7話 はじまりの一歩
「決めた、三日月だ。名前は絵瑠。と言う訳で僕はえるって呼ぶ事にしようと思う。どうかな?」
僕のあまりに唐突な発言に、少女は唖然としていた。
「ええと……それって?」
「君の名前だよ、わかるでしょ!?」
半ばヤケクソになりながら、僕は身を乗り出してそう答える。
ミカエルだとかサーティーンだとか意味がわからない。どう考えても何かのコードネームだ。
人間を番号で管理するなんてよほどブラックな施設とみた。そりゃ地獄でしょうよ。
なので僕は彼女に名前を付けることにした。ようは偽名である。
さすがにこれからずっとミカエルだとか呼ぶ訳にもいかないし、とりあえずの措置として。
て言うか、なんだよミカエルって。
確か天使の名前だった気がするけど、よりにもよって天使って。脳内メルヘンにもほどがあるでしょ。
「三日月絵瑠。君はこれからそう名乗ること。もちろん記憶が戻れば本名も思い出すだろうから、これは一時的な偽名だと思ってもらえたらいい」
「なるほど、そういう……」
「ていうかさ。もしかして、それが自分の本名だと思い込んでたり、する?」
「そんなことは……でも、それ以外の名前を知らなかったので」
流石にそれはそうか、と一安心。
一年前からの記憶しかないとはいえ、あくまでもエピソード記憶だけが失われているだけであり、意味記憶の部分は残っているものとみた。
ううむ、余計に親近感が湧く。
まあ具体的にどこがどうとは言えないものの、僕と彼女は似ているようで違っているような気がしてはいるのだけれど。
「うん。じゃあ、これからよろしく。える」
「あ……えっと、はい。よろしくお願いします、ほむらさん」
ほむらさん。
ちょっと慣れない呼ばれ方をしたせいか、少しばかりこそばゆい。意外と名前で呼ばれることはあんまりないから新鮮ですらある。
「さて。それじゃあ、これからどうするかなんだけど」
それにしても、このままこの部屋で匿い続けるのは不可能だと言っていい。
寝食はともかく、寮監による月イチの定期検査など、色々と乗り越えなければならない関門が多すぎる。
かといって彼女には身寄りがない。
件の施設だかに還す選択肢がない以上、まずは警察に身元を調べて貰うべきか?
「あの。できれば、ここに居させて貰えたら……嬉しいんですけど……」
そりゃそうだよな。
自分で助けると決めて宣言したばかりだというのに、いきなり警察に放り投げるだなんて嘘吐きにもほどがある。
この問題に、僕の意識はあまり関係ない。
ようは、彼女自身がどうしたいかなのだ。僕はその要望に出来る限り応え、手助けする―――それだけの話なのだから。
「うん、それがえるの望みならそうしよう。でも、その為にはいくつかの関門がある。それを越える手段を見つけないことには何も始まらない」
「関門……ですか?」
「そうだなあ……話によると、僕も元々は部外者らしい。そんな僕がどうして学院に通い、この学生寮に住まわせて貰っているか、まあその辺は実はあんまりよく解っていないんだけど」
「…………?」
少女―――えるは、よく分かっていないといった様子で首を傾げている。
「ああ、うん。やっぱり、それしかないか」
「何か思いついたんですか?」
そんな期待を込められた眼差しを受けてしまい、僕はつい調子に乗って、
「初歩的な事だよ、える君」
なんて、以前に読んだ小説の登場人物のセリフを繰り出してしまったのだが―――それに対して、えるは予想外にも食いついてきた。
「シャーロック・ホームズですね!」
「へえ、知ってるんだ?」
「書物だけは沢山ありましたので。それで、いったい……?」
えるは僕の軽口には反応できたものの、僕が未だに何を言いたいのかは理解できていないらしい。
「簡単だよ、同じことをすればいいのさ」
「同じこと、ですか?」
「うん。僕がこの学院に外部から入学できたんだし、えるにだって同じことができるかもしれない」
つまり、頼るべきは過去の結果。
僕がここにいる理由は解らなくとも、その要因ならおよそ検討がついている。
「百瀬財閥の御令嬢、百瀬百合花」
一度も会ったことはないけれど、話には聞いたことがある。
「茨薔薇女学院、そしてこの寮、茨薔薇の園。それらを有する周辺の敷地一帯を管理する組織こそが百瀬財閥、らしい。そして、その百瀬の御令嬢が、今は学院長代理かつ生徒会長としてこの学院に通っているんだ」
まあ、ほとんど香菜から聞いた話なのだが。
つまりは、こうだ。
「その百瀬百合花に直談判する。僕の時は……親友の渋谷香菜って子がいるんだけど、彼女がやってくれたらしい。つまり、香菜なら百瀬百合花に会う手立てを知っている!」
「えっと、その……つまり……?」
「ああ。それじゃあ、めっちゃわかりやすく言うとだね―――」
僕は勿体ぶるようにひとつ間を置いて、
「えるもさ、この学院に入学しちゃえば?」