幕裏 百瀬百合花/4
―――三日月絵留。
穂邑が託した少女であり、恐らく夜羽が探していたものの正体。
わたくしは彼女と出逢って確信した。
三日月絵留は、黒月夜羽―――本人ではないが、ほぼ同一の存在である、と。
夜羽に双子の姉妹がいるという話は聞いたことがないし、調べてもそんな事実は見当たらなかった。
つまり、彼女は血縁とはまた別の繋がりを持った人間―――いや、人間ではないのかもしれない。
そして、そんな少女を保護したのがあの紅条穂邑であるということ。
それが果たして偶然であるのか、それとも運命的な何かであるのかは解らない。
けれど、わたくしにとっては見過ごすことのできない出来事であるのは確かであり―――
「呼ばれたから来たわよ。それで、話って?」
すべての情報は、この黒月夜羽が握っている。
「まったく、ここにきて未だ白を切るのですか」
「んー、わたしから話すことは特にないし。百合花が知りたいと思うのとは別じゃない?」
相変わらずの態度だったが、そんなものをいちいち咎めている暇はない。
「それでは単刀直入に。天使の棺とは何?」
わたくしが問うと、夜羽は口元を歪めてみせた。
「……ふうん。穂邑が話したってとこ?」
「穂邑さんの記憶喪失についてもそうです。夜羽が関わっている何か……その天使の棺とやらが原因であるというのは解っています。すべて、貴女の仕業なのでしょう?」
正直、ハッキリとした確証はない。
ないからこそ、こうして彼女に問い掛けることしか出来ないのだが―――
「ま、良いわ。貴女に知られるのは時間の問題だと思ってたし。それじゃ、まずは天使の棺について話しましょうか」
そうして、夜羽は語る。
天使の棺と呼ばれるもの、その正体を。
「天使の棺。それは人間の記憶をデータとして保存して、別の人間の脳に上書き―――つまり、インプットする為の装置よ」
「記憶を、データ化……?」
「そ。あくまで記憶を抽出するわけではなく複製する。そうして機器に保存された記憶データを他人の脳に書き込むことで、擬似的に脳から脳へ記憶の移植を行う事ができるってワケ」
「……まさか。そんなことが可能なのですか?」
人間の記憶と一纏めにするのは簡単だが、その情報量は膨大なものだろう。それを複製―――つまりコピーするなど不可能ではないだろうか。
ましてやそのデータを他人の脳に移すだなんて、まるで稚拙なSF小説のような話であった。
「脳科学の天才……とでも言うべき人間が開発に携わっているのよ。わたしはまったく専攻外だし聞いた話でしかないのだけれど、人間の脳―――そのうち、記憶を司る部分に関しての仕組みに関しては既に解明されているらしいわ。パソコンで例えるとデスクトップに大量に並べられたデータフォルダみたいなものね。人間はその画面上に並んでいるフォルダから引き出したい種類の記憶を探してクリックし、中身を開いている。わかりやすく例えるなら、それが思い返す、という行為ね」
夜羽の例えは理解出来たが、それはあくまでも例えでしかないはずだ。
わたくしはイマイチ納得のいかないまま、彼女の話を黙って聞き続けることにした。
「天使の棺はそういった記憶フォルダを全選択してコピーして保存する。ようは脳と脳を繋ぐ端末ってことね。つまり脳に宿っている記憶―――電気信号を電子化してしまうってワケ」
「それが……穂邑さんの記憶喪失と何か関係があるのですか?」
「そうね。穂邑は確かに天使の棺を起動することで端末に保存されていた空白の記憶を脳に上書き保存され、擬似的な記憶喪失となったわ。けれど誤解しないで欲しいのは、天使の棺を起動したのは穂邑自身ってこと」
「それは穂邑さんが記憶を喪うと理解した上でのことなのですか?」
「そうよ。わたしが自分の手で天使の棺を起動したことは一度もないもの」
夜羽のその言葉を信じるかは別として、天使の棺という装置が紅条穂邑の脳に異常をきたしてしまったのは理解した。
「では、穂邑さんが時折ふいに記憶を取り戻す事象についてはご存知ですかしら?」
「あーそれね。昨日会った時に確認済みよ。アレがどういった状態でそうなっているのかは解らないけれど……空の記憶を上書きすれば元の記憶を消去できるかもしれない、という仮説は穂邑のおかげで否定された事になるわね」
「つまり、天使の棺は完全ではない……?」
「ほぼ完成はしているって話だけれどね。やっぱり、わたしじゃないと完璧な記憶の移植には耐えられないのかも」
―――夜羽じゃないと耐えられない?
それがどういう意味なのか、この時のわたくしには理解出来なかった。
「ま、そもそも人間の記憶と意識は別物だからね。人格は記憶から形成されるワケじゃないし、記憶が上書きされたからといってその人間の人格が完全に変化するとは限らないのよ」
「そう言われてもあまり現実味はありませんが……結局のところ、穂邑さんはどうすれば記憶を完全に取り戻せるのです?」
「さあね。そればっかりはわたしも解らない」
天使の棺とやらに関わっている夜羽ですら理解できない状況、イレギュラーが起こっているのだろう。
そうなると開発者に直接聞くしかない訳だが―――
「黒月直属の計画……となると、一筋縄ではいかないのでしょうね」
「もしかして穂邑をなんとかしようと思ってる? わたしがここに呼ばれた理由ってそれなワケ?」
「それ以外に何があると?」
「……ま、百合花ならそうかもね。てっきりミカエルについて追求されるのかと思ってたけど」
「それも当然ですわね。彼女をこの学院に引き取ることは承諾しましたが、その正体については未だに聞いていませんし」
ミカエル―――もとい、三日月絵留。
彼女の名前については本人から直接聞いている。三日月絵留という名前は穂邑が付けたものであるということも。
「ミカエルは天使の棺計画における被験体として用意されたデザイナーズベイビー。わたし、黒月夜羽の遺伝子を利用して培養・育成されてきたクローン体、とでも言うべき存在ね」
「クローン……なるほど。夜羽と姿格好が一致しているのはそういう事ですか」
「ミカエルは全部で十三体。零番目のプロトタイプもあったのだけれど、一年前に廃棄処分されたらしいわ」
「廃棄……まるで物のように扱うのですわね」
「そうね。実際、彼女達に人権はない。戸籍も存在しなければ、その事実も隠蔽されているわ。黒月における最重要機密とも呼ぶべき存在なの。本来ならⅩⅢが逃走した時点で処分するべき案件なのよ。それを人目につかない場所、状況で逃したのは賭けだったわ」
「……逃した? 夜羽が彼女を?」
「そうよ。彼女は少し他とは違う……十二番目までのミカエルは記憶を持たないようカプセルに保存されているけれど、十三番目の彼女だけはそうじゃない。一年前に起きた事故によって彼女だけがカプセルから解き放たれてしまった。その結果、ⅩⅢのみ特別な実験対象として扱われるようになったのよ」
「実験……?」
「本来はプロトタイプと呼ばれる個体だけが行うはずだった実験。人間としての生活を送らせつつ、記憶を持たない状態である彼女の五感に刺激を与え、その反応をサンプリングする―――」
聞くだけで非人道的な実験だった。
人間としての倫理観など無視した悪辣なる行為。そんな計画に夜羽が関わっているだなんて、未だに信じたくはなかった。
「……ま、胸糞悪い内容よね。でも本当にそういうことがあったのよ。そうして結局プロトタイプは廃棄処分になってしまった。といっても、わたしは実際に目の当たりにしたワケじゃないけれどね」
「それで、夜羽は彼女を逃したと?」
「実際に生活し、意識を持ち、感情を芽生えさせた時点でそれはもう人間よ。それに、逃げたいって気持ちがなかったら彼女は逃げなかったはず。わたしはあの子の意思を尊重しただけ。他人の意思に左右される人生なんて、それこそつまらないでしょう?」
そう聞くと、夜羽は計画に関わっていながらも、その在り方には反した思想を持っているように思える。
「事情は理解しました。ミカエル……いえ、三日月絵留はわたくしが責任を持って保護します」
「そうして貰えると助かるわ。もちろん、わたしにも出来る事はするつもりよ」
天使の棺について、紅条穂邑の記憶、三日月絵留の正体。
それらについての情報は得られた。わたくしがこれからすべきことも見えてきた。その為には夜羽の協力が必要不可欠だろう。
「さてと。そろそろ行くわ。他に聞きたい事とかある?」
「いえ、これ以上は流石のわたくしでも許容範囲外です。今は目の前の問題をひとつずつ解決していかなければなりませんし」
「そ。ま、せいぜい頑張りなさい」
夜羽はそれだけを言い、素っ気なく踵を返して生徒会長室を後にした。
わたくしに出来る事は限られている。
まだまだ解らない事も多く、課題も沢山ある。
それでも、きっと。
成すべきことは―――わたくしにしか出来ないことは、きっとあるはずだから。




