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①初めての「初めて」

 突然だが、僕には前世の記憶がある。


 嘘である。


 ただ、あながち間違いではないかもしれないというのが、現状の僕の仮説だ。


 というのも、僕は物心ついてからというもの、「初めて」という感覚を味わったことがない。


 無論、いかに前世の記憶があろうと、生まれたこの地は見知らぬ土地であり、初めてのものであるはずだ。ただしそこは、物心つく前からの馴染みということで「初めて」を抱くには至らないものと理解してほしい。


 そこを正しく踏まえてもらった上で、改めてどういうことか説明させていただこう。


 簡単に言えば、視界に入るあらゆるものにデジャブ感を感じるということだ。何を見ても、どこかで見たことがあるような気がしてならない。


 そのデジャブ感と共に全てが理解できるのなら、前世の記憶ないしはそういう特殊能力が備わっているのではなかろうかという期待もできるのだが、そこまでうまくはいかない。


 今もそうだ。散歩から帰ってきた僕と父さんの目の前を横切った、目元の白い鳥。絶対にどこかで見たことがあるし、名前も知っているような気がする。


 でも結局思い出せなくて、向かいの家の柵に止まったその鳥を指さして父さんに尋ねることになるのだ。


「お父さん、あの鳥は何て名前?」

「ん、あれはメジロだな」


 そうだメジロだ。言われて納得する。目元が白くてメジロ。こんなに覚えやすい名前をしているのに、どうして思い出せないのだろうか。


 それは初めて聞いたのだから当たり前なのだが、このもどかしさといったら、眠りにつく直前の汗疹の痒みと張り合えるレベルだ。


「ぁ」


 向かいの家の扉が控えめに開かれ、メジロはどこかの空へ飛び立っていった。


 その扉から出てきた少女、いや幼女は、そのことに小さく声を漏らし、肩を落とした。


「おや、西園さんのところの」


 僕と同じくそれを眺めていた父さんが、その幼女に向けて気安く片手を掲げた。


「ぁ、ぇと」


 人見知りなのだろう。挨拶をされたのだとわかっても、その幼女はしどろもどろになりながら、視線を右往左往とさせる。


「こ、こん、にちは」


 意を決したように、幼女はばっと顔を上げた。


 その瞬間、電流のようなものが僕の脳を駆け巡り、快楽とさえ呼べるような感動が沸き起こった。


 僕の初めての「初めて」は、金髪碧眼の幼女だった。






 それから丸一日、僕の頭の中は、西園シルヴィアというらしいその幼女のことで埋め尽くされていた。


 今までの人生が上書きされるような、鮮烈なファーストインプレッション。陽光に煌めく金髪と宝石のような青い瞳がもうずっと頭から離れない。


「慶太郎、どうしたんだ? 昨日どこか怪我したのか?」


 余計な視覚情報を入れないため、重ねた座布団の間に頭を埋め、ひたすら昨日の光景を思い出していたら、父さんの心配そうな声がした。


 そりゃあ、昨日まで普通にしていた息子がハンバーガーの具材になりたい願望を体現していたら心配もするだろう。


 いや、別にレタスにもトマトにも牛のミンチにもなりたくは無いが。


「どこか痛いなら、見せてみろ」

「大丈夫。どこも痛くない」


 やむを得ず、座布団サンドから頭を抜き取った。明るい室内に、徐々に目が慣れていく。


「じゃあ今日も外行くか? やめとくなら、お父さん一人で行ってくるけど」

「行く」


 休日には父さんが、こうして外に連れ出してくれる。普段はめんどくさいと思って断ることもあるが、今日は期待があった。


 西園シルヴィア。彼女の姿が、もしかしたらもう一度この目に映るかもしれない。


「慶太郎、今日はどっちへ行く?」


 これは父さんのお決まりの言葉だ。僕の気の向くままに進ませようというわけなのだが、生憎と返事はできない。


「慶太郎?」


 父さんを無視し、僕はただ向かいの家をじっと見つめていた。窓の奥に昨日の金色が閃いた気がして。


「お前、シルヴィアちゃんが気になるのか?」

「え?」


 見透かされる、というほど大層なことではないが、僕の頭の中を正しく言い当てた父さんの言葉にようやく反応した。


「そうなんだろ?」

「あー、うん」

「そうかぁ。四歳にして。うぅむ」


 僕の答えを聞いて、父さんは薄らと髭の生えた顎を撫でる。そして、何を思ったか僕の体を抱き上げた。


「お父さん?」

「気になるなら、一緒に遊んでみたらいい。ピンポン押して、呼んでみろ」


 そう言って父さんは、持ち上げた僕の体を西園という表札のそばまで連れてきた。


 そこで僕は逡巡する。


 今までだって、知らない人と話すことはあった。幼稚園で、他の園児の前で自己紹介もした。そのときにもデジャブ感は存在したわけだが、しかし、今からこのボタンを押して始まるのは、そのどれとも違う、初めての経験だ。


