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6話 壮絶なる真相、覚悟の矛先

 黒月研究施設、二十五階。

 直通のエレベーターで辿り着いたその場所は、一年前に来たあの場所と同じだった。


「……ん、君は?」


 少し進んだ先、僕は一人の職員らしき女性と鉢合わせた。ボサボサな黒髪に細眼鏡、体型は痩せ細っていて白衣を身にまとっている。見かけだけなら二十代後半、といったところだろうか。


「ここは関係者以外立入禁止ですよ。その入館証からして見学か面接に来た子だろうけど、何も聞かされていなかった?」


「紅条一希はどこですか?」


「え―――」


 僕の問いに女性は目を見開いた。

 この反応、間違いない。ここの研究施設の関係者だろう。


「僕は一希の妹です」


「なんですって……所長の……?」


 驚き戸惑いながら、女性は胸ポケットからスマホを取り出してどこかへ連絡を始めた。恐らく兄へ確認を取ろうとしているのだ。


 それなら都合が良い。

 探す面倒が省けて助かると言うものだ。


「もしもし、所長ですか。あ、はい。その……たったいま、所長の妹と名乗る女の子と会いまして―――」


  ◆◆◆


 僕は職員の女性に引き連れられ、施設内部へと案内されていた。彼女が所長である兄に確認したところ、連れてこいと言われたらしい。


 兄が何を考えているのかは解らない。

 一年前、僕の凶行によって大怪我を負ったことを恨んでいるとしても、これほどスムーズに事が運ぶのはどうしても違和感がある。


 一部の権限を持つ人間しか通ることのできないエリアへと足を踏み入れ、カードキーで開閉する電子ロックの扉を抜けて―――


「やあ、穂邑。久しぶりだね」


 そこには、見間違うはずもない。

 僕、紅条穂邑の兄である青年―――紅条一希が待ち構えていた。

 男にしては長く伸びた茶髪、清潔感の欠ける無精髭、長身の割にひょろひょろとした体型と、先程の女性と同じく白衣に身を包んでいる。


「所長、私は職務がありますので」


「ああ、ありがとう」


 僕をここまで案内してくれた女性はこちらに一瞥をくれて礼をした後、そそくさと扉の外へと戻っていってしまった。


 周囲を見回す。

 ここは見覚えのある場所だった。かつてミカエルシリーズが並べられていた区画であり、この先に天使の棺が設置されている。


「一年ぶりか。見違えたな、とても女性らしくなったものだ」


「普段はこんな格好しない。ここに来る為の変装みたいなものだよ」


「……ふうん? 雰囲気も少し変わったみたいだね。ああ、そういえば使ったんだったか、アレを」


 アレ、とは天使の棺のことだろう。

 僕は無言でそれを肯定すると、兄は何がおかしいのか、クッと笑いを漏らす。


「そうかそうか。それで、どうだった? 新しい人格、空白の記憶によって得られる体験というのは?」


「そんなに気になるなら、自分で試せば良いんじゃない?」


「―――は。馬鹿だなあ、穂邑。俺がこの頭脳をわざわざ捨てるわけがないだろう?」


「だから、他人で試すと? 見上げたエゴイズムだね」


 僕が挑発じみた言葉で返すも、兄の余裕ぶった表情は変わらない。どこまでも、あくまで自分が上位にいるのだと信じてやまない態度。


 確かに昔はずっと言いなりだった。

 そうするのが正しいのだと、そうしなければならないのだと信じてきたのは僕自身だ。


 けれど、今はもう違う。

 一年前のあの日、兄との離別を決めた私の記憶は、確かに僕の中に宿っているのだから。


「ところで穂邑、今日はどんな用事だい? 俺が所長に復帰したと知ってお祝いに来てくれたのかな?」


 どこまでもめでたい思考だ、と思った。

 いや、きっと本気で言っているわけではないのだろうけど。


「夜羽と絵瑠はどこ?」


「……ん? ああ、なるほど。お友達を探しにきたわけか。夜羽ちゃんはともかく、その絵瑠って子は誰のことかな?」


「ミカエルⅩⅢ(サーティーン)。彼女がこの施設にいるのはわかってる」


「……ああ、アレか」


 一希はわざとらしく口元に手を当てて、


「百聞は一見に如かず。着いてくると良い」


 そう言ってくるりと踵を返し、奥にある通路へと向かって行く。

 記憶通りであるなら、その先は天使の棺があった場所だ。そこに絵瑠がいるのだろうか?


