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⑦ボクだけの重要任務

〜シルヴィア視点〜


 ケイが中学生として過ごす時間も、もうすぐ終わる。


 それは同時に、受験がすぐそこまで迫っていることを示している。


 すぐそこ。具体的には、明日がケイの受験日だ。


「おじゃましまーす」

「シルヴィちゃん、いらっしゃい」


 今日も今日とて、ボクは料理の練習という名目でケイの家に来た。そんな生活も一年弱続いている。


 毎日毎日ではさすがに迷惑かと思ったのだが、ケイのママさんは寧ろ喜んでくれていた。


 ママさんが言うには、ボクが家に行ったり電話したりすることで、ケイのメンタルが安定しているらしい。


 ケイが精神的に不安定になっているところなんて想像できないけど、例えお世辞でも、ケイの役に立っていると思うと嬉しい。


「ああ、シルヴィ。いらっしゃい」


 ママさんが出迎えてくれて、玄関で靴を脱いで上がると、ちょうど二階からケイが下りてきた。


「ケイ、今まで寝てたの?」

「え? いや、そんなことないけど、どうして?」

「頭のこの辺がすごいボサボサだよ」


 ラフな格好なのは、もう見慣れた。学校がない上に、勉強で家から出ないのだから、緩いのは当然とも言える。


 ボクのことを意識してくれてもいいと思うけど、そういう素顔を晒してくれてるんだと思うと嬉しい気もするし、ゆるゆるのケイも可愛くて好き。


 ただ、格好にはそれほど頓着していなくても、髪型がそこまで乱れているのは珍しい。


「あー、はは。失礼」


 ケイはミスったとでも言いたげに苦笑し、手櫛で髪を梳かす。


 てっきり寝癖かとも思ったが、そうではないらしい。


「シルヴィちゃん」

「あ、はい。今日は何作りますか?」

「ちょっと買い忘れがあってね。急いで買ってくるから、待っててくれる?」

「ボクが行きますよ?」

「いいからいいから。シルヴィちゃんはゆっくりしてて」


 これまた珍しい。ケイのママさんが買い忘れなんて。というか、忘れてもあるものでどうにかしてしまうタイプの人だ。調味料でも忘れたんだろうか。


「慶太郎、シルヴィちゃんにお茶出してあげて」

「え? でも俺」

「いつも晩ご飯作ってもらってるんだから、それくらいしなさい」

「あ、そうだな」


 何だか、会話に違和感がある。


 不仲とかいうわけではなくて、ケイの反応が変だ。


 普通なら「わかってるよ」くらいの返答になるはずなのだが、何か焦ったように断ろうとしていた。


 ボクの相手をするのが嫌だなんて思われていたら悲しいけど、多分違う。


「シルヴィちゃん、慶太郎のこと、お願いできる?」

「はい?」


 買い物に出ていくママさんとすれ違うとき、そう囁かれた。


 咄嗟には応えられなかったけど、ママさんの真剣な眼差しに、ハッとする。


 多分、今のケイがメンタル的に不安定なんだ。それをボクになんとかして欲しいって思われてるんだろう。


「任せてください」

「うん。よろしくね」


 満足げに頷いて、ママさんは出かけていった。


 ボクの、ボクにしかできない、重要任務だ。


 ケイのことを癒してあげる。その役目は、他の誰にも譲れない。


「シルヴィ、オレンジジュースでいい?」

「あ、うん。ありがとう」


 リビングのテーブルに、コトリとコップが置かれる。その数は一つだけ。


「ケイの分は?」

「僕はいいよ」


 そう言いながら、ボクに座ることを促しつつ、ケイは座る素振りを見せない。


「ケイ」

「ごめんね。僕は勉強があるから。寛いでて」


 ケイは足早にリビングを出て、少し荒っぽく音を立てて階段を上っていく。


 いつものケイなら、勉強をするにしても、いくらかの世間話を挟んでからだ。


 意識してみれば、ケイの様子がおかしいことは存外わかりやすい。


「さてと」


 入れてもらったオレンジジュースを一気に飲み干し、立ち上がる。


 無論、ケイを追いかけるためだ。このまま呆然としていてケイが落ち着くなら、瞑想でも何でもしてやるが、そんなわけがない。


 今、ケイの心に触れられるのはボクだけだ。


 そんな誇りにも似た感情と共に、階段を上がってケイの部屋の前へ。


「シルヴィ」


 ノックしようと手をかざした瞬間に、部屋の内側から声が聞こえた。


 少しだけ棘のある声に、心が痛む。


「ごめん。今勉強中だから」

「うん、知ってる」


 でも、それでへこたれていては何も進展しない。


