②ちょっとサービス
家庭教師に就任してから一週間余り。
今日もシルヴィの部屋で、職務を全うしている。
と言っても、今は俺も自分の勉強をしているが。
今は問題演習の時間。二人きりの部屋は、紙を捲り、ペンを走らせる音以外、静寂で満たされている。
仕事を続けているうちに、親しくて要領のいいシルヴィが相手であっても、ものを教えるというのは並大抵のことではないことがわかってきた。
いや、初めからわかってはいたのだが、実感したという方が正しい。
きちんと理解して、俺としては問題が解けるはずなのに、いざ解説を求められると、なかなかどうして、上手くできない。
こうしてみると、自分が学問においてどれだけ感覚に頼っていたかがよくわかる。
「ケイ、わかんない」
「どれ?」
それから、シルヴィの弱点もわかってきた。
シルヴィは記憶力が抜群に良い。それは前々から思っていたことで、もはや疑うべくもないのだが、それ故の弊害のようなものが起こっている。
何でも記憶できてしまうだけに、発展、応用的な問題が苦手なのだ。
「えーっと、これは多分、ここに補助線を引っ張って」
「あっ、わかったわかった。ありがとう」
とはいえ、発展応用と銘打ったとて、所詮は基礎の改変である。
見たことがある形にしてしまえば、それ以降俺の解説など必要ないくらいには基礎ができている。
「はい。合ってる?」
「うん。正解。よくできたね」
「えへへ。でもさ、ケイ。なんでケイはこうだってわかったの?」
ただそれに驕らず、俺のヒントに理由を求めてくるから、シルヴィはどんどん賢くなっていく。
そうなると、うまく説明できるかどうかの俺の腕にかかっているわけだが、責任が重い。
「うん。一番は、前にこうして解いたことがあるからだよ」
「ふーん。じゃあ、覚えないと仕方ないの?」
「そういうわけじゃないよ。第一、全部の問題を覚えられるわけじゃないしね」
中学の範囲程度、シルヴィならば覚えきってしまうのかもしれないが、そこは凡人の俺の尺度に合わせてもらう。
「じゃあどうするの?」
「ざっくり言えば試行錯誤だよ」
「試行錯誤?」
言葉の意味が分からない訳では無いだろう。
問題は、その意識が芽生えていないことだ。
「そう。見たことのない問題に出会ったとき、先ずやるべきことは、見たことのある形に持っていくことだ」
「それで試行錯誤するの?」
「その通り」
全ての問題パターンにおいて、解法を暗記するのがシルヴィのやり方だった。
よくそれで今まで好成績を残し、かつ今もやれているものだと思うが、そこは素直に賞賛するとして。
それが高校に入っても通用するかというと、そうではない。中学に比べて、高校では覚えるべきことさえ段違いに増える。
全部の問題パターンを覚えるなんて、それこそ途方もないことになる。だから試行錯誤が必要なのだ。
「よし、一緒に考えてみよう。まず、問題の図形を見て。見たことあった?」
「ううん。ない」
「そうだね。だから、見たことある形に持っていきたい。そのためにはどうしたらいい?」
「ケイがやったみたいに、補助線を引く?」
「そう。もちろん、他に方法もあるだろうけど」
「でもさ、どういう線を引けばいいのかわかんないよ?」
その通りなのだ。だが、それで止まってはいけない。
「そこで試行錯誤。思いつく限りの線を引いてみて、一番使いやすいものを選ぶんだ」
「ほぇー、めんどくさいね」
「そう言わずに。大事なことだから」
全部覚えているシルヴィからすれば、随分回りくどいやり方だろう。しかし、こうでもないと未知の問題には太刀打ちできない。
「あ、でもでも、ケイはさっき一発でやったよ?」
「ん?」
「ここに補助線って、すぐに言い当てたよね」
「ああ、何パターンか頭の中で試してみて、一番先が見えそうなやつを言っただけだよ。やったことある問題だったから、それなりに早いとこ当たったのは確かだね」
正解まで行けるかどうかは検証できなかったが、シルヴィの回答を見る限り、問題ないように見える。
ひとまず安堵していると、シルヴィがポカンとして俺を見ていた。
