⑤女心は秋に
僕達の家の最寄りの神社では、毎年秋祭りが開催される。
祭りと言っても神輿さえ出ず、小学生にとっては、ただ境内に屋台が出るだけのイベントだ。
そんな地元民以外知る由もないイベントに、僕とシルヴィは、僕が小学校に上がって以来毎年参加している。
参加と言っても、勝手に行って楽しんで、好きな時間に帰るだけだ。
シルヴィと過ごす、五回目の秋祭り。
そう思っていたのだが、ここ最近はどうにも間が悪い。
シルヴィは放課後、ミクちゃん辺りの女の子友達とよく遊ぶようになってしまった。学校でも滅多なことでは会わないし、会っても挨拶するくらいに留まっている。
シルヴィがより多くの人と交流していると考えれば、悪くはないはずなのだが、どうしても寂しい。
些細なようで大事なところだが、登校班でもそうだ。僕は副班長で最後尾にいるから、シルヴィに話しかけられない。
母さんなんて泣くほど寂しがっているし、せめて話す機会くらいあれば良いのだが、まるで避けられているような感覚を覚えるくらいに会えないでいる。
「ケータロ、おいケータロ!」
「おっと。どうしたの岡本」
「どうしたのじゃねーよ。付き合いが良くなったと思ったらボーッとしてばっかりで」
ゲームのコントローラを持ったまま座っているだけで、硬直していた僕を、岡本が憮然として見下ろす。
他の友達は、寧ろ心配そうに見ていた。僕へ向けてと、岡本と喧嘩にならないかと、両方への心配だろうか。
「ごめん。ちょっと考え事してた」
「よしわかった。今日は外行くぞ」
何がわかったのかはわからないが、それに反対する声は上がらなかった。
僕としても、思いっきり体を動かした方が気持ちを晴らすには丁度いい。
岡本の家から、ぞろぞろとクラスメイト男子のメンツが出ていく。僕は最後尾で、彼らが乱暴に開けていった扉を閉める。
「あっ」
そのとき。隣の家から、聞きなれた声。
視線を向ければ、見慣れた金髪。青い瞳。
「シルちゃん? あっ」
後ろから、ミクちゃんをはじめ、ご無沙汰の顔ぶれも出てきた。
西川家から出てきた女の子のうち、渋い顔をしているのはシルヴィだけで、他の子達は寧ろ嬉しそうな顔をしている。
「ほらシルちゃん。言っちゃえ言っちゃえ」
モジモジするシルヴィに、ミクちゃんが催促する。
シルヴィが、僕に特別言わなければならないこと。それも気になるが、せっかくの機会だ。色々話しておきたいことがある。
「おいケータロ!」
そこへ、空気を読まない岡本がやって来た。
ガシッと僕の腕を掴んで、皆が集まっている近所の公園へ連行しようとする。
「あっ、ケイ」
躊躇っていたのが嘘のように、シルヴィは声を上げた。
「岡本、僕はシルヴィと話が」
それに免じて岡本を止めようと思ったのだが、空手を習っている岡本の腕力は僕よりよっぽど上だ。
「お前あの女子ばっかり気にしてるだろ。変態って言いふらすぞ」
横暴なことだ。
言いふらされたところで、岡本の発言を真面目に聞いてくれる層にも限りがあるし、困りはしないだろうが、振り解けないくらいに力を入れられてしまっている。
「シルヴィ、またね」
苦笑いを浮かべつつ、シルヴィに手を振る。
岡本に憎々しげな目を向けていたシルヴィは、僕の声にきゅっと唇を引き結んで、軽く俯いてしまった。
帰りにでも、一度ミクちゃんの家に寄ってみようか。シルヴィと話す機会が、もしかしたらできるかもしれない。
〜シルヴィア視点〜
「あーあ、ケイさん連れて行かれちゃった」
ミクちゃんが、ボクに聞こえるように呟く。
言われなくたって、そんなことはわかってる。ボクが意気地無しなことも。
「ごめんね」
「私に謝ることじゃないよ」
「だってミクちゃん、いっつも応援してくれるのに」
「友達だもん。当たり前でしょ」
男前なことを言ってミクちゃんはウインクする。
それに元気づけられて、どうにか笑ったけど、意気消沈なのには変わりない。
最近、全然ケイと喋れていない。
だいたい全部ボクの自業自得だ。ケイと向き合っただけでドキドキするからって、ずっと避けるみたいに、目を合わせられないでいる。