 ここまできて怖じ気づくわけにもいかない。

 僕は意を決して一希の背中を追いかけた。


  ◆◆◆


 通路を越えた先、厳重に閉じられた電子式の扉が開かれて、僕は再びあの忌まわしき装置―――天使の棺の前へとやってきた。


 部屋中にコンピューターらしきものが並べられていて、その奥部分に大きな箱のようなものが設置されている。


「……? 誰も、いないみたいだけど」


「そりゃあね。俺の監視なく誰かがいたらマズいだろう」


「こんなところに連れてきて……まさか、また僕の身体を実験に使おうって言うの?」


「……僕? ははっ、懐かしいなその一人称は。お前が養子に来た頃を思い出すよ」


 養子に来た頃、か。

 僕は確かに紅条穂邑として生きてきた間の記憶はすべて思い出した。だが、それ以前―――つまり、養子に取られるより前のことはまったく覚えていないのだ。


 百合花や夜羽と過ごしたという幼少時代。

 その頃のことは何一つとして知らないのに。


「そら、穂邑。天使の棺を開いてみるといい」


「誰があんたの思い通りになんか―――」


「大丈夫だよ。別に起動させろと言うわけでも、実験体になれと言うわけでもない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 わけがわからない。

 だが、他に出来る事がないのも事実だ。そこまで言うのなら確かめてやる。その答えとやらを。


「……そこ、動かないでよ」


「心配性だなあ、穂邑は。大丈夫さ」


 僕は恐る恐る、天使の棺へと近寄っていく。

 一希はまったく動く気配を見せないし、これだけの距離なら突然なにかされても反応できるだろう。


 僕は深く息を吸い込み、吐き出す。

 箱―――いや、まるで棺桶のような形をしている長方形の機械。外側から中身は見えないので、傍に設置されている開閉装置を起動させる必要がある。


 しばしの逡巡のあと、僕はそっとボタンを押した。


 一年前、この中にある装置を頭につけることで記憶の改竄を行ったことは覚えている。だが、そこには他に何もなかったはずなのだ。


「…………、え?」


 機械が自動的にスライドして開かれる。

 その中にあったものは、ヘッドセットのような機具と、ガラス越しに裸で眠っている一人の少女―――


()()()()使()()()、穂邑」


 見間違うはずもない、()()()()()()()()()()()

 胸元には傷跡のようなものも残っている。止血は済んでいるのだろうが、これが生きているとは到底思えなかった。


「なんだよ、これ。どういうこと……?」


「見た通りだよ。そもそも『天使の棺』という名前からして気付かなかったのかい?」


 一希がすぐ傍まで近寄ってくる。

 僕はそんな事すらどうでも良くなるほど、目の前の光景にただ唖然とし、釘付けになっていた。


「文字通り、これは棺なのさ。彼女達の役割はただひとつ。擬似的に作り出された身体によって生まれた脳髄の記憶、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()宿()()()()()


「まさか……それじゃ、絵瑠は……?」


「その複製体はすでに死んでいるよ。ただし脳だけは生かしたまま活用させて貰った。若干のイレギュラーは起きたものの、回収した死体をギリギリ利用することに成功したのさ」


 理解が及ばない。

 自分の兄であるはずのひとが、人間の言葉を発しているとまったく思えない。


「天使の棺の機能は、なにも空の記憶を植え付けるだけじゃあない。脳髄から脳髄へ、人間そのものの記憶を移し替える事だって可能な装置なんだよ」


「……夜羽は?」


「ああ、彼女はようやく願いが叶ったんだ。ずっと消し去りたいと思っていた記憶、自己の意識。それらを新たな記憶で塗りつぶすことで、長い悪夢から解き放たれたんだからね」


 つまり、夜羽はいま絵瑠の記憶を宿している?

 あの時の通話で話した相手は絵瑠でありながら、その身体は夜羽そのものだったと……?


「兄さんは、どうしてこんなものを作ったの?」


「どうして、って……そりゃあ、俺に出来る事だったからだよ! 昔からずっと人の脳髄、記憶に関する研究を繰り返してきた俺が、黒月に目をつけられたからさ!」


 昔から一希が何かしらの研究をしていたのは知っていた。だが、それが人間の脳髄―――記憶に関するものだったなんて。


「ずっと一緒にやってきただろう? 穂邑が協力してくれたから今の俺がいるんだ。そのことを思えば、一年前のことなんて水に流せるくらい感謝しているんだよ、俺は」


「そんなの……僕は、ただ―――」


 協力していたんじゃない、強制されていたんだ。

 こんな結果を迎えるために生きてきたわけでもないし、兄の道具になりたかったわけでもない。


 ただ、僕は自分の為だけに生きてきただけなのに。


「なあ穂邑、興味が湧かないか?」


「―――は?」


「ここに眠っている少女の記憶、それは確かに黒月夜羽の脳髄に刻まれた。だとすると、今生きている黒月夜羽はミカエルⅩⅢ(サーティーン)としての人格を宿していることになる。それでは、ここで死んでいる少女は本当に死んだと言えるのか?」


 記憶だけが移し替えられた、となれば、ここにいる三日月絵瑠であった少女の中にその記憶はなくなっているのか?