「シルヴィ?」
「ケイってさ、もしかして、天才?」
「そんな大袈裟な。慣れだよ慣れ。シルヴィもすぐにできるようになるから」
というか、それが当たり前になってもらわないと困る。シルヴィを記憶力だけで高校に上げるわけにはいかないのだ。
パパさんから貰っている給料の分くらいは、働かなければならない。
「ほんとにできるかなぁ?」
「できるまで教えるから。覚悟してね」
「ひーっ」
悲鳴の割に、ちょっと嬉しそうだ。
覚えて答える機械的な作業より、こうしたパズルのような勉強の方がやっぱり楽しいのかもしれない。
「それじゃあ、続きも頑張って」
「はーい」
シルヴィは再び机に向かい、集中しているように見える。
俺も自分の勉強に戻ろうと思ったが、ふと、姿勢のいいシルヴィの後ろ姿に目を奪われた。
輝く金の髪にぽーっと見とれながら、思う。
年頃の男女が、同じ部屋に二人きり。親は夕方にならなければ帰ってこない。
今更も今更だが、結構な状況ではないか。
それだけパパさんにもシルヴィにも信用されているということで、喜ばしくはあるのだが、いざそう意識すると、緊張してくる。
いやいや、シルヴィは幼馴染で、こんな状況なんて過去にいくらでもあったではないか。どうして今になって緊張など。
しかし改めて見ると、何とも華奢な肩をしている。後ろから抱きしめれば、すっぽり覆えてしまえそうだ。
って、俺は何を。俺は信用されているのだ。そういう関係として呼ばれているのではない。自覚しろ。
「ケイ?」
「ひょ!?」
「ぷっ、あははっ。なにその反応」
「あ、ああ、ちょっと驚いて」
見つめていた背中が突然に反転したら驚きもする。自分でも、笑われても当然の声を上げたとは思うが。
「終わったよ。答え合わせしよ」
「いつも通り速いね。わかったよ」
シルヴィの隣に進もうとする足が、ピタリと止まる。
さっきまで何も気にしていなかったが、近すぎないだろうか。場合によっては肩が触れ合う距離だ。
「ケイ?」
「シルヴィ、答案貸して。こっちで採点するよ」
「はーい」
シルヴィの部屋には、シルヴィの勉強机の他に、折りたたみのテーブルがある。
俺はそこで自分の勉強をしていたわけだが、それを片付け、シルヴィの回答を採点する。
「どう?」
「うん。いつも通り、よくできてるよ。さすがだね」
指摘する箇所がなくて寂しいくらいだ。なんて言わないけれども。
「えっへへ。ケイの授業がわかりやすいからだよ」
「ありがとう」
これでも授業には苦心しているから、お世辞でも嬉しい。
満点の回答を返そうと、シルヴィの方へ向く。シルヴィはいつの間か、俺の手元を覗ける位置にまで近づいてきていた。
いっそ寄り添っていると言った方が正しいくらい、近い。
「し、シルヴィ?」
「なぁに?」
「近くない?」
「だって、間違ってないか気になるんだもん」
だからって、隣に来ずとも、向かいから見るとかもできるだろう。それはそれで気恥ずかしいが。
というか、この距離だとシルヴィの匂いがよくわかる。部屋の匂いもさることながら、シルヴィの匂いは、もっと嗅いでいたくなる。
「っと、シルヴィ、満点おめでとう」
雑念を振り払うように、本来の役目を果たす。隣のシルヴィに、花丸の答案を返した。
「うん。ありがと」
シルヴィが、こっちに向かって顔を上げる。ほんのり赤い。そっちも恥ずかしいならやめればいいのに。
「よし。今日の授業はおしまい。夜もちょっとは復習してね」
「うんっ。じゃあ、ケイの家行こっ」
シルヴィが立ち上がり、筆記用具を片付ける。
もはやルーティンとなりつつある。これからシルヴィが、うちへ晩御飯を作りに来てくれるのだ。
「いつも言うけど、無理はしなくていいからね?」
「無理じゃないもん。ボクにとっては息抜きだから」
「そっか。ならいいんだけど」
ありがたいことに、シルヴィの成績は上昇傾向にある。それに加えて料理の腕も上達しているのだから、本当に頭が上がらない。
「僕にも何か手伝えることがあれば」