優しいケイは、それだけでボクの異常を察知して、挨拶以上の言葉を出さないようにしているみたい。
いっつもボクから色々話すっていうのも、あるだろうけど。
それでも、ケイがもっと踏み込んでくれればいいのに。ボクと話さざるを得ないような状況に追い込んで。
ケイならきっと、それができるだろうに。
なんて、そんなのは甘えだ。
ボクが自分から話しかければそれで済むのに、ケイに責任を押し付けてはいけない。
「シルちゃん、大丈夫?」
「ぇあ? うん。大丈夫だよ」
また暗い顔をしていたのかもしれない。ミクちゃんがボクの顔を覗き込んでいた。
「大丈夫じゃないよ。だって、今までケイさんに話すのに迷いなんてなかったじゃん」
「うん。そうなんだけど、ね」
ため息を零しそうになるのを、どうにか抑える。
「去年まで、どうやって話してたかなぁ」
「ケイー! ケイー! って、イノシシみたいに飛び込んでたよ」
「そ、そこまでじゃないよ」
「そんな感じだったと思うけどなぁ」
ミクちゃんがそう言うからには、そうだったのだろうか。
もしそうだとしたら、ケイはどんな風に感じていたのだろう。
もちろん、嫌がってはいなかった、はずだ。でも、もしかしたら、ちょっと疲れさせていたかもしれない。
そう考えたら、ケイのあの苦笑は、疲れを隠すためのものだったのかも。
「あーうー」
呻き声を上げる。
もしかして、今の方がケイは楽なのかもしれないだとか、そんなことを考えればキリがない。
たとえ今、去年までのボクに戻って、ミクちゃんの言う通り猪突猛進でケイに突っ込んで行ったとして、それで良いのかな。
ケイは迷惑かもしれないし、それにそうなったら、ケイからはいつまで経っても子ども扱いされたままになってしまうだろう。
それはなんだか、いや、とても嫌だ。
ケイに直接子ども扱いをやめてくれと言ったって、その発言自体が子どもそのものだ。
ケイに認められるようなオトナになるには、ケイに甘えていてはいけないのかもしれない。
でもだからって、ケイと関わらないのは、寂しすぎる。
「よしわかった。シルちゃん。私たちも公園に行こう」
「ふぇ?」
何がわかったのかわからないが、ミクちゃんはそう言い出した。それに、他の子も頷いている。
「ミクちゃん? 軽くお散歩するんじゃ」
「じゃあ散歩の行き先を公園にします!」
「えっ」
ボク以外から反論は出ない。
基本的に遊びは多数決で決めるものだ。だからボクに反対しきる権限はない。でも、もう少し足掻く。
「ま、待って。公園で何するの?」
「ケイさんとシルちゃんをお話させる」
決然として、ミクちゃんは言う。
さすが女の子に人気があるだけあってかっこいいけど、それはちょっと困る。
「邪魔しちゃ悪いよ」
「先に邪魔してきたのは向こうだし」
岡本に対して業腹だったのは、ボクだけじゃなかったらしい。お隣さんに向けるものとは思えないくらい顔を顰めている。
「ちょっと話すくらい大丈夫だって」
「でも、喧嘩になるかもよ? やめとこう?」
「大丈夫。口喧嘩なら負けないから」
口喧嘩で済まないと思うから言っているのに。ミクちゃんは止まらない。
「シルちゃんは安心してついてきて。絶対ケイさんとお話させてあげる」
「だ、だめだよっ」
ミクちゃんはボクが止めるより先に、走って行ってしまう。
友達思いなのはミクちゃんの美点だけど、突っ走りがちなのは悪いところだ。
広々とした公園には、緊張感のある空気が張り詰めていた。
五年生男子軍総大将、岡本と、四年生女子軍総大将、ミクちゃんが互いに睨み合っている。
「ちょっとケイさんを貸してって言ってるの!」
「ケータロは俺たちと遊んでるんだ! 見たらわかるだろ!」
「ちょっとくらいいいでしょ!」
さっきからこれの繰り返しで、両者一歩も譲らず怒鳴りあっていた。
公園で遊んでいた無関係の子たちは、巻き込まれるまいと遠く離れた場所から観戦している。申し訳ない。
「岡本、もうやめた方がいい」
「ミクちゃん、もういいよ」
ケイとボクがほぼ同時に、各大将へ進言する。
「ケータロは黙ってろ!」
「シルちゃんは引っ込んでて!」
引っ込みの付かなくなった二人は聞く様子がない。
