⑧全部覚えてる
いよいよ、シルヴィの受験日前日だ。家庭教師としての最後の授業は、授業と言うより、メンタルを整えるというのが近い。
「シルヴィ、緊張してる?」
「うーん、あんまり?」
その予定だったのだが、シルヴィは普段と何ら変わらずケロッとしている。
去年醜態を晒した俺が恥ずかしく思うくらい、シルヴィは大物っぷりを発揮していた。
「じゃあどうする? 教えることはもう何もないから、勉強でも、他に何かしたいことでも、あれば付き合うよ。どこか出かけるのとかは、あんまりオススメしないけど」
とにかく落ち着くことが大切だ。楽しいことをするのもいいが、それに熱中してしまって明日身が入らなくなったら元も子もない。
俺としては、パパさんから毎月貰うご褒美料が余りに余っているので、何か買ってあげたいと思う気持ちもある。だがそれは受験が終わってからでも間に合うだろう。
「んっと、じゃあここ座って」
シルヴィは、それを待っていたという勢いでベッドに腰掛け、隣をポンポンと叩いた。
この時点で予想はついたが、断る理由もなく、言われた通りに座る。
「よいしょっ」
予想通り、俺の太腿を枕にしてシルヴィはごろんと寝転んだ。
「えへへ。硬いね」
仰向けで上機嫌に笑うシルヴィ。俺は、なんとなく昔に戻ったような気分になって、その頭を優しく撫でた。
「ん、勝手に頭撫でたらいけないんだよ、先生?」
「勝手に人の脚を枕にする生徒には、これくらいが丁度いいよ」
「ボクは付き合わせる権利があるもん」
「じゃあ撫でるのやめようか?」
むしろ自分から擦り付けるくらいだから、セクハラで訴えられるようなことはないだろうが。
「んーんっ。もっとして」
甘え方が素直すぎて不気味なくらいだが、これはこれで緊張の証なのかもしれない。
「お痒いところはございませんか?」
「うーん、ほっぺたかなぁ」
「かしこまりました」
ぴとっと頬に手のひらを添えると、甘え盛りのネコのようにスリスリ。
本当に痒いわけではなくて、甘えたいだけなのだろうが、何とも破壊力の高い光景だ。
「ケイ、手握って」
すっと左手が差し出される。俺はそれを受け取ったが、いまいち意図が分からない。
「ぎゅーってして。ケイパワー注入」
「わかった」
ぷにぷに柔らかい手を、痛くしない程度に強く握って、合格祈願の思いを込めた。
ポーズだけ見るとシルヴィを看取っているようにも見えるが、そんな縁起でもないことは考えない方がいいだろう。
「ボクね、合格したら、やりたいこといっぱいあるんだ。例えばねぇ」
「ちょっと待った。それ以上はいけない」
「ん、どうして?」
「どこからどう聞いても死亡フラグだからそれ」
体勢も相まって、完全に死相が浮かんでいる人のそれだ。
「死亡フラグ?」
「なんていうか、ジンクスみたいなものだよ。不確定な明るい未来の話とかは特にね」
「よくわかんないけど、ケイが言うならやめとくよ」
フラグはギリギリ回避できただろう。これ以上話をするのは良くない。
「それより、明日眠くならないように、お昼寝しておいたらどう?」
「えー? ケイったら、寝てるボクに何かするつもり?」
「なっ、しないよ」
「ふふ。冗談だよ。寝てるときに、なんて卑怯なことしないよね」
心臓に悪い冗談だ。ちょっとした含みがさらに心臓に悪い。
「じゃあお言葉に甘えて、ちょっと寝ようかな」
「素直に頷きにくいよ」
「あ、何かするつもりだったの?」
「しないけど、話の流れがね」
「ふふ。ごめんね」
シルヴィは目を閉じて、小さく微笑む。くったりと力を抜いて、言葉通り寝るつもりらしい。
「どうせするなら、起きてるときに、ね? ボクはケイのこと拒まないから」
「わかったから、おやすみ」
「はぁい」
結構衝撃的な発言だったが、どうにか動揺を表に出さずに済んだ。というか、シルヴィはそんなことを堂々と言い放つタイプじゃなかっただろうに。
合格発表当日。
俺はシルヴィと一緒に、シルヴィが受験した高校に来ていた。保護者ではないが、俺はここの生徒なのだから、居ても問題はない。
「どう? 緊張する?」
「あんまりかな」
「そ、そう。強いね」
「ケイの方が緊張してるから、逆に落ち着いてるんだよ。もう、受験したのはボクなのに」
返す言葉もない。何なら、自分が受験したときより緊張している。
万全は期した。それに、シルヴィを信用してもいる。だが、もし万が一、俺の指導不足が原因でシルヴィが不合格なんてことになったら、俺は一生自分に自信を持てる気がしない。
「ケイ。大丈夫だよ。ボク受かってるから」
「どうしてそう言い切れるの?」
「だってケイに教えてもらったもん」
さらにハードルを上げないでくれ。胃が、胃が。
そんな押しつぶされそうになっている俺に、シルヴィが安心させるように笑いかける。
「ボクね、ケイと過ごした記憶は全部残ってるんだよ」
「は?」
全部。全部と言ったか。いや、さすがに盛りすぎだろう。だって、三歳の頃から一緒にいるのだから。確かにシルヴィの記憶力には驚かされるが、全部なんてことは。
「じゃあ、最初の誕生日プレゼントは?」
「四つ葉のクローバーで作った押し花の栞と、絵本。そんなの忘れるわけないよ」
そう言われても、俺が覚えていることなど限られているのだから、確かめようがない。
「まあ、そういうわけだから。ケイはボクの先生として、ドンと構えててよ」
今日はやけにシルヴィが男前だ。俺が女々しすぎるだけかもしれないが。
「あ」
話している間に、掲示板に貼られた布が一斉に取り去られ、合格者の番号が衆目に晒される。
「ほらね」
自身たっぷりの言葉が、自分の番号を指さしたシルヴィの口から放たれた。
遅刻&短くてすみません。




