幕裏 百瀬百合花/7
謎の二人組による渋谷香菜の拉致、そして三日月絵留の殺害事件。
わたくしはその場に居合わせる事は叶わなかったが、絵留の位置情報が茨薔薇の外へ出て行った事には気付いていた。
偶然にも同時期に連絡を寄越してきた黒月夜羽の助力により、絵留と共にいた紅条穂邑と、拉致されていた渋谷香菜の身柄は無事に保護―――銃で打たれ、ほぼ即死だったという絵留の遺体は夜羽が回収班を手配し、事が公になる前に事態を収集させたのだった。
そうして、保護された二人は寮の自室に送られて、付き添っていた夜羽がわたくしの部屋へと訪れ―――
「儚くも夢は露と消え去った。彼女の起こした奇跡は、悪意とも呼ぶべき現実に押し潰されてしまった……か」
「……助かりましたわ。穂邑さんや渋谷さんの身柄は無事にこちらで引き取らせて戴きました」
「ふうん。案外落ち着いてるのね、百合花」
―――そんなワケがない、と吐き捨てたい気持ちで一杯だったが、この状況を見越せなかったのはわたくし自身の落ち度なのだ。
今ここで感情的になっても意味はない。
ずっと暗躍していたと思っていた夜羽に助けられ、事態は混沌を極めている。わたくしのすべきことはそれらを明確にし、これ以上の悲劇を阻止することだ。
「……白い車に、スーツの男が二人。この日本という国で銃を携帯しているなんて、尋常な相手ではないのでしょうね」
「わたしの知っている黒月の人間では無かったし、あの子が狙われている理由も不明ではあるけれど……ま、あの様子から察するに、計画に関わる何者か―――」
「もしくは、それらに遣われている裏組織……ですかしら」
人を殺す仕事を請け負うなど、それこそその道のプロであろう。
「殺し屋だとでも?」
「本当に何も心当たりがないのですか?」
「ないわよ。っていうかアイツら、わたしの事も撃ち殺さんばかりの勢いだったし」
「渋谷の令嬢を拉致し、黒月の令嬢に殺意を向け、百瀬の敷地近くで事を起こす……裏にどれほどの組織が付いているのでしょうね」
わたくしはそう言って肩をすくめながら溜め息を吐くと、夜羽は怪訝そうな表情を浮かべた。
「んー。わたしの推測だけど、アイツら自体にはそれほどの権力はないと思う。香菜を拉致はしても実際に殺せるほどの度量はないでしょうし」
「根拠は?」
「手口が姑息過ぎる。わざわざ穂邑に連絡を取り、ミカエルと二人きりで向かわせつつ、わたしや百合花の影がチラつくなり慌てふためく程度の奴らよ?」
「……そうですわね。出来る限り隠密に事を済ませたかったのでしょう。やはり背後に何か―――」
とはいえ、そんな組織など皆目検討も付かないのだが。
「百合花も解らないとなると、想像以上に厄介な事になってそうね……」
「―――ねえ、夜羽。これからどうするつもり?」
わたくしはこめかみを抑えながら問い掛ける。
「解ってるクセに。試すような物言いしないで」
「……いえ。こうみえて、割と本気で混乱しているのよ、わたくし」
夜羽には何か考えがあるようだが、正直な話、絵留が死んだという事実だけでも頭の中がおかしくなりそうだと言うのに―――
「ま、いいわ。確証があるワケじゃないし。わたしが学院までやってきた理由と関わりがあるかもしれないから、こっちで探りを入れてみるわ」
「学院……またこちらに滞在すると?」
「元々はそのつもりで連絡したし、近くまで来てたのもここへ向かっていたからだしね。穂邑たちの元に駆けつけられたのは偶然よ偶然。百合花が位置情報を捉えていなかったら最悪の事態もあり得たワケで、その点は別に恩を売ろうなんて考えてないわよ?」
「それは―――」
声が詰まる。言葉が出てこない。
自分の見通しの甘さ、不幸中の幸いだと手放しで喜ぶ訳にもいかない苛立ち。それらがぐるぐると胸中で渦巻いていく。
「百合花。わたし、こう見えても怒ってんの」
「……え?」
「ふざけんじゃないわよ。人がどれだけお膳立てしたと思ってんのよ」
「いや、あの……?」
……夜羽が何に怒りを感じていたのか。
この時のわたくしは、それを冷静に判断する事ができなかった。
「簡単に拉致される香菜もだし、馬鹿正直にホイホイ釣られる穂邑もそうよ。でも、一番イライラするのは……ああもう!」
「……夜羽。お二人に落ち度はありません。元はと言えばわたくしが―――」
「ともかく! 今回ばかりはわたしも黙ってはいられない。今までずっと裏方に回っていたけれど、これだけぐっちゃぐちゃに荒らされちゃたまったもんじゃないわよ!」
まるで癇癪をおこした子供のように声を上げる夜羽。
わたくしはそんな彼女を前にする事で、逆に冷静さを取り戻せていた。
「夜羽の言い分は解りました。わたくしも今回の件に関しては流石に重い腰を上げざるを得ません。当事者である穂邑さんや渋谷さんにも説明しなければなりませんし……」
「それならわたしが請け負いましょう。一人で動くには限界があるし、協力者として囲ってしまったほうが楽だろうしね」
「ではそのように。本当は、あの二人と貴女を関わらせたくはなかったのですが……」
「なによそれ。ま、信用されてないのは解ってたけどね」
確かに信用はしていない―――できない、というのが正しいかもしれないが。
夜羽の事は幼馴染として信頼はしているし、今もなお大切な人間である事に変わりはないけれど。
「じゃ、ま、そういう事だから。また明日来るから、それまでに何か情報掴んどいてよね」
「……え、ええ。解りましたわ」
結局、夜羽は本当に暗躍していた訳ではないのだろうか。
黒月の計画とやらに加担しているのは事実だし、ミカエルシリーズを物同然に扱う事に対しても躊躇いはみられない。
いや、絵留に関しては別だったが―――それも、彼女のプライドというか、意地のようなものがそうさせているに過ぎないのだろう。
人間ならば、自分の意思で自由に生きるべきである。それはわたくしと夜羽における共通の理念だ。
だからこそ、絵留を人間として扱い、それを託そうとした彼女のことを―――
「わたくしは、信じたいのよ……夜羽……」
既に部屋から出て行った少女へ、小さく呟くように投げかける。
そうして、気が付くと―――
「……ごめんなさい、絵留」
頬を伝って、一滴の涙がこぼれていた。