「好きにしてていいから、入ってこないでね」


 柔らかな言い方ではあるものの、明らかな拒絶。ボクのメンタルの方が先にどうにかなりそうだ。


 それでも、ボクはケイを助けたい。


 さっきは誇りなんて大袈裟なことを思ったが、ボクはただ、いつものケイに戻ってほしいだけなのだ。


 深呼吸を一つして、ドアノブに手をかける。


「やだ。入るね」

「えっ!?」


 厚かましく言って、部屋に突入する。


 驚いた表情のケイ。


 ペンを持っていないその左手は、自分の髪を苛立たしげに掴んでいた。あの寝癖はそういうことだったらしい。


「こら、シルヴィ。許可なく入っちゃだめだよ」


 いつもの困った苦笑じゃなく、本気で顔を顰めたケイ。でも、そんなの知ったこっちゃない。


「ケイ、勉強進んでないでしょ」


 図星をつかれたというように、ケイはさらに目を見開く。


「それとこれとは」

「関係あるもん」


 一貫して機先を制する。ケイは弁が立つから、喋らせないくらいの勢いじゃないとだめだ。


「ケイ、焦ってるんだよ。じゃないと、ボクを追い返したりしない」

「それは」


 言い訳もなくて、ボクの足元を見るようにケイは俯く。


 そして、落ち着いたのだろう。いつもの苦笑でボクの顔を見上げた。


「ごめんね。色々、見苦しいところを」

「ううん。見苦しくなんてないよ」


 ケイの目の前まで近づいて、くしゃっとなった髪を押さえるように、ケイの頭を撫でる。


「緊張してるだけなんだよね」

「そう、だね。でも、それは言い訳にならないよ」

「ううん、なるよ。ボクはそれで納得できるから」


 罪悪感の滲むケイの顔に向けて、微笑む。


「ケイは頑張ってきたんだよ。だから、緊張して当たり前なの」

「そうかな。ちゃんと、頑張れたかな」

「勿論。ボクが保証するよ」


 ボクに許されたことがわかると、ケイは途端に不安げな表情を見せた。


「ケイは誰よりも頑張ってるよ」

「どうかな。シルヴィほどじゃない、と思うけど」

「ボク?」

「うん。勉強もして、料理もして。そんな二足の草鞋、僕にはできないよ」


 褒めてもらって嬉しいけど、そんなことはない。ケイだって、やればできるはずだ。


 でも、それを言ったって気休めだって思われるだろう。


「ボクが料理を頑張ってる間も、ケイは勉強を頑張ってたんだから。自信持っていいよ」

「そうかな」


 いくらケイを励ましても、不安げなのは変わらない。


 なら、ハードルを下げる方にシフトチェンジしよう。


「ケイ。ケイは自分の力を発揮したらいいだけなんだよ。結果なんて関係ないから」

「関係ないことはないよ。パパさんには、絶対合格しろって言われてるしね」


 おのれパパめ。余計なことを。ケイのことも考えてよね。


「パパの言うことなんて気にしなくていいから。ケイはケイなりに頑張ればいいんだよ」

「気にしないわけにはいかないよ」


 ケイ自身のパパってわけじゃない。蔑ろにしたって、誰にも文句は言われないのに。


「どうして?」


 素直に、そんな疑問が口から漏れた。


「実はね。それがシルヴィと過ごす条件なんだ」

「条件? 何それ?」

「シルヴィと過ごすならこれくらいやってみせろって、パパさんが言うんだ」


 瞬間沸騰的にパパを叱りつけたいと思ったけど、ケイが穏やかな顔をしているので、その気持ちは一瞬で収まった。


「何それ。それこそ気にしなくていいよ。ケイと一緒ってボクが決めたなら、パパに文句なんて言わせないから」

「はは。頼もしいけど、負い目なくシルヴィと関わるためには引けないところだから」


 ケイはパパの言うことが理不尽だってわかってる。それでも、ちゃんと向き合ってくれてるんだ。


 そんな約束をしてまで、ボクの傍に。


「それに、シルヴィと一緒になるためなら、頑張れる気がしたんだよ」


 ぎゅうっと、胸が締め付けられた気分だった。


 ボクが元気づけてあげないといけないのに、ボクの方が幸せになってる。


 というか、今のセリフって、プロポーズなのでは。


「そう思ったら、頑張ってきた実感もあるね」


 そんなボクの思いとは無関係に、ケイは何やら自分自身で納得できたみたい。


 多分、無自覚で口を滑らせたか、あるいはボクが深読みし過ぎているか。


 でもでも、ボクのために頑張れるって言ったのは本当だし、それってつまり、ボクのことを好きってことじゃないのか。


 いや待て。焦っちゃいけない。友達としての好きの可能性もある。しかし、高々友達のために、年単位で努力なんてできるだろうか。