「つまりさ、つまりだよ穂邑。もしも記憶が人間の人格を形成し、意識を生み出しているのだとすれば、それこそが魂であると言えないか?」


「何が言いたいの……?」


「簡単な例を上げると、だ。老衰して死にかけている人間の記憶を、とある少女のクローン体に移し替えたとしたら?」


 そこまで言われて、気付く。

 兄が―――いや、黒月が百瀬と同盟を結んでまで行いたかった研究の正体がなんなのかを。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――そうだろう、穂邑?」


「そんなの……バカげてる……!」


「あくまで脳髄に記憶が宿っただけで、死んだ人間は死んだまま、別の人間が記憶を維持して生きているだけかもしれない。実際、この少女の記憶は黒月夜羽に移ったが、ここで眠る少女は死んだんだ。それだけは覆らないさ。けれど、そうであったとしても―――」


 兄は狂ったように声を荒げ、自己に陶酔しきった口調で語り続ける。


「例えばアインシュタイン! ニコラ・テスラ! その他、数多くの天才達が死という壁を乗り越えられなかった。類稀なる頭脳を持ちながら、現代まで生きていれば間違いなく活躍し続けた者達―――彼らのような存在が、その記憶だけでも引き継ぎ続けられたら、どうなると思う?」


「まさか―――」


「それが黒月の最終目標なんだよ。そして、それは俺の夢でもある。この俺という自己を根絶やさないために、この才能を記憶ごと保存していくために」


 記憶を消し去るのではない。

 自らの記憶を死と共に喪われないようにするための、どこまでも身勝手な研究。まさに狂気の沙汰だった。


「そんなことのために、えるや夜羽を利用したって言うの……!?」


「は、穂邑には解らないさ。ただの孤児だったみすぼらしいお前とは違う。俺や、世の天才達……そういった個人としての価値を高め、世界に優れた才能を持つ人間だけを残していく。それこそがこの計画の本当の趣旨。あの黒月夜羽ですら、その礎に過ぎなかったんだよ」


 黒月夜羽は天使の棺を使い、三日月絵瑠の記憶を植え付けられた。

 一度経験した僕なら解る。きっと、彼女の意識はまだ消えてはいない。記憶の底に沈んでいるだけで、何かしらのきっかけで元に戻る可能性だって十分にある。


 そして、死に行くべきだったえるはここで眠っている。その記憶が夜羽の中にあるとしても、それはえるであって夜羽なのだ。


 それなら僕のすべきことは決まった。

 夜羽を助け出し、この狂った研究に終止符を打たせる。


 このエリアにいなかったのなら、きっと他のどこかにいるはずだ。彼女は百合花が見つけ出してくれると信じよう。


「穂邑。お前は一年前に俺の邪魔をしたが、結果的に研究は最終段階まで進んでいる。もう止まらないんだよ、この計画は。今更なにをどうしようが無駄なんだ」


「……それでも、止めてみせる」


 僕はポケットに忍ばせていたナイフを取り出し、その切っ先を一希へ向けた。


 ―――この手で、兄を止める。

 それは妹である僕にしか出来ないことだから。


「馬鹿な考えはよせ。俺をどうにかしたってもう無駄だぞ。それに、そんなことをしてどうなるのか、解らないわけではないだろう?」


「確かにそうかもしれない。だけど―――」


 こんな手段を用いる以上、僕にもしかるべき贖罪が必要だ。当然、その覚悟を持ってここにいる。


「この計画ごとお前を破滅させられるなら、僕は喜んで罪を抱えてやる」 


 僕がすべてを終わらせる―――その為に、ここまでやってきたのだから。


「……そうか。理解して貰えなかったようで残念だよ、穂邑」


 一希は冷徹に、感情の伺わせない口調で、


()()()()()()()()()()()()()()?」


 その刹那。

 痺れるような激しい衝撃が僕の全身を襲った。


「あ、ぐぁ……―――」


「護身用のスタンガンだよ。大丈夫、気絶する程度の威力さ。死にはしない」


 視界がぐるんと回転する。

 両脚の力が完全に抜けていて、気が付けば僕はその場に倒れ込んでいた。


「兄に歯向かう妹。天才に牙を剥く凡人。現実を理想でしか語れない愚か者。……ああ、穂邑。俺は本当に悲しいんだよ」


 耳に届く一希の声が薄れていく。

 意識は朦朧として、今にでも消失してしまいそうで。


「だからやり直しだ。今度こそ本当に、お前が俺を困らせないようにしてやろう」


 定まらない思考の中、僕の意識は深い海の底へ沈むように消えてゆくのだった。

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