「だーめ。ボクの息抜き、盗らないでよね」
にっと笑うシルヴィ。改めて、可愛い。
「シルヴィ、変なこと言ってもいい?」
「ん、なぁに?」
「すごく今更なんだけど、制服、似合ってて可愛いよ」
清潔感のある白いシャツに、紺色でうっすらチェックの入ったスカート。ちなみに、丈の長さは清楚なものだ。
シルヴィが入学して一目見たときから思っていたことではあるのだが、いつの間にやら言う機会を逃してしまっていた。
「も、もぉ。ほんと今更すぎるよ」
ド直球の褒め言葉に、シルヴィはモジモジと照れくさそうにしている。
「ごめんね」
「でも、嬉しいから。ちょっとサービスしてあげる」
シルヴィはその場で、足をクロスさせた。
「一回しかしないからね?」
何をするつもりなのか。そんな思考が言葉になる前に、シルヴィは動き出した。
シルヴィの体がくるりと一回転する。
スカートがふんわりと膨らみ、白くてほっそりとした脚が太腿までチラリと覗く。
金髪もふわりと持ち上がり、美しい線を描きながら、シルヴィの回転に一息遅れてついていく。その流れはまるで天に流れるミルキーウェイのようだ。
「綺麗だ」
「はいっ、おしまいっ。ママさんと話したいこともあるし、さっさとケイの家行くよっ」
思わず漏れた感想にさらに照れたシルヴィは、そそくさと部屋を出ていってしまった。
翌朝。
今日はあまり目覚めが良くない。
原因は簡単だ。寝不足である。
シルヴィの授業計画やら、そのうち問題集では足りなくなったときのための問題作成など、仕事は尽きない。
もっとも、全てシルヴィの顔を思い浮かべながらやれば、不思議と疲れはせず、だからこそ知らぬ間に夜更かしをする結果となったのだが。
しかして、シルヴィの成長は何とも常軌を逸している。試行錯誤を学ばせるためには、毎度違うパターンの問題を集めるか作るかしなければならないのだから。
成績は上がるが、更なる学びのためにはこちらが奔走しなければならない。家庭教師としては、嬉しい悲鳴というやつである。
記憶の中にある問題をいくらか思い浮かべながら、シルヴィにやらせたい問題を探しつつ。欠伸を噛み殺して一階のリビングへ。
「おはよう、ケイ」
「ああ、おはようシルヴィ」
いや、さも当然のように挨拶したが、ちょっと待て。
「し、シルヴィ!? なんで!?」
若干寝ぼけていた頭が一瞬で冷水をかけられたように覚醒した。
声がした方、台所へ目を向けてみると、そこには見間違うはずもない金色がいた。
「えへへ。来ちゃった」
悪戯っぽく笑うシルヴィに、開いた口が塞がらない。
よく見ると、シルヴィは制服の上からエプロンを着ている。
「シルヴィちゃんがね、お弁当作りもやってみたいって言うから、来てもらったのよ」
「来てもらったって、そんな」
夢かと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
「愛妻弁当だな」
「お父さんはちょっと黙ってて」
余計なことしか言わない口は塞いでおくに限る。
それより、詳しく事情を聞きたい。
「そんな話、一度も聞いてないよ?」
「言ってないもん。さぷらーいずっ!」
じゃーん、とばかりに俺へ弁当の中身を見せつけるシルヴィ。
見た目だけで言っても、母さんが作る弁当と比べても遜色ない。毎晩の夕食を考えるに、味はもはや母さんを超えているだろう。
「い、いいの? シルヴィだって忙しいのに」
「ボクがやりたくてやってるんだよ。味わって食べてね?」
口元を綻ばせながら、ウインク。あざと可愛い。
なんというか、朝に見ると心臓が元気になりすぎて痛い。
「ありがとう、シルヴィ。大事にいただくよ」
「うんっ」
朝早くから、お弁当を作りにまで来てくれるなんて。
そこまで健気にされると、俺だっていくらでも頑張りたくなる。
ただ、生活習慣はどうにかしよう。夜更かしはやめて、早起きして、シルヴィの料理姿を眺めながらなんていいかもしれない。
そこまでだと、さすがに引かれるだろうか。
とにかく。シルヴィのためなら、時間外労働だって何のそのだ。