チラ、とケイがボクを見て、苦笑する。ボクはそれにさえ、目を合わせることができないでいた。
「年上に逆らうのか!」
「年上も男女も関係ない! ちょっと話させてほしいだけ!」
そうこうしているうちにも、口喧嘩は激しさを増す。声が枯れないか心配になるくらいの大声だ。
「ダメだって言ってるだろ!」
「ちょっとだけって言ってるでしょ! ケチ! かいしょーなし!」
「なんだと!?」
ズン、と岡本が一歩ミクちゃんに向かって踏み出す。
その拳を強く握りしめて。
「手ぇ出すの? サイテー!」
強がったミクちゃんの言葉で、岡本はその拳を振りかぶった。
「ミクちゃん!」
「岡本!」
ゴッ、という鈍い音がした。
「ケイ!」
倒れたのは、ケイ。
ボクがミクちゃんの体を後ろに引っ張ったように、ケイはミクちゃんを守ろうと、ミクちゃんの前に出て、岡本の拳を顔で受けていた。
「なっ、バカ!」
ケイに一番に駆け寄ったのは岡本だった。
「ケイ! 大丈夫!?」
本気で殴られると思わなかったのか、力が抜けたミクちゃんを安置して、ボクもケイの元へ駆け寄る。
「ケイ! ケイ!」
ボクが呼びかけると同時に、ケイは体を起こした。その口元からは、血が流れている。
「岡本、殴ったらだめだよ」
「馬鹿野郎! 寸止めに決まってるだろ!」
「はは。そっか。早とちりしたね」
殴られたのに、ケイはいつもみたいに笑ってる。
大丈夫そうだと思って安心するのと同時に、無理していないかと心配になる。
「ケ、ケイ」
「あ、シルヴィ。そんな顔しなくても、僕は大丈夫だよ」
「で、でも血が」
「ちょっと待ってね」
ボクが言うのを遮って、ケイは自分の口の中に指を突っ込んだ。
そして、口内から、白くて小さい歯を取り出した。
「お、おい」
「大丈夫だよ岡本。前からグラついてた歯だから。普通に生え変わるよ」
「そ、そうか」
さっきまでの勢いが嘘みたいに、岡本は小さな声でケイの言葉に返事を返した。
「岡本、今日は帰るよ」
「あ、おう」
殴ってしまった以上、岡本はケイの言うことに反発することはできない。
「ミクちゃん、帰ろう」
「うん」
用事がなくなったボクたちも、ケイと同じく公園を去った。
それから、ボクもミクちゃんたちにバイバイして、ケイと家路を辿ることにした。
「ケイ、大丈夫?」
「心配しなくても大丈夫だよ。岡本も、ちゃんと止めようとしてたしね。もう痛くない」
問題ないと笑うケイ。やっぱり顔を逸らしてしまいそうになるけど、今だけは無理させないように、見ておかないと。
「歯が抜けたのは間が悪かったね。岡本も気にしてるかな」
ボクが暗い顔をしているからだろうか。ケイは努めて明るく振舞ってくれている。
それをふいにするとしても、一言謝っておかないと。
「ごめんね。ボクがミクちゃんをちゃんと止めてたら」
「シルヴィが謝ることじゃないよ。僕だって、もっと早く岡本を止めてればよかったんだから」
ケイは優しいから、ボクが気にしていたら、ずっと気を使わせてしまうだろう。だから、そこは吹っ切る。
「それでシルヴィ、何か話があったの?」
「えっ」
「ミクちゃんが、そんなようなこと言ってた気がするけど」
言われて、思い出す。
今日はミクちゃんの家で、そのことについて話していた。
ボクが、ケイを秋祭りに誘いたいこと。でも、誘い方がわからないこと。それどころか、目の合わせ方もわからなくなったこと。
結局良い案が思いつかなくて、気分転換に外へ出てきたところでケイに会ったのだ。
「なんでもないよ」
言えなかった、ではない。言わなかった。
理由は沢山ある。
あの岡本の動揺ぶり。ケイのことを大事に思っている証拠だ。ボクだけが独占してはいけない。
ケイだって、ボクにだけばかり時間を割いていられないだろう。パパが色々勧めて、ケイはそれに嬉々として取り組んでいるようだし。
それから、ボク自身のために。いつまでもケイに甘えていたら、ケイだけに依存していたら、ボクはいつまで経っても、ケイに相応しい女性にはなり得ないだろう。
結論。一度、ケイから距離を置こう。
自分を磨いて、今度はボクの方から。ケイに促してもらうまでもなく、誘おう。