま、まあ、結果的にスッパリ諦めてもらえたわけだし、ね?」

「ボクの彼氏としては不満ないけど、ケイはもうちょっとだけボク以外のことも考えて生きてもいいと思うよ」

「難しいこと言うね」


 人生の殆どはシルヴィのことを考えて生きてきたのだ。あとは、自分の家族や友達のことくらいで、事務的な関係の人にはそれほど気を使っていられない。俺なりに、愛想は良くしているつもりなのだが。


「まあでも、彼氏として、キッパリ断ってくれたわけだし。ちょっとだけ、ご褒美あげようかな」


 白米を口に入れながらもごもごと呟いて、ちらと俺を見るシルヴィ。メイド服でハグなりキスなりした時点で、もう充分すぎるくらいなのだが、これ以上何を与えてくれるのだろう。


「き、今日はだめだけどねっ。また今度。楽しみにしてて」


 何をしてくれるのか見当もつかないが、言われた通り楽しみにしておこう。


 それまでには、俺だってシルヴィにしてあげられることを用意しておきたい。

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