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5話 黒月研究施設潜入作戦

 茨薔薇の園、一階、エントランスホール。

 僕と百合花の二人は、黒月の研究施設へ向かうために美咲と合流していた。


「言っとくがアタシが協力できるのはアシだけだ。濠野の人間が施設に入るわけにはいかん。現地に着いてからはお前らの仕事だ、解ってるな?」


「ええ、もちろんですわ。ご協力感謝致します、美咲さん」


 百合花がそう答え、僕は無言で頷き返す。

 それを見た美咲は複雑そうな表情をしながらも、溜め息を吐きながらそれ以上なにも言うことはなかった。


「行ってらっしゃい、ほむりゃん」


 僕の背中を見守るように、一人の少女が立ち尽くしている。

 振り返ると、その少女―――香菜は不安な気持ちを押し殺すように、ぎこちない笑顔を浮かべていた。


「うん。すぐ帰ってくるから、心配しないで」


「渋谷さん。わたくしか居ない間、この学院や生徒の皆さん……それと、アリカのことも。宜しくお願い致しますわ」


 僕に続くように百合花がそう告げて、香菜は首を縦に振る。


 出発の準備は整った。

 ―――さあ、最後の戦いに赴こう。


  ◆◆◆


 黒月の研究施設は車で一時間と掛からない場所にあった。

 茨薔薇の敷地を抜け、都市部へと向かう。

 やがて高層ビルが立ち並ぶ都心に入り込み、しばらく走行していると、件の場所へと辿り着く。


 黒月のプレートが目立つビルの入口。

 見た目は辺り一面にそびえ立つビル群となんら変わらない。


「ほら、ここで降りろ。これ以上近付くと怪しまれる」


 美咲の車が外れの小路に停まり、僕達は迅速に車内から外へ飛び出した。


「ありがとうございました、美咲さん」


「あとは僕達がなんとかします。帰りにまた連絡するので、その時はお願いします」


「ああ、任せろ」


 僕と百合花は軽く会釈をして、ビルの周囲をぐるりと一周しながらその様子を観察する。

 時刻は夕方に迫っていて、そろそろ一般社員達は定時退勤の時間だろう。


 人気がなくなってから潜入するか、それとも堂々と正面から行くのか。それについては事前に話し合って決めている。


「百合花さん、ここに来るのは初めてなんだよね?」


「ええ。穂邑さんは一度あると聞きましたが」


「と言っても連れて来られただけだからね。その時は正面から正式な手続きを踏んで来たから」


「では、やはり予定通りに」


 僕と百合花によって立てた作戦。

 それは正面突破―――つまり、二人の立場を利用して正式に施設内へ潜入するという単純なものだった。


「ねえ、百合花さん」


「なんでしょう?」


 僕はこれまであえて口にしなかった疑問を投げかける。


「どうして、着いてきてくれたの?」


 そんな僕の問いに、百合花は一瞬唖然とした表情を浮かべて、


「無粋な質問ですわね。むしろ、ここでわたくしが動かない理由を探す方が難しいですわよ」


「いや、ほら。学院のこととか、やらなきゃいけないことも沢山あるのにさ」


「そうですわね。ですが、誤解のないように弁明させて頂きますと―――わたくし、これでも絵瑠のことを大切に思っていますのよ?」


 三日月絵瑠から届いた謎の電話。

 まともに会話をする間もなく途切れてしまい、それからは連絡がつかなくなってしまったのだが、その旨を百合花に相談すると、彼女はすぐさま行動を開始したのである。


「そっか。ありがと、百合花さん」


「貴女に感謝されるような事ではありませんわよ。それに絵瑠だけではなく、夜羽の事も気掛かりですから」


「そうだね。どうして夜羽のスマホからえるが連絡してきたのか……その謎を明かさないと」


 そうして、僕達は二人並んでビルの入口に立つ。

 黒月の研究施設―――ここで、すべてを終わらせる為に。

 

  ◆◆◆


 一階のフロントで受付に向かった百合花だったが、百瀬の名を出すと受付の人が慌てて連絡を取り、そのまま数分足らずで館内に入れて貰う事ができた。

 あまりの呆気なさに不審感すら抱いたが、事がスムーズに運ぶのなら問題はない。


 仮の入館証を首から下げ、僕と百合花はエレベーターホールへとやってきた。

 時間的には恐らくこれから退勤する社員達が溢れてくるだろうが、その前に研究施設のある階層に向かいたいところだった。


 黒月研究所―――十八階から上がその区域になっているようで、このビルは二十五階建てのようだ。

 以前に来た時は何も気にしなかったが、僕の記憶が正しければ、天使の棺が設置されているのは最上階の二十五階のはずである。


 エレベーターは十八階までしか動いておらず、それより上の階層には十八階にある別のエレベーターか、非常用階段でしか行けないらしい。

 あくまで表向き―――このビルの本来の姿としては、の話だが。


「あ、エレベーター来たみたい。行こう、百合花さん」


「ええ。それにしても、やけに静かですわね」


「まだギリギリ勤務中の時間だからじゃないかな。定時ならあと少しだろうけど」


「なるほど。でしたら急ぎましょう、穂邑さん」


 僕は首肯しつつエレベーターへ乗り込んだ。

 こんな狭い空間にあの百瀬百合花と二人でいるという事実に新鮮さと、少しばかりの気恥ずかしさを覚える。


 無言で点滅しながら進んでいくデジタル表示の階数を眺めながら、僕は思わず息を呑んだ。


 この先に夜羽や絵瑠、そして兄である一希がいる―――それを考えると、今更になって緊張してしまっているのかもしれない。


「穂邑さん」


 そんな僕の様子を察したのか、百合花は優しく囁くような声音で僕の名を呼ぶ。


「なに?」


「絵瑠を見つけ出して、夜羽の無事を確認して……わたくしとしては、そこまでが限界だと考えています」


「それって、黒月の計画に関しては諦めるってこと?」


「いえ。ですが、わたくし達だけでは出来る事にも限りがありましょう。夜羽さえ無事なら後は彼女に任せてしまえば良いとも思っていますし。そういう意味では、貴女がここに来る必要性はありませんでした」