 初めては、怖い。


 昨日知ったのが「初めて」の感動なら、今体験しているのは「初めて」の恐怖だ。


 経験済みであるということは、少なからず慣れを生じさせることだ。それが無いというのは、どうにも恐ろしい。それも、そんな状態こそが初めてというのなら。


「慶太郎。ビビってたら、シルヴィアちゃんに笑われるぞ」

「笑ってくれる?」

「あー、いや。そういうことじゃなくてだな」


 わかっているとも。ガチガチに固まった僕を笑うのだとしても、会わないことには始まらない。


 初めの初めの第一歩。恐怖の先にしか、僕の求める感動は得られない。


「すーっ、はーっ」

「よし、いけっ」


 深呼吸一つの後に、インターホンを鳴らす。


 父さんに抱えられたまま、しばらく待つ。


 数秒の間があってから、さっき見つめていた窓が開いた。カーテンに半身を隠すようにして、あの幼女が顔を覗かせている。


 その御姿を拝見するだけで心臓がバクバクと高鳴るが、声を出さなければ、始まるものも始まらない。


「い、今宮慶太郎、四歳です!」

「ひぅ!?」


 緊張を誤魔化すために声を張り上げたが、依然として心臓はうるさいまま。さらに彼女がカーテンに顔を隠してしまった。


「あ、あーそーぼ」


 今度は努めて平静を装って、カーテンの向こうへ呼びかけた。そうすると、また彼女はひょっこり顔を出す。


「えっと、えっと。パパ、いないから」


 たどたどしく言って、彼女は窓を閉めてしまった。察するに、パパさんの許可がないと遊びに出られず、そのパパさんが外出中ということなのだろう。


「フラれちゃったな。どうする?」

「うーん」


 僕としては、外で遊ばずとも、この距離感で話すだけで十分に満足なのだが。かといって、もう一回インターホンを鳴らしたところで同じことの繰り返しだろう。


「仕方ないし、散歩行くか?」

「待って。お父さん、作戦がある」

「ほう?」

「お父さん、ボールで遊ぼう」

「ん? わかった」


 これで仲良くなれるかどうかはわからないが、一言二言話すくらいはできるはずだ。






〜シルヴィア視点〜


 パパがいないときに、ピンポンが鳴った。


 一人で出ちゃだめって言われてるけど、どんな人が来たか、パパに教えてあげないといけない。だから窓を少し開けて、覗いた。


 男の人に抱えられた男の子と目が合った。


「い、今宮慶太郎、四歳です!」

「ひぅ!?」


 突然叫ぶから、怖くなって隠れた。


 でも、名前は聞けたから、これでパパが帰ってきたら教えてあげられる。


「あ、あーそーぼ」


 満足して窓を閉めようとしたら、震えた声でそう言われた。


 誰に言っているのかなと思ったけど、すぐにシルヴィしかいないことに気がついた。


「えっと、えっと。パパ、いないから」


 誘われて、びっくりして、いつも人が来たときに言う言葉が口をついて出た。それから、窓も閉めてしまった。


「ふぅ」


 話しかけられたことはあるけど、遊びに誘われたのは初めて。


 よく考えたら、悪いことしちゃったかな。せっかく誘ってくれたのに、断っちゃった。


 でも、パパがいないし。パパがいいよって言わないと、知らない人にはついて行ったらだめだから。


 それより、お人形遊びの続きを。


「なんだろ?」


 ばいん、ばいん。跳ねるような音が、窓の外から聞こえてくる。聞いた事ある音。ボールの音。


 ほんの少し、片目が見える分だけ窓を開けて、音のする方を見た。


 さっきの男の子と男の人が、ボールを投げ合っている。


 男の子、たしか、いまみやけいたろう君。その子は力いっぱい男の人に向かってボールを投げる。男の人は、下投げで優しく返している。


 ぼーっと、そのボールの往復を眺めていた。


「あっ」

「あっ」


 男の子の声とシルヴィの声が同時に出た。男の子が思い切って投げたボールは、男の人の背丈を超えて、シルヴィの家の柵も超えて、庭に落ちてきた。


「あちゃー、これは取ってもらわないとな」

「ごめんなさい」


 男の人が、しまったっていう風に言う。男の子がしょんぼりと謝った。いや、あんまりしょんぼりしているようには見えない。


「もう一回ピンポン押すか」

「うん」


 男の人が男の子を持ち上げた。そして、ピンポンが鳴らされる。


 わかっていても、体がビクってした。ピンポンの音は、あんまり好きじゃない。


「ど、どうしよ」


 ボールは取ってあげないといけない。でも、出ちゃだめって言われてるし、それに、知らない人の前に行くのは怖い。


「すいません。ボール取ってください」


 でもでも、困ってる人は助けないといけないって、パパが言ってた。困ってる人を助けないと、困ってるときに助けてもらえないからって。


「よしっ」


 怖いけど、パパの言うことは聞かないといけない。庭までなら、家を出ることにはならないって思うし、大丈夫。


 靴を履いて、扉を開ける。庭に落ちているボールを拾って、柵に近寄った。


「えっと、えっと」


