②初めて過ごす二人きりの夜
二人っきりで過ごす初めての夜。引っ越し初日らしい殺風景な夕食の後。
今はシルヴィがお風呂に入っている。その間に、俺はコンビニから隠し持っていたものをこっそり寝室に隠した。恐らく、しばらくは日の目を見ないだろう。
二人暮らしのうち、毎日担保される一人きりの時間はこのタイミングくらいだ。隠し事をするなら今しかないわけだが、今更コソコソすることなんて、さっきのアレ程度。
今ある分の荷物は全て片付けたし、ここにはテレビがないので、娯楽も特にない。真面目に勉強しようにも、教科書はまだ手元にない。スマホを開いても、生憎受験期の名残で娯楽は少ない。
完全な手持ち無沙汰で、リビングでボーッとしていると、当たり前ではあるが、お風呂の方から水音がする。
これがまた落ち着かない。暇を持て余した脳が、想像力豊かに中の景色を思い描くのだ。実際には見たこともないくせに。
ふとシャワーの音が消えた。湯船に浸かったのかと思ったが、すぐに俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
「ケイー?」
「どうかした?」
「シャンプー持って入るの忘れちゃった。リビングにある?」
言われてみれば、俺の目に入る位置にあった。風呂場に据え置きの台なんかがなかったので、ここに置いていたのだ。
「うん、あるよ」
「じゃあ持ってきてー」
ドキッと心臓が跳ねる。いや、このドアを開けても、水周りとバスルームの間にまだ磨りガラスの扉がある。覗き見るということにはならない。
「わかった。入るよ」
ドアを開けて入ると、お風呂の湯気で少しだけむわりとする。磨りガラスの向こうには、肌色のシルエットが動いていた。
「マットのとこに置いておいて」
言われた通り、磨りガラスの目の前、マットの上にシャンプーを置いた。肌色に近づくだけでも、鼓動は速さを増していく。
そんな俺に追い打ちをかけるように、磨りガラスの扉が僅かに開いた。出ていこうとしていた俺を、シルヴィがひょっこり覗いてくる。
「し、シルヴィっ? まだ僕いるけど」
「んふふ。ケイってば照れてるの? 全然見えてないのに」
一糸まとわぬ姿のシルヴィが、そこにいる。確かに顔と肩くらいしか見えていないが、それだけでも十分クるものがある。
「どうする? 一緒に入る?」
俺が乗ってこないとわかっているからか、シルヴィはニヤニヤしながら煽ってきた。ここは一度心を落ち着けて、反撃してやろう。
「じゃあそうしようかな」
そう言いながら、俺はシャツの裾に手をかけ、上半身裸になる。その瞬間、ピシャリと勢いよく浴室の扉が閉まった。
「じょ、じょ冗談だよっ! はやく出てって!」
攻められると弱いシルヴィに苦笑しつつ、俺は静かにリビングへ戻った。
戻ったはいいものの、すぐさま先程のシルヴィの姿が脳内再生される。もしあそこで風呂場に乗り込んでいたら、どんな景色が見えたのか。
これからリラックスしようというのに、どんどん元気になっていく。しかも、こんな時間が毎日あるというから始末に負えない。
これからは二人暮らしが続くのだ。ここは何かでルーティン化してしまって、不埒な妄想を排除しよう。
「お風呂お先にー」
それから三十分後、シルヴィがお風呂から上がってきた。肌触りの良さそうなピンクのパジャマを着て、濡れた髪をタオルで包みながら。
そして、わざわざリビングで横たわっている俺に、不思議そうな目を向ける。
「何してたの?」
「筋トレだよ。腕立て伏せとか腹筋とか」
「へぇー。頑張ってるんだ」
体を起こした俺に、風呂上がりのシルヴィが近づいてしゃがむ。今日買ったばかりのシャンプーの匂いが、ふわりと漂ってきた。
「えらいねぇ」
おつかいをする幼児に向けるような笑みを浮かべ、自分の膝に頬杖をつきながら、シルヴィは俺の頭を撫でる。さすがに面映ゆい。
「僕も汗を流してこようかな」
「うん。ごゆっくり」
シルヴィに見送られて、俺はお風呂へ。
「ふぅ」
湯船に浸かってリラックスすると、引っ越しの疲れがどっと押し寄せてきた。思わず長い息を吐く。