 正直、ケイならやりかねない。


 ただ、そんなことを言ったらいつまでも進まない。


 ケイは卒業するし、そうなったら、ボクがどれだけ料理を作りに来たって、周囲への牽制力は激減する。


 攻めるなら、今だ。


 今、決定的な攻撃を撃ち込んで、常にケイの頭の中でボクのことがチラつくようにしなければならない。


「ありがとう、シルヴィ。なんだか落ち着いてきたよ」

「ううん。まだだよ」

「え?」


 ケイの両手を取って、立ち上がらせる。


 正面から向かい合うと、どことなく顔色が悪いことが見てわかった。


「こっち」

「え、シルヴィ?」


 そのまま手を引いて、ベッドに座らせた。


 ボクもその隣に座って、それから自分の太腿をペちぺちと叩く。


「ゆっくり休んで、体調管理。あんまり眠れてないでしょ?」

「いやっ、それはそうだけど」


 おどおどと、視線をさまよわせるケイ。ボクだって、人のことを言えないくらいドキドキしてるけど。


「体調が良くないと、せっかく頑張った力が発揮できないから」

「そりゃそうだけど、でも」

「えいっ」


 強引にでも、ケイの頭を太腿に乗せる。


「し、シルヴィ。これはその」

「膝枕。いや、かな?」

「そんなことないっ、けど」


 見下ろせば、真っ赤なケイの耳。でも、恥ずかしいのはお互い様だ。


「ケイが一人だと寝れないって言うから」

「言ってないよ!?」

「あんまり寝れてないのは事実でしょ」

「ぐ、ぅ」


 太腿に乗ったケイの頭を撫でると同時に、逃げないよう押さえつける。


「でもさシルヴィ。これだと、別の意味で緊張しちゃって、寝るに寝れないというか」

「う、うるさいうるさい。とにかく目をつぶって、深呼吸。すー、はー」


 有無を言わさず。恥ずかしいくらいじゃないと、強く記憶に焼きつかない。


「ケイ、体勢とか大丈夫?」

「え、えーっと」


 一応、きちんと寝かせるという目的も重要だ。ボクの膝枕で眠ったという既成事実は、ボクにとってもっと大事だけど。


「逆向きの方が、安定するかな、とか」


 ケイの要望。たしかに、今の体勢は足がベッドの下に落ちてしまうから、横向きなら逆が良いだろう。


 しかしそれだと、ケイのお顔がボクのお腹を向くことになる。


「い、いいけど。ちゃんと寝るんだよ」


 膝枕の時点で、ドキドキは十分すぎるくらいだ。向きが変わったくらい、大丈夫なはず。


「はい、ごろーん。どう? 寝れそう?」

「うん」


 返事の時点で、声が落ち着いているのがわかった。ちゃんと眠ってくれそうだ。


「シルヴィの匂い、落ち着くよ」

「ばっ、ばか。そんなとこ嗅がないでよ」

「あ、ごめん」


 だいたい服の匂いだってわかってるけど、ボクの匂いとか言われると焦ってしまう。


 ゆっくり上下する体の周期に合わせて、ボクの匂いがケイの体に取り込まれる。そんなことを考えてしまうと、一層匂いが強まるような気がした。


「さっさと寝ちゃえーっ」


 変な気分を誤魔化すために、そんなことを小声で言いながら、ケイの呼吸に合わせて頭を撫でる。


 数分とせずに、ケイの呼吸が完全に安定した。


「そーっ」


 そこへ、部屋の扉が数センチ開く。そこから覗いてきたママさんと目が合った。


 ボクが慌ててわちゃわちゃするのを見て、ママさんは何も言わず、サムズアップ。


 それからママさんはしーっと人差し指を立てて、微笑み、下に降りていった。


 まあ、いいか。ママさん公認の仲ってことで、後ろ盾にはなりそうだ。






〜慶太郎視点〜


 シルヴィのおかげで睡眠時間はバッチリ。


 翌日の入試は、万全の体調で迎えることができた。


 今はお昼だが、これまでの教科の手応えもそれなりだ。


 午後も戦い抜くため、母さんに作ってもらったお弁当を開き、昼食をとる。


 見慣れた包みを開くと、はらりと紙切れが出てきた。


「これは」


 勿論、カンニングペーパーではない。俺の預かり知らぬ紙切れ、いや手紙だ。


 シルヴィの字で「ケイならできる! 最後まで全力で頑張って!」とあった。いったいいつ仕込んだのやら。


 ただ、おかげで昼食以上の活力を貰うことができた。






 そのおよそ一ヶ月後。


 俺は新入生代表として任ぜられ、全校生徒の前で挨拶を読み上げることとなった。

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