幕裏 百瀬百合花/3
紅条穂邑が倒れた一件を機に、わたくしは彼女の記憶喪失の原因について調べ始めた。
しかし、解っているのは天使の棺というワードと黒月夜羽が関与しているかもしれないという予想のみ。
どうしてもあと一歩が踏み切れず、出来ることと言えば穂邑の身を守ることぐらいなのが現実だった。
そうして、およそ一年後。
わたくしは三年に上がり、今年が最後の学生生活となり―――
「……まったく連絡が付かないと思えば。何をしにきたのです、夜羽」
―――黒月夜羽。
長い黒髪をさらりと靡かせて、かっちりとしたスーツ姿でやってきた少女。
一年前に退学届けを出し、これまで行方を眩ませていた彼女が突然顔を見せたのである。
生徒会長室で執務をこなしていたわたくしは、出来る限り平静を保ちながら急な来客を迎え入れていた。
「ちょっと探しものを、ね。わたしが直接動く必要はなかったんだけど―――ま、少しばかり挨拶しておきたい子もいたし」
「挨拶、ねえ。それで? 探しもの、というのはいったい?」
「……その様子だと、百合花はまだ知らない?」
さて、彼女はいったい何のことを言っているのだろうか。
「話が見えませんわね。見ての通り多忙ですし、要件は手短にわかりやすくお願いできますかしら」
「久しぶりに会った幼馴染に対してその態度、ちょっと酷くない?」
酷いのはどちらですか、と言いかけて辞めた。
彼女にはそれよりも問い質したいことが沢山あるのだ。要件を伺いつつ、こちらから情報を引き出すチャンスを探らねば。
「んー……百合花が知らないとなるとアテが外れたかもしれないわね。てっきりここに来てると思ったのだけれど」
「だからいったい、何の話を―――」
「ま、いいわ。百合花のことだから、アレを見つければ大体の事情は察するでしょうし。ここに来てるならそれで良し、来ていないならこれ以上は話す必要もないか」
「まったく。いきなりやってきてはそれですか。相変わらず自分勝手なんですから」
夜羽のこういった性格は幼少期から変わらずだった。むしろあの頃からやけに成熟し過ぎていると感じていたほどである。
「そこまで言うのなら、数日こちらに滞在されてはどうですかしら。わたくしは忙しい身なので、探しものでしたら自分の手と足でなされては?」
「はー、百合花ならそう言うと思ったけれど。わたし、この学院からは退学したのに―――」
「席なら残してあります。あんな書類だけ適当に提出してはいさよなら、なんて暴挙がまかり通るとでも?」
本音を言えば、わたくし自身が彼女を退学させたくないという我儘でしかなかったし、そんなことは夜羽なら当然のように見透かしているであろうことは想像に硬くないのだが。
「……ふうん、そうなんだ?」
照れ隠しのように視線を泳がせながらどこか嬉しそうに声を弾ませて言う夜羽を見て、わたくしはこれまでに感じていた彼女への不満や憤りなんて消え去っていた。
「ま、そこまで言うならお言葉に甘えさせて貰おうかな。寮の部屋も残してある?」
「もちろん。好きに使って下さって構いませんわ。ホコリだらけでしょうし掃除くらいはご自分でどうぞ」
「了解〜。もしかしたらウチの人間が探しに来るかもしれないけど、そのときは悪いけど対応してくれる?」
「ウチの……とは、黒月の?」
「そ。こうみえてお忍びなのよねぇ。わたしが居なくなったなんてものの数日でバレちゃうでしょうし」
「……はあ。厄介事は勘弁していただきたいところなのですが。まあ、わかりました」
ぶっちゃけ真面目に執務に追われて時間もないし、今年が最後の大勝負であるため色々な準備を進めなければならないので、こればっかりはいくら幼馴染といえど許容範囲外なのだが―――
「ふふ。ありがと、百合花」
普段は他人に対して傲慢な態度を崩さない彼女が、わたくしに向けるその言葉、その表情―――それらが何よりも特別なものに感じてしまって。
アリカとは正反対なタイプの出来の悪い妹を持ったな―――なんて感慨に耽ってしまうほど、自分も甘い人間だなと痛感しつつ。
それも、わたくしが守るべきもののひとつであり―――その為に無理を通す覚悟は既にしているのだ。
◆◆◆
夜羽が生徒会長室から出て行って間もなくのことだった。
「あら、貴女がここへ来るなんて珍しいこともあるものですわね。お久しぶりです、と言うべきかしら」