 柵の隙間からじゃ、ボールは出ていかない。どうしよう。


「上に投げて。思いっきり」


 柵の向こうから、男の子がそう言った。言われた通りにボールを、思いっきり上に。


「あっ」


 ばいーんっ。上がりきらなかったボールは大きな音を立てて柵に当たり、跳ね返ってシルヴィの方に。


「ふぇ?」


 痛いのを覚悟したけど、返ってこなかった。


 目の前には、男の子が柵にしがみついている。


 男の子が、柵の向こうから手を伸ばして、柵に当たったボールを跳ね返らないように押さえていた。


「あ、危なかったぁ」


 ぽけーっとしているシルヴィをちらっと見て、男の子は長い息をついた。


 よく分からないけど、助けてもらったみたい。


「あり、がと」

「ううん。ごめん。危ないことさせて」


 お礼を言ったら、謝られた。変なの。


「ちょっと離れて」

「え? うん」


 男の子に言われて、何歩か下がる。すると男の子は、持ったボールをひょいっと上に投げて、柵を越えさせた。すごい。


「これでよしっと」

「すごい、すごい!」


 カッコよかった。シルヴィを守ってくれたのも、軽々とボールを投げたのも。


「そう?」

「うんっ。パパみたいっ」


 パパはいつもシルヴィを守ってくれる。あれもダメこれもダメってうるさいけど、危なくないようにしてくれてるってわかる。


 この子は、パパみたいに守ってくれる。だからもっと、この子のことを知りたい。


「お名前、けーたろー?」

「そう。慶太郎。お名前は?」

「シルヴィは、にしぞのシルヴィア。三さい。何さい?」

「四歳だよ」


 けーたろー。四さい。覚えた。シルヴィが三さいだから、お兄ちゃんだ。


「シルヴィって呼んでもいい?」

「うん」

「シルヴィ、友達になろう」

「うんっ!」


 お友達。初めてできた、お友達。やったぁ。






「けーたろーは、あっちのお家に住んでるの?」

「うん。そうだよ」


 柵を挟んで、おしゃべり。いつも何して遊んでるかとか、何色が好きとか、そんな感じのお話をたくさんした。


 パパの他に、こんなにいっぱい話したのは初めて。これがお友達。とっても楽しい。


「あっ」


 どこからか、音楽が聞こえてきた。けーたろーは、それにハッとしたように空を見上げる。


 つられて見上げたら、白いはずの雲が赤くなっていた。


「慶太郎」

「うん。わかってる」


 男の人が、けーたろーを呼んだ。いつからか、男の人は向こう側の家の前で座ってこっちの様子を見ている。


 あの人はけーたろーのパパだって、教えてもらった。


「シルヴィ、そろそろ帰らないと」

「帰るの?」

「うん。お父さんと約束してるんだ」

「そっ、か」


 もっとおしゃべりしたい。でも、パパとの約束は破っちゃダメって、わかってるから。我慢しないといけない。


「シルヴィ、またね」

「う、ん」


 目が熱くなって、けーたろーの顔が滲む。勝手に体がヒクッてなって、うまく声がだせないけど、バイバイしないと。


「ばいばい」


 涙を服で拭いて、手を振った。けーたろーも、ちょっと困った顔をしながら手を振ってくれた。


 けーたろーとそのパパが、向こうの家に入っていく。パパに手を引かれながら、けーたろーは何回も振り返って手を振ってくれた。


 シルヴィも、帰らないと。


 家に入って、けーたろーに会う前に遊んでいたところに戻る。


 だんだん暗くなっていく部屋に、遊びの途中だったお人形さんたちが寂しそうに寝転がっていた。


 可哀想だって、思うけど。それでも、シルヴィはけーたろーと話している方が、楽しいと思った。


 でも。お人形さんは明日もいてくれるけど、けーたろーはどうだろう。明日も来てくれるかな。


 明日も来てくれたらいいな。


「ただいま。ごめんなシルヴィ、遅くなって」

「パパ!」


 パパが帰ってきた。


 パパにお話しないと。お友達ができたんだって。


「おかえり!」

「ただいまーっ」


 パパはシルヴィを見つけるとすぐに抱き上げて、頬ずりする。髭がジョリジョリして痛い。


 パパのほっぺたをグイッと押し返した。


「うーっ!」

「ごめんごめん。もうしないから」


 パパはシルヴィを下ろして、家の電気をつけた。出しっぱなしのお人形さんたちを見て、シルヴィに振り返る。


「今日もお人形さんたちと仲良くしてたか?」

「あのねあのね! 今日ね! お友達ができた! 向こうの家の子でね! パパみたいにカッコイイの!」

「へぇ? 詳しく聞かせて」


 なんだか少し怖い顔をしたけど、気にせずパパに今日会ったけーたろーの話をした。


「よしわかった。今度パパにも慶太郎君を紹介してくれないか?」

「うん! する!」


 パパとけーたろー。二人と一緒に遊べる日が来るなら、それはとても楽しみだ。


 パパは忙しいし、けーたろーも会えるかわからないけど、いつかそんな日が来たら良いと思う。

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