 確かに、それだけなら百合花ひとりで十分なのかもしれない。

 けれど、僕にとっては―――


「ですが、穂邑さんにとってはそうではないのですわよね? 貴女はきっと、お兄さまとの決着を望んでいる」


「……うん、そうだね」


「そして、その結果として自分自身で黒月の計画自体を潰そうとお考えなのでしょう。わたくしの目的は絵瑠や夜羽の救出ですが、穂邑さんはその先を見据えている―――」


「それはそうだけど、ちょっと買い被り過ぎかな。僕ひとりでやれるなんて思ってないしね」


 本心からの言葉ではあったが、百合花や夜羽を無理やり付き合わせるつもりは毛頭ない。

 結局のところ、兄との因縁という一点においては僕自身の妄執、記憶を取り戻したからこそ生まれた復讐心のようなもの。


 その結果として兄の計画を潰す事を目標とした。これまでの曖昧な気持ちではない。他人の為に動いているわけでもない。ただ、あくまでこれは自分の為だけの戦いに過ぎないのだ。


「それでも、わたくしは―――」


 百合花が何かを言おうとした瞬間、エレベーターが十八階へと到着する。


 その先に広がっていたのは薄明かりだけの静寂、人の気配なんてまったく感じさせない空間。左右にそれぞれ道が繋がっていて、入館証によって出入りできるようなカードリーダーが設置されていた。


 このフロアからは関係者のみが立ち入りを許される研究施設区域なのだ。さすがにセキュリティもしっかりしている。


 僕達のような、見かけだけで言えばただの女子高生二人組は場違いな感じもするけれど、少なくとも隣に立っているのは百瀬の御令嬢なのだ。


 いや、正確にはその権力を放棄したばかりの、自分の足で立ち上がる事を決意したひとりの少女に過ぎないのだけれど―――


「百合花さん。最悪、絵瑠と夜羽の事だけはお願い」


「いいえ。ここまで来たのですから、常に最善を目指して頂きたいですわね」


「……はは。手厳しいなあ、やっぱり」


 軽口を叩き合いながら目を合わせ、僕達はそれぞれの道を見据えて背を向ける。


「二手に別れる。まずは夜羽と絵瑠の捜索。見つけたらすぐに連絡。オッケー?」


「ええ、もちろん。言われなくともそのつもりですわ」


「うん。気を付けて、百合花さん」


「そちらこそ。無理だけはしないで下さいね、穂邑さん」


 僕達は背中合わせに歩き出す。

 エレベーターホールから左右に別れた道、それぞれの先へ向かって。


 ―――黒月研究施設、潜入開始。


  ◆◆◆


 僕が訪れたエリアは、広い休憩所、喫煙ルーム、お手洗い、上層区域へ繋がる第二のエレベーターがそれぞれ配置されているようだった。


 この辺りになると人の姿はまばらにあって、休憩所のソファでくつろぎながらスマホを弄っている女性や、喫煙ルームでタバコをふかしている男性などが見受けられる。


 僕は出来る限り浮かないように、正々堂々とお手洗いの方へ歩いていく。今の格好はこういう場所でも違和感のないように、手持ちの私服の中でもできるだけ大人しく目立たないものを選んできた。


 女子トイレに入る。人の気配はない。

 僕はすぐさま鏡の前に立ち、身だしなみをチェックした。


「うん……よし、大丈夫」


 普段ポニテにまとめている髪を下ろし、ストレートに梳かしつつ、化粧も少し濃い目にして女性らしさを引き立たせてみた。


 普段は穿かない黒タイツの上にプリーツのロングフレアスカート、上半身は黒のトップスにベージュのコート。

 背丈に関してはどうしようもなかったので、僕と脚のサイズが近い香菜に厚底ブーツを借りることで誤魔化した。


 こうして改めて鏡で自分の姿を眺めていると、僕って女なんだなあ、なんて感慨に耽ってしまう。


「さあ……やるぞ、紅条穂邑(わたし)


 鏡越しに意気込んで、僕は女子トイレを後にした。

 目指すは二十五階、直通エレベーターで一気に昇り詰めてやる。


『―――わたし、三日月絵瑠です』


 ふと、絵瑠との通話が脳裏によぎった。


『える……本当に、えるなの……!?』


『はい。あの、わたし……もしかしたら、駄目かもしれません』


『駄目って―――』


『なんだか、ずっと頭の中がぐちゃぐちゃで。撃たれた記憶はあるのに身体はなんともなくて。まるで夢でも見ているみたいで……』


『しっかりして、える! 大丈夫、これは夢なんかじゃない。僕がここにいるよ!』


『ほむらさん、ありがとうございます。でも、わたし……本当は―――』


 ブツリ、と通話はそこで途切れてしまった。

 あの言葉の意味、えるが何を言おうとしていたのかはわからない。


 けれど、彼女は確かに生きていた。

 死んでしまったと思っていたけれど、あれは間違いなく三日月絵瑠本人だったと思う。


 だから、今度こそ助けなければならない。

 彼女に関わっているもの、彼女の命を脅かすものすべてを―――それが兄であるというのなら、苦痛に塗れた僕自身の過去ごと踏み抜いて、踏み潰してやる。


 これは地獄から逃げ出した少女が『僕』と出逢い、救われるための物語なのだから。

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