ハッキリとした手立てが見込めるまでは自ら接触することを控えていた相手―――紅条穂邑が唐突にわたくしの前に現れた。
「こんにちは、百合花さん。そうだね、一年ぶりくらい?」
開口一番、すぐに理解した。
この雰囲気は記憶喪失の彼女ではなく、以前の記憶を所持した状態―――つまり、わたくしの知っている紅条穂邑なのだと。
「なるほど、そういうことですか。それで、なにかありまして?」
「うん、まあ。ここ最近はずっと任せっぱなしだったから。私がこうして動く必要もなかったんだけど、ひとつのケジメと言いますか」
この口ぶり、もしかするとこの一年で彼女はある程度もとの人格とも言うべき彼女自身を意識的に表に出せるようになったのかもしれない。
「ケジメ、と言いいますと?」
「ちょっと任せたい子がいるんだよね。昨日からこっちに来てるんだけど、あの子は少し特殊でさ。連れ帰って貰ってもいいんだけど―――」
あの子、とはいったい誰のことなのだろうか。
急な出来事に内心では疑問を抱いてはいたものの、こうして彼女がわざわざ出てきたくらいなのだ、余程の事情があるに違いないと踏んだ。
「なるほど。その方のお名前は?」
「ミカエルⅩⅢ。って言っても、これは本名じゃないんだけどね。まあ、会って顔を見ればわかると思うよ」
……みかえる、さーてぃーん?
まるで何かのコードネームのようだが、本名ではないということは偽名的なもののことを指しているのだろう。
「なるほど。まあ良いでしょう、詮索は致しません。わたくしも貴女には借りがありますし、女の子ひとりくらいならなんとでもなりますわ」
正直なところ詮索したいし、なんとでもなるワケでもないのだが―――
「ありがと、百合花さん。これで当分の間は憂いなくゆっくりできそう」
屈託のない柔らかな笑みを浮かべてそんなことを口にする彼女を前に、わたくしはただ首を縦に振るしかなかった。
「貴女も大変ですわね。こうしてお話するのも一年ぶりですし、とても久しぶりに出ていらしたのでは?」
「まあ、うん。私が出ると迷惑が掛かるだろうし、極力引きこもるようにしてるんだ」
それにしても、こうして久方ぶりに顔を突き合わせて会話をしていると否応にも気付かされてしまう。
―――早く、この穂邑さんと共に学生生活を送りたい、と。
「共存は……できませんの?」
「んー、どうだろ。共存していると言えばしているし。ただまあ、あれが自分の罪を認めない限りは無理だろうなあ。私が、と言うべきかもしれないけど」
今の彼女がどんな状態であるかは未知数であるが、やはり未だに症状の完璧な改善には至らないようだった。
所感ではあとひと押しのように感じられるが、彼女の場合は単純な記憶喪失とは異なっている。
例えば、解離性同一性障害―――二重人格のようなものに近いのかもしれない。
そして、それを引き起こしたのが先程やってきた夜羽の関係する天使の棺なのだとすると、やはり夜羽が滞在している間に出来る限りの情報を彼女から引き出す必要がありそうだ。
「そうですか、残念ですわね。ですが、わたくしがこの学院を建てた理由……貴女をここへ呼んだ意味、それだけは理解して欲しいですわ」
「それはもちろん。ほら、実際こうして通ってるんだし、それで納得して欲しいなあ」
確かに身体は紅条穂邑であるのだろう。
けれど、わたくしにとっての彼女は今こうして話している彼女でしかなくて。
冗談混じりに苦笑いをしながら、こちらに気遣わせまいとするその優しさ―――それこそ、わたくしの好きな紅条穂邑その人なのだから。
「……はあ、まったく。少しは変わったのかと思いましたが、貴女は相変わらずですわね。まあ、またいつでも顔を見せて下さいな。わたくしは、ここでいつまでも貴女を待っていますから」
なんて、自分から会おうとしなかったクセに都合の良い言葉を投げかけてしまう。
気が付けば、彼女の記憶はまた深い海の底に沈んでしまって―――もしかすると、もう二度と会えなくなってしまうかもしれない。
だから、つい本音が出てしまった。
「うん、そのうちね。それじゃあ、後のことはよろしく―――」
ふら、と穂邑の身体が揺れたかと思うと、
「……穂邑さん!?」
彼女は糸の切れた人形のようにその場に崩れ、倒れ込んでしまったのだ。