この時間、シルヴィはどうやって過ごしているのだろうか。後で聞いてみよう。と、思ったのだが、聞くまでもなかったようだ。
シルヴィと共用にしたユニセックスのシャンプーで頭を洗っていると、水周りのドアの開く音がした。
「シルヴィ? 何か用?」
「わっ、バレた」
シャワーで泡を流しながら、磨りガラスの向こうにいるであろうシルヴィに語りかける。
「暇だから、お背中流そうかなって」
「暇って、素直な理由だね」
シャワーを止めて苦笑する。
「遠慮しておくよ。せっかくお風呂入ったのに、濡れさせたら悪いし」
「それもそっか」
俺はこれまたシルヴィとお揃いにしたボディソープで体を洗うが、シルヴィはまだ居座ったままだ。
「じゃあ、お願いとかしてもいい?」
「何?」
「ケイの写真撮っていい?」
「そりゃいいけど」
「やった」
シルヴィはさっきのように浴室の扉を少し開け、顔を覗かせる。手にはスマホを持って、カメラのレンズを俺に向けながら。
「ちょっ、今?」
「うん。ケイの、はだか。撮らせてほしい」
「いやいや。待って待って」
シルヴィに裸を見られることには、今はもう大して抵抗はない。しかし、写真となればまた話は変わってくる。
「な、なんで?」
「ボクがニヤニヤするためだよ」
「そんな当たり前みたいなトーンで言われても。だめだよ」
「えぇー」
シルヴィにニヤニヤされるのは吝かでは無いが、自分の裸体がデータで残っているのはさすがに気分が悪い。
「シルヴィの裸も撮らせてくれるなら、考えるけど」
「むぅ。じゃあいいです」
しゅんとしてスマホを下ろした。まあ、これもじゃれ合いの一環だろう。まさか本気で撮ろうとは思っていない、はずだ。
「暇なら、お話してしようか。僕はお風呂に入りながらだけど」
「うんっ」
退屈しのぎに、これからの生活や、今日見つけたお店の話なんかをしていたら、いつもより長風呂になってしまっていた。
逆上せる前にお風呂から上がり、寝間着に着替えて、二人で歯磨きまで済ませた。
リビングで、二人寄り添って座る。
「やることなくなったね」
「この分なら、晩御飯何か作ればよかったかな」
「調理器具はないよ?」
「そこはボクの腕の見せ所だよ。電子レンジだってあるしね」
「すごいね、シルヴィは」
料理に関する発想力に乏しい俺は、コンビニ飯くらいしか思いつかなかった。シルヴィに任せていれば、もっと良い献立にありつけただろう。
「家事分担、料理はシルヴィにお任せすることになるかな」
「まっかせて。というか、ずっと昔からそのつもりだったよ」
きっと言う通りなのだろう。最初に母さんに料理を習い始めてから、ずっと今日のことを思い描いてくれていたのだ。そう思うと、改めて愛おしく感じる。
その気持ちのままに、シルヴィの手を握って指を絡めると、シルヴィはこてんと俺の肩に頭を乗せた。
「じゃあ洗濯は僕が」
「あ、お洗濯もボクがやるよ」
「いやいや。僕にも働かせてよ」
「えー?」
料理の上に洗濯も任せっきりでは、さすがに良心が痛む。
「そうまでしてボクの下着が見たいんだ」
「そんなことは言ってないよ」
「じゃあ、見たくない?」
「う。そうも言ってないけどさ」
「へんたいさんめ」
欲望には嘘をつかないでいると、シルヴィはクスクス笑って、軽くぶつかってきた。そう言われると、受け入れざるをえない。
「その代わり、ケイには掃除を頑張ってほしいな」
「もちろん」
「この部屋、結構広くて掃除は大変だから。その分ね」
とはいえ、公平な分担とは言いきれない。シルヴィの優しさの分、分担に縛られず、できる限りのことをしよう。
話題に一区切りついて、二人きりの部屋に静寂が訪れた。
「なんか、すごい静かだね」
本当に、シルヴィの可愛い声だけしか聞こえない。他の部屋にも入居者はたくさんいるはずなのだが、静まり返っている。
「それだけ防音性能がいいんだと思うよ」
「歌っても怒られないかな」
「いいんじゃない? 口ずさむくらいなら、全然聞こえないと思うよ」
「でも、これだけ静かな中で歌うのは恥ずかしいかも」
たしかに、一人ならともかく、カラオケでもないのに、上手くもない歌をパートナーに聞かれるのは気恥ずかしさがある。
「シルヴィは一人のときって何してる?」
「んー、スマホ見たりとか、テレビ見たりとか。ケイは?」
「僕もテレビか、勉強かかな」
「真面目だねぇ。あ。ねえ、もう一回聞いて」
何かを思いついたらしい。
「一人のときって何してる?」
「んー、ケイのこと、考えてるかな。キラッ」
キメ顔でウインク。イケメンにしか許されない行為だが、シルヴィは可愛いので例外だ。
「え、引いてる?」
「ふふっ。引いてないよ。僕もシルヴィのこと考えてる」
「キメ顔までやってよ」
「えー。いやだよ」
「やってやって。自己肯定感MAXのケイ見せて」
「いーやーだ」
シルヴィが小突いてくるので、堪らず暗い寝室へ逃げ出した。リビングの明かりに照らされた真新しいベッドと、大きな窓が目に入る。
「あぁ、そういえばベランダがあるんだっけ」
「出てみようよ」
「寒くないかな」
「くっついてたら大丈夫だよ」
窓を開けてベランダに出て、柵に体重をかける。真下を覗くと、少し怖い。そして、春といえど夜はやはり肌寒い。
「さむさむ」
シルヴィはそう言いながらも一緒に出てきて、俺の横にピッタリと引っ付いている。触れ合った箇所は、ぽかぽか温かい。
「あんまり景色はよくないね」
「坂の上でもないし、住宅街だからね。でも、他に高い建物もないから、結構遠くまで見渡せるよ」
見とれるような景色ではないが、ぼーっと遠くを眺めるくらいはできそうだ。現に、二人でぼんやりと街明かりを眺めている。
外にいると、大通りを走る車の音が耳に入ってきた。やっぱり、部屋が静かなのは、防音性能の高さ故だろう。
「寒いし戻ろうか」
「うーん、もうちょっとだけ」
そう言ってシルヴィは体を擦り寄せて甘えてきた。
「周りが寒いと、ケイの温かさがよくわかるんだぁ」
「確かに」
触れ合う温もりがこんなにも愛しいのは、寒さのおかげかもしれない。
「でも、そろそろ体が冷えるよ」
「うん。戻ろっか」
寝室に入って、窓を閉める。
「もう寝る?」
「そうだね。そろそろいい時間かな」
何とはなしに同意すると、シルヴィはリビングの電気を消した。寝室に、月明かりだけが注ぎこむ。
「じゃあ、寝よっか」
暗がりに、シルヴィの金髪と蒼い瞳が光って、幻想的にすら感じられる。言葉が出ないほど綺麗で、息を飲んだ。
これからシルヴィと、一夜を同じベッドの上で過ごす。その実感が、いまいち湧かない。
「ケイ」
立ち尽くす俺の心情を知ってか知らずか、甘い声で俺の名を呼んだシルヴィが、正面から抱きついてきた。温かくて、柔らかくて、いい匂いがする。触れ合った感触と共に、どこか浮遊していた感覚が戻ってきた。
「ん」
愛しい彼女を抱きしめ返すと、シルヴィはそのまま顔を近づけ、そっと唇を重ねた。
甘美な感触に脳みそが蕩けそうになるのを知覚しながらも、俺はそれを受け入れ、抱き締める腕に力を込める。
唇同士を触れ合わせるだけのキス。これでしか満たされないものが、二人の中にはある。
「ん、ふぁ。えへへ。おやすみのちゅー、しちゃった」
キスに高鳴った心臓が、温もりによって落ち着いた後で、唇を離した。それからシルヴィはうっとりした顔で、俺の顔を見つめている。
「ねぇ、もっとする?」
返事の代わりに、今度は俺からシルヴィの唇を奪う。ほんの数秒前まで触れ合っていたのに、もう待ち遠しさすら感じていた。
ずっとこうしていたら、退屈なんてしなかったのかもしれない。
それくらい長い時間おやすみのキスをして、ようやくベッドに入った。
「おやすみのちゅー、ずっとしたかったんだぁ」
「ちょっとやり過ぎた気はするけどね」
同じベッドにぴったり寄り添う。眠りに落ちるその瞬間までシルヴィの体温を感じていられるのだと思うと、幸せで堪らない。
「じゃあ、改めて。おやすみ、ケイ」
仰向けの俺の唇に、半身を起こしたシルヴィの唇が軽く触れる。シルヴィは微笑みながら、ころんとベッドに身を預けた。
「おやすみ、シルヴィ」
引っ越しの疲れがあったのか、シルヴィの安眠効果か、その日は新しい寝床だというのに、イチャつく間もなくあっさりと眠りについた